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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

混迷する世界秩序の行方ー米中関係をめぐってー

 「行く年、来る年」、第三次世界大戦の足音さえ聞こえる不安を覚えての越年です。

 ソ連が崩壊し、東西世界の対立による冷戦体制は終わった。しかし、それに代わるポスト冷戦の世界秩序が定まらぬまま、世界の政治も経済も不安定が続き、さらにテロや戦闘が各地に拡大している。戦闘の拡大は、一歩間違えば第三次世界大戦にエスカレートしかねない、先行きが全く不透明な時代を迎えています。

 冷戦体制の終結により、当初は超大国アメリカの一強支配の体制による世界秩序の形成が予想されました。事実、サッチャー・レーガンなど、80年代からの新保守主義の潮流が高まり、つづいて米ブッシュ政権による「ネオコン」の台頭によって、米一極覇権主義のグローバル支配が進むかに見えた。世界史的にも「グローバル資本主義」の新たな発展段階の到来も提起されていました。しかし、米一極を頂点とした「グローバル資本主義」は、たんなる「ネオコン」のイデオロギー的主張に過ぎず、むしろ「Gゼロ」後と呼ばれる世界には、中、露、湾岸諸国など、新たな「国家社会主義」の登場となって、「自由市場の終焉」を迎えているのです。その中で”Japan as no.1”は、一体どうなってしまったのか?

 冷戦体制のもと西の中心国アメリカは、ポスト冷戦で「独り勝ち」のはずだった。しかし、ブッシュのイラク戦争の失敗をはじめ、覇権国家である米の地位低下は著しいものがあります。イスラム国の台頭など、中東における混乱の元凶も、それを突き詰めれば、戦後の米による「ドルとオイル」支配の破綻と失敗に起因すると言えるでしょう。二度の石油ショックに始まる資源ナショナリズムの台頭、それに関連する中東戦争の延長に、今日の戦闘行為の拡大やテロによる混乱の根があると思われるからです。そして、アメリカの地位低下は、むろん中東支配だけではない。

  EU諸国の英米仏など、NATO北大西洋条約により、いうまでもなく冷戦体制のもとでは、西側の体制に属していた。しかし、1993年のマーストリヒト条約の発効、つづく1999年の単一通貨ユーロの使用開始は、明らかに米ドル一極支配からの独立であり、EUは通貨ブロックの性格が強い。さらにEUは、ポスト冷戦で旧ソ連圏の東欧地域に拡大し、対露関係も複雑に動いた。その過程で2014年、米の策動もあったといわれるがウクライナ問題が急浮上、EUの対露関係も大きく動揺しました。しかし、クリミア半島の処理でも明らかですが、ウクライナでも米の策動は失敗し、米とドルの地位は対EU・ユーロ関係でも、さらに低下した。このようにポスト冷戦は、米の一極支配による「グローバル資本主義」どころか、むしろ米の支配体制の後退とアメリカの地位低下を決定的にしている。アメリカは、ポスト冷戦で対外関係では一強どころか、世界支配の全面的見直しを迫られ、それがオバマの「リバランスRebalance」政策ではないかと思われます。

 冷戦構造は、上記の通り世界通貨米ドルを基軸通貨とする世界金融組織でした。IMF(国際通貨基金)、GATT(関税と貿易に関する一般協定)、それに世界銀行が付随していた。東の世界は、ソ連のルーブル、そしてコメコン体制のもとに統合され、東西2つの世界が対立したのです。ソ連が崩壊して米ドルの基軸性が強化されるはずだったが、EU・ユーロの台頭、新興国の登場などにより、むしろ米ドルの基軸性は後退し、地位低下を見せはじめた。その傾向を決定的にしたのが、米国発のリーマンショックであり、1929年恐慌の再来といわれた2008年9・15の世界金融恐慌です。米連邦準備銀行FRBは、まさに異次元緩和ともいえるゼロ金利による超低金利の大幅な金融緩和政策を、それも7年間の長期にわたり続けざるをえない状況に追い込まれた。2015年12・16、ようやくFRBは0.25~0.50%へと金利引き上げることができた。しかも、薄氷を踏む思いの正常化に過ぎず、いつ危機の再発が起こってもおかしくない。

 リーマンショックによる世界金融恐慌まで、中国とその通貨・元の地位は、決して高いものではなかった。事実、中国の社会主義の現実は、とくに毛沢東の文化大革命の失敗により、経済的には荒廃の極に達するほど地に堕ちていました。その点で改革開放路線は、止む終えざる現実的選択ともいえるし、レーニンのNEP(新経済政策)への一時的避難の面が強かった。この路線転換が、中国共産党政権の主導で行われた以上、それは一党独裁プラス市場経済への移行として定式化され、「社会主義市場経済」として定着をみることになりました。しかし、マルクス・レーニン主義によるソ連型社会主義のようなモデル化が行われているわけではない。その点では、過渡的な性格が強いし、今後大きな路線転換の可能性が秘められている。そこに可能性と同時に、不安定性もあることを指摘しておきましょう。

