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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

モリス、バックスの『社会主義』:その19(続き)

 資本主義の最初の時点でも、親方は労働者としての重要性にあったのではなく(彼が最初労働者として働いていたとしても)、総ての重要性は労働の統治にあった。マルクスは述べている。「単純な協業は、分業と機械装置とが重要な役割を演ずることなくして、資本が大規模に機能するような生産部門においては、なおつねに主要な形態である。」この文章は、資本主義の次の発展に続いていて、分業がマニュファクチュアの形態に進み、それが一般に理解されているように、最終的な発展が機械と工場のそれへ進むのである。この分業の時代は、多かれ少なかれ純粋には、16世紀の中頃から18世紀の終わりまで広がり、そこで完成を見た。しかし、これらのシステムは、特に相互に重なっていたことも知られている。
 分業、あるいはマニュファクチュアのシステムは、2つの条件のもとで出発する。
 第1は、雇用主が一つの工房に、様々な技能の労働者を集め、その労働の成果は、最終的に一つの製品、例えば車輌生産であれば,車大工、馬車組み立て、家具屋、塗装工など、いずれも自分の職業として働き、その生産物が完成品として、馬車という一つの品物に組み立てられる。
 第2は、雇用主が一つの屋根の下に、労働者を集めるシステムである。彼は、様々なプロセスを通さねばならない、一つの品物の同時的な生産において、一つの機械として全員を雇用する。これらのプロセスは、労働者機械の様々な部分に対応している。このシステムは、仕上げ工の再現のような展開の明確な事例を提供する。生産の急速な増加が要求されたように見えるし、また結果として仕事が時間を節約するために様々な労働者に割り振られているように再編される必要がある。かくて、このシステムは一つの製品の生産に組み立てられる車輌製造に於いて、沢山の職人が現れたのとは反対なのだ。ここでは、(例としてピンや針の製造が取り上げられているが)かって一つの技能として形成されていた部分だったのに対して、いくつかのプロセスが、今やそれ自身分割された技能になってしまう。
  ここから人間存在の完全な相互依存性が、労働者機械の一部分に過ぎなくなり、誰も自分では何も生産できなくなる。労働の単位は、今や個人ではなく、グループである。
 しかし、これらプロセスは細分化され、結合されるけれども、まだ手工芸の行為だった。最初の資本家的時代の単純な協業が、分業をもたらしたと同じ必要性が、後のシステムでは一層発展を促す。実際、単なる経済的要因以外の他の要因が作動し、人々の都市への集中のような、そして結果的にメンバー各位の職業自体が「社会」内の分業の拡大となるからである。
 この最終的発展は、「分業」および「工房」システムに代わる、機械と完全な工場制度への転換に他ならない。新しいシステムの下では、労働者のグループは、その各メンバーが手工芸では、特殊な部分を担当して、生産された製品の特殊な部分に帰せられていたが、これら総ての全体が結合した巧妙な操作の結果をもたらす機械に席を譲った。労働者の働きとしても、グループとして働く機械のアソシエーションに帰着する。労働者は、もはや仕事に於ける主要な要素ではなくなる。彼が操作していた道具が、全体を機動化する動力によって、何であろうと他の機械装置と結合する機械装置により作動している。これこそモダンタイムズの現実の機械なのだ。これは、初期の時代の単なる道具、それは労働者の助けにはなっても、労働者がそれに従属してはいない道具とは、対照的なことだ。さらに言うと、工房もまた工場に席を譲り、一つの屋根の下にある機械の単なる組み合わせと言うより、各機械が部品となった巨大な機械それ自身なのだ。マルクスが言うとおり、「配力機の装置を介してのみ、中心的な自動装置から、それぞれの運動を受け取る作業機の組織された体系になれば、機械経営はその最も発達した態様をもつことになる。ここでは、個々の機械に変って、一つの機械的怪物が現れ、その体躯は、工場の建物のいっぱいを充たし、そしてその悪魔的な力は、始めは、その巨肢の荘重ともいうべき整った運動によって、隠されているが、その無数の本来の作業器官の熱病的な狂騒旋舞において爆発する。」
 これが、我々の時代の生産における大変革を生み出したメカニズムである。かって労働者は、自分で作った製品を総てコントロールする手作り職人だった。次には、人間機械の一部となり、そして最後には機械の召使や番人になってしまう。これら総てにより、十分に発達した近代の資本家が存在することになるのだ。
