森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

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 (5)「賢治とモリスの館」と作並温泉
仙台・作並温泉に森のミュージアム「賢治とモリスの館」をオープンして約5年になる。長年、研究の傍ら、趣味もあって個人的に収集してきたモリス・グッズ、賢治に関連の展示品を一般公開した。特にモリス・グッズは、彼のアーツ&クラフツ運動の精神を伝えるべく、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に彼自らデザインした「グリーン・ダイニングルーム」を模した部屋に展示した。生活芸術としての料理、喫茶を楽しみながらの展示物の鑑賞が、多くの来館者に喜ばれている。
 個人の別荘公開は、モリスのコッツウオールズの別荘ケルムスコット・マナーや、花巻の宮沢家の別荘の羅須地人協会が、念頭にあったからだ。加えて①モリスはテームズ河を遡り、賢治もまた北上川の源にイーハトブのユートピアを求めたように、仙台のシンボルである広瀬川の「上流端」に、小さいユートピアの空間を確保したかった。②300坪ほどの庭には、モリスのガーデニング、賢治の花壇設計のアイディアを取り込み、さらに③庭のコッテージなどエックステリアからインテリア、そしてモリスの装飾芸術とのトータルデザイン化をはかる、こんなコンテンツでオープンした館である。
 9・15・08リーマン・ショック、21c機械文明を代表したGMの倒産など、「百年に一度の世界金融危機」は、大量生産・大量消費の工業化社会の歴史的限界を告げている。オバマの「グリーン・ニューディール」も、代替可能な自然エネルギー利用の低炭素経済への産業構造の転換を要請しているのだ。すでに、太陽光など自然エネルギーとIT革命が結び付いた「スマートグリッツ」が利用段階を迎えた。この転換を、地域の末端で受け止めて、どのように地域の再生を図れば良いのか?デフレの長期化と消費減退で、観光客の大幅な落ち込みに苦悩するのは、仙台の奥座敷と呼ばれる作並温泉とて例外ではない。
 19世紀末、近代社会の工業化を批判して、自然エネルギーを見直し、手作りのアーツ&クラフツ運動を提唱したモリス。彼の芸術思想をイーハトブの理想に託して、宮沢賢治の羅須地人協会は、昭和金融恐慌下の花巻温泉の地熱、北上川水系の水力など、代替可能な自然エネルギーによる農民芸術の「心象スケッチ」を残してくれた。地域再生の鍵を、賢治とモリスの環境芸術に求める新たなアーツ&クラフツ運動こそ、21世紀グリーン・ニューディールの地域実践ではなかろうか?
最後にキーワードにまとめると、①自然エネルギー、②スローライフ、③Crafting Beauty(手作りの美)であろう。
 
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by morristokenji | 2010-01-17 16:04
 (4)「宮沢賢治と温泉展」
 2006年6月から07年2月まで、花巻の宮沢賢治記念館に隣接のイーハトーブ館で、表記の企画展が開かれた。花巻の西方に点在する温泉文化と宮沢賢治の環境芸術、①大地に潜む巨大な地熱エネルギーと、②賢治の「心象スケッチ」によるイーハトーブ設計、そして③公共リゾートの交流空間を構想する、とても魅力的な展示だった。賢治は、自然エネルギーが熱源となった環境芸術の地域コミュニティ空間の設計を構想していたのだ。以下、展示資料から紹介する。
 賢治のガーデニングである花壇設計は、とりわけ花巻温泉との関連が強かった。農学校の生徒達を引率しての温泉旅行だけでなく、大正末からの盛岡電気工業が母体となった「花巻温泉遊園地」のリゾート開発の一環として、花壇設計が行われた。温泉地の土壌改良、植樹植栽の指導、そしてランドスケープとしての花壇設計である。花壇設計のシンボルとなっている「南斜花壇」は、温泉の別荘地に繋がる山裾の傾斜面(第2スキー場)に造られた。
 花壇だけではない。当時、農村改革が温泉観光と連携して提起されたこともあり、賢治は①農業と農村景観の結びつき,②観光旅行の審美的認識の活性化、③地域観光資源の潜在的可能性の再発見を強調し、さらに青森浅虫温泉の例を挙げ「温泉を利用しグラスハウス(温室)を設け、促成栽培を行うこと」を提案した。この温泉利用温室は、間もなく花巻温泉に実現、もやし、イチゴ、西洋花卉などが浴客に供給された、と記録されている。
 宮沢家の別荘を利用してオープンした賢治の羅須地人協会は、賢治の病気で一時中止された。その後、満州事変の勃発で生徒も応召された。再開できず,わずか2年半の活動で終わったが、協会活動の参加者が「花巻温泉遊園地」の開発にも参加し、造園にも従事したとのことだ。単なる「米作り」だけでなく、花壇設計、造園土木、料理、そして楽団や演劇、スポーツまで、広く「農民芸術」として教授した賢治の協会活動の実践は、別荘の「下の畑」の農作業にとどまらなかった。むしろ、花巻温泉の地熱の自然エネルギーを活用して、モリスのアーツ&クラフツ運動を継承発展、昭和金融恐慌下の疲弊した東北農村の改革を、「イーハトブ」のユートピアの理想に近づけようとしたのではないか?
