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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

3)マルクス主義の本格的導入

 すでに紹介しましたが、幸徳秋水をはじめ平民社の同人などが中心になり、日露戦争前後には、欧米の社会主義思想の文献が、次々に翻訳されたり紹介されました。大逆事件後の「冬の時代」にも、発禁処分が沢山ありましたが、文献の翻訳・紹介だけは続けられていたのです。ただ、マルクスやエンゲルスの著作は紹介されたものの、独語からの翻訳の事情などもあり、とくにマルクスの『資本論』は、安部磯雄の翻訳が大幅に遅れ、ようやく1909年末から10年(明42~43)に「社会新聞」に連載されました。しかし、これもまだ新聞連載と云うだけで、書籍として出版された訳ではありません。結局、『資本論』の翻訳は、1919年(大8)の松浦 要訳を待つことになります。
 ただ、この日本で最初の『資本論』の翻訳は、第一巻の、しかも第3篇「絶対的剰余価値の生産」までだったし、それを読んだ堺 利彦によれば、「私は先ず其の<先陣>の手柄を拝見すべく、其の訳本を取りよせたが、二、三頁原文と引き合わせたばかりで、其の全部物になっていないことが明白になった」と批評されるような代物でした。そこですぐ、生田長江が1-2篇を翻訳し直し、その上で20年になって高畠素之訳が、「マルクス全集」1~9巻として刊行されました。この高畠訳は多くの関係者が高く評価し,少なくとも戦前に於いては、日本における『資本論』の決定版になったと思います。
 ここでは『資本論』の翻訳に限って、その経緯を少し紹介しましたが、何度も『資本論』の翻訳が繰り返されるほど、本格的なマルクス主義、社会主義の導入が、大正デモクラシーの時代の到来とともに進みました。また『資本論』だけでなく、上記のように『資本論』が「マルクス全集」の中に含められて出版されたように、マルクス、エンゲルスの諸著作が次々に翻訳されました。昭和の初年には、改造社版の『マルクス・エンゲルス全集』が世界に先駆けて出版されたのです。社会主義がマルクス主義として、さらにマルクス(エンゲルス)・レーニン主義として導入されることになった。その理由は、言うまでもなくレーニンによるロシア革命の成功であり、世界史上初めての「社会主義の誕生」に刺激されての話です。社会主義は、マルクス・レーニン主義であり、それが大正デモクラシーの社会主義のブームの著しい特徴と言えるように思います。
 レーニンの著作もまた、すでにマルクス、エンゲルスの著作とともに紹介されていましたが、さらにロシア革命の成功と結びつき、マルクス・レーニン主義の基本文献として、その教理の中心に据えられることになります。たとえばレーニンの『帝国主義論』なども、「世界大思想全集」の一冊として、マルクス『経済学批判』『賃労働と資本』やエンゲルス『空想から科学へ』の著作と共に刊行されています。このように社会主義の思想が、ロシア革命の成功を背景に、マルクス・レーニン主義として一体化されながら、次第に教条化されて支配するようになります。これはマルクス主義の本格的な導入が、ロシア革命の成功と共に、大正デモクラシーの高揚のなかで、基本文献が翻訳紹介されたという、日本に特有な事情が大きかったように思います。そして、そのことがまた日本における社会主義の思想や運動に大きな影響を与えると同時に、西欧先進国の伝統的社会主義との違いをもたらしたように思われます。
by morristokenji | 2012-12-20 20:41