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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

可変資本と不変資本

 貨幣の資本への転化により、貨幣は投資の形態をとる。労働力商品を前提にした生産への投資であり、いわゆる産業資本となって投資される。この際、投資は一方では労働力商品の購入に当てられ、他方では生産手段に投資される。すでに明らかなとうり、モリスも『資本論』から労働力の商品化、そして労働力商品の特殊性を十分理解していた。この限りで、モリスは『資本論』の基本的概念を理解し、それを継承したのだ。
 こうした理解が前提になり、労働力商品(L)の購入としての投資を、モリスは『資本論』と同様「可変資本」とした。そして、生産手段(Pm)への投資は、「不変資本」としている。それゆえ産業資本としての投資は、可変資本と不変資本の2つに区別されることになり、モリスは第19章の表題を「不変資本と可変資本」として、解説を続ける。ただ、共著『社会主義』では、なぜかこの部分が省略されている。おそらく簡略化のためだろうが、理論的には「資本と収入」の関連で、マルクスは可変資本の概念を重要視している。少し立ち入っておこう。
 「労働者は、すでにみた通り、彼がそれに働きかける原料に価値を付け加える。だがそれは、彼が古い価値を維持しつつ、新たな価値を付け加える行動によってである。だから彼は、一方において新しい価値を付け加えるし、他方において彼は存在する価値を維持する。彼は賃金で働くことにより、紡績、織布、鍛冶など、働くことにより影響を与え、すでにある以上のより大きな有用性を付与するのだ。」
 つまり、ここでもモリスは『資本論』によりつつ、一方で労働力による可変資本の価値の形成と増殖、つまり付加価値の生産を説明する。他方で、不変資本である生産手段については、既存の価値の移転を説明している。この点では、付加価値の生産、既存価値の移転の解説であり、いわゆる近代経済学でも、ほぼ同一の説明内容だと思われる。しかし、労働力商品に投下された可変資本については、労働者に労働力の対価として、可変資本が賃金として支払われてしまう。つまり、ここで労働者への価値の引渡しが行われる。
 資本の側は労働力を手に入れるが、ここでもその特殊性が制約要因となる。つまり、労働力は人間の能力であり、奴隷のように物として転売したり、処分するわけにはいかない。労働過程で生産に従事してもらう以外にない。労働・生産過程での資本の労働者の支配と管理の必然性だ。この点にこそ、単なる物に過ぎない生産手段と人間の能力としての労働力との決定的な違いがあるのだ。だから可変資本は、賃金として支払われ、労働者に価値が引き渡され、その代わりに労働過程を通して、価値が形成され増殖される。つまり、付加価値を生産し形成するのだ。『資本論』では、「価値生産物」の生産に他ならない。
 モリスは、すでに見た通り人間の能力である労働力商品の特殊性を強調していた。しかし、可変資本の価値と所得としての賃金の関係については、特に立ち入ってはいない。可変資本と不変資本の差異の説明だけにとどまっている。『資本論』の説明も、必ずしも十分ではないが、労働力商品の特殊性が基礎になって、労働力商品への投資が、資本の立場では可変資本での「価値生産物」=付加価値の生産、労働者の立場では賃金収入になる。「資本と収入」の区別と関連である。
 このように可変資本の概念が、「資本と収入」の区別、特に賃金を利潤、地代、利子などと同じレベルの分配範疇から区別される点で、そして資本家と労働者の階級関係の理解の根底に置かれることになっている。そして、「価値生産物」の分割比率として、「剰余価値率」が提起されるのだ。剰余価値率は、付加価値の「分配率」に近い概念だが、「資本と収入」の区別と関連が両者の違いとなる。モリスは、『資本論』の可変資本と不変資本の明確な区別を継承し、その上で剰余価値率を前提に、絶対的ならびに相対的剰余価値の生産を、ごく簡単ながら説明している。
 「マルクスは剰余価値率、つまり剰余価値の形成による比率の詳細で膨大な分析に入る。また彼は、労働日の持続についての重要な主題を扱っている」と述べるだけで、詳細な説明は省略している。その上で「マルクスは絶対的および相対的剰余価値を区別いている。絶対的というのは、労働者の必要な生活資料の生産(必要労働)を超える労働日の生産物のことであり、‐‐‐他方、相対的剰余価値は、新しい技術や機械、向上する技能、労働の組織や統合が、それらにより労働者の生存に必要な生産物のために必要な時間(必要労働時間)を一定の範囲で短縮することによる労働の生産性向上で決定される。」
 このようにモリスは、『資本論』に従い、絶対的剰余価値と相対的剰余価値の生産の区別の上で、資本の剰余価値の生産を説明している。そして、資本の労働者支配については、「一旦は労働者の手に彼の労働の成果がもたらされかも知れないが、‐‐‐資本家にとって必要な手段は、利潤の生産のための単なる手段だと言うこと、それが労働者自身が生きている条件になるのである。道具、機械、工場、流通手段など、総てが生きている機械としての人間労働力を働かせるための媒介手段でしかないのだ。」
 このようにモリスは、『資本論』の剰余価値論を解説しつつ、資本による労働者の支配と組織を明らかにしている。
by morristokenji | 2008-10-05 22:36