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続々、岐路に立つ3・11震災復興
 *難航する高台への移転
 未曾有ともいえる甚大な被害をもたらした大震災に際会して、ただ防災対策を強化するだけでは対応できないことを、思い知らされた。原発の安全神話が一瞬にして崩壊、自然災害に対する科学技術の限界、そして近代技術文明の無力さを、思い知ったからだ。その結果、政策的に選択されたのが、「防災」に代わるカテゴリー「減殺」であり、自然災害に立ち向かうのではなく、災害の危険から脱がれるために「逃げる」、つまり「逃災」の新しい哲学である。防災から逃災へのペレストロイカ=新思考、それが減災の「新概念」だろう。
 防災から減災=逃災への転換によって、津波に対して防波堤の高さを嵩上げしたり、多重堤を建設したりする安全対策より、高台への移転が重視されることになった。ただ、高台へ移転といっても、移転可能なものと、不可能なものがある。そもそも高台へ移転が、冷却のために不可能な代物が原発立地であり、防災による安全対策しか、他に手の打ちようが無いのは皮肉な話だ。地震列島に開発された原発は、第2、第3の福島原発事故の危険を抱え込まされたまま、廃炉まで立ち往生を続ける他なくなっている。
 原発は別にして、先ずは高台への移転が「減殺」カテゴリーの具体化なのだが、瓦礫の処理の停滞と並んで、高台移転への住民の合意形成は進んでいない。復興計画の作成は、地方自治の建前から、末端の基礎自治体に任されている。しかし、市町村自治体は、権限と責任を背負い込んだまま、計画の策定が大幅に遅れた。住民参加の計画策定に徹すれば徹するほど、住民の合意形成との矛盾が深刻になり、計画は纏まらない。計画が纏まったとしても、移転の意思決定をめぐり、住民同士の対立、行政への不信が深まり、移転計画の多くが宙に浮いたままになっている。震災後、1年を経過したのに、集団移転が纏まったのはゼロであり、実行の可能性の無い計画だけが宙に浮いているのである。
 高台への集団移転の賛否だけを問えば、アンケートへの回答の多くが賛成だろう。しかし、現実に移転に伴う土地問題、新しい住居の建築、就職や生活の具体的な検討となれば、移転は余りにも困難なのだ。すでに震災バブルで移転すべき高台の土地は値上がりし、しかも自分の土地ではなく、定期借地権しか与えられない。被災した自分の土地はと言えば、津波に洗われ、塩害に蝕まれ、地盤も大きく沈下した土地は、大幅な地価下落に見舞われている。自治体に買い上げて貰うにしても、震災以前の地価を大幅に下回わらざるを得ない。しかも、土地が確保されても、建築費については、すでに建築資材の値上がり、職人の労務費の上昇など、住宅建設が一層の困難に直面せざるをえないのだ。
 そうした難問を集団的に解決することは不可能なのだ。それ以上に難しいのは、新たな就職活動である。上述のとおり、一向に進まない瓦礫の処理の仕事なら沢山ある。しかし、そんな仕事を集団移転した自宅から通勤する就労が、いつまで続けられるのか?就職先としては最低であり、だからこそ瓦礫処理については、人手不足が深刻化しているのだ。もともと被災地の多くは、三陸沿岸の農山漁村であり、家業経営として働き、同居家族で生活を維持してきた。それが集団移転により、職住が分離して、通勤農業や通勤漁業は家業経営の破壊だし、農山漁村の否定でしかない。
 宮城県が典型だが、減災による集団移転の方針は、単なる高台への移転ではない。高台への集団移転ではないのだ。高台への移転は、高台への移住であり、職住分離の移転である。言い換えれば、職住一体型の農山漁村の家業型の経営、協同組合型の集団経営を全面的に否定する。そして、津波に浚われた農地や漁港を一旦更地にして、そこを震災特区に指定し、それを利用して大企業を大量誘致して、大規模経営に近代化する。つまり、津波による大震災を利用しての巨大「囲い込み運動=エンクロージャー・ムーブメント」である。前近代的家業経営、協同組合的集団経営の一掃により、経営規模の拡大による生産性の向上を目指しての近代化路線なのだ。この路線に、米・金融筋のバックアップによるTPPの日本経済の囲い込み政策が結びついているのだが、それには立ち入らない。
