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by morristokenji

モリス、バックスの『社会主義』その21(つづき)

ローマの軍隊は           
            第21章(つづき)、「シティについて」
 
 (つづき)
 汚物や埃が最小限に減少したとして、我々は残留物は少ししか残らないと思うが、関連の僅かな残留物の負担は、どれほどだろうか?問題の工場、例えば鉄工場であるとして、2つの方法があり、どれかが選択される必要がある。第1は、無秩序や汚物から完全に離れている郊外の安息を残す利益があるだろうが、厳しく制限された相対的に小さい黒煙の工場地帯で臨時に働くボランティアを確保することである。第2は、どこにも不利益が殆ど感じないように、大きな領域に工場を小規模に分散してしまうことである。これが、まあまあ我慢のできる環境で生活のために働く者が獲得できるものだろう。
 同じ種類の困難には、町でも出会う。住宅の沢山の集中は、絶対に必要ではないだろう。今、これらについて二種類ある。第1は、工業都市であり、これは数は少ないが、商業に関連した特別の産業以外の中心として重要である。マンチェスターが、この種の大都市の明らかな例である。成長しすぎた都市のもう一つの種類は、大きな首都の例であり、中央集権化した政府、一般的な金融機能、付随的かつ結果的な知的活動が基本的な中心地である。例えば、大英博物館、ルーブル、ベルリンの王立図書館、またドレスデンの美術館などは、首都以外では存在できないだろう。工業都市については、前に述べた工場の作業の理論のどれに従っても、不必要だろうし、他方では行政や金融のセンターも巨大な人口を集め、それを一緒に維持する巨大センターがある必要は無かろう。それゆえ、将来は町や都市は、住宅街の単に便利で快適なシステムを建設し居住すればいいし、むろんそこに総て望ましい公共的なビルも含まれよう。
 もう一度我々は、近代的な町、産業的、あるいは首都の新しい社会的状態に適合する幾分実体的なものへの移行に関する3つの理論を提起する。第1は、なお存在している大きな町は残されるだろう。しかし一定の面積での人口は制限される。それは清潔と風通しが良い様に、庭で家や周囲が隔てられる環境が強制される。上品な公共建物が建てられ、劇場、図書館、工房、居酒屋、台所など、あらゆる種類の教育施設の維持である。この種の町は、かなり大きいし、そこに住んでいる生活も変化するけれども、今の家の規模や配置は様々かも知れない。勿論そうした場所に住む共同体は、前に述べた制約、どんな個人も団体も過度な地域の独占は許されないが、全くボランタリーであろう。
 今日の無計画で無秩序な町についての第2の提案は、主には多かれすくなかれ古いわが英国の大学のカレッジの計画で建てられた結合住宅の計画を実現的に廃止、止めさせる提案だ。その規模は相互に利便的に決定されるだろうが、しかし傾向としては、大きく造れば造るほどに、それら自身は小さな町になってしまう。なぜなら、知的な相互交流の必要なやり取りを育成するためには、大きな人口を抱え込むことになるし、普通の職業や娯楽のために、多かれ少なかれ独立しなければならなくなるからだ。
 この居住のシステムは、単なる奇形になってしまう傾向があるけれども、それは全く小規模のグループの存在や、それに適した家も排除しないと理解される。
 でも、別の示唆も、以下のように描写されている。コミュニティのセンターは、様々な公的建物を含む、恐らく全体が開かれた場所にグループ化された大きな住宅のある、小さな町として描くことが出来る。そこで、家の並びは次第に数が減るので、段々スペースが広がってくる。遂には、上記のカレッジのいくつかを含み、住居も散在するまで田園が到達するだろう。
 我々は、示唆を供給し続けるけれども、上のように、そこでは逆の分類も生ずるかも知れない。けれども、明らかに我々自身の先入観の産物なるがゆえに、我々が提起したことで全く十分だと考える。しかし一つ、こうした計画は総てが原則の問題、例えば都市と田園の間の矛盾の解消、また一方のために他方の外に生活を吸収する傾向などは、当然のことだと思うに違いない。
