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by morristokenji

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 マルクス『資本論』を科学しようと務めたモリスだったが、とくに「貨幣の資本への転化」については、歴史の理論化に十部成功しなかった。試行錯誤に苦悩したまま、『資本論』の解説・紹介を終わっているからである。ドイツのヘーゲル哲学に強い、そしてマルクス家とも親しく、エンゲルスの『資本論』遺稿の整理にも関わったと推測されるバックスの協力もありながら、「貨幣の資本への転化」に成功しなかったのはなぜか?それは、マルクス『資本論』そのものに、理論的な不備があったこと、したがってモリス、またバックスも、この転化論を十分には説明できなかった、と言えるだろう。むしろ、のちの『資本論』の専門的研究に課題が残されたのであった。
 しかし、歴史的に「貨幣の資本への転化」にも直結している、資本の本源的的蓄積に関わる「否定の否定」=所有法則の転変については、モリスは『資本論』の理論的混濁を事実上超えることに成功していた。既に前出の補注でも紹介したが、マルクスの晩期において、ロシアのナロードニキ、ザスーリッチからの質問へのマルクスの回答、それ以前に米の人類学者L.Hモーガン『古代社会』の刊行とマルクスの「古代社会ノート」の作成もあった。マルクスの経済学研究の前提にあった、そしてイデオロギー的仮説に過ぎなかった、単純な階級闘争史観に過ぎない「唯物史観」について、重大な見直しを迫られていたのだ。さらに国際的に、社会主義運動をめぐって、近代国家を前提にして、国家社会主義の流れと、ヨーロッパ社会主義の伝統的流れであった共同体的社会主義=ユートピア社会主義の流れ、との対立も胎動してきた。モリスが米のベラミー『顧みれば』に対抗して『ユートピア便り』を書き、ほぼそれと平行して先行「論文」の連載、著作『社会主義』の刊行を試みた背景だった。
 モリス・バックスの『社会主義』刊行の事情からすれば、「唯物史観」を超克するためにも「論理と歴史の統一」のドグマからの自由が必要だったし、同時にそれが「理論と実践」、さらには「科学と思想・イデオロギー」の関係についても、安易な統一のドグマの反省が必要だった。モリスが、第19章「科学的社会主義」から区別し、第20章で階級闘争の「実践」を、そして21章で社会主義の「思想・イデオロギー」を、それぞれ独立させた理由であり、単なる便宜的な取扱とはいえないと思う。
 そこで第20章「Socialism Militant」だが、文字どうりの「戦闘的社会主義」ではなく、表記のとおり「社会主義の戦い」にしておいた。もう少しMilitantな表現がベターかも知れない。しかし、取り上げられたイギリス労働運動など、必ずしも革命主義的ではないし、ましてや権力奪取を目指す暴力革命でもなかった。そこにまた、モリスの目指す社会主義の運動論・実践論の特徴的な意義付けもあるように思われるが、いずれにしても社会主義の実践的運動が、具体的に分析されている。また、運動論・実践論の記述も、科学的理論や経済的運動法則の単なる例証として述べられているわけではない。無論、『資本論』の科学的法則を前提にしてではあるが、モリスはあくまでも社会主義の運動論・実践論として、運動を取り上げようとする。それだけに、例えば各国、各時代、各階層の多様な運動の局面に言及せざるを得なくなっている。そのためであろう、ここでも先行「論文」と「著作」の間には、事実上全面的な書き換えとも言える変更が施されることになったのである。
 そこで先ず、先行「論文」だが、Part1,Part2に分けられていて、第1節では運動論・実践論への入り口として「エキサイティングな課題に入る」と述べている。前章のクールヘッドな理論から、今やワームハートの実践だろう。社会主義の運動論・実践論と『資本論』の科学的社会主義の理論との次元の違いを意識しての課題設定と読むべきではないか。そのエキサイティングな課題として、モリスは「自分が単に純粋な理論の立場に立つことを選ばなければ、社会主義者を自認する総ての人にとって、社会主義の政治的実践に取り組まねばならない」と述べている。
