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by morristokenji

労働組合はどこへ行くのか?(下)――「働き方改革実現」の狙いーー

 「同一労働・同一賃金」のガイドラインが、政策なき運動として進められるについては、すでに説明の通り、安倍一強内閣が「一億総活躍社会」を目指し、国民運動として「働き方改革」を推進する政策的意図が強いと思います。国家権力が前面に躍り出て、国民総動員で「成長戦略」を実現しょう、そのためには少子高齢化で限界が来ている就業労働力を何としてでも確保したい。そのための国民運動こそが、まさに「働き方改革」のスローガンではないか?「何のため」、「誰のため」に働くのか、それを政権主導で、国家権力が進める国民運動です。

 いうまでもなく資本家的経営においては、労働市場において労働力が商品として企業に売られ、賃労働として労働者は雇用されます。労働力の商品化が前提される、いわゆる資本・賃労働の階級関係です。ここでは、資本家的経営に雇用される限り、労働力は資本に売られ、資本が労働力を使用する以上、労働力は資本のために働くのです。「何のため」に働く?それは資本のために働く。そして、資本家的経営の企業である以上、経営の目的は企業の利潤追求であり、株式会社であれば株主の配当=利殖のために働くことにならざるを得ません。労働力の企業への貢献についても、要するに企業の利潤追求への貢献以外の何物でもないのです。
 こうした企業の労使関係は、両者の契約関係である以上、資本を代表する経営者と労働者の間の関係です。経営者の組織と労働組合との団体交渉で決められる場合も、労使の契約関係であることに変わりはない。また、契約関係で働く以上、労働者は企業の職場で、経営者の管理の下で働くことになる。そして、労働者が生産した物もサービスも、労働者のモノではない。すべて資本家的企業のモノになる。労働者は、自分で作ったクルマも、企業から購買する以外にない、それが資本家的経営の現実です。その点で、労働基準法など、長時間労働や最低賃金が決められていても、それは大枠のことであり、基本は労使の自由な契約に任されているのです。その限りにおいては、国家権力である政府が、「働き方改革」と称して、労使の契約関係に介入するのは、労使関係に対する重大な干渉になるでしょう。

 さらに労使の契約関係では、労働条件である賃金、労働時間などが交渉で決められる。これは、あくまでも労働市場の労働力の売買のレベルの話であり、売り方の労働者はできるだけ高く、買い方の資本の側は安く買い叩こうとします。買い物をする時の、売り手と買い手の立場と同じで、市場原理です。労働組合が交渉に関与する場合も同じで、資本を代表する経営者組織と、労働者を代表する労働組合の市場取引です。労働組合は組織の力で交渉力を強め、より有利に労働力の取引を行うだけです。労働組合の力が無くなって、最近のように「官製春闘」と呼ばれる、政府の力を借りる賃金交渉では、当然のことながら政府からデフレ脱却のための消費拡大の代償を求められることにもなるのでしょう。
 戦後日本経済の高度成長時代、賃金交渉は総評を中心に、春闘方式で行われてきました。名前だけは官製春闘として残っていますが、賃上げ交渉を①時期的には春季に、②全国横並びに統一的に、③ベースアップとして基本給の一律アップを目指し、賃上げの相場形成をリードしました。年中行事の春闘は、全国規模の一斉ストライキを構え、大きな社会問題として国際的にも話題を集めました。SOHYOと言う和製英語が国際的に通用した時代だったのです。また、日本経済の高度成長とともに、国際的な日本の低賃金が大幅に改善され、特に年齢別賃金格差が改善されて、いわゆる「一億総中流」時代が到来したのです。

