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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

近代産業の歴史的地位

 モリスは第20章「近代産業の歴史的展開に関するマルクスの解明」で、資本の蓄積過程を産業資本の組織として総括しつつ、その歴史的展開の本源にメスを入れている。『資本論』の科学的社会主義に基づく、いわばモリス特有の歴史観ともなっている。特に資本主義の「本源的蓄積」についての理解が、エンゲルス流の唯物史観との決定的な差異となっている点、あらかじめ注意したい。
 モリスはまず、「資本主義は、多数の個人的な貨幣所有者が、同じ条件で沢山の労働者を一斉に雇用するようなかたちで始まることは出来ない。」と述べ、『資本論』を引用する。「一人の資本家の指揮の下に、同じ種類の商品を生産するために、同一の場所(望むらくは同一の労働現場)で、同時に一緒に働く労働者の存在が、歴史的にも論理的にも、資本家的生産の出発点を構成する。」
 資本の価値増殖から言っても、一人の資本家が一人の労働者を雇用するのでは、資本家的生産は成立しない。価値増殖からも、一人の資本家の下に複数の、そして多数の労働者の雇用が前提されるのであり、その点が中世のギルド組織との根本的違いなのだ。「この新たな組織形態への変化が、同時に生産のレベルや方法に大きな変化をもたらした。建物、道具、倉庫など、生産手段に格段の費用がかかった。ひとつの屋根の下に労働者が集中する結果は、職人達の性格から、親方が独立する発展でもあった。」
 もともと「ギルド職人の時代の親方は、彼自身より優れた職人であり、仲間より長い経験を持つことで、親方の地位が与えられたに過ぎない。彼は、種類において同じ仲間であり、たんに地位だけの違いに過ぎなかった。例えば、彼が病気になると、工房の組織の中で、何の抵抗もなしに、次の優れた働き手が親方の地位に付いた。」ところが「資本主義の最初の段階でも、親方は労働者としての重要性ではなく(始めは労働者として働いていたとしても)、総て重要性は仕事を統治することだった」
 このようにモリスは、中世のギルドの親方と職人の組織との対比で、資本家と労働者の関係を説明している。労使関係を、たんに労働市場や階級的搾取の関係だけでなく、むしろ産業資本の組織と統合の特殊性から捉えているのだ。そのような産業資本の組織として、「単純な協業」「分業とマニュファクチュア」「機械制大工業」を位置づけ、従って「これらのシステムは、特に他のものと互いに重なっていたことも理解されている」とモリスは解説している。
 モリスは、ここで『資本論』によりながらではあるが、機械制大工業の大量生産の契機として「分業」や「協業」を位置づけ、産業組織の特徴を、中世のギルドと対比している。そして、労働力商品の特殊性を前提にしつつ、「ここから人間の完全な相互関連が、労働者の機械の一部になることによって、労働者の誰もが彼自身では何も作れなくなる。労働の単位が、もはやグループではなく、個人のものになる。」
 さらに分業も協業も、「最終的な発展は機械への転換、分業の完全な工場制度と作業システムの転換に他ならない。新しいシステムでは、労働者のグループは、そのメンバーが手作り技能の特殊な部分を担っていたのに、今や生産された製品のある特殊な部分に帰着されてしまう。そして、これら総て全体が、結合した巧妙な操作の結果隣、労働者の働きとしても、グループとなった機械の働きのアソシエーションに帰着するのだ。労働者は、もはや仕事における主要なファクターではない。彼が使っていた道具が、全体を機械化している動力により、他の機械体系と結合した機械体系として作動しているのだ。」
 「これこそモダンタイムズの現実の機械なのだ」モリスは、道具と機械、工房と工場の差異にもふれ、さらにマルクスとともに、「機械の組織化されたシステムは、その作動が中軸となるオートメーションから伝達されるメカニズムにより交流するが、機械制生産こそ最も発展した形態である。ここでは、孤立した機械に代わり、その身体が全体の工場に満ち溢れる機械の怪物になる。その怪力は、最初はゆっくりしたベールに包まれていて、巨大な足の動きも計測できるが、最後はその計り知れぬ機能器官の急速で猛烈な回転に突進するのだ。」
 最後にモリスは、もう一度ギルドの職人と工場労働者を対比し、次のように結論する。
 「かって労働者は、自分で作った製品を総てコントロールする手作り職人だった。それが、つぎには人間機械の一部になり、最後には機械の召使や番人になってしまう。これら総てにより、十分に発展した近代の資本家が存在するのだ。」
  
by morristokenji | 2008-10-08 16:01