 モリスは、階級対立を意識してと思われるが、「社会主義が、近代生活の総ての関心を含む以上、その時代の深刻な問題の一つであることが理解され始めたが、過去において攻防のあった双方の関係を見ておこう。はじめに防御の側だが、我々が忠告するように言葉を選びたい。と云うのも、今日では支配的で優越した階級が、それ自身で古い中世の支配階級を吸収してしまった以上、そして一旦後者によりその地位が占められれば、最早攻撃の対象を持たなくなるからだ。ある時期、ヴィクトリア時代の中産階級が、その地位にあったが、今や遂に覚醒して、攻撃に転ずべき敵を見ることが出来るようになったからだ。中産階級は、外見上も民主的ではなくなったし、表面的に労働者階級と一体化し、それに従属するに到っているのだ。」
 明らかにモリスは、階級対立に焦点を当てるが、単純に労使の対立に基底還元してはいない。労働者階級の運動を見据えながら、イギリスでの階級関係の現実から、中産階級の立ち位置を重視している。その上で、中産階級の階層分化、経済的地位、政治的動向を、具体的に分析している。そして、「全体として、中産階級にとり利便性の水準は向上し、むしろ良好だった時以上の財力を得たにも拘らず、今やそのその力や所有地を失うことに恐れを抱いている。そして、労働者が団結することを学び始めたし、また良くなってもブルジョアよりは劣った地位に甘んじてしまった後者、中産階級と連帯し始めている。」
 さらに熟練工芸技能者、不熟錬労働者、常用雇用者と非常用雇用者への階層分化、それに対する労働組合の対応についても「労働組合が何時も不況に対し十分強く闘っているかも疑問だ」と指摘するのを忘れてはいない。モリスは、労働組合主義には明確な一線を引いている事が判る。こうしたイギリス労働運動との関連で、さらにPart2ではマルクス・エンゲルスが指導した第一「インターナショナル」の組織に触れながら、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、デンマーク、ロシア、オーストリア、イタリー、スペイン、そしてアメリカについては、「運動は最近ドイツからの移民の手に完全に移ってしまったが、近年は階級闘争が著しく発展した。」と述べ、ヘンリー・ジョージの著作や「労働の騎士」団の結成にも触れている。
 その上で、「ここで、我が英国に戻るが、運動は社会主義者の組織の枠を超えて拡大している。もっとも、それは講演会の聴衆の数、雑誌やパンフの発行数だけに過ぎない。実際、ここでの運動の力は知的な側面であり、行動の組織力は限られている。」にも拘らず、社会主義思想の範囲が広がり、政治的な影響、労働運動の質的変化にも触れながら、次章につなげようとしているのである。
 こうした先行「論文」に対し、「著作」では、もっぱらイギリスの動向に限定して、運動論・実践
論が説かれている。こうした内容の変更の理由は、特に説明されてはいない。恐らく、上記の各国の
運動の紹介などについて、説明が不十分に終わった点などに配慮したのであろう。社会主義運動の主体の形成や発展に関し、自ら実践に直接的に関わっているイギリスについて、個別具体的に分析する方法を選んだのであろう。同時に先行「論文」では、上記のとおり2つの節に分割していたものを一まとめにして1つの章としたのである。
 このようなモリスの第20章の処理は、誤りではない。運動論・実践論としては、当然の処理だったといえる。第19章のように、『資本論』の解説・紹介という形で、資本主義生産方法の支配的な経済法則を理論的に解明するには、純粋資本主義と呼ばざるを得ない抽象が必要だし、その法則解明に際して、先進国イギリスの事例が表象されなければならなかった。しかし、科学的な理論である以上、一般的な法則の事例であって、個別具体的、また歴史的な事例ではない。論理と歴史、そして理論と実践を区別しようとしたモリス、そしてバックスの方法的見地からすれば、ここ運動論・実践論としては、社会主義の運動について、その歴史的変化、個別具体的な発展を重視せざるを得なかった。だからこそ、「著作」ではイギリスの運動に即し、個別具体的な分析に徹する方法に整理することになったのであろう。
