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by morristokenji

マルクス『資本論』⑤:資本主義経済の岩盤と「経済原則」

 黒田・日銀による金融の異次元緩和も、いよいよ正念場を迎えたようです。異例なマイナス金利まで突き進んだものの、年率2%の物価上昇によるデフレからの脱却は、一向に進まない。それどころか、最近は物価の下落が続いている。この間の超緩和路線の「総点検」による結論は、「量から金利へ」の転換だそうですが、依然として短期金利のマイナスは続ける。さらに中央銀行の政策としては例がない長期金利に手を付ける。しかし、これもゼロ金利を維持するだけの話で、国債を買わせても利子もつけない。何のことはない、もはや金融政策としては手の打ちようも無くなったことを自認した総点検でした。
 金融政策がダメなら財政政策ですが、そもそも日銀の異次元緩和路線が、年間80兆円もの国債の買い入れを伴っていた。それがまた日銀の市中銀行から当座預金の「ブタ積み」を助長し、マイナス金利導入を招いた。これ以上赤字国債の発行はムリ、さらに予定されていた消費増税も、選挙対策上断念した。そうなると「税と社会福祉の一体改革」の公約はどうなるのか?財政再建をどうするのか?頼みの日銀からは、副総裁の談話で、企業のイノベーションによる生産性の向上、少子化対策による労働力の量的確保など、潜在成長力の向上・改善による自然利子率の回復を期待する「ボール」が投げ返されてくる。いよいよアベノミックスの政策的破綻が曝け出されています。

 こうしたアベノミクスの破綻も、もともと日本の金融資本の「資本過剰」が、もはや資本自身では自律的に解決できない。資本過剰が慢性化し、構造化したことから生まれたものです。すでに金融や財政も限界を迎えて、潜在成長力の「岩盤」に斧を振るうところまで来てしまった。「一億国民総活躍」の総動員体制の下、女性や高齢者の雇用拡大,保育所など産児拡大の政策措置、難民を含む外国人労働力の利用も、すべて権力的に推進する。消費拡大のための官製春闘を利用した賃上げ、「同一労働・同一賃金」の推進とともに、同時に金融資本の対外直接投資のリスク回避のために、「集団的自衛権」強化による安保法制の強行突破だったことを見逃してはなりません。
 では、日銀からも提起された「潜在成長力」とは何か?それが日本経済の「岩盤」と呼ばれるのはなぜか?その辺から話を始めましょう。「資本過剰」が慢性化し、デフレが長期化して、「成長戦略」が行き詰った原因として、高度成長時代と比べて潜在成長力の低下が指摘されています。いわゆる潜在成長力は、経済成長のための供給要因で、ひとつは生産に従事する「労働力の数」であり、もう一つは労働力の「労働生産性」です。生産年齢の労働力が豊富に存在し、かつ一人ひとりの労働力の生産性が高ければ、供給力が経済成長に結びつく。しかし、少子高齢化で生産年齢の労働力が減少し、技術革新も行き詰って労働生産性も上昇しなければ、供給力も発揮できないし、低成長にならざるを得ないでしょう。

 『資本論』の経済的運動法則では、資本の生産過程、さらに資本の蓄積・再生産過程において、以下のように説明されている。すなわち、マルクスは商品の価値形態を明らかにし、価値関係として貨幣、資本を流通形態として解明します。流通形態としての資本は、一般形式としてG-W-G'の商業活動の形式、それを補完する金融活動の形式としてG-----G'、さらに労働力の商品化を梃子にして、G-W--P--W'-G'の産業資本形式を明らかにしている。その上で、資本の価値増殖として、労働力の労働時間や労働の強度を強化しつつ可変資本の増大で雇用労働力を増加する絶対的剰余価値の生産を説明します。資本の生産過程による供給力の増加、つまり潜在成長力の強化は、資本の絶対的生産として解明さるのです。さらに、その制約を超える方法として、労働生産性の向上に基づく協業・分業・機械による労働力の組織的利用で相対的剰余価値の生産をすすめる。
 さらに資本の再生産過程では、資本の蓄積過程として潜在成長力の強化・拡大を図る。マルクスは、資本の蓄積過程として、2つの形式を説明します。一つは、蓄積のための投資の拡大が、いわゆる能力拡大型投資で、『資本論』では資本の有機的構成が不変の資本蓄積です。ここでは、同じ技術で投資が単に量的に拡大するので、労働力の雇用が拡大する。過剰労働力が雇用され、労働市場では賃金も上昇する。それに対し、もう一つの資本蓄積は、資本の有機的構成が高度化するもので、ここでは技術水準が上昇する。いわゆる合理化投資であり、労働力に雇用を節約し省力型蓄積です。この蓄積により、資本は技術革新による労働生産性の向上、合理化による労働力の相対的縮小で、労働力不足が解消し、能力拡大型投資に転換できるのです。2つの資本蓄積の様式が交互に進み、相対的過剰人口の「吸引と反発」が繰り返される人口法則が展開されるのです。
 
