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by morristokenji

『資本論』と社会主義―スターリンとレーニン(その2)

 第八章「帝国主義論の方法について」は、レーニンの『帝国主義論』に対する、宇野弘蔵の論評です。第七章での「スターリン論文」に対する正面からの批判と対比すると、レーニンに対しては、一面で『帝国主義論』を高く評価し、その上での方法論的批判にとどまっているように感じます。スターリンとレーニンですが、かってソ連批判が行われた際、「反スタ」のスローガンで目立ちましたが、ソ連型社会主義の誤りは、ひたすらスターリンの政治指導の誤りによるもので、レーニンは免罪された。むしろ『帝国主義論』を始めレーニンが擁護され、それにより教条的なマルクス・レーニン主義が護教されながら、旧ソ連の崩壊を迎えてしまったと思います。しかし、すでにソ連が崩壊し、ロシア革命の歴史的意義が廃棄され、さらにV ・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所の事故の惨禍を知った今日、ひとりスターリンだけを断罪して、レーニンを免罪して救済することはできません。むしろ、レーニの批判的検討を深め、マルクス・レーニン主義のドグマが根源的に批判されなければならないし、そこにまた宇野理論の意義もあると思うのです。
 
 そこで第八章ですが、宇野は戦前の東北大学法文学部では「経済政策論」の講座担当で、「僕は<経済政策論>を講義している間に漸次にその区別(原理論と段階論の区別ー大内)を立てざるを得なくなったのでした。それと同時に僕の<経済原論>も特有なシステムを持つことになったのです。もちろんいずれも僕が自分で発明したわけでではありません。『資本論』や『帝国主義論』から学んだことを僕なりに理解しうるものにしてみただけのことです」と述べています。宇野は、一方で『資本論』に残る資本主義の生成、発展、没落の段階的な側面ーすでに述べたとおり唯物史観的残滓と言ってもいいーを、純粋資本主義の抽象の論理で純化し「原理論」とする。同時に他方、資本主義の世界史的発展段階を、唯物史観の枠組みに鋳込んだまま、歴史と論理の統一のドグマに陥る誤りを避けて、「段階論」として整理した。その意味で、『資本論』と『帝国主義論』の「二つの書物は、僕に経済学の核心を教えてくれたものといってもよいものになったのです」と述懐しています。
 そうした事情があっただけに、宇野は「スターリン論文」とは違った敬意を、『帝国主義論』には払っているのでしょう。にもかかわらず宇野は、自らの三段階論の方法的見地、つまり原理論と段階論を区別する方法的見地を揺るがしてはいません。初めに、明確なかたちで次のように述べます。「僕自身としては『資本論』から学んだ論理によって『資本論』に明らかにされた原理を展開すればこういう風にしか考えられないというのが、僕の『経済原論』です。」その上で宇野は、「ところがレニンの『帝国主義論』になると、内容の点では非常に教えられるところが多かったのに反して、方法の点ではどうしても従いえないものがあったのです。」つまり、帝国主義段階に現れる新たな政策内容はともかくとして、その方法論には承服しない点を強調しているのです。『資本論』の法則性の単なる延長上に帝国主義段階の特徴を位置づける。それにより唯物史観の歴史的=論理的方法とするレーニンのロジックに他なりません。そのロジックを宇野は厳しく批判するのです。