 今や我々は、商品の流通を考える必要な地点にやって来た。この流通に対する第1の手段は、一般的等価、共通の第三者の確立である。ここで等価物は、様々な全商品の質を表現するのではない。それに含まれる投下された人間労働の相対的な量を示さねばならない以上、一般的等価であるためには、使用価値が自ずから排除されねばならない。
 貨幣は、単なる価値の尺度としては、想像的で観念的であるが、それは量的に等価である抽象的な価値、つまり労働を表現しなければならないし、最終的には金だが、貴金属の形態をとらねばならない。
 金は、価値の一般的尺度として、物的形態をとるに到っている。それは、一つには自然的特性により、つまり携帯性、耐久性などであるが、主にこの機能とともに歴史の流れが与えてきたのである。もう一つは、その価値が他の商品との関係で毎週変化すると言うより、世紀ごとの変化だからである。もっとも、それはちょうど永久的な染料として、他の染料と比べてインヂゴが良いというが、それも絶対的に永久な染料はないのと同じである。
 紙券は、金の支払いを約束しているし、それは他のあらゆる商品と直接的な交換可能性を持っている。それゆえ紙券は、金により成し遂げられる交換のシンボルに過ぎない。
 この一般的等価は、物々交換から始まっている。それは、端緒的で直接的な交換の形態であり、その段階では、売り手と買い手の区別が生じない。その上で、間接的な交換の最初の形式に席を譲るる。そこでは第3者が、関係し必要とされる品物の間に割って入る。今や、初めて上記の区別が形をとる。売り手は消費する必要のない商品を持ち、その貨幣で代わりの商品、その関係する商品は、質においては異なるが、その価値が等しい商品を購入する。マルクスは、周知の有用な商品・貨幣・商品C-M-C形式で、この取引を定式化した。
 古代社会では、一般的な蓄蔵の習慣があり、また未開人の間では、この交換の段階が自然に随伴し、また資本の最初の芽生えでもあった。 それは、C-Mという最初の段階で、上のプロセスの中断が生じ、商品の売り手が買うことを続けない。こうした状況下で、貨幣が社会的な力になる。そして、個人により獲得される商品が、他の商品と同じようになるので、それが社会的権力を付与する。それゆえ、原初的な社会倫理が発達しなかった社会の段階では、金銭がありとあらゆる悪魔の具現化と見なされたのだ。
 この交換の段階は、貨幣の前期的な商業利用を特徴づけ、しばらく後に、さらに交換は次の段階に進むことになる。消費する積りが無い商品の所有者は、それを貨幣と交換する。彼は、それを個人的消費ではなく、もう一度貨幣と交換しようとする。彼の目的が(C,M,C)の単純な交換だった、つまり彼がすでに交換したのとは違う種類の消費財を手に入れるかどうかではなく、貨幣においては質の本来的な違いではなく、どんな違いも量の違いであるからだ。この第2の段階では、交換の目的が質ではなく量である。この交換の過程が進むと、交換の形式は次のように変わるだろう。(そのための形式はC-M-C-M-Cで表される。)第2の貨幣の量が、第1のそれより以上でなければならず、そうでなければ、彼は目的に失敗してしまうだろう。いわば、悪い販売をしてしまったことになろう。他方、この交換の形式では、貨幣が商品と商品の媒介者であった前の形式とは、それ自身関係を持ってはいたが、本質的に異なることになる。単純な物々交換とも区別される。なぜなら、後の形式においては、商人の取引の結果が、新しい取引C-M-C-M-Cを始めるための商品だからである。
 これは、商業活動としては、発展した古典的世界の実践だった、交換の形式である。ローマ帝国が崩壊し、続く混乱が、この商業を転換させ、広範に交換を初期のもの、つまりは消費される他の商品を買うために貨幣を商品と交換するものに変えたのだ。この形式が、中世の大部分の形式だった。
 交換の第2の形式は、中断なく第3の「資本家的交換」の近代的形式に進む。そこでは、交換者が貨幣で初め、貨幣のためにそれを売る目的で、商品を買うのである。貨幣は、次の段階において、彼が始めた時よりも、量において多くのものでなければならないし、そうでなければ失敗に帰すだろう。この過程は、取引の結果が、つねに本当の商品(つまり使用価値)ではなく、絶えず貨幣である点で、交換の上述のの段階のそれとは異なっている。後者は、長期的に取引の名目としてのみ現れているからだ。
 これを、より明確にするために、交換の3つの形式を、具体的に示そう。
