森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

<   2008年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧

貨幣の機能と資本

 モリスは、『資本論』の貨幣の必然性を解明した価値形態論に立ち入ることなく、商品の価値である全面的交換可能性を表現する「一般的価値形態」、そして「貨幣形態」を重視する。価値形態は重要だが、マルクスがヘーゲル弁証法のロジックに拘り過ぎて、却って難解になってしまった価値形態論への深入りを、モリスたちは意識的に避けたのであろうか?ともかく、いきなり貨幣形態を説明し、その上で『資本論』もそうだが、章を改めて貨幣の機能を解説している。
 モリスは、抽象的人間労働による価値規定を前提にして、貨幣による価値尺度の機能を説明する。ここでも、貨幣による購買による価値の実現が強調されているが、さらにここ第16章においては、貨幣の諸機能を順次説明する。
 まず価値尺度については、金が貨幣形態として、尺度機能を持つ点が強調されるが、同時に労働証券など、紙券によっても代位される点にも触れている。その上で、物々交換との対比において、商品の流通形式C-M-Cの定式を提示し、そこでも歴史的に貨幣の蓄蔵から、資本の原初形態を担っている点が、特に強調される。つまり、商品の価値形態は、一般的等価物としての貨幣形態、貨幣の機能は金の価値尺度機能、さらの商品流通の形式も,貨幣蓄蔵から資本の原初形態を摘出する前提が強調されている。要するに貨幣の機能が、資本に強く引きつけられた説明なのだ。
 さらにモリスは、『資本論』に沿いながら、商品流通C-M-Cと資本流通M-C-Mを対置して、資本の説明を試みている。要するに、商品、貨幣、資本と説明しているが、商品の労働による価値規定にも拘わらず、私的所有の前提になるような単純な小商品生産者は一切出てこない。従って、単純商品生産者による、いわゆる単純商品流通として、C-M-C形式を説くのではない。C-M-Cは、単に資本流通M-C-M形式との対比の形式に過ぎない。要するにモリスは、私的所有ー私的単純商品生産ー単純商品流通といった、いわゆる唯物史観の枠組みからの商品・貨幣論から完全に脱皮しているわけだ。
 事実、もともと共同体と共同体の間に発生、発展した商品経済=市場経済では、当初から商品流通は貨幣流通だったし、貨幣があれば資本の流通M-C-Mも、必然不可欠なのだ。だから古代の地中海貿易でも、資本は貨幣と共に、貿易や金融の分野で大きく発展し、都市国家の繁栄をもたらした。資本は、生産手段ではなく、まずは貨幣だし、流通形態だった。唯物史観のイデオロギーから自由だったモリスは、商品を貨幣形態において、貨幣を資本の原初形態として、それゆえに資本を何よりもまず流通形態M-C-Mの一般形式として把握したのだ。
例えばモリスは、史実による裏づけとして、「古代にも一般的な貨幣の蓄蔵の習慣があり、また野蛮人の間でも、交換の形式C-M-Cに必然的に随伴して、資本の芽生えがある」と述べ、家畜が貨幣だった史実を注記している。ここで、すでに貨幣が個人的に社会的権力をもつ。「それゆえ、この原始的社会の倫理では、金銭がありとあらゆる悪魔の具現化とみなされた。」つまり、「貨幣の前期的商業段階であって、---消費をしない商品所有者は、それを貨幣と交換する。」M-C-Mの形式であって、この形式では「交換の目的が量であり、質ではない」点を強調している。
 このM-C-M形式は、「商業活動としては、発展した古典的世界の実践だった。ローマ帝国が崩壊して、続く混乱がこの商業を転換させ、交換を広範に初期のもの、つまり消費される他の商品を買うために貨幣を商品と交換する形式に変えたのである。この形式は、中世の交換の大部分の形式だった。」モリスは、この形式をC-M-C-M-Cとして、C-M-CからM-C-Mへの転換の中間形式として、古代から中世の「出荷を中心とする商人」の活動事例を挙げている。地中海貿易と「封建制度の荘園や共同体、ギルドのある商業都市との原始的な交換とが並んで行われたのだ。」
 古代から中世への商業の過渡的、かつ中間的形式に対し、「近代の商業者は、商業取引を必ず貨幣で始める。例えばインディゴの場合は、現物を見ることなく売買して、自分が支払った額より多くの貨幣を受け取る。」古代の貿易商人と異なり、この過程が堅実に行われ、帳簿上の処理になれば、「商人としての彼の存在はすべてが貨幣である。」ここに「資本家的交換の純粋な形式の例があり、」「その形式はマルクスが与えたがM-CーMである。」
 このようにモリスは、中世の荘園、共同体、ギルドなど、商業活動の史実を挙げながら、その歴史的転換から、C-M-CのM-C-Mへの転化を説いている。ただ、単行本にした『社会主義』では、簡略化のためであろう、史実による裏づけがカットされている。単純な商品流通に資本の流通形式M-C-Mが対置され、Mに加算されるmの増分である剰余の根拠を問うことになる。
[PR]
by morristokenji | 2008-08-20 15:38