 宇野による『帝国主義論』批判は、ほぼ同じパターンでもって、帝国主義段階の主要な特徴を順次取り上げて、批判的に検討を進めます。最初は,「独占資本主義」とも呼ばれる「独占」現象です。ここでは先ず『資本論』の資本蓄積論を直線的に延長したレーニンの主張「資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争が生産の集積をうみだし、そしてこの集積はその発展の一定段階では独占をもたらすことを論証した」という『帝国主義論』の有名な一節を引用します。こうした『資本論』の法則性をそのまま延長し、それにより歴史的=論理的に帝国主義の必然性を論ずる方法こそ,「独占資本」のドグマをもたらしただけではない。帝国主義段階の産業構造的な基礎が自由主義段階の軽工業ではなく、新たに発展した重化学工業にあること。単なる固定資本の量的拡大ではなく、重化学工業に特有なコンビナートと呼ばれるような技術的連携性、そして株式会社形式の全面利用による組織的独占、そしてカルテルなどの独占的市場の形成、こういった金融資本に特徴的な資本の集中・集積を解くことも出来なくなってしまいます。
 ところが宇野は、ヒルファディングの『金融資本論』との対比にすぎませんが、「レニンの帝国主義論の正しさは、僕の考えでは、多くの場合、『資本論』の規定から出発しながら、直ちにこういう<誤解>(あらゆる部門に独占が成立するというー大内)を片付けて、あるいはそういう<誤解>に陥ることなく、具体的規定に入っている点にあるのです」として、それがレーニンの明快さとしながらも、次のように批判します。「ただ一つ問題になるのは、レニンがその規定の出発点を『資本論』の原理的なるものから展開しているという、そのことが、具体的事実の分析による規定を与える場合にも、影響なしにはすまなかったのではないかという点です」と述べた上で、「帝国主義論のような段階論になると、具体的事実はもはや単なる例証であってはならないのです。それは当然にタイプの問題になるのです。」つまり、レーニンは「単なる例証」を挙げている点で正しいにすぎない。しかし原理論と段階論の混同という方法上の誤りと共に、さらに誤りは段階論の「タイプ化」として整理できなくなるだけではない。段階論では、そもそも「経済政策」ですから、資本の原始的蓄積と共に「国家論」が提起され、さらに金融資本として積極的に発展するドイツ、消極的な受け身に回るイギリスやフランスの金融資本の政策による国際的対立や対抗の係も明らかにできなくなってしまう方法的欠陥を挙げます。さらに、資本主義の世界史的発展を代表する産業構造や産業組織、労使関係や不均等発展による国家間の不均衡な対立、関税などの政策的対立が問題になりますが、そうした歴史的な対抗関係が解けなくなるでしょう。
 いずれにしても宇野は、レーニの挙げている例証は帝国主義論として正しいが、『資本論』の原理論との方法上は誤りであり、そのため例証の処理についても誤っている。何とも歯切れの悪い評価ですが、そうした歯切れの悪さが、次の「銀行とその新しい役割」さらに「金融資本と金融寡頭制」についても続きます。レーニンは、一方で産業資本の仲介者という「ひかえめな役割から生成転化して、資本家と小経営者との総体の貨幣資本のほとんどすべてと、---全能の独占者となる」と述べて、『資本論』の貨幣資本から金融資本への生成、その発展を説いている。しかし例証としては、宇野にとっては都合よくドイツの銀行を中心に挙げている。そうした例証の挙げ方が、宇野のレーニン評価につながるのですが、にもかかわらずこう述べます。「ところがレニンは、かえって一、二の個所でイギリスの銀行に関する数字をあげているために、イギリスでも大陸の銀行と同様の金融資本家が見られるものとする<誤解>を与えることになるのではないかとさえ考えられます。しかしここではレニンはそういう<誤解>を片付けてはいないのです。」これでは、上述のヒルファディングを批判した「誤解」を、レーニンもまた同じように与えてしまうわけで、例証の挙げ方でレーニンを評価しているのも疑問になってくる。むしろ宇野としては、ここでレーニに対しても、きっぱりと『資本論』をそのまま延長し、歴史的・論理的な唯物史観の方法的枠組みの誤りを犯し、その誤りが例証の挙げ方から選択まで、宇野の段階論とは異なる点を批判すべきではないか?
