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by morristokenji

資本主義経済の人口法則:一億総活躍社会が目指すもの

 すっかり影の薄くなってしまったアベノミクスですが、何とか衣替えで出直しをはかる以外に手が無くなったのでしょうか?新アベノミクスか?改定版アベノミクスか?国家総動員体制ともいえる「一億総活躍社会」を打ち出そうとしています。「成長戦略」のための金融政策や財政政策の矢を放ってみたものの、矢はどこに飛んで行ったものやら?年率2%目標のインフレ物価上昇は、このところ物価下落が続き、とてもデフレマインドを変えることは出来ない。経済成長のシグナルGDP成長率もゼロ成長をふら付いていて慢性不況がすっかり定着してしまった。成長政策にせよ、景気対策にせよ、従来の経済政策の次元では、もはや政策の手は打ちようが無くなってしまった。そこで苦肉の策として提起されたのが、GDP600兆円を目指す「一億総活躍社会」なのでしょう。

 アベノミクスの金融や財政の政策が、デフレ脱却のための成長戦略に結びつかない、そのため資本の絶対的過剰生産が解消しないまま、ゼロ成長の慢性的デフレが続いている。その理由に、日本経済の「潜在成長力」が低下して、金融や財政のマネタリーな面から、いくらバラ撒きを続けても経済成長に結びつかない。したがって、潜在成長力を向上するような「構造改革」、それも財政や金融のレベルを超えた日本経済の岩盤に届くような構造政策の必要性が叫ばれています。GDP600兆円の「一億総活躍社会」も、そのスローガンです。
 問題の「潜在成長力」は、いわゆる供給能力であり、それが低下すれば、いくらマネタリーな面からカネをバラ撒き、有効需要を拡大しても、経済成長にはつながらない。もともと潜在成長力は、生産活動に利用可能な労働力、つまり生産年齢人口、および労働力の発揮できる労働生産性によって決定される。生産年齢の労働力が沢山あり、その労働力の生産性が高ければ、自ずから「潜在成長力」が高くなる。逆は逆で、少子高齢化により生産年齢人口が減少し、技術革新が進まなくなれば、当然に潜在成長力が低下する。そこでGDP600兆円の金額を目標にぶら下げ、何とか生産年齢人口の労働力を増やす。また、停滞した技術革新を刺激するために「一億総活躍社会」のスローガンを振りかざして、国民を総動員しようと言うのでしょう。

 もともと「潜在成長力」は、生産労働力の数とその生産性ですから、どんな社会にも指摘できる超歴史的な供給力であり、「経済原則」です。労働・生産過程、そして社会的再生産過程を構成する要因で、それが経済成長を左右します。マルクス『資本論』では、すでに紹介しましたが、まず労働・生産過程を資本が支配する「剰余価値の生産」として、①労働時間や労働の強度による絶対的剰余価値の生産、つぎに②労働の生産性を高める相対的剰余価値の生産を説明しています。そのうえで社会的再生産の拡大である経済成長を、「資本蓄積の一般的法則」として説明します。とくに、経済原則の潜在成長力の発展を「資本主義経済の人口法則」として解明しました。経済原則の資本主義的経済法則としての解明であり、マルクスの人口論に他なりません。
 人口論と言えば、有名なマルサスの人口論があります。人口と食料の関係から、人口が幾何級数的に増加するのに、食料資源は土地の制約から算術級数的にしか増加しない。だから人口過剰が必然化するので、「過少消費説」を主張した。マルサスに対してマルクスは、資本と労働力の関係から相対的過剰人口を説明しました。ここでもう一度簡単に解説すると、マルクスは生産の拡大も資本の蓄積として進む。資本蓄積には、①資本の有機的構成不変の能力拡大型投資と、②資本の有機的構成高度化の生産性向上、省力型投資の2つのパターがあり、①のパターンで能力拡大型投資で資本蓄積が進むと、労働力不足と賃金上昇が必然化する。ここで利潤率も低下し、資本過剰が進み②の技術革新、生産性向上による省力型投資に転換し、「潜在成長力」を改善向上させて資本蓄積を進める。マルクスの資本蓄積論を整理すれば、こんな説明になります。

 マルクスの資本蓄積論では、①の能力拡大型投資を②の省力型投資に転換させ、経済原則の「潜在成長力」の改善を資本主義の経済法則として実現する。そこでは①の能力拡大型投資による労働力の雇用拡大で人口を吸収、②の省力型投資で労働生産性を向上し相対的過剰人口を形成して人口を反発、この資本蓄積による「吸収と反発」を、マルクスの人口法則としたわけです。19世紀のイギリス中心の資本主義の発展には、こうした人口問題の自己解決力があった。しかし、20世紀を迎えて、歴史的にも自己解決力が衰弱し、国家の政策的なバックアップが必要になる。
 この点もすでに説明しましたが、重化学工業による高度工業化は、資本の蓄積様式にも歴史的変化をもたらしました。金融資本による蓄積です。金融資本は、一方で独占や寡占を利用し、資本の組織化を図る。そして、資本過剰についても、それを温存して内部留保などを高め、さらに資本過剰を対外投資に向ける。金融資本の過剰資本による対外侵略であり、植民地支配です。とくに植民地支配は、日本のアジア進出でも明らかな通り、多大なカントリーリスクを伴うものの、安価な労働力を利用し、さらに株式資本の利用で、高度なプラント輸出やインフラ投資とともに技術革新を進めることもできる。金融資本の蓄積は、一方の資本過剰の温存とともに、同時に他方では技術革新による労働生産性の向上と省力化を図ることが可能です。この二つの側面が、どのように組み合わされるかは、言うまでもなく歴史的条件や植民地支配など国際関係の変化により変わってくる。
 
 さらにもう一点、言うまでもなく金融資本の植民地支配は、先進国の勢力圏をめぐる国際対立を激化し、それが二度の世界大戦につながった。戦後の局地戦争や部分戦争ならともかく、世界戦争ともなれば、国家間の総力戦であり、そのためには金融資本の組織化にとどまらず、広く国民全体の組織的統合が必要不可欠です。その組織化には、完全雇用を基軸とした、労働力の全面的雇用の拡大や、労働条件の改善や所得補償など、いわば「福祉国家主義」とも言える社会福祉の拡大が必要だった。第一次大戦後、大戦間に所得や資産の格差が急速に縮小し、そうした傾向が戦後の冷戦体制の時期まで持続し、ポスト冷戦の90年代以降に資産格差が再拡大している。そうした歴史的変化を、T・ピケティの『21世紀の資本論』が鋭く指摘しました。このような金融資本の蓄積と「福祉国家主義」の組織化が、今や10%の富裕層による99%の富の支配と格差社会の拡大、そして今日の「潜在成長力」の劣化と人口問題をもたらしているのではないか?
 金融資本の組織化により、対外投資が積極化する。とくに対外直接投資の拡大のためには、国内への投資を抑制し内部留保を高める。結果的に対内投資が消極化し、資本過剰が温存される。そのため国内経済の空洞化が進み、とくに地域的な格差の拡大が進む。こうした国内の過剰資本の温存は、一方で不況を長期化しつつ、同時に合理化投資による省力化も進まない。相対的過剰人口が形成できないまま、「福祉国家主義」の完全雇用による過剰雇用を抱え込んだまま、同時に人手不足による人材難も進行することになる。いわば「資本過剰」と「過剰雇用」の共存と同時に、国際関係の緊張による国家的統合の強化に乗り出そうとせざるを得ない。ここにアベノミクスが破綻した末に、「一億総活躍社会」のスローガンが必要になったものと思われます。
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by morristokenji | 2016-10-03 18:04