 第1段階では、非常に多くの点で、中世のクラフトマン、つまりホーマーの時代の職人のやり方で示されるが、例えば村の陶工がつぼを売った金で他の物を買う、その価値はペテンがなければ、壷に投下された労働で示されるのだが、食物や油、ワイン、肉を、彼の自分の生活のために買って消費したのである。
 後の古典時代の商人は、例えば紫の布をシドンからアレキサンドリアに送り、そこで彼の布を売る。その貨幣で(スダンから)アラビアゴムを買い、(アラビアから)乳香を買って、それをアテネで売ったら、そこでまた油を他の市場に出荷したのである。彼が本業とする商いでは、必ず実際の財貨を扱った。そして、彼が一般等価物、貨幣に対して交換する衣料品は、様々種類のものだった。同じような商業は、マーフィ、ベニスなどの商人によって中世に続けられ、平行して共同体やギルドとの封建的荘園や商業都市との原始的な交換が行われた。
 反対に近代の商業者は、取引を必ず貨幣で始める。例えばインジゴの場合は、実物を見ることなく買い入れて、自分が支払った金額より多くの貨幣を受け取る。この過程が着実に進められ、(古代の貿易商人とは違って)彼が取り扱うのは一つの財貨だけで、非常に多くの金額に相当するものになる。彼らは、名目的に(帳簿上)処理しさえすればよいのであり、商人として彼の存在のすべてが、貨幣である。
 これは、資本家的交換の純粋な形式の例であり、そこでは貨幣は商品と交換されるが、それらはまた増加した貨幣と交換される。その形式は、マルクスにより与えられたものだが、M-C-M’である。
 我々が考えるべき次の問題は、交換の過程で獲得された上記の増加した剰余が、どうして実現されるかであり、簡単にいえば、剰余がどこから来るかである。
 マルクスは今や、「いかに手品が行われるか」、つまり賃金と資本の現在の体制の下で、資本家が労働者を搾取する、そのプロセスを示している。
 我々は今、資本家が労働の搾取のために使う2つの手段、つまり不変資本と可変資本と名づけられた手段に到達した。不変資本は、原料と生産の装置であるが、可変資本は前者、不変資本の手段により生産に雇用される労働力である。
 すでに見たとおり、労働者はそれに働きかける原料に価値を付加する。しかし、彼は古い価値を維持しながら、その上で新しい価値を付加するのである。一方において、彼は新たな価値を付加するし、他方では彼はすでに存在する価値を維持する。彼は特殊な仕方、紡績だとか、織布だとか、鍛冶だとか、で働くことにより行うが、すでにある有用性と比較して、それ以上のより大きな新たな有用性に変形するのである。
 マルクスは述べている。「このようにして綿花や紡錘、撚糸と機織、鉄と鉄床は、一つの生産物の、一つの新しい使用価値の構成要素となる。」この新しい使用価値を獲得するために、労働は社会的で一般的な有用目的に向けられなければならない。すなわち、社会の一般的な労働の向けられる方向である。そして、付加された価値は、それに費やされた労働力の量、すなわち労働の平均的な時間の持続で軽量される。
 マルクスは言う。「生産手段が労働過程で、それらの元の使用価値の態様における価値を喪失する限りにおいてのみ、それらは生産物の新しい態様の上に、価値を移転する。生産手段が労働過程において蒙りうる価値喪失の最大限度は、それらが労働過程に入るときの元来の価値量によって、あるいはそれら自身の生産に必要とされた労働時間によって、明らかに制限されている。だから、生産手段は、それらが役立つ労働過程から独立にもっているより以上の価値を、生産物に付け加えることは、決してできない。ある労働材料、ある機械、ある生産手段が、いかに有用であろうとも、それが150ポンド・スターリング、たとえば500労働日に値するとすれば、総生産物―この生産手段はその形成に用いられる―にたいして、150ポンド・スターリング以上を付け加えることは、決してない。生産手段の価値は、それが生産手段として入ってゆく労働過程によってではなく、それが生産物として出てくる労働過程によって、規定されている。労働過程では、それはただ使用価値としてのみ、有用な諸属性を有するものとしてのみ、役立つのであり、したがって、それがこの過程に入る前に価値を持っていなかったならば、それは何らの価値をも生産物に移さないであろう。」事柄は端的に、以下のようになろう。「一方において生産手段、他方における労働力は、最初の資本価値が、その貨幣形態を脱して労働過程の様々なファクターに転化される際にとった種々の存在形態に過ぎない。かくて生産手段に、すなわち原料、補助材料および労働手段に転化する資本部分は、生産過程ので、その価値量を変化させない。それゆえ、私はそれを資本の不変部分、短く言えば不変資本と名づける。」