 第三の問題点として、「資本の輸出」、「資本家団体のあいだでの世界の分割」「列強のあいだでの世界の分割」を取り上げています。ここでも資本蓄積から資本過剰、そして資本の輸出、さらに資本家団体の「世界の分割」から帝国主義列強による「世界の分割」について、宇野も「レニンの叙述を読んでも直ぐ分かるように、そう簡単な関連があるとはいえないのです」と批判します。とくに帝国主義としての欧米先進国列強による「世界の分割」は、19世紀までの英仏を中心とした旧植民地支配に対する、アメリカ、ドイツ、日本などの「再分割」によるものであり、この「再分割」を巡っての熾烈な国際対立こそ、第一次大戦という帝国主義戦争を引き起こした。そうした「戦争の必然性」の基礎を解明するためには、『資本論』の資本蓄積や資本過剰から「資本の輸出」を説くロジックを超えた、資本主義の世界史的な発展段階を説く「段階論」が必要であり、そこにまた宇野の「原理論」に対する「段階論」の方法的見地の意義もあったのです。「レーニンは<資本輸出>に関しては、その根拠をなす<資本過剰>を、<独占>や<銀行の新しい役割>の場合とは逆に、最初から段階論的に説いています」として、ここでもレーニンを評価します。しかし、資本輸出と商品輸出との関連など、自由主義段階と帝国主義段階の歴史的転換についてはレーニンの説明が不明確であり、結論的には「レニンの場合は、どうも原理論のように概念的規定の内に具体的な関連が解明され、事実がその例証をなしているようにとれるのです」と例証の処理そのものを批判しています。
 要するにレーニンは、確かに帝国主義を「資本主義の特殊の段階として」、その「歴史的地位」を明らかにしようとしています。しかし、『帝国主義論』第七章で「総括」するに際しては、「帝国主義は、資本主義一般の基本的属性の発展と直接の継続として生じた。だが、資本主義は、その発展の一定の、極めて高度の段階で、すなわち資本主義の若干の基本的属性がその対立物に転化しはじめたときに、資本主義からより高度の社会=経済制度への過渡期特徴があらゆる方面にわたって形づくられ、あらわになったときに、はじめて資本主義的帝国主義となったのである。この過程で経済的に基本的なのは、資本主義的な自由競争から資本主義的な独占にとってかわられたことである」として『資本論』における「資本主義一般の基本的属性」の発展と継続として、唯物史観の枠組みの中で歴史的、かつ論理的に、そして弁証法的に独占資本と帝国主義を説く方法を強調しているのです。ただ、ここで帝国主義段階を「極めて高度の段階」としている点では、それを最後の段階の意味で、「最高の段階」とするか、それとも最近の「新たな段階」とするか、レーニンの原稿がスイスから送られて印刷に廻る段階で、反対派のメンシェビキの手で後者のような表現に改竄された事情もあったそうです。
 それはともかくとして、レーニンの帝国主義の段階的位置づけは、資本主義から社会主義への「社会=経済制度への体制的変革への過渡的特徴」であり、事実『帝国主義論』もまた1916年、つまりロシア革命の前夜に書かれた。それゆえに方法的には、唯物史観の枠組みを前提にして、『資本論』の資本主義一般の基本法則の「自由競争から資本主義的独占」を説く方法であることは疑いないところです。こうした資本主義発展の歴史認識のもとに、レーニンは翌17年の二月革命の勃発でペトログラードに戻って「四月テーゼ」を公表し、ブルジョア権力の臨時政府に対し、労兵ソヴィエトをプロレタリアート権力とし、十月革命によって国家権力の奪取に成功したのです。プロレタリア独裁によるロシア革命の成功であり、ソ連型国家社会主義の誕生です。また、こうしたコンテンツから見れば、レーニンの『帝国主義論』の段階規定は、エンゲルス以来の唯物史観のドグマを前提し、競争から独占を基礎にプロレタリア独裁のもとにソ連型国家社会主義を指導した、と言わざるを得ないでしょう。宇野の三段階論、そして原理論から段階論への方法とは、まったく異なった方法だった。事実、宇野は「根本は、原理論と段階論との方法上の違いにあるといってよいでしょう」と繰り返えし強調せざるを得なかったし、『帝国主義論』から多くの例証を学んだにしても、その方法的位置づけは、「無いものねだりに終わっている」と断ぜざるを得ません。