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by morristokenji | 2010-01-16 21:00
 (3)「羅須地人協会」と花壇設計
 W・モリスは1896年ロンドンで亡くなった。その年、地球の裏側の日本の岩手県・花巻で宮沢賢治が生まれた。モリスと賢治、2人の天才芸術家の「生と死」である。ともに詩人であり、文学作品で大きな影響を残した。花や鳥、自然を愛し、生活を豊かにする「環境芸術」家と呼ぶことができる。
 2人の接点はどこか?賢治はモリスから、どんな影響を受けたのか?明治30年代、日本が「坂の上の雲」に登りつめた頃、わが国でもモリスの文芸思潮が影響をもち始めた。白樺派の文人たち、そして初期社会主義の思想家たち、例えばモリスの代表作『ユートピア便り』の抄訳は、堺枯川の手によって「理想卿」のタイトルで平民文庫から公刊されたのが明治37年(1904)だった。
 第1次大戦後、大正デモクラシーの時代、モリスの作品が沢山翻訳された。大の読書家の賢治が、モリスを読まないはずは無い。花巻農学校の最後の頃、そして退職して宮沢家の別荘でオープンした「羅須地人協会」でも、農民(地人)芸術論が講義された。「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やせ」の箇所には、W・Morris"Art is a man's expression of his joy in labar."とメモ書きされていた。モリスが1883年に母校オックスフォード大で講演した至言を、天才賢治は的確に掴み取って自分のものにした。
 花巻の羅須地人協会の活動は、モリスがハマスミスで工芸職人たちを相手にしたアーツ&クラフツ運動の日本版であり、農芸運動だった。田畑の農作物だけではなかった。賢治は、沢山の花壇設計の図面を残している。盛岡高等農林で土壌を研究した賢治は、土作りから花壇設計を試みた。花巻温泉に、対称花壇、日時計花壇を造園、さらに「南斜花壇」も手がけている。賢治のガーデニングである。
 賢治もまた、ガーデニングから農民芸術を生み出した。そして、東北の豊かな自然に根ざした文芸作品が生まれたとすれば、モリスの工芸、賢治の農芸、それらは環境芸術として、文芸世界に美しく花開いたのであろう。そして、芸術を暮らしの中に生かす、アーツ&クラフツ運動の実践が展開されたのではないか?