 16世紀からイギリスで成功した農地の牧場化による「囲い込み運動」は、「羊が人間を食った」といわれ、農業の大規模資本主義経営に成功した。21世紀の3・11大震災は「津波が人間を浚い」、農業や漁業の規模拡大による近代化に成功すだろうか?上記の通り、高台への集団移転は殆ど実現しない、職住分離のための「就活」どころか、瓦礫の処理も進まない。被災地区の経済特区は準備されても、果たして企業誘致は実現するのか?これまた大きな問題を抱え込んでいるのだ。
 沿岸被災地の集団移転が進まないのを横目に、宮城・福島では70年代から開発され、売れずに不良債権と化していた内陸部の工業団地、住宅団地に新たなニーズが急上昇している。被災した企業の沿岸部からの移転や復旧・復興工事のための新たな企業進出、さらに新興住宅団地の造成に他ならない。これら内陸部の団地も免税などの優遇を受けながらの団地造成なのだ。この風景を見る限り、被災地の復興どころか、被災地の完全な切捨て、21世紀の「囲い込み運動」は、新たな産業や地域再生の夢や期待とは程遠い、近代化の幻想に終わるほか無いのではなかろうか?
# by morristokenji | 2012-03-15 12:50
続:岐路に立つ3・11震災復興
 *停止状態の瓦礫処理
 眼に見えない放射能汚染やその除染作業と比べて、津波に浚われた被災現場に山積みされた瓦礫の山々は、震災直後の惨状と余り変っていない。山済みされたまま、一向に瓦礫は処理されていない、これが被災現場の風景になってしまっている。訪れる政府関係者ですら、自ら苦笑しながら「全くお手上げです!何か良い知恵ありませんか?」被災地の絶望感は、日に日に深まって行くのがわかる。
 「災害廃棄物」と呼ばれる山積みの瓦礫は、宮城県で23年分の廃棄物排出量に相当する約1600万トン、新聞報道だと、つぎの岩手県が約476万トン、福島県が約228万トンで一番少ない。しかし、放射能に汚染された土砂などを含めれば、福島県が大変な量になるだろう。念のため、津波被害の一番大きかった宮城県の石巻市にいたっては、通常の「ゴミ排出量」の実に106年分に相当する、気の遠くなるような話だ。これだけの瓦礫の山を処理する訳だから、1年を経過して、まだ全体の5-6%しか処理の進んでいないことを、単純に処理の遅れとして、ただ批判すれば済む話ではない。
 さらに量だけでなく、瓦礫の質が問題だろう。被災地の現場を見て、先ず驚くのは、津波に押し流された沢山のクルマの残骸である。駐車場に停められたり、避難のために乗り捨てられた車だけではない。むしろ徒歩ではなく、車で逃げようとして、渋滞に巻き込まれたまま、津波に呑まれて犠牲になった車の無残な姿なのだ。仙台市内で、避難のために移動手段として車を利用した人が58.6%、徒歩の34.0%を大幅に上回っていた。津波の犠牲は、「クルマ社会」の犠牲であり、その哀れな姿なのだ。
 瓦礫の中で目立つのが、電気洗濯機やテレビ、さらにクーラーなどの電化製品、高度成長の大量生産ー大量販売ー大量消費の「三種の神器」、続く「3C時代」の残骸である。大量生産の消費革命が、三陸大津波により洗い流された姿なのだ。これら家電製品が、大量廃棄されているだけに、簡単に処理できないまま風雨に晒され続けている。高度工業化社会の文明が、津波により根底から崩れ落ちている。もし、伝統的な木と竹と土の文化なら、津波に洗われると共に、その後自然にそのまま回帰する。家電製品のような無残な廃棄物処理に苦悩することはないだろう。
 瓦礫処理の遅れは、瓦礫の量や質による遅れだけではない。政府は、全国各自治体による広域分散処理を決めてはいるが、福島第一原発の放射能による広域的な汚染土壌を見れば、汚染の可能性が否定しきれない大量の瓦礫を、喜んで引き受ける自治体が少ないのは、ある意味で仕方のない話だろう。除染の徹底や安全性を確保し、時間を掛けて住民の十分な理解と納得を深めながら、広域処理を進める外に手がない。原子力エネルギーに依存し、オール電化の利便性、快適性、画一化に浸りきったライフスタイル、高度工業化文明からの脱却に当たっての苦しみを共有しなければならなない。