 中国の改革開放路線にとって幸運だったのは、80年代の新自由主義と呼ばれる市場拡大に連動したこと、続いて上記「自由市場の終焉」と呼ばれる国家社会主義の台頭とも結びついたことです。しかし、決定的だったのは、08年のリーマンショックによる世界金融恐慌の発生への対応であり、米国をはじめ日本など先進大国群が軒並み長期不況に沈み続けた中で、中国が09年、さらに10年と、GDP成長率が年率9%を越える高成長を持続して、世界経済を支え続けたことです。それにより中国は日本経済を追い越して、世界第2位の経済大国となり、通貨・元の国際的地位も上昇しました。「沈むアメリカ、昇る中国」、米中の新しい大国関係による国際的秩序の形成が日程に上ってきました。

 中国の急速な台頭に対して、アメリカも上記のようにオバマの「リバランス」路線により、アジア太平洋の地域にセットバックを始めています。とくに2015年10月5日、大筋合意に達したといわれる環太平洋連携協定(TPP)は、05年のシンガポール、ニュージーランドなど4カ国の協定から、大きく性格が変わりました。2010年にアメリカがオーストラリアなどと共に、協定の拡大協議に参加、さらに12年にはカナダ、メキシコが参加しました。アメリカ、カナダ、メキシコ3国は、すでに北米自由貿易協定(NAFTA)を形成していますから、この時点からTPPの性格は、アメリカ、そして基軸通貨米ドルによる拡大NAFTAの性格を濃厚にしたのです。その点でGDP世界第3位の日本の参加が強く要請されることにもなった。米・加・日による米ドル通貨ブロックの形成です。それにより上昇の著しい中国と通貨・元に対抗する戦略に他なりません。

 一方、中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)を主導し、すでに参加国が57ヶ国に達しました。「22世紀のシルクロード」と呼ばれる「一帯一路」構想とセットで、アジアとヨーロッパを結ぶ雄大なるユーラシアの構想ともいえます。ただ、そもそもは改革開放路線の延長に生まれたもので、当初は深センや上海など、沿海部の経済特区の開発構想、これは日本の太平洋ベルトの拠点開発構想の中国版で、輸出主導の重化学工業化を、内陸部に拡大延長する。その成長路線として、中国内陸部にはシルクロードの復活が提起されていたようです。ただ、こうした中国の改革開放の開発路線が、上述のEUの拡大延長やロシアの東方政策とも結びつき、「AIIB事件」と呼ばれる大きな反響を呼ぶことになった。英、独、仏、伊、オーストラリア、イスラエル、韓国などが、一挙に参加を決めたからです。「冷戦下の親米国家群は、アメリカより中国に付くのか!」といった大きな衝撃となった。

 ただアメリカ側、そして唯一ともいえる日本の対米従属のイデオロギー的反発は別にして、リーマンショックの衝撃が大きかった。100年に一度の米国発の世界金融恐慌の発生は、アメリカの政治経済的地位を一挙に低下させた。とくに世界に基軸通貨ドルへの信頼を動揺させた。そして、大恐慌による落ち込みの下支えさせられたのが、他ならぬ中国であり、通貨・元であった。中国経済の高成長の持続を抜きに、世界経済の安定を確保できない。そうしたポスト・リーマンショックの現実が、中国のAIIBを生み、英国をはじめEU諸国、さらにロシアまで巻き込むAIIB旋風となったと言えます。こうした脈絡から言えば、中国は通貨・元の地位を、転落の著しい米国経済、そして米ドルに対抗し、少なくとも米・ドルのブロック化に進むTPPに匹敵する地位につけておきたい。そのためにはAIIBの実現に結び付けて、今や世界第2位のGDP大国である「チャイナマネー中国・元」の基軸性を強めたい。そのために中国・元のSDR(特別引出し権)への参加であり、それを成功させました。

 こうした中国・元のSDR参加による米・ドルへの対抗軸の形成からすれば、対米従属の同盟国・日本の期待にもかかわらず、中国のTPP参加を期待することはできない。しかも、日本ではまだ大筋合意だし、その内容も秘密で完全には公開されないし、国会の審議もできないにもかかわらず、一部財界の意向で既成事実化が先行している。しかし、大統領選を控えた米国をはじめ、完全合意までは時間も距離もある、そんなTPPにかかわっている暇はない、それが中国の現在の立場でしょう。今後、米中2極の「平和共存」の新たな世界秩序外貨に形成されるか、22世紀へ向けての大きな課題でしょう。
by morristokenji | 2015-12-27 20:49