 一見しては、機械の消耗や補助材料の目に見えない部分(例えば、染色で使われる色素、衣服、織布、生地のプリントで使われるゴムなど)は、価値の変化の説明と矛盾するように考えられるかも知れない。しかし、よく見るなら、上述の消耗や見かけ上の消費も、新たな生産物の目に見えるような原料と同じように移転しているのであり、消費されないが移転されているのである。
 以下の章でマルクスは、剰余価値率の詳細かつ包括的な分析、つまり剰余価値の形成に於ける比率の分析に入っている。彼はまた、労働日の持続について重要な主題を扱っている。しかし、これらは非常に興味があり、また重要なのだが、要するに詳細な事柄でもあるので、論旨の概略を飛ばして先に進むことにする。
 マルクスは、絶対的および相対的「剰余価値」を区別する。絶対的と云うのは、労働者の必要な生活資料を超える労働日の生産物のことであり、またその一定量の生産物の生産に必要な労働時間と言える。他方、相対的剰余価値は、新しい技術や機械、向上する技能、労働の組織や統合により、労働者の生存に必要な生産物の生産に必要な労働時間が、一定の範囲で短縮されることにより生ずる労働の生産性向上で決まる。
 これら総てから、もう一度分かる事は、一旦は労働者の手に彼の労働の成果がもたらされるかも知れないどんな手段も、あらゆる反対への要求にも拘らず、利潤の生産のための単なる手段として利用される条件の下では、労働者が彼自身生きるだけが、資本家に必要な唯一の条件なのである。道具、機械、工場、交換の手段など、生きている機械を働かせるのに必要な媒介の助力でしかないのだ。
 マルクスは、現時点での資本家の発展の跡付に進み、階級闘争の最近の局面を説明する。彼は労働者の機械との不和、機械の不断の発展による労働強化などを摘出している。さらに、工場法の歴史やその分析と呼ぶべきものを示し、使用者階級が免れない規制、つまり競争の新たな条件のもとで生きることが出来るよう、「自由な」労働者を確保するための、簡単に言うと機械革命で基礎づけられた産業社会が確立するや否や粉砕されないよう維持する規制、の分析である。
 労働強化のポイントは非常に重要なので、ついでに一つ二つ付け加える。マルクスにより明らかにされた要点は、以下の通りである。生産組織は完成に向かうが、一定の労働時間における労働者の消耗が増大する。そして、これが分業の時代の組織の実態であり、労働者自身が機械であるという事実によってのみ制限されていた。しかし、十分に発達した機械制度の時代には、そこでは労働者が機械の付属物であり、その補強を命じられる。労働者は不断の生産性の上昇の要望の渦中で、時間刻みに彼の身体の消耗が増加する。これは、人間の機械への隷属を端的なかぎり強調している。
 マルクスはまた、機械により代替される労働者の代償についての理論を述べる。即ち、労働を節約する機械は、一見すると雇用される人間の数を減少させる傾向があり、それだけ多くの資本を雇用から解放する。しかし、マルクスは言う。「一資本家が、たとえば、壁紙工場で、100人の労働者を一年一人30ポンド・スターリングで雇用したとする。彼によって年々支出される可変資本は、年間3000ポンド・スターリングに計上される。もし彼が、50人の労働者を解雇して、残りの50人を、1500ポンド・スターリングかかる機械装置で働かせるとしよう。簡単化のため、建物や石炭などは問題にしない、と仮定する。さらに、一年間に消費される原料は、以前と同じく年々3000ポンド・スターリングの値だとする。この転形によって、何らかの資本が自由に浮くことになるか?変化の前の経営様式では、6000ポンド・スターリングの支出総額のうち、半分が不変資本、半分が可変資本からなっていた。それが今では、4500ポンド・スターリング(原料に3000ポンドと、機械装置に1500ポンド)の不変資本と、1500ポンド・スターリングの可変資本からなっている。可変資本部分、すなわち生きた労働力に転化される資本部分は、もはや総資本の半分ではなく、4分の1になる。この場合生ずるのは、資本の遊離ではなく、資本が労働力と交換されることをやめる一形態における資本の拘束、すなわち可変資本から不変資本への転化である。6000ポンド・スターリングの資本は、その他の事情が変らなければ、いまでは決して50人以上の労働者を使用することはできない。機械装置が改良されるたびに、その使用する労働者は少なくなる。」
