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by morristokenji

日本資本主義の終わりは始まったのか?宇野『恐慌論』ノート③

 日銀が決めたマイナス金利政策は、副作用の心配どころか、円安にも株高にも大した効果がない。金融政策の限界を露呈して、再び財政政策に重点を移さざるをえないようです。しかし、そもそも日銀の異次元緩和は、年間80兆円もの国債の買い入れを伴っていたし、それがまた日銀の市中銀行からの当座預金の「ブタ積み」だった。これ以上、赤字公債の発行ができない。そうなれば財政面からは積極政策も出せない。予定されている消費増税を断念して、消費需要の落ち込みだけは防ぎたい。しかし、そうなると「税と社会福祉の一体改革」はどうなるのか?財政再建をどうするのか?頼みの日銀からは、副総裁の談話で、企業のイノベーションによる生産性の向上、また少子化対策による労働力の量的確保など、潜在成長力の向上・改善による自然利子率の回復を期待する「ボール」が投げ返されてくる。いよいよアベノミクスの政策的破綻が曝け出される末期的局面を迎えたようです。すでに日本資本主義は、戦争によって行き詰まりを打開する他ない、といった無責任な声も出ているようです。
 戦後の日本経済は、まず1950年の朝鮮動乱の戦争特需により救われ、その後の高度成長へのステップが確保されました。また、東京オリンピックのバブルの後は、1960年代後半ベトナム戦争の拡大による戦争特需によって、輸出依存・民間設備投資主導型の高度経済成長を進めることができた。戦後の冷戦体制と共に、こうした度重なる戦争特需の恩恵を抜きにして、戦後の日本経済の発展も成長も無かった。それだけに、アベノミクスの政策的破綻も、戦争特需により一挙に打開したい、そんな無責任な願望が生まれるし、それを期待する。ただ、自ら戦争の挑発者にはなりたくない。しかし、核実験やミサイル発射で緊張が高まり、一指触発ともいえる朝鮮半島で、再び戦乱が起こる朝鮮動乱ブームの再発を、密かに期待する向きもないわけではない。リーマンショックの再発とともに、それ以上に戦争の危険が高まっていると思います。

 さて、金融資本による過剰資本の処理は、すでに説明しましたが、一方ではインフラ投資や巨大プラントの設備投資など、イノベイションの継続が難しく、既存の設備が温存され、それが「資本の過剰」の処理を長期化する。しかし他方、株式資本を利用した集中による集積も可能であり、社会的に大衆の資金を集め、インフラ投資をはじめ大規模なイノベイションを含む設備の拡大を図ることができる。2つの面を持ちながら、とくに国内の「資本の過剰」については、植民地支配など対外的な直接投資で、過剰を処理する発展が図られます。最近の日本経済の場合、長期デフレが続き「資本の過剰」が構造化した中で、国内では潜在成長力の低下に見られるように、内部的処理がますます困難になった。また、金融政策が異次元緩和されても、過剰な資金の「ブタ積み」が続くだけですが、こうした中で国際収支の構造が大きく転換した点に注目する必要があります。
 日本経済は、上述の通りベトナム特需もあり輸出依存・民間設備投資主導の成長を続けてきました。多少の浮き沈みがあったにせよ、貿易収支構造は一貫して輸出の増加が続き、黒字基調を維持してきた。1990年代からの長期デフレを迎えても、貿易黒字の基調は変わらなかった。ただ、貿易収支の黒字から、しだいに対外投資を増加させ、その対外投資の増加が輸出増と共に、経済成長を牽引してきたのです。しかし東日本大震災の2011年を界に、それまでの円高が頭打ちとなり円安に逆転すると共に、貿易収支が赤字に変わる。同時に、対外直接投資による投資収益の黒字が、所得収支の面から経常収支の黒字を支える構造に転換したのです。国際収支の構造面で輸出主導型の成長パターンが、対外直接投資主導型に転換した。その後、円高が円安に変化しても、貿易収支の赤字の構造は変わらず、さらに国際的な原油安による輸入の減少にもかかわらず、なお貿易収支の赤字が続いている。