 しかし、80年代の終わり、労働戦線の統一が実現し、連合が結成されて総評が解散したあと、春闘方式による賃金上昇は急速に減速しました。春闘の終焉とも言えますが、それはなぜか?総評の応援団として協力した経験からすれば、そもそも春闘は高度成長に便乗したものでした。日本経済の高度成長は、別の機会に説明しましたが、輸出依存・民間投資主導型でした。その民間投資主導の成長に、企業内組合は容易に便乗しやすい。賃上げも成長実現と同時に実現され、しかもインフレ物価上昇とも結びついた。基本給の一律アップの要求に、消費者物価の年率上昇率が加算され、全国統一の
春闘相場の形成とゼネストに結びついたのです。文字通り、春闘方式は「高度成長+インフレ便乗型」賃上げ方式だった。
 しかし、こうした春闘方式を中心とした労働組合の運動は、高度成長それ自身より内部矛盾が拡大し、組織の劣化が浸透しました。すでに前回(上)説明しましたが、企業別組合を含む日本型経営の3点セットのうち、年功序列型賃金を支えていた、若年労働力の不足と賃金上昇が急速に進んだ。とくに地方の農村部の若年労働力の雇用拡大と年齢別賃金格差が縮小する。それと同時に、年功給が維持できなくなり、それこそ「同一労働・同一賃金」の職務給が導入されるとともに、年功給に支えられていた終身雇用制も次第に制度疲労が進むことになぅたからです。そうなれば、もともと3点セットで維持され、春闘方式とともに、日本経済の高度成長を主導してきた企業別組合も組織的な危機を迎えることになる。上記の総評解散、労線統一、そして連合の誕生は、こうした企業別組合の内部事情から必然だったように思われます。

 このように春闘方式が、「高度成長+インフレ便乗型」なるがゆえに、日本経済の長期デフレとともに終焉を迎えた。それとともに、労線統一によって誕生した連合も、「派遣型」労働力など非正規雇用の増大とともに、組織率の大幅な低下に苦悩しているだけではない。「官製春闘」に縋りつきながら、今や「同一労働・同一賃金」を梃子に「働き方改革実現」の総動員体制に組み込まれようとしている。安倍一強政権のもと、「一億総活躍社会」構築にむけて体制翼賛団体として、連合も「国家」のために働き「安保法制」の実現に参加することになりかねない。そうした政治的意図を持ちながら、「働き方改革実現」が提起されたのではないか?この間の民主党、民進党と連合の関係にも、そうした危惧を感じます。
 ただ、初めに提起したように、そもそも安部一強政権が「一億総活躍社会」や「働き方改革実現」を提起するに至ったのは、「高度成長戦略」の実現のためのアベノミクスが破綻し、もはや財政や金融のマネタリー戦略を超えて潜在成長力そのものの「岩盤」に斧を振う、そのための働き方改革です。資本過剰による長期慢性型デフレが解決できず、国家権力が正面から少子高齢化の労働力不足を解決せざるをえない。そのために「保育所」をつくり、女性の建設労働力「建設小町」を動員し、難民労働力に「田植え」をさせる、その地ならしに向けての「働き方改革」ではないか?そこまで労働力商品化の矛盾に追い詰められ日本資本主義の終わりの姿が曝け出されたなら、日本経済を救う代替戦略を提起しなければならないでしょう。

 とくに「働き方改革実現」として問題が提起されたなら、労働力商品化の賃労働については、アダム・スミスの昔から「労働は、toil & torouble(骨折りと苦労)」であり、マイナスの効用だった。しかし、それは労働力が商品として売買されるからであり、もともと人間労働は「社会的動物」としての行為であって、協業や社会的分業で相互に協力し合い、助け合って働き続けてきた。協同組合の祖であるロバート・オーエンなどは、「協同労働」を本来の労働としている。イギリス産業革命が進む中でオーエンの思想は、J・ラスキンやW・モリスに継承され、とくにモリスは「芸術は労働における喜びの表現である」と主張し、それを我が宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』で「芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ」と強く訴えたのです。「共同社会」主義comunitarianismの思想に他なりません。
 一方、すでに高度成長の終焉した日本資本主義は、今なお「蓄積せよ蓄積せよ」の成長神話で暴走し、大量生産―大量販売―大量消費の使い捨ての仕組みの中で、「過労自死」に追い込まれ、ブラック企業の統治能力が問われ続ける「賃労働」である。しかし、この「賃労働」による「過労社会」の「働き方改革」は、「協同労働」として「実現」する道が提起できないのか?すでに資本の過剰が長期化し、アベノミクスも破綻している。資本過剰の「過労社会」は、「過労自死」の悲劇を生むだけではない。少子高齢化の名のもとに、労働力の再生産が維持できなくなっている。「保育所落ちた、日本死ね」は、労働力の再生産の機能不全の証明であり、それは資本・賃労働の社会の存続不能を意味しているのではないか。すでにビジネスモデルは、広く「社会的企業」の名で各種の協同組合、ベンチャーキャピタル、NPO、「一人親方」など、営利的個人・株式企業の行き詰まりとは対照的に増加している。こうした新たなビジネスモデルの労働組織として、既得権だけを保守する企業別組合に代わる労働組合の再生が期待されるのではなかろうか?
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by morristokenji | 2016-12-28 13:00