 このように『資本論』では、マルクスは資本の生産過程、そして再生産・蓄積過程を通して、経済法則として潜在成長力を高めながら、自律的に経済成長を資本蓄積として進める。資本蓄積の経済法則が、文字通り法則的に技術革新による労働生産性の向上、それによる労働力の自己調達の実現が、マルクスのいわゆる人口法則です。人間が自然に働きかけて生産し、生産された消費財を消費して労働力を再生産する。その自然と人間との物質代謝の過程で、技術革新と生産性の向上が進み、経済成長が実現する「経済原則」が、資本主義の再生産・蓄積過程として、いいかえれば「経済法則」として実現するのです。「原則」の「法則」としての実現に他ならない。
 また、産業構造が歴史的に高度化し、金融資本の資本蓄積でも、すでに説明した通り、一方では金融資本は組織的独占などを利用して、資本過剰を温存する。独占利潤を内部的に留保しながら、金融的支配を進めます。同時に他方では、株式資本を利用して、大衆の資金を集中・集積し、不断に技術の革新を行い、生産性を向上しつつ投資が拡大する。こうした投資の拡大が、たんに国内だけでなく、むしろ対外的に投資を拡大する。日本資本主義も、戦後の冷戦構造を利用しつつ、輸出依存民間投資主導型の資本蓄積から、しだいに内部留保を高め、対外投資を拡大しました。対外投資も、間接的な金融的投資とともに、直接的な投資の拡大で、プラント輸出やインフラ投資とともに対外進出が進むのです。国際収支表の構造的変化が現れます。

 「失われた10年、さらに20年」長期・慢性的デフレが、「資本過剰」の堆積によって深刻化していますが、一面では金融資本の対外直接投資が進んでいるからです。すでに投資の主軸は、日本の国内ではなく、対外直接投資に向いている。安倍総理も、財界の代表を引き連れながら、中東やアフリカまでトップセールスのための外遊を続ける。テロ多発のリスクの大きい地帯だけに、集団的自衛権のために安保法制の強行採決も必要だった。金融資本も、史上最高の高収益を上げながら、それを内部留保して対外直接投資に向ける。その反面では、日本経済の国内投資は進まない。上記「資本過剰」は国内的には堆積したまま、投資とともに雇用の積極的拡大は進まず、非正規雇用の低賃金で消費の拡大も期待できない。
 こうした「資本過剰」を抱え込んだまま、すでに事実上財政と一体化した金融から、異次元緩和のゼロ金利マネーをバラ撒いても、景気も成長も上向くはずがない。ゼロ金利、マイナス金利は、いたずらに不動産投資の拡大で、資産格差を拡大する。さらに緩和マネーは、先進国病の少子高齢化とともに、福祉国家主義ともいえる「完全雇用」政策の持続によって、労働市場も市場経済である以上、慢性的な人手不足、人材難を深刻化するだけです。アベノミクスの三本の矢が、金融、財政から成長戦略の第三の矢に結びつかないのは、構造的な「資本過剰」を解決できないからです。ついに追い込まれた安部政権は、権力的に国家総動員体制ともいうべき「一億総活躍プラン」により、経済の岩盤に斧をふるい潜在成長力の活性化を図ろうというのです。
 
 すでに述べた通り資本主義経済は、資本の蓄積・再生産の過程を通して、「経済原則」の労働力人口の再生産による確保、また労働生産性向上に必要な技術革新を、「人口法則」として自立的に実現してきた。国家は、それを政策的にバックアップすればよかった。しかし、いまや日本資本主義の成長の行き詰まりが、「経済原則」の充足を不可能にしている。まさにアベノミクスの三本の矢の挫折でしょう。行き詰った国家権力は、一方で対外直接投資による「資本過剰」の解決のために、安保法制を準備し集団的自衛権の発動にむけた準備は完了した。他方、対外直接投資で空洞化の進む国内経済の体制の組織化が「一億総活躍プラン」ですが、その実現は権力的に進めるほかない。
 しかし、労働力の確保のために、様々な政策を準備するにしても、最後は「産めよ増やせよ国のため」とばかり、国策として結婚させ、産児を奨励する以外になくなる。技術革新も同様であり、武器輸出の拡大とともに、大学の国策的研究の推進を図ることにならざるを得ない。「経済原則」の権力的推進と実現ですが、こうした国家総動員体制がいかに危険であるかは、我々の戦争体験による教訓であると思います。

 
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by morristokenji | 2016-09-22 20:56