商品と貨幣

 モリスは第15章「科学的社会主義―カール・マルクス」では、すでに解説したようにマルクスについて、簡単な履歴とエンゲルスとの出会い、それに『資本論』までの主要な著作を挙げていた。とくに『資本論』の基礎になったものとして、『経済学批判』をあげているのだが、この『批判』には立ち入ることなく、いきなり第一篇「商品と貨幣」の解説に入っている。つまり、『批判』が『資本論』に基礎になったと言いながら、両者の関連には一切何も触れることなしに、「商品と貨幣」を説明するのである。
 しかし、『批判』と『資本論』を比較した時、『批判』には冒頭に有名な「序言」が付いていて、そこではマルクスが自らの経済学の研究の跡を振り返りつつ、唯物史観の定式化を試みていた。つまり、イデオロギー的仮説だった唯物史観を前提し、その枠組みの内部に『批判』を位置づけ、そこで経済学の理論を展開する方法を提示していたのだった。
 さらに唯物史観の枠組みの前提から、「ブルジョア経済の体制」の解明のプラン、いわゆる「経済学批判体系プラン」の一つをを提示していた。すなわち「資本、土地所有、賃労働、国家、外国貿易、世界市場」の6部門編成に他ならない。だから『批判』は、序言の唯物史観の公式を前提に置き、その上で「第1部 資本について 第1篇資本一般 第一章商品」という編別構成のもとで、商品から貨幣が説かれることになったわけだ。
 『資本論』にも無論「序文」がある。そこでは唯物史観ではなく、純粋資本主義の抽象の意義が力説され、さらに第2版には「後書」もつけられた。『資本論』には、『批判』の唯物史観の枠組みが消滅し、6部門の編別構成もなくなっている。そして、「第1部 資本の生産過程 第1篇 商品と貨幣」として、商品から貨幣が説かれているのである。モリスは『批判』が『資本論』の基礎だと言っただけで、むしろ『資本論』の商品、貨幣の説明に入っている点が、まず注目されるべきだろう。
  『資本論』でマルクスは、冒頭の商品論において、2つの商品の交換における等置から、商品を生産するのに必要な抽象的人間労働による価値規定を行っている。有名な労働価値説の論証だが、この論証には早くから批判が集中していた。価値論論争である。ここでは論争に立ち入らないが、モリスもこの価値論の論証の理解に苦しんだようだが、彼は価値規定については、ごく簡単に次のように説明する。
 「若い学生諸君は、マルクスが自ら価値という言葉を、次のような意味で使っている点に注意すべきだ。簡単にいえば、対象化された平均的な人間労働量である。使用価値というのは文字どうりであり、交換価値は、交換される他のあらゆる商品との商品の価値関係である。」
 つまり、2商品の交換による等置や労働価値説の論証のようなものは省略され、ましてや単純な商品生産者による私的所有の基礎付けなど、一切考慮されていない。唯物史観の基礎付けとは無縁な価値規定である。むしろ、交換価値を交換されるすべての商品との価値関係を重視し、価値形態としては貨幣形態の完成形態をいきなり提起したのだ。
 『資本論』からの引用も、「直接的かつ全般的交換可能性、言い換えると一般的なな等価形態であって、それは現在の社会的慣習は、生身の金で具体化される。」抽象的人間労働による価値規定を前提しながら、「全般的交換可能性」としての価値を表現する貨幣形態を価値形態としているのだ。だから、第2章「交換過程」も、交換における価値の積極性を強調している。
[PR]
by morristokenji | 2008-08-16 21:22