 そしてまた,「機械装置によって駆逐された労働者は、作業場から労働市場に投げ出されて、そこで、すでに資本家的搾取のために使用されうる労働力の数を増す。ここでは、労働者階級のための補償として、われわれに示されている機械装置のこの作用が、労働者にとっては、その反対にもっとも怖るべき鞭となるということは、本書の第Ⅶ分冊で明らかにされるであろう。ここでは次ことだけ言っておこう。一産業部門から投げ出された労働者は、もちろん何らかの他の部門において職を求めることはできる。彼らがこれを見出し、それによって彼らとともに遊離された生活手段と彼らとの縁が再び結ばれるとしても、このことが行われるのは、投資を求める新たな追加資本を介してであって、決して、すでに以前から機能していて、いまでは機械に転化されている資本を介してではい。」マルクスは、この本の第Ⅴ分冊の残りの部分では、大工業に関連した各種の問題やそれによる社会的変化に関説している。第Ⅵ分冊は、労働力の価値ないし価格の賃金への転化、時間賃金、個数賃金、賃金の国別差異を扱っている。第Ⅶ分冊では、資本蓄積の重要な問題について関説するのであり、最初は単純再生産、その後で剰余価値それ自身の資本への転化に触れ、商品生産を特徴付ける所有法則の資本家的領有法則への転化を述べている。この部分にはまた、利子の源泉についての今や論破された「禁欲」の馬鹿げた話(しばしば理論と呼ばれたが)を暴露する皮肉な論破も含まれている。それはまた、古い賃金基金説や他のブルジョア経済の虚偽にも関説しているが、ここには様々な点での資本家的蓄積の一般的法則について、長い詳細な章も含まれる。
 最後の(XⅢ)分冊は、いわゆる原始的蓄積を扱っているが、それについてマルクスは、次のように述べている。「この本源的蓄積が、経済学において演ずる役割は、原罪が、神学において演ずる役割とほぼ同じである。アダムは林檎をかじり、それ以後、人類の上に原罪が落ちた。その起源の説明は、過去の寓話として物語られる。久しい以前のある時、2つの種類の人々が存在することになり、一方は勤勉で賢明で、なかんづく倹約なエリート、他方は駄目な怠け者、自分のすべてのもの、それ以上を浪費するヤクザ者であった。神学上の原罪の伝説は、とにかくわれわれ人間が如何に額に汗して働いて食うように定められたか、を物語るのだが、経済学上の原罪の物語は、そんなことをする必要のない人々がいるのはどうしてか、をわれわれに示すものである。それはともかくとして、前者は富を蓄積し、後者は結局、自分の皮以外に売る物が何も無い、ということになった。そして、この原罪以来、あらゆる労働にも拘らず、今なお自分自身以外に売るべきものをもたない大衆の貧窮と、久しい以前から労働するのを止めてしまったのに、なお引き続き増大する少数者の富が生じたのである。---現実の歴史においては、周知の通り、征服、圧制、強盗殺人、要するに<暴力>が、大きな役割演ずる。もの優しい経済学では、初めから牧歌が支配していた。正義と<労働>とは、初めから唯一の致富手段だった。もちろん、そのつど、今年だけは例外だったが、実際には原始的蓄積の方法は、他のありとあらゆるものであっても、ただ牧歌的でだけはなかった。」
 マルクスは続けて、本源的蓄積のひとつの重要な形態の事例を挙げている。土地からの農民の切り離しであり、イギリスでは牧歌的な過程の一つのタイプとして起きたものである。また、中世の終わりには浮浪者などへの規制、即ち土地を没収された者への規制であり、それに加えて賃金の切り下げのための法令であった。彼はそこで、近代的な資本家的農業の誕生を描写し、都市の産業への農業革命の反動、つまり産業資本のための国内市場の創出などを描写している。それ自身の矛盾を現出させた資本家的蓄積の歴史的傾向に続いて、社会の将来に関連のある文章を引用しておく必要がある。「資本家的生産様式から生ずる資本家的領有様式は、したがって資本家的個人所有は、自己の労働に基づく個人的な私的所有の第一の否定である。しかし、資本家的生産は、一種の<自然>過程の必然性をもって、それ自身の否定を生み出す。それは否定の否定である。この否定は、生産者のための個人的な所有を再興するものではない。しかしたしかに、資本主義時代の成果に基づく、すなわち、協同と土地および労働そのものによって生産された生産手段の共有を基礎とする、個別的所有を創出する。
 言うまでもなく、個人の自己労働から生ずる、分散した個人的所有の資本家的個人的所有への転化は、事実上すでに社会的生産経営に立脚する、資本家的私的所有の社会的所有への転化に比較すれば、より長く、過酷で、困難な過程である。前の場合には、少数の簒奪者による大衆の収奪が行われたが、後のばいには、民衆による少数の簒奪者の収奪が行われる。」
 マルクスの画期的な著作の第一巻は、新たな経済の卓抜な理論を含みながら、殖民に関しての、ある中産階級の経済学者の見解に関する章で終わっている。
by morristokenji | 2010-10-21 20:40