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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

(6)「労使共倒れ」による歴史の転換

 20世紀アメリカの象徴だったGMの破産は、単に世界大不況の犠牲にとどまらず、重化学工業の歴史的発展の終焉を意味しているのではないか?すでにIT革命など、主要先進国を中心に、ポスト工業化に向けた歩みが強まっていたが、09年9・15リーマンショックにより、ついにクルマ社会の発展にも大き転換が訪れたと言えるだろう。「百年に一度の世界金融危機」は、単にリーマンショックによる金融恐慌の勃発に留まらない。GMの百年の歴史に幕が下りた点にあったのだ。
 もちろんGMそのものは、国有化されることにより、今後再生の可能性は大きい。しかし、今や国有化によって、新たな産業的発展が約束され、期待できる時代ではない。一時的な救済措置に過ぎないし、いかにリストラされるかが問われている。さらに米国だけではなく、他の主要先進国にとっても、クルマ離れが進み、国内のクルマ市場は縮小に転じている。新興国市場に活路を見出すと共に、化石燃料依存のクルマ社会からの脱却こそ、大きな課題なのだ。
 このような産業構造上の転換と同時に、産業組織としても、クルマ社会の限界が露呈された点が重要だろう。すでに述べたとおり、サブプライムローン問題は、直接には低所得者向けの住宅ローンの証券化だった。しかし、もともと耐久消費財に伴う消費者信用は、クルマのローン販売と住宅ローンの拡大とが結びつき、両者を切り離す事はできない。ローンで車を買い、そのクルマを入れる車庫・駐車場を確保しつつ住宅を建てる。クルマ利用との関係で、郊外に持ち家1戸建ての住宅団地開発など、都市構造のドーナッツ化も進む。消費者信用の拡大とクルマ社会の都市構造の発展、そしてアメリカ型のライフスタイルが形成されたのだ。
 しかし、環境問題、資源問題、さらにアメリカ型ライフスタイルそのものも、すでに先進国では限界を迎えている。ポスト工業化の知識社会への構造転換が進み始めている。上記のとうり先進国の国内市場では、いずれも車の販売が頭打ちから減少に転じているのであり、だからこそGMなどビッグ3の地位も低下して、日本のトヨタが世界のトップの地位を奪うことになったのだ。そのトヨタもまた、日本の国内市場の拡大ではない。中国など新興国市場への拡大による、市場制覇だった。こうした先進国のクルマ社会の行き詰まりなどがまた、すでに述べた80年代から顕著になったグローバルな過剰資金の累積、そしてその投機的利用による慢性的バブルと結びついた点が重要だろう。
 すでに述べたが、グローバルな過剰資金は、基軸通貨ドルと結びつき、アメリカへの投資や消費のための資金流入となった。投資は軍需などを含むものだし、消費もまた消費者信用によるローン漬けの過剰消費体質を助長する形となった。こうしたアメリカによる過剰資金の吸収によって、新興国や日本からの対米輸出が拡大、結果的にグローバルな世界市場の循環と発展を支えたのだ。しかし、このようなグローバルな資金循環や市場拡大が、極めて不安定な基礎に成り立つものであった師、とてもグローバル資本主義と呼べるような新たな発展ではなかった。
 とくに90年代、ポスト冷戦を向かえて、ネオコンなど米一極支配による覇権主義の台頭が、構造破綻への道を準備したのだ。当初、クリントン政権の下では、副大統領ゴアが主導した「情報ハイウェー」など、IT革命によるニューエコノミーの発展が、ポスト工業化を見据えた知識社会への構造転換を志向していた。インターネットなど、言わばポスト冷戦の「平和の配当」ともいえる新産業の創出、流通部門を中心とした著しい生産性向上、一方でグローバルなネットワークと同時に、イントラネットやSNSなどの新たなコミュニティの創出手段など、いずれも構造転換の好例だろう。
 しかし、アメリカを先導としたIT革命も、構造的な慢性的過剰資金の累積、グローバルな規模でのIT技術の投機的利用など、2000-01年にかけて、ITバブルの崩壊を招いた。この崩壊と重なるように、01年上記ネオコンが主導したブッシュ政権が誕生、米一極支配の覇権国家への転換とともに、イラク戦争への泥沼に進んだ。覇権主義の対外路線と同時に、ブッシュ政権は対内政策として、低所得者を組織的に統合するためのサブプライムローンの証券化、そして「オーナーシップ・ソサェティ=所有者社会」によるアメリカンドリームの実現を夢想したのだた。この時点で消費者ローンによる米・金融資本の産業組織は、構造的な慢性的過剰資金の投機のバブルにより急膨張、悪夢と化して破裂した。9・15リーマンショックの金融恐慌に他ならない。
 要するに高度工業化による産業構造は、ポスト工業化への転換を迫られると共に、産業組織の面でも、消費者信用による組織統合を特徴とした、米・金融資本の組織化の限界を露呈したといえる。さらにGM 破産においては、「労使の共倒れ」とも言える行き詰まりによって、遂に倒産を招くに到った点が重要だろう。その点では、労使関係もまた破綻したのであり、フォードシステムなど、労使協調により生産性の向上を図り、資本蓄積を制御するレギュラシオン理論の根底もまた、ここで大きく崩れ去った。
 具体的には、リーマンショックの金融危機が実体経済に影響する中で、米ビッグ3の中でもGMの再建が焦点となった。GMこそ米クルマ社会の象徴的存在であり、その経営再建の成否が注目されたのであり、特に労働組合との交渉が最後まで難航した。 GMがモデルとなって普及した企業年金、退職者向け医療給付などは、全米自動車労組(UAW)の強い交渉力によって実現された。高賃金の上に、手厚い企業年金や社会保険料によって、企業内の高福祉が保障され、人件費は日本のトヨタなどの2倍に達していたとも伝えられた。
 一方における株主など大口債券者の利益確保、他方における高賃金を支えた労組の強い交渉力、これら利害関係者の交渉が難航の末、ついにGMは経営破綻に追い込まれたのだ。危機を迎えて激化する階級闘争の末、労働者の「プロレタリア独裁」型の勝利ではなかった。経営が資本の利益のために大規模なリストラを断行して、自主再建の道を開くことも出来なかった。破産法11条の申請により、米政府が6割の株式を取得して再建を目指す、形式的な国有化に過ぎない。まさに、「労使共倒れ」の経営再建であり、大幅な規模縮小による再建計画となった。1908年創立のGMは、ここに歴史の幕を閉じたことになる。
 「労使共倒れ」のGM破産は、巨大労組のヘゲモニーが失われたことにより、19世紀工業化社会の発展と共に確立した近代社会のエスタブリッシュメントとしての労働組合、その存在意義が否定されたことでもある。そうだとすれば、労働組合主義の時代もまた、その終わりを告げたとも言えるのではないか?ソ連崩壊により、プロレタリア独裁の国家主義が破綻したとすれば、今回のGM破産はまた、労働組合主義に基づく参加介入型の民主主義の路線の終わりを意味しているのではないか?
by morristokenji | 2009-07-29 15:26