 瓦礫の処理は、さらに被災地の現場における、労働賃金の急騰をもたらしている。もともと職人と呼ばれる技能労働力は、高度工業化による高学歴化と技術者優先により、深刻な若手労働力の不足に陥っていた。一方での単純労働力と大卒技術者の過剰とは対照的に、他方での技能労働力の構造的不足が進み、労働市場でのミスマッチが構造的な矛盾を内包していた。3・11大震災は、この矛盾をさらけ出し、今や技能労働力が確保できぬまま、復興工事が立ち往生を余儀なくされようとしているのだ。
簡単に説明すると、瓦礫処理の事業開始により、被災地の求人倍率は急速に改善した。とくに建設関連の求人が増加して、全職種平均が0.56倍だが、建設関連は3.30倍になった(H23年末)。農地を失い、海を奪われた農漁民も瓦礫処理で仮設住宅の生活を続ける以外なくなったからだ。しかも、すでに人手不足である以上、賃金・労務単価が急上昇して、もともと上記のように構造的ミスマッチで不足していた技能労働力も瓦礫処理に動員されてしまう。技能者の不足は、すでに極限状態であり、その労務単価の上昇は、建設投資を圧迫し、公共工事を続けられないところまで来ている。
 瓦礫処理も進まない、復興のための公共工事も着手出来ぬまま、公共投資も受注不調、契約不成立が続出している。公共投資が不消化なまま、金だけが空転して、被災を免れた仙台市内の飲食店や量販店の震災バブル現象が進んでいるのだ。復興特需が、すでに震災バブルなって、被災地を混乱に陥れている。それが山済みのまま放置されている瓦礫の背後にある、近代文明の腐敗現象なのだ。
 さらに指摘したいのは、職人・技能者の絶対的不足が、実は福島第一原発の事故にも繋がっている重大な警告を紹介しておく。すでに故人だが、一級プラント配管技能士の平川憲夫さんのブログの引用である。
 「例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、一歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。‐‐‐そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。
 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で一番と一番、二番と二番と云うように、ただ積み木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起るようになった原因のひとつです。」(ブログ「原発がどんなものか知ってほしい」より)
 
# by morristokenji | 2012-03-12 20:08
岐路に立つ3・11震災復興:文明の大転換を迎えて
 *進まない復興
 3・11東日本大震災から1年の日を迎えた。
 内外からの「頑張れ東北」の掛け声にも関わらず、復興が順調に進んでいるとは言えない。世論調査でも、震災1年後の復興が「余り進んでいない58%」、「全く進んでいない23.2%」、8割以上の人々が復興の遅れを指摘ている。「進んでいる」との回答は、全体でも17.2%に留まっている(時事通信)。
 死者1万5千854人に対し、まだ6県の行方不明者が3千155人も残されている(警視庁)。さらに仮設住宅など、避難生活者がじつに34万4千人に達する現実からすれば、復興の遅れどころか、その停滞に苛立ちの気持ちを強めるのが当然であろう。この苛立ちや焦りが、祈りから諦めに変っていくのか?それとも現状への不満と怒りとともに、変革への主体的行動に発展するのか?
 震災後1年、いま現代文明の行方は、大きな岐路に立たされているように思われる。いくつかの論点を整理してみたい。

 *動揺するエネルギー政策の見直し
 地震、津波、原発事故の三つの複合災害が、近代の機械文明、科学文明に根本的な問い掛けと、その転換を厳しく迫ったのは、福島第一原発事故であろう。原発の安全神話が、M9.0の激震で根底から揺らぎ、そして瞬時にして津波により浚い流された。その結果として、広島型原爆29個分、セシウム137は168.5個分が放出された。冷温停止の終息宣言にもかかわらず、現在なお放射性物質セシウムが、日本列島の人と大地、そして大海に降り注いでいる現実から眼を逸らすことは許されない。放射能の放出が続いているにも拘らず、従って冷温停止も不安定、かつ不完全な状態のままで、果たして原発事故の終息が宣言できるのか?