 教育については、一方で商業的成功の生活のために備えたり、他方で無責任な労働は止める必要もあると、心に留めるべきだろう。いずれにせよ、どちらの場合も、短期間のおざなりな、多かれ少なかれ下劣な特定の目的のためだからだ。むしろ、彼が生まれついた気質に従った総ての方向で個人の力のベストを尽くすのが習慣になろう。そうすれば、彼が生きている間に、誰も教育は完成されないだろうし、彼の早期の訓練も、今はしばしば大部分そうなってしまうが、単なる無駄なこととして彼の背後に置かれてしまうことはないだろう。
 我々が述べてきた事では、我々は「社会主義の勝利」の基本原則の若干しか扱わなかった。そこから結果する生活のある面は、もっとも表面的なことだ。しかし、我々は事態の新しい秩序の中で、我が信念だけは明確にするよう努力してきた。誰も間違った義務観念により妨げられない以上、誰でもが心の平和や安全な行動を、それにより規制する広い考えを持てるであろう。彼は、最初に身体的に希望する満足の喜びを見出すだろうし、それから知的な、道徳的な、そして人間は身体だけでなく不可避的に生ずる審美的欲求、そして切迫した説得活動による空しい戦いで彼の精神を疲れさせはしない喜びである。そこで、彼にとって必要なのは、いつも生きるために働くことであるが、総ての彼の仲間と公正な比率でその労働を分かち合うことだろう。そして、さらに最後的には、単なる苦痛な骨折り仕事から彼を救出するために、自然を克服することが出来るだろう。彼のエネルギーの喜ばしい行使に、人間の様々な能力の正当な観察や機会の賢明な活用によって、労働の何が残るのか?そして、休息と仕事の間に、少なくとも悪いことを自分のせいにしないで喜ぶことの出来る、幸福な生活に導く、倫理的な考えが普及する中で、良好な階級のより知性的なものに属すると考えられる者に憂鬱なことを脱ぎ捨ててしまう心の習慣、である。
 外部環境については、未来社会は十分に豊かであり、有用物として許容されるだけの物の生産から労働を割くことが出来て、生活の品位を高められる。それゆえ、総ての工業も秩序よく、また清潔な仕方で行われる。そして、地球の表面は美しくなろうし、人間の労働や居住では差別されない。もう一つの専制も打倒され、都市への過密や膨張での生活の強制も救済される。我々の住宅も環境も合理的な仕方で処理されよう。
 教育は、最早意欲のない子供達の幸運な詰め込みのためや、またキャリアーを積むための過程に従うだけで、教育されるよりほかの事を強く希望する若者には、適用されないだろう。そして、最大の自然的な許容力のある人に対してさえ、最高に重大な仕事の一つになるだろう。そうした生活は、新しい秩序の反対者、意地の悪い有名人と同じ科学者は、前進する「社会主義の勝利」を見るふりをしているのとは反対に、非常に美しいことが明らかである。しかし、我々は確信を持って、この生活が総ての人に一般的に幸福だし、奴隷の基礎から解放されて、世界中に推進されるだろう。それでも、世界は完全には、それが生み出さざるを得ない、またそれが総てにおいて有益であることを結果により見る、緩やかで自然な強制を、全体的に意識しないであろう。
 我々は質問されるかも知れない。これらの章を通して、意識的に進歩の教義を示してきて、では結果的に社会主義は何を進歩させるのだろうか?我々は、ただ次のように答えることだけは出来る。社会主義が、人間の進歩の終わりを否定し、我々がいま社会主義として受け入れている、その特殊な「形態」が、その性質のアイディアを作ることは出来ないが、さらに一層新鮮で、より高度な発展の道を必然的に提起しなければならないこと。これらの発展は、そこで我々が生存し、それゆえ我々にとってそこが最終ゴールとなる、我々の目指してきた社会主義に違いない、その未完の闘争により隠れている。我々は、人間の理想や熱望にある制限をすることを期待する、まさに最後の者だろう。しかし、我々が予見できる「社会主義」、それは今まで到達できなかった知的幸福や喜びのエネルギーの水準に人間を引き上げることを約束しているのだが、それは我々に対し、行動に対する動機や熱望のための理想としては、十分なのだ。