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by morristokenji | 2010-12-31 13:02
 第19章のタイトルは「科学的社会主義:K。マルクス」であり、もっぱら『資本論』の解説がおこなわれている。エンゲルスからは、センチメンタルなユートピア社会主義者と呼ばれていたモリスだが、バックスと共にモリスは、はっきりと自らマルクス主義者であり、科学的社会主義者と自認しつつ、『資本論』の解説に臨んでいる。このようなモリスの立場からすれば、マルクスの思想や理論が、既にこの時点において、一方のマルクス・エンゲルスの流れ、それと他方のマルクス・モリスの社会主義、この2つに大きく分岐しているのである。
 そうしたマルクス・モリスの立場は、マルクス『資本論』の紹介・解説にも、端的に現れている。すなわち、初期マルクス・エンゲルスから『経済学批判』まで維持されていた、イデオロギー的仮説に過ぎない「唯物史観」を先ず前提し、その「唯物史観」の枠組みの中に、『資本論』の論理を埋没させる方法は採らなかった。『資本論』の論理は、機械制大工業により確立し、それによって組織化された資本主義生産方法の自律的發展の論理が、紹介・解説されている。そうした方法により、歴史と論理の関係も分離され、歴史の発展に対する新たな見地、歴史観が提起されることになっている。モリスの「社会主義」に他ならない。
 論理と歴史の関係だけではない。イデオロギー的仮説に過ぎなかった「唯物史観」を、『資本論』の論理により捉え返すことから、理論と実践、科学とイデオロギーの関係についても、①論理と歴史、②理論と実践、③科学とイデオロギーの三位一体・弁証法的統一といったドグマが否定される。実践面での社会主義運動の発展が、第20章Socialism Militantで説明される。そして社会主義の思想は、マルクスの理論を基礎に独自の社会主義論として、第21章Socialism Triumphantにおいて、具体的に展開されることになる。科学的社会主義は、エンゲルスなどの「唯物史観」に解消された「社会主義的科学」ではない。『資本論』の科学により基礎づけられた社会主義イデオロギー、つまり「科学的社会主義」として、人間解放の主体的実践の意義が説かれるが、それらについては後述しよう。
 ただ、第19章では、『資本論』が40ページに及ぶ量で紹介・解説されている。先行「論文」の段階では、既に紹介したとおり第15章から第21章まで、『資本論』の内容が7章にわたり細分化して解説されていた。ところが「著書」においては、7つの章の全部が第19章に一まとめになっている。無論、モリスの方法的立場は、ここでも堅持されているが、ただ説明上の便宜かと思われるが、若干の変更が施されている。しかも、変更の内容に関しては、単なる改善とはいえない変更も認められる。そこで以下、主な変更箇所を取り上げて、検討してみたい。 
 まず、商品、貨幣、それに続く「貨幣の資本への転化」についての説明に変更が見られる。『資本論』の特色は、資本の概念を古典学派や近代経済学派のように、単なる生産手段や「体化された過去の労働」ではなく、流通形態としての貨幣、その増殖(運動)体、そして運動の「一般的形式」をM-C-M'とした点にある。モリスも商品、貨幣を説明するが、貨幣の機能については、商品についても同様だが、ごく簡単な要約に止めている。商品の価値については、労働による価値規定、貨幣も価値尺度、続く流通手段については「この長くて重要な章で、流通する貨幣、通貨の理論に関して(マルクスが)かなり長く詳細に論じている」とだけ触れ、いわゆる「貨幣としての貨幣」など、先行「論文」での歴史的説明などがカットされてしまった。カットの理由は不明だが、貨幣から資本への歴史的な転化、いわゆる「本源的蓄積」の歴史過程への説明などに入り込むのを避け、出来るだけ簡潔な形で理論的解説を試みたのであろう。歴史と論理とを分離して、純粋に理論的展開を図ろうとしたのではないか?