 では、なぜ宇野はレーニン『帝国主義論』の処理を、このような形で終わらせてしまったのか?それは、宇野が迷いに迷いながら、レーニンのロシア革命を容認したことにあると思います。宇野は、スターリン批判やハンガリー問題に関して、すでに引用したように、政治的レベルですが「ことに社会主義体制が確立していない間は、逆転の危険もある」と述べていました。旧ソ連の体制、ロシア革命についても、逆転と反革命の危惧を抱いていなかったわけではない。しかし、1972年に病に倒れ、病臥生活に入る直前の71年に到って、『経済政策論』の改訂版を発表し、そこで長くその帰趨を見極めようとしてきたレーニンのロシア革命について、こう述べます。「その後の資本主義の諸国の発展は顕著なるものを見せながら、それはこれらの社会主義諸国の建設を阻止しうるものではなかったようであり、しかもその発展に新たなる段階を画するものがあるとはいえないのである。」そして、「第一次大戦後の資本主義の発展は、ーーー社会主義に対立する資本主義として、いいかえれば世界経済論としての現状分析の対象をなすものとしなければならない」と最終的に判断したのです。
 この判断は、ついに宇野もまた、旧ソ連・東欧の体制が社会主義として、歴史の進歩を代表することを容認したこと、その上で資本主義の歴史的発展は、第一次大戦―ロシア革命までの帝国主義によって世界史をリードしたに過ぎない。したがってまた、レーニン『帝国主義論』のいう資本主義の最高の、そして最後の段階としての帝国主義の規定を受け入れ、資本主義の崩壊と没落をイデオロギー的に主張した唯物史観のイデオロギー的仮説を、そのまま容認することになったのか?宇野の三段階論、そして原理論と段階論を区別する方法的意義は、一体どうなるのか?こういった論点が、改めて提起されることになるでしょう。だが、宇野が他界したのが77年ですが、まことに皮肉なことに70年代の後半から、歴史の現実は旧ソ連・東欧の体制の経済的行き詰まりを露呈します。経済成長率の停滞、生産性の低下や資源配分の不均衡、さらに旧ソ連・東欧圏の内部矛盾の拡大など、ソ連型国家社会主義の体制的危機の深化が進みます。そして、80年代のゴルバチョフのペレストロイカを迎えた。にも拘らず1986年、「共産主義とは、労兵ソヴィエトと全国の電化である」(レーニン)のスローガンを象徴した世界最大規模の「V ・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所」が事故で大爆発、その5年後の91年、世界史上初めての社会主義と期待されたソ連体制は、まことに呆気なく崩壊を迎えたのです。
 ソ連型国家社会主義が崩壊し、すでに20年以上が経過し、旧ソ連復活の可能性は感じられません。また、プロレタリア独裁による共産党一党支配の改革を迫られている中国の「改革開放」の現実からも、マルクス・レーニン主義の復権は期待できないでしょう。むしろ中国には、これから新たな大胆な改革が起る可能性も大きい。こうした状況からすれば、むしろソ連崩壊とマルクス・レーニン主義の破綻の現実に立って、改めて宇野によるレーニン『帝国主義論』の方法に対する批判を深める必要があるでしょう。それはまた、スターリン批判と共に、レーニンの方法に対してもまた、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観を前提し、その枠組みで唯物史観にもとづく法則展開をはかる方法からの完全な解脱を迫ることでしょう。そのことは、宇野・三段階論にもとづく「『資本論』と社会主義」の深化と具体化に他なりません。 
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by morristokenji | 2014-05-06 10:31