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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

剰余価値の生産

 モリスは、資本の価値増殖=剰余価値の生産を明らかにするため、資本主義的生産方法に入る。第18章のタイトルは「剰余価値の生産、すなわち地代、利子、利潤」である。剰余価値の分配の形態が地代、利子、利潤であるから、その根拠を「剰余価値の生産」として明らかにしようとしたのだ。そして、まず前章の「貨幣の資本への転化」を受けながら、リカードもいう「貨幣の形態では、資本は利潤を生まない」、貨幣はたんに保有・蓄蔵されるだけだからだが、その上で『資本論』の次の箇所を引用する。
 「商品の消費から価値を引き出すには、わが金持ちは市場の中で、つまり流通面の中で、発見しなければならない。その使用価値が価値の源泉となる特殊性を持つ商品、それゆえその現実の消費が、それ自身労働の体化であり、結果として価値の創造である商品を発見する幸運に恵まれねばならない。貨幣の所有者は、市場でそのような特殊な商品、労働のための能力、あるいは労働力商品を発見するのだ。」
 労働力商品の特殊性に他ならない。このマルクスの指摘は、たんに労働力の使用価値、つまり労働が価値を形成する点だけを述べているかに見えるが、そうではない。労働力が商品化され、「商品による商品の生産」なるがゆえに、そして独立した価値の運動体である資本M-C-Mの運動の内部に包摂され、その労働が商品を生産し、価値を生産しつつ増殖することが、ここでは含蓄されている。しかも労働力は、単なる物ではない。人間の能力である。モリスは、こう述べて労働力商品の特殊性を強調する。
 「労働力あるいは労働のための能力によって、マルクスは人間存在の精神的・肉体的な能力のすべてと理解している。それは、商品生産においての行動によりもたらされるものであり、簡単に言えば富を生産するマシンとして彼に備わっている総てであり、人間なのだ」と。
 モリスは労働力の商品化の特殊性を、人間存在と関わらしめ、労働の疎外を前提とした「人間疎外」として把握する視点を鋭く提起している。そうした労働力商品化のための歴史的前提として、さらにモリスは「二重の意味で自由な労働力」、つまり①身分的な自由と、②生産手段からの自由について述べ、さらに生産と消費の社会的分離にも触れている。
 その上で、労働力の再生産に必要な労働による労働力商品の価値規定、つまり労働者が生活のために資本から買い戻す生活資料の量による価値規定をあたえる。しかし、この価値規定も、労働市場においての労使の取引関係を通じて決定される。しかし、生産手段を所有し、労働者を支配下に置いた資本は、「労働者の労働力の使用を1日中買っている。労働者は、その日労働を続ければ、労働力の再生産に必要なものを確保するのに十分であり、生きていくことが出来る。しかし、人間としての機械は、総ての点で必要とされる以上のものを、その日に生産可能なのだ」と。
 つまり、必要労働を超える剰余労働の存在可能性であり、ここから剰余労働に基づく剰余価値が必然化する。「労働力を商品として買うものは、どんな商品の購入者もそうしているように、彼自身の利益になるようにそれを消費するのだ。」だからモリスは結論する。「この産業では、労働市場での労働力の購入と、その再生産に必要なものを超えて実現されるあらゆる成果で、資本家も生きているし、同じように労働者も商品を生産しているのだ。」
 共著『社会主義』の叙述もまた、この部分はほとんど変わっていない。いずれにせよモリスは、労働力商品の特殊性について、労働力が人間の生きた能力であり、それが商品として疎外された点から、剰余価値の生産を説いているのだ。この説明も、むろん『資本論』の叙述に基づいているのであるが、労働力商品の特殊性が労働疎外、さらに人間疎外に結び付けられている点が特徴的だろう。
by morristokenji | 2008-10-03 14:35