 さらに問題は、安全神話が崩壊した原発事故の直後、安全神話を前提とした従来の「エネルギー政策」の抜本的見直しが提起された。そして、自然再生エネルギーへの転換について、ほぼ国民の合意が形成されていたのだ。にも拘らず、とくに菅から野田への民主党政権の首相交代で、エネルギー政策の見直しの作業が足踏みを続け、しかも原発の是非論に回帰している現状をどう見るか?エネルギー政策の見直しは、単なる原発の是非を論ずることではない筈だ。すでに崩壊した安全神話の廃棄を宣言して、脱原発への道筋をつけること、自然再生エネルギーへの転換の政策工程を提起しなければならないと思う。その上で、原発の廃炉のための手順を提示することではないのか?
 多数の原発の犠牲者の苦しみをよそに、なお生き残っている「原子力ムラ」の村民達の野望は、何とか休止中の原発の再稼動を図り、それを突破口に政官財の「原発国家」の再建を目ざすことだろう。そのために、原発の停止に伴う「電力不足」を一方的に誇大宣伝し、原発事故による人災責任を回避しようとしているだけではない。同時に、自然再生エネルギーのコスト高と供給の不安定性を一面的に強調して、新たな原発「神話復活」を目論んでいるのではないか?
 しかし、3・11大震災以降、この1年を振り返っても、電力資本の損益を別にすれば、原発再稼動を推進する必要性が大きいとは、とても思えない。
 まず、昨年の夏期の冷房などによる電力需要のピーク時は、国民総動員とも言える節電協力体制により、電力不足のための大幅な停電の危機は回避された。さらにまた、冬季の暖房などによる需要ピーク時も、すでに国民生活に定着した節電協力により、危機の可能性すら感じられないほど、節電生活が日常化している。とくに戦中・戦後の電力不足の節電生活の体験からすれば、原発の被災者の苦しみと比べれば、節電への協力などは、電気代の節約による家計負担の軽減に繋がる。大歓迎だ。
 電力供給の安定性については、原発の供給こそ、不安定そのものではないのか。安全神話は崩壊し、あらたな津波対策は進まず、定期点検で定期的に供給ストップを繰り返す。使用燃料廃棄物の最終処理の見通しもないまま、長期の安定供給が言えるのか?こんな原発に依存した電力資本の経営体質の安定性こそ根本的に問われねばならないと思う。供給コストについては、神話崩壊とともに、割高なコストの実態が次々に明らかにされている。加えて、原発事故による補償については、今後どこまで嵩上げされるかも解らない。安上がりな原発電力のコスト計算もまた、神話のベールに隠されていたのだ。
 再生自然エネルギーについては、旧ソ連以上に国家社会主義の頂点に君臨してきた電力資本の地域独占体制の下、その供給は雁字搦めに規制され、差別され、事実上排除されてきた。そうした独占的「不完全競争」の下で、作り上げられた電源構成を前提にして、自然エネルギーの各種供給シェアーを論じても意味が無い。コストの比較も無意味であって、むしろ北欧など、急速に開発が進み普及している海外の自然エネルギー利用を基準にすべきだろう。自然エネルギーの賦存についていえば、「日の丸」を国旗にするほど「旭日」の太陽光は豊富だし、火山列島により地熱・温泉熱、海洋国家を標榜する洋上風力、波力、潮力、さらにまた急流の豊かな水力など、まさに「大八洲」の日本列島は、自然エネルギーの「宝島」なのだ。
 だからこそ、すでに商社や情報、さらに電気、建設など、既存の業界はこぞって、自然エネルギーへの開発投資に舵を切っている。その点では、経済界もまた、国家独占の既得権を保守しようとする一部「原子力ムラ」の村民達と、新エネルギー革命をビジネスチャンスとして狙う企業群が、大きく二分されてきている。電力資本ですら、一部ではメガ・ソーラー発電に進出して、電力事業での生き残りを考えている。それだけに「発送電分離」を機軸とする電力改革に基づいた新エネルギー政策が急務になっているのだ。本来なら、「小泉構造改革」の時点で、情報革命や郵政改革に先行して、いち早く電力資本の「国家社会主義体制の解体」こそ図られるべきだったのだ。