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by morristokenji | 2010-01-13 21:00
 (2)W・モリスのアーツ&クラフツ運動
 「役にたたないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない」こんなポスターの標語、それに大新聞が共催で広告宣伝したこともあり、「生活と芸術―アーツ&クラフツ展・モリスから民芸」は、大成功だったようだ。08年秋の京都、09年に東京から名古屋へ、平行してもう一つのモリス展も開催され、日本列島はちょっとしたモリス・ブームに沸いた。
 9・15・08リーマン・ショック「百年に一度の世界金融恐慌」によって、金融市場は凍り付いた。サブプライム・ローンから世界のGMの破産で、ローンで家を建て、ローンで車を買い、ショッピングセンターでカードの買い物、そんなローン漬けの大量生産・大量販売・大量消費の見直しの時代が来たのだ。19世紀産業革命の機械制大工業を批判し、生活の中にアートの美しさを取り入れるモリス達のアーツ&クラフツ運動が、ここで見直されたことに不思議はない。
 モリスは、壁紙やテキスタイル、さらにステンドグラスや家具など、「小芸術」と呼ぶインテリアデザイナーとして沢山のファンがいる。鳥や昆虫、バラなどのガーデニングからデザインを発想し、さらに手作りのアートの美しさを、暮らしの中に取り込もうとした。アーツ&クラフツ運動である。その発想の原点こそ、今なおギルドが生き、英ガーデニングのメッカ、コッツウォールズの自然と歴史、産業にあった。自然の美、ギルドのクラフツマンの技、そして水力を中心とした自然エネルギーだ。
 モリスの仕事場はロンドンだった。ハマースミス地区、ハンマー職人の町だろう。手作りの職人・技能者と共にデザイナーとして働いた。しかし、デザインのソフトの発想は、仕事場の前の船着場から船旅で通うコッツウォールズの小さな村、ケルムスコットの別荘の自然豊かな生活だった。「世界で一番美しい村」が、天才モリスの感性、美意識によって、「世界で一番美しい芸術」を生んだのだ。
 モリスは、化石燃料の交通機関を嫌った。ソフトでスローな自然エネルギーの船旅を楽しみ、コッツウォールズの別荘に出かけた。ケルムスコットの別荘には、彼の名作『ユートピア便り』の扉絵のデザインそのままに、120年後の今日もスタンダード仕立ての豪華で美しいバラが咲き誇っている。地域のコミュニティが、バラの手入れを続けているに違いない。代替可能な自然エネルギー、低炭素経済に支えられたアーツ&クラフツ、そこにモリスのユートピアの世界が拓かれるのではないか?
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by morristokenji | 2010-01-11 19:44
** 「自然エネルギー」のテーマで原稿の依頼があり、モリスと賢治の環境芸術の視点で論点を提起したいと思います。

(1)コッツウォールズの自然エネルギー
 NHK・BSハイビジョンで「世界で一番美しい村」と紹介された英・コッツウォールズ、日本からのイギリス観光旅行では、湖水地方やシェクスピアの郷などとともに、ツアーのコースに必ず入る景勝地だ。丘陵や小川の美しい自然とともに、英・ガーデニングのメツカともなっている。広大なマナー・ガーデンから村の農家や住宅の庭づくりまで、ガーデニングの尽きない魅力を尋ねて、観光客が日本からも沢山訪れている。
 「世界で一番美しい村」の魅力は、ガーデニングなど自然の美しさだけではない。自然の美しさが地域の歴史や産業に根ざしているところにある。07年6月、旅行会社の紹介で宿泊した朝食つきの英国風民宿、BBは中規模のガーデニングと共に、数室の寝室が用意されていた。名前はミル・ディーン・ガーデン、このミルだが、言うまでもない水車(小屋)の意味だ。水車小屋で粉を挽き、綿やシルクを紡ぐ。洗面所の鏡の隣には、1815年10月24日(火)の日付けが入った書付が、額入りで飾ってあった。
 200年も昔、水車で製粉や紡績を営んでいた、その工場の建物が、そのまま水力を活用、ガーデニングや観光宿泊に利用されている。翌日、ここの女主人の指示に従って、BSハイビジョンでも紹介していたギルドを訪れた。このギルドは、1902年にロンドンから移築されたもので、親子3代の職人が銀器の製造と販売をしている。NHKは放送しなかったが、中世のギルドとは違って、さらに女性の職人も働く、男女共同参画型のギルドなのだ。
 コッツウォールズとは「羊の丘」の意味があるらしい。自然エネルギーの水力を中心に、羊毛・毛織物工業の生産と出荷で栄えた地域だ。今も草原で羊が遊び、牧羊が地力を支え、その地力がまた英・ガーデニングの美しいバラを咲かせている。自然エネルギーこそが、英・観光産業の発展のエネルギーであることを見逃すべきではない。
ガーデニングでは、バラなど美しい草花だけに興味が集中する。しかし、コッウォールズのガーデンは、キッチンガーデンが不可欠なのだ。マナー・ハウスも、ホテルの食事の野菜は、キッチンガーデン自家製であり、地産地消そのものだ。村のコミュニティは、野菜などの物々交換の共生社会であり、そこに「世界で一番美しい村」の秘密があるのではないか?
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by morristokenji | 2010-01-11 12:56