          「都市」について(第2章参照)

 ヘブライ史の中で、テキストに関連する点として、単なるブルグBurg、またはエルサレムの初期の要塞の丘と、後の発展した聖都、連邦国家の初期の地位として、敬虔なヘブライ人の眼には犯罪的でもあった分裂との間に、理念の混乱があったのに注意すべきだろう。同じことは、初期ギリシャの系図史や、タイプとしてアテネにもあろうが、明らかである。アイスキュロスの3部作のような偉大な悲劇が、これを説明しているが、実際の都市は、エウメニデスにおける背景に、その部分が演じられる。ここから、我々は3つの都市、トロイ、エルサレム、アテネが、新しい社会のセンターとして明白に宣言し、部族や  の騒動をはっきりと克服した。けれども、これらははっきりしたケースであり、同じことが古代文明の成長する世界の全体に進んでいた。東方の君主は、近づいて見ると、都市の連合を圧縮したことが分かった。これらは、都市がある程度の個性を保って形成された限り、繁栄した。しかし、その生活は、君主制や専制的な中央集権により破壊された。結果として、彼らの形成した体制は、周囲の未開な部族、アッシリア人のアカディアのバビロン、アッシリアに変わりメデスにより破壊されたり、中国やエジプトのケースのように、巨大な活気のない官僚制に停滞してしまった。後者の生活は、メンフィスやテーベなどの都市の張り合いの中に存在したし、ペルシャの侵略の時代とアレキサンドリアのギリシャの都市のプトレミーの下での上昇の間の休止期であった。
 端的に古代世界では、何処でも都市の優勢により襲われた。チュロスは強大だし、カルタゴは帝国、否、単なる建物や寺院、いわゆる都市の組織の物的集合が極めて重要だし、領域は単なる農地化保養地である。長い壁がリサンダーのフルートの義務となり、アテネはドリアン人の属地になるし、カルタゴの城壁は破棄され、巨大なセミティック帝国は、総ての強力な都市の王国の一部になる。何処にも、都市がエネルギーを結び合わせて独立し、連帯し、統一し、成長するところはないし、人々が道徳的に傾倒するような目標を供給して、意欲的に形成するようなところが無いのである。
ここで、この時期全体で、倫理や宗教が、同一水準で成長していた点に注意すべきだろう。初期未開状態では、社会と自然に区分が無かった。人間は独り理性的タイプだった。神は完全に人間の姿をしていたし、ホーマーのデリケートな詩の中でもグロテスクなばかりにそうだった。人間が総てだったし、残りは彼と同質だった。自然神は社会の先祖だったし、種族や部族の長も最高者からの単なる授けものにより全く素直に受け継いだ。ヘラクレス、ジュピター、マルス、ウォドンは、ギリシャ、ラテン、またゴシックの生活に対しての外部的な力ではなくかなり世代的に遡るが、真に物的な祖先だった。彼らの最も悲劇的な話は、冒険小説もしくは文学的創作とは看做されズ、むしろ霊感を受けた歴史作品と看做されて、世界中が見てきたし、見続けるであろう、最も高貴な詩の中に体現されたが、アトレゥス若しくはウオルスメックの現在の子供の系統樹の花と言う、偉大な物語のエピソードだった。この人間が、どんなものでも繊細か、そうでないか、また活気があるか、そうでないか、を確認したがる傾向は、またトーテム崇拝でも明らかだし、また一夫一婦もしくは一夫多妻の制度の初期の欠如の理由が必要とされた。神それ自身は、堕落することなく、鳥や獣の形、つまり氏族の代表が恥ずかしくも無しに、熊や、狼や、鷲から名前をとったり、代わりにグループ全体に名前を与えたりした。また、ヘブライ人の中に、いわゆる家長が実際に自然神であることが明らかだし、代表の名前がしばしばバール「Baal」、つまり「神」と云う語を合成したし、後のオーソドックスな時代の歴史家によりBaalをElあるいはJaに転換することにより、ヘブライ族の神の特別の名称である事実が単純に認識された。同じようにアブラハムはゼウスまたはジョーブのように高貴な天国である。
 この宗教の線は、古代文明の時代にも繋がっている。国家と宗教は一つであり、寺院がお祝いや法律や、事業の一般の行事に使われてきたように、他でも示されていた。端的には、古代世界では、宗教は祖先崇拝であり、士族やPeodが都市に席を譲るに従い、都市崇拝に発展し、そこに於いて個人が「神聖都市」の一部としてより上層な生活を感じたし、  それらを総て優秀で栄誉に導くと感じたのである。
 東方の都市連合は、大専制君主の最後の時代に現れたように見られるが、不道徳なばかりか、元気もない官僚制のうちに没落したと述べておいた。アジアから、文明の主導権はヨーロッパに移り、人間性の進歩は、速度を増し輝いた。しかし、古代文明は不完全で、政治的、文化的に寡頭政治に立脚しており、粗野な産業上の奴隷にもとづいていたので、改革の法律を準備せざるを得なかった。ギリシャの都市は、彼らの間でのその世界でのリーダーシップを握る激しい闘争の末に、古い都市崇拝に代わって、地位と名声のための個人的貪欲により没落崩壊した。彼らの崩壊は、生活の目標を個人の尊厳や道徳性に置き、彼はその一部に過ぎない社会のそれに変わって、個人主義的な倫理の新たなシステムにより助けられた。 こうしてギリシャ文明は、暴君の手中に落ち、再び主導権が西方に移りローマの手に移行した。それは、最も完全で、自己完結し、都市社会の強力な発展でもあった。しかしまた、その力が成長し、寡頭政治の富が伸びると共に、運命が待ち受けていた。大きな奴隷所有者、徴税資本家の飽くなき貪欲、古代世界の征服者は、彼らを混沌の状態に導いたし、そこから抜け出るには帝国の官僚制に依らざるを得なかった。後者の機能は、一方では怪物的な富をめぐる競争者達の平和の維持のため、他方では寡頭政治が養ってきたプロレタリアートや被支配の未開人を抑圧し、沈静化するためのものだった。アウグストゥスの「パックス・ロマ―ナ=ローマの平和」以降、次第に後退し、ローマの全勢力、エネルギーと勇気の長い世紀にわたる成長は、ローマ世界から徴税するために悪用されたのだ。都市社会の形態は、市民権の売り渡しで不合理なものに後退して、カラカラがその単なる形式を放棄するまで、総ての自由民まで拡大した。最後は、ローマの軍隊が完全にガリア人、ゴート人、アルメニア人、アラブ人で構成されてしまった。イタリア人は生命のために戦おうとしなくなり、ましてや過っての偉大な都市を再現する徴税のため、偽善の国家に対してはそうだった。ローマは、それと共に「古代世界」もまた、没落したのだ。
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by morristokenji | 2010-12-10 06:58