# by morristokenji | 2012-03-10 19:05
    論文:第1章 古代社会
 社会主義のシリーズを始めるにあたり、過去の歴史を簡単に見ておくことによって、現在の我々の生活により直接的な利害関係のある事柄を導入する必要があると考える。
 我々の論敵は、時に我々が不満に思っているし、我々の意思で変革しようとしている現在の体制が、長い発展によって構築されたものであることを示し、我々の変革の意思を衰えさせようとする。我々のすべきことは、来るべき変革を認識し、それを妨害するものを明らかにし、そして変革を受け入れ、具体的に組織する準備に入ることだ。逆に我々の敵は、意識的に進歩は今日すでに到達点に達している、と主張しようとしている。彼らは、一時的なものを永久なものであるかのようにしようとしているし、それゆえ彼らにとり、歴史が教訓にはならない。一方我々にとっては、歴史が無視できぬような励ましと共に注意を与えてくれる。将来の産業主義への希望は、過去への戦いを含んでいるし、実際現在の体制を構築してきた以上、我々がそう思うと思わないとに関わらず、変革へ向かわざるをえなくするのだ。
 近代市民国家は、原始的社会から市民社会への転換として、個人と社会の利害関係の矛盾によって発展した。単なる野蛮な生活状態では、個人の直接的な必要を充たす以上のものは、認識されなかった。共同への完全な要求が人間の発展する力と共に初期の共産主義へと進み、衣と食の日常的な必要を充足する以上なことをするようになり始めた。この時点で、土地が生活に必要なもの以上のものを生産するよう、自然を助けることを発見した。丘や森は、木の実や幹が育ち、野生動物が生息する以上のものにより、牧場や耕地が作られた。
 しかし、人間の富がさらに成長し、その成長と共に、また変化が起こる。土地は個人の財産ではなく、その意味で共有だったが、しかし外来者には共有でなかった。初期社会が形成され、個人の単なる集合ではなく、初期社会は狭く、閉鎖的だった。「社会」の単位は種族(ローマの)Gensだあり、彼らの中では平和な血縁関係であるが、他のグループには敵対的であった。種族の中では、富はあらゆる人々が共有関係だったが、その外では富は戦争の戦利品だった。
 戦争の状態では、人々の間に指導力を助長させる。成功戦士がが種族の他のメンバーへの支配力を持つ。生産力の発展が、各人の必需品を上回るほどの富を供給すると、これら戦士のリーダーは、他のメンバーより多くのものをもつようになり、そこから初期の富の共産制は、個人的所有に転換を始めた。今や部族が、種族にとってかわった。これは、より大きく、より人為的グループだったが、そこでも血縁が伝統的に前提されていた。けれども、そこでは上記の通り、共産制が崩壊を見たが、決して単なる個人所有であったわけではない。個人には所有権が認められなかった。部族制のもとでは、奴隷が増加し、階級社会が始まった。
 部族は、その中でより大きく、より人為的な体制に融解していった。それは、多くの部族の集合であり、古代のゴシック、チューター風の名前、まだTheobaldのような名前が残っているが、民族Peopleだある。これが未開の状態の最後の発展だった。また、Tribeの間で獲得されていた富の状態には大きな変化が無かったが、封建制の単なる萌芽Germsよりは少しは多くなっていた。
 最後に、古代の未開状態は、古代都市に変化した。その名の通り、都市の生活の形成だった。これらの都市とともに、古い信仰の規則的な崇拝への組織化を伴って、政治生活が始まった。未開の宗教は、部族の祖先への崇拝であり、それは物神化と一体になり、最初の普遍的な宗教となった。そこでは、宇宙が人々により恐れられ、宥める生きてアニメ化された存在として受け入れられる心の状態として記述された。これが都市の愛国心と呼ばれるようなものに変化していき、都市の総ての宗教に積み上げられ、その後の時代にはギリシャ、ローマの実際の宗教となった。そして、ヘブライを含む人類の先進的な民族総てのものとなって行った。これらの都市では、奴隷が急速に拡大し、それは総ての産業主義を覆うほどになり、自由な市民の主要な仕事は、戦争を通じての都市の拡大となった。なぜなら、都市は部族の間がそうであったように、相互に敵対的だったからだ。