 このような国際収支表の変化は、明らかに日本経済の構造的変化を表現しています。日本の高度成長は、輸出に大幅に依存してきましたが、それは国内の輸出産業を基礎に、化石燃料の原油の輸入に依存しながら、大量生産による大量輸出を続けてきた。輸出産業中心の金融資本の投資拡大であり、雇用の拡大であり、そして国内消費の増大だった。潜在成長力を基礎に、金融資本の投資拡大、それに従属する雇用と消費の拡大こそが、経済成長を長期に主導してきたのです。しかし、国際収支表の変化は、すでに投資が国内中心ではない。海外直接投資の増大であり、国内の雇用や消費は、完全雇用による賃金上昇圧力を回避するためもあり、非正規雇用、そしてブラック企業の低賃金では消費の拡大には繋がりにくい。
 日銀の異次元緩和が実体経済の投資や消費に繋がらず、トリックルダウンが弱く需要が拡大しないのは、海外直接投資に依存する金融資本の構造転換が進んでいるからです。さらにポスト冷戦による経済のグローバル化は、こうした日本の金融資本の構造転換を強く推進することにならざるをえない。国内投資をできる限り抑制し、海外直接投資の拡大のために史上最高の利潤も国内には投資しない。内部留保して、対外進出のために待機の態勢を固めているのでしょう。単に少子高齢化や企業のイノベーションの衰弱ではない、海外直接投資が主導する金融資本の構造変化が、国内経済の投資や消費の空洞化を進めているからです。また、政治や外交の方向にも様々な影響をもたらすのです。

(1)トップセールスの安倍親善外交
 安倍一強政権の誕生で、首脳外交が目立つてきたように思います。とくに総理の外国訪問ですが、首脳会談やサミットなどの出席はともかく、歴代総理の中ではずば抜けて多く、2015年末で39か国、延べ訪問国・地域が86に及んでいます。それも中東諸国・地域、ロシアやウクライナなど東欧の地域など、あまり訪問しなかったところ、「世界の検察官」のアメリカが手を引こうとしている地域などが含まれる。2015年1月の中東訪問では、イスラム過激派組織ISとの対立で、日本人人質に被害が及ぶなどの問題も発生しました。
 特に、こうした外国訪問の際、何度か財界の関係者が多数同伴した事実が気になります。そして、ODAとセットでインフラ整備やプラント輸出の商談が行われ、総理のトップセールスが重ねられたようです。ゼネコン関係者の参加もあり、海外直接投資が主導する金融資本の新たな動きが目立ちます。こうした総理のトップセールスの中で、原発の輸出や武器輸出などの動きもあったと推測されますが、さらに中東や東欧の地域では、アメリカが世界の警察官の地位から撤退する。さらにオバマ大統領のいわゆるアジア太平洋への「リバランス政策」による地域の空白を、日本が埋める財界の政治的意図も感じられます。

(2)TPPの隠された意図
 TPPについては、もっぱらアジア太平洋地域の関税撤廃で貿易の自由化の拡大、日本農業へのマイナスの影響だけが問題にされてきました。しかし、すでに本欄「第40回 TPPと東北の立場―米ドル・ブロックからの自立―」で説明しましたが、当初のシンガポールやニュージーランドなど4か国の小さな地域協定から、途中でアメリカが参加し「拡大NAFTA」に変わりました。アメリカと米ドル基軸通貨を頂点として「ヒト・モノ・カネ・情報の移動の全面自由化」であり、投資や労働環境、医療福祉など包括的な連携協定です。ジャパメリカ、アメリッポンの登場です。しかし、いまなぜTPPなのか?
 TPPには、米ドル通貨ブロックとして「為替操作防止条項」、国境なき投資競争を推進する「ISDS」条項、国が外資の侵入を規制できなくなる「Ratchet」条項もあり、輸出入だけでなく激しい域内競争が予想されます。農業や中小企業は犠牲になりますが、すでに対外投資主導の日本の金融資本としては、「資本の過剰」を処理するためにも、ジャパメリカのTPPの舞台で輸出大国、投資大国として打って出る。そのために甘利「タフネゴシエイター」の腕力が必要だった。日本の金融資本が主導のTPPのように感じます。
 