 そして、いきなり「貨幣の所有者は、彼の商品をその価値で買わねばならない。そして、過程の目的は剰余の実現であるにも拘らず、彼は商品をその価値で売らねばならない。」として、いわゆる等価交換の前提では、商品の貨幣による売買だけでは、貨幣が資本に転化し、価値増殖が出来ないという矛盾を設定する。この矛盾が解決されるためには、多くの『資本論』解説書の説明と同じように、ここで労働力商品を提起し、その特殊性である労働力の使用価値が、必要労働を超えて剰余労働を提供できる特殊性から、資本の価値増殖を説明している。このようなモリスの「貨幣の資本への転化」論は、『資本論』の解説として決して間違いではないし、資本の前提に貨幣を置き、流通形態として資本を説明し、その上で労働力の商品化を提起、その特殊性から資本の価値増殖を説く方法は、大筋としては的確な説明だろう。
 ただ、後の『資本論』研究、特に日本での研究成果などからすれば、先行「論文」の段階で価値尺度、流通手段に続く「貨幣としての貨幣」で、資本の出発点としての「貨幣」の特性、さらに流通形態として資本を単純流通C-M-Cから説こうとしていた説明が、すべてカットされたのは改善ではなく、むしろ改悪ではないかと思う。そのため『資本論』が、資本の運動の「一般的形式」を、上記のとおりM-C-M'として流通形態としていた意義が、希薄になってしまったのではないか。流通形態としての資本は、価値から価格の乖離、絶えざる不均衡の均衡化から、商業活動や金融活動が必然的だし、個別資本的には価値増殖が十分に可能である。しかし、社会的かつ総資本的には、言い換えるとミクロではなくマクロ的には、産業資本として労働力商品の利用が不可欠になる。こうした流通形態としての資本の運動の解明の理論的詰めの説明が、「著書」では欠落している。そのため後述のように剰余価値論の後、「剰余価値の資本への転化」の説明に入る箇所で、再び貨幣の機能、そして資本への転化の説明を、繰り返さざるを得なくなってしまったのではないか。
 以上モリスは、「貨幣の資本への転化」の説明を簡単な要約にとどめ、むしろ労働力の商品化と、その特殊性について多角的に説明する。その上で、資本の価値増殖の説明、剰余価値論に進んでいる。ここでは、資本が市場を通して商品化された労働力を支配し、資本家的生産方法として、組織的に統合している社会的特質が解明されている。特に、協業―分業―機械への生産組織の発展による、賃金労働者の組織的統合を、中世の職人・クラフツギルドとの対比において特徴付けている。その上で、工場制手工業としてのマニュファクチュアーから、機械制大工業の歴史的意義が強調されている。こうした説明は、ほぼ先行「論文」の説明を引き継いだものだが、モリスらしい『資本論』のユニークな解説になっているのではないか。
 ところが、機械制大工業による資本家的生産方法に基づく剰余価値生産の確立を前提にして、「剰余価値の資本への転化」、つまり資本の蓄積過程の説明に進むところで、モリスは突然に上記のとおり貨幣論に立ち戻る。「今や我々は、商品の流通を考える必要な点にやって来た。」この箇所が、先行「論文」から「著書」への大きな変更箇所であり、ここでも補足的説明が必要だろう。
 モリスは、特に変更の理由を説明していないが、「貨幣の資本への転化」は、確立して自律的に運動している資本家的生産方法では、例えば一般消費者が貨幣を貯蓄して投資するのではなく、資本の蓄積に際して、蓄積資金を貯蓄し、投資して資本の蓄積を図る際に見られる。剰余価値の実現による「貨幣の資本への転化」の過程に他ならない。『資本論』でも、流通形態の資本である以上は、必ず資本の蓄積も、貨幣による蓄積資金として、剰余価値の資本化が具体化するとしている。従ってモリスは、「貨幣の資本への転化」は、貨幣論の単純流通から資本の形式をとく方法より、資本の蓄積に先行して説明するのがベターだと考えたのであろう。
 ただ、モリスの説明は、いきなり貨幣論に戻ってしまい、価値尺度や流通手段の機能、さらには「貨幣としての貨幣」の貨幣蓄蔵が「資本の芽生え」だった説明など、先行「論文」の内容とほぼ同じものが繰り返されている。さらに、ここで商人資本や金貸資本などの前期的資本の運動についても触れ、再び労働力商品による価値増殖の根拠を問いながら、剰余価値論の展開を、ここで再び繰り返えしている。その限りでは、剰余価値論の説明がダブッてしまっているのであって、再整理が必要と思われる。恐らくモリスは、「貨幣の資本への転化」の理論的詰めが不十分なまま、剰余価値を実現するための貨幣を説明しようとして、貨幣論まで立ち戻り理論的模索を続けざるを得ないまま混乱したのであろう。
 資本の蓄積過程については、先行「論文」とほぼ同様、蓄積過程の具体的内容には立ち入らず、省略されている。むしろモリスは、『資本論』の最後の「いわゆる原始的蓄積」について、立ち入っているのであるが、それは『資本論』の内容の紹介に留まらず、資本主義社会に先行する社会体制、そしてポスト資本主義社会への展望について、マルクスの説明の不備を指摘