 事態の一層の変化の流れは、東方における都市同盟の形成であり、それは次第に官僚制や絶対君主制の下に置かれ、そうしたものが今日では中国に存続している。ギリシャやラテンの都市は、人間の知性の進歩に基づいてはいたが、変化や崩壊をまぬがれなかった。
 ギリシャの内部でも、支配のための個人的闘争が、都市の愛国心を崩したし、単なる軍事的・政治的な陰謀や混乱に向かうことになり、それが遂にはギリシャの独立が完全にローマの力に踏みにじられことになったし、いまや完全に分裂した。ローマにおけるこの時代、平民の階層の闘争、言い換えると都市を構成していた下層の部族と保守的な寡頭制、それに指導的な部族との、すなわち3つの古くからの闘争が、どれによりもたらされる利益に基づく中間層の生活を発展させ、それが古い都市の共和制を崩壊させた。そして、商業上や徴税上の帝政をもたらしたのだ。この帝政こそ、奴隷制に基礎を置き、その課題はあらゆる政治的権利をを欠落させることにあったが、そこでは個人主義の支配が完全になった。実際、この同じような戦いが、ギリシャの都市で様々な形で起こった。こうして、あらゆる公共心が消滅することになる。商業主義の自然的な欲求が、帝国の富を食い尽くしたのだ。奴隷労働すら非営利的になった。地主は没落した。税は支払われず、ローマの戦士は、一旦は宗教的に都市に献身したが、買収され、雇われ、最後はどこの部族も戦う市民を買収するカネが十分でなくなり、ローマの地方が未開人に乗っ取られ、その親戚が外から帝国を攻撃すことになった。
 こうして未開人の手に落ちた古代文明は、部族共産制から変わり、もう一度、個人と共同の利益の矛盾により、未開人とローマ人の2つの流れに例証され、その統合により次の大きな時代である中世の社会が形成された。
# by morristokenji | 2011-03-03 13:58
補注:ユートピア社会主義:科学とイデオロギー
 モリスは、社会主義の発展の成果を、第21章「社会主義の勝利(Triumphant)として総括する。この総括は、むろん「唯物史観」の延長上でのマルクス・レーニン主義のそれではない。『資本論』から学び取った、彼の独自の「科学的社会主義」論であるし、「科学からユートピア」への提示に他ならない。ここでは科学よりも、文化・道徳・芸術・宗教などが凝縮された理想の歴史的道程が描き出されることになる。この作業は、モリスの代表作『ユートピア便り』を社会主義論として裏付ける作業でもあったと思う。
 歴史と論理、あるいは理論と実践の統一という「唯物史観」のドグマなら、資本主義社会は恐慌や戦争で崩壊を見る。いわゆる自動崩壊論であり、実践の意味も単なる階級闘争に還元されるだけで、運動の主体的意義は希薄になる。すでに周期的恐慌が6回も7回も繰り返されても、1848年恐慌は例外だったのであろう、政治的危機は訪れなかった。むしろ金融恐慌を梃子にして、資本主義経済は成長発展を繰り返し、イギリスはヴィクトリア朝の黄金時代を謳歌したのだ。マルクスは、だからこそ「唯物史観」のドグマを超えて、純粋資本主義を抽象し、『資本論』を書いた。その『資本論』を、モリスはバックスの協力を得ながら、繰り返し熟読して紹介し、解説した。難解な『資本論』の論理には、「貨幣の資本への転化」を始め、まだ沢山の理論的不備もあった。それだけに芸術家モリスも、経済学の理論構築の作業に苦闘せざるを得なかった点は、すでに紹介した。