(3)戦争法制から憲法改正へ
 安倍政権により政府の強権的姿勢が強まり、とくに日本の専守防衛から「集団的自衛権」容認への転換が進められています。戦争法制の強行ですが、続けて憲法の改正、とくに9条の改正が目標になるでしょう。ただ、集団的自衛権の議論では、もっぱら日米安保体制を前提にして、米軍に対する日本の自衛隊の戦闘協力が議論されました。たしかに、日米関係が中心になるでしょうが、日本の金融資本の対外直接投資の拡大からすれば、アメリカの「リバランス」政策との関連で、「世界に検察官」アメリカの防衛力の肩代わりを担う。その意味で、日本の対外投資に対する資本の防衛になるでしょう。さらにTPPとの関連では、アジア太平洋地域での日本資本の対外投資の拡大を防衛する日米「集団的自衛権」の行使です。
 改憲との関係で、とくに「集団的自衛権」については、戦争法制への反対で世論が大きく盛り上がりました。名文改憲を避け、なし崩しの解釈改憲で押し通したものの、国民の総意を組織的に統合せざるをえない。近代国民国家の法治主義、立憲主義は、民主主義による統合が不可欠です。戦前の植民地主義は英国の香港返還で過去のもの、また侵略主義もナチスと共に日本の軍国主義の敗戦で、すでに否定されている。金融資本の直接海外投資の増大に伴う、いわゆるカントリーリスクを防止する防衛力強化をどのように進めるか?民主政治が岐路に立っています。
 
 それだけではない。民主政治の危機は、そもそも日本の金融資本の「資本の過剰」が、もはや資本自身では自律的に解決できず、過剰が慢性化し構造化したから生まれている。財政や金融の異次元緩和も限界であり、潜在成長力の「岩盤」に斧を振るうところまで来た。「一億国民総活躍」の総動員体制のもと、女性や高齢者の雇用拡大、さらに「産めよ増やせよ国のため」とばかりの産児拡大、外国人労働力の利用も権力的に推進する。消費拡大のために、官製春闘を利用した賃上げや「同一労働・同一賃金」の権力的な労働法制にまで手を延ばそうとしています。こうした権力的な組織統合の推進と共に、同時に金融資本の直接海外投資のリスク回避のための「集団的自衛権」の強化であることを見逃してはなりません。

 すでに日本資本主義も、末期的症状を呈しています。アベノミクスの破綻も、民主政治の危機も、まさに末期的症候群でしょう。しかし、権力側は立憲主義を否定してまで総動員体制を強行し、危機を乗り切ろうとしている。その結果が、無残な敗戦であった体験を忘れるわけにはいかない。それだけに対抗勢力の組織化により、危機を乗り切るビジョンとシナリオが準備されなければならない。というよりも、危機乗り切りのビジョンとシナリオにより、代替戦略を準備しながら、新たな体制の組織化を進めなければならないでしょう。宇野『恐慌論』の現状分析が、「恐慌の必然性」や「戦争の必然性」を超えた次元で、対抗勢力の組織と運動を通して体制変革の「革命の必然性」を位置づけていたからでしょう。
 宇野『恐慌論』は、「恐慌の必然性」を革命に結び付ける「恐慌・革命テーゼ」の初期マルクス・エンゲルスのドグマを超克した。さらに段階論の「戦争の必然性」を「革命の必然性」に直結した「帝国主義戦争を内乱』革命へ、「銃口からの革命」といったマルクス・レーニン主義のドグマから脱却したのが三段階論の方法の意義でしょう。「革命の必然性」を原理論や段階論ではなく、あえて現状分析の課題としたのも、体制変革のための組織と運動の主体的実践の意義を重視したからでしょう。それだけにまた、危機を乗り切るための代替戦略のビジョンとシナリオの重要性が大きいと思います。
 

by morristokenji | 2016-03-06 19:10