*停止状態の瓦礫処理
眼に見えない放射能汚染やその除染作業と比べて、津波に浚われた被災現場に山積みされた瓦礫の山々は、震災直後の惨状と余り変っていない。山済みされたまま、一向に瓦礫は処理されていない、これが被災現場の風景になってしまっている。訪れる政府関係者ですら、自ら苦笑しながら「全くお手上げです!何か良い知恵ありませんか?」被災地の絶望感は、日に日に深まって行くのがわかる。
「災害廃棄物」と呼ばれる山積みの瓦礫は、宮城県で23年分の廃棄物排出量に相当する約1600万トン、新聞報道だと、つぎの岩手県が約476万トン、福島県が約228万トンで一番少ない。しかし、放射能に汚染された土砂などを含めれば、福島県が大変な量になるだろう。念のため、津波被害の一番大きかった宮城県の石巻市にいたっては、通常の「ゴミ排出量」の実に106年分に相当する、気の遠くなるような話だ。これだけの瓦礫の山を処理する訳だから、1年を経過して、まだ全体の5-6%しか処理の進んでいないことを、単純に処理の遅れとして、ただ批判すれば済む話ではない。
さらに量だけでなく、瓦礫の質が問題だろう。被災地の現場を見て、先ず驚くのは、津波に押し流された沢山のクルマの残骸である。駐車場に停められたり、避難のために乗り捨てられた車だけではない。むしろ徒歩ではなく、車で逃げようとして、渋滞に巻き込まれたまま、津波に呑まれて犠牲になった車の無残な姿なのだ。仙台市内で、避難のために移動手段として車を利用した人が58.6%、徒歩の34.0%を大幅に上回っていた。津波の犠牲は、「クルマ社会」の犠牲であり、その哀れな姿なのだ。
瓦礫の中で目立つのが、電気洗濯機やテレビ、さらにクーラーなどの電化製品、高度成長の大量生産ー大量販売ー大量消費の「三種の神器」、続く「3C時代」の残骸である。大量生産の消費革命が、三陸大津波により洗い流された姿なのだ。これら家電製品が、大量廃棄されているだけに、簡単に処理できないまま風雨に晒され続けている。高度工業化社会の文明が、津波により根底から崩れ落ちている。もし、伝統的な木と竹と土の文化なら、津波に洗われると共に、その後自然にそのまま回帰する。家電製品のような無残な廃棄物処理に苦悩することはないだろう。
瓦礫処理の遅れは、瓦礫の量や質による遅れだけではない。政府は、全国各自治体による広域分散処理を決めてはいるが、福島第一原発の放射能による広域的な汚染土壌を見れば、汚染の可能性が否定しきれない大量の瓦礫を、喜んで引き受ける自治体が少ないのは、ある意味で仕方のない話だろう。除染の徹底や安全性を確保し、時間を掛けて住民の十分な理解と納得を深めながら、広域処理を進める外に手がない。原子力エネルギーに依存し、オール電化の利便性、快適性、画一化に浸りきったライフスタイル、高度工業化文明からの脱却に当たっての苦しみを共有しなければならなない。
瓦礫の処理は、さらに被災地の現場における、労働賃金の急騰をもたらしている。もともと職人と呼ばれる技能労働力は、高度工業化による高学歴化と技術者優先により、深刻な若手労働力の不足に陥っていた。一方での単純労働力と大卒技術者の過剰とは対照的に、他方での技能労働力の構造的不足が進み、労働市場でのミスマッチが構造的な矛盾を内包していた。3・11大震災は、この矛盾をさらけ出し、今や技能労働力が確保できぬまま、復興工事が立ち往生を余儀なくされようとしているのだ。
簡単に説明すると、瓦礫処理の事業開始により、被災地の求人倍率は急速に改善した。とくに建設関連の求人が増加して、全職種平均が0.56倍だが、建設関連は3.30倍になった(H23年末)。農地を失い、海を奪われた農漁民も瓦礫処理で仮設住宅の生活を続ける以外なくなったからだ。しかも、すでに人手不足である以上、賃金・労務単価が急上昇して、もともと上記のように構造的ミスマッチで不足していた技能労働力も瓦礫処理に動員されてしまう。技能者の不足は、すでに極限状態であり、その労務単価の上昇は、建設投資を圧迫し、公共工事を続けられないところまで来ている。
瓦礫処理も進まない、復興のための公共工事も着手出来ぬまま、公共投資も受注不調、契約不成立が続出している。公共投資が不消化なまま、金だけが空転して、被災を免れた仙台市内の飲食店や量販店の震災バブル現象が進んでいるのだ。復興特需が、すでに震災バブルなって、被災地を混乱に陥れている。それが山済みのまま放置されている瓦礫の背後にある、近代文明の腐敗現象なのだ。
さらに指摘したいのは、職人・技能者の絶対的不足が、実は福島第一原発の事故にも繋がっている重大な警告を紹介しておく。すでに故人だが、一級プラント配管技能士の平川憲夫さんのブログの引用である。
「例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、一歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。‐‐‐そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。
現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で一番と一番、二番と二番と云うように、ただ積み木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起るようになった原因のひとつです。」(ブログ「原発がどんなものか知ってほしい」より)