 しかし、「唯物史観」のドグマを脱却したモリスは、論理と歴史を区別し、さらに理論と実践の統一のドグマからも自由な形で、第20章ではイギリスの社会主義の運動論・実践論を書いた。その上で、さらに「科学とイデオロギー」の統一のドグマからも解放されて、現実の資本主義の歴史的発展を踏まえつつ、人間の主体的実践にの役割に基づいた、社会主義の思想による人間解放の理想を語ろうとする。最終章である第21章の冒頭において、未来社会への人間の主体的実践について、次のように述ベている。
 「我々自身、過去の生活については、一つの方法で描写することが可能だ。」持っている正確な過去の情報に基づいて描写すればいい。しかし、「将来について言うなら、我々は何も持っていないし、歴史的な発展からの単なる抽象以外には、また我々がその力を適正に評価できなかった要素と抵触するかも知れない論理的結論しか持ち合わせないのだ。」「それゆえ、近代文明が社会主義へ転換するのは疑いないとしても、我々は将来の社会生活がどんな形をとることになるか、正確には予言できない。T・モアやL・ベーコンが言うように、商業時代の始めの生活より良くなるかどうか、それは今日の資本主義の時代の発展からは予見出来ないのだ。」
 論理と歴史、理論と実践、そして科学とイデオロギーの弁証法的統一という「唯物史観」のドグマなら、話は別だろう。初期マルクス・エンゲルスが主張した恐慌・革命テーゼ(さらにレーニンでは戦争・革命テーゼ)による資本主義の自動崩壊論であり、さらに政治的実践の意味も、単なる階級闘争による権力奪取に還元され、実践の主体的意味は失われるだけだろう。また、権力の奪取による階級独裁=プロレタリア独裁による「上からの革命」に過ぎなくなる。「唯物史観」のドグマでは、歴史の複合的な変化の軌跡も、実践活動の豊かな主体性も、さらに文化・道徳・芸術・宗教などの精神面が凝縮されるユートピアの夢も、無視されてしまうだけだろう。さらにモリスは主張する。
 「我々は、将来の生活を積極的に実感できないにも拘らず、現実の社会の原則が一般的に受け入れられ、日常生活上の実践として適用される際、問題の否定的側面を見ることにはなるが、大部分が社会主義の戦いの必然的結果として、空白が充たされざるを得ないのだ。現在の社会は発展するだろうし、その付属物や安定装置も付いて行くことを、確かに知っている。新しい社会の基礎が何であるか、少なからず知っている。だが、新しい社会が、自由や共同を基礎に、いかに構築されるか、それは思索以上のものではない。」
 モリスは、ここで予測や予言を避けている。むしろ忌避しているのだが、それは実践の主体的意義を尊重するからに他ならない。個人のセンチメンタルな感情ではなく、革命の主体による組織的運動の実践的創造性を期待しているのであろう。ただ、あくまでも「思索以上のものではない」にしても、また「けれども主要な点では、ここで書くことは<社会主義者>の多数により受け入れられるものである」とすれば、新しい未来社会は、どんな形になるのか?モリスはここで、さらに慎重になるのであって、先行「論文」では、ある程度具体的に提起されていた未来社会の制度設計、とくに制度・組織についての具体的提示が、「著作」では簡略化されている。
 省略の理由は明らかではないが、モリスにとって未来社会の政治的な制度・組織は、移行期として「連邦原理」を提起し、共同体は「地方的」、「職業的」なギルドであり、「最高の単位は、社会化された世界の議会」とされている。そして、具体的説明に踏み込めないのは、「我々が統治の時代とよぶ地平を超えて、社会が発展するのをまだ予見できないことを意味している」とした。それに対して、「共同体社会の生活と呼ばれる表現の宗教的、また倫理的な基礎」については、「著作」ではかなり詳細な説明が加えられた。制度・組織よりも、生活の機能面で宗教や倫理、芸術などを重視したともいえる。そこで、先行「論文」の政治的な制度・組織について、ここでは紹介しておこう。
 
# by morristokenji | 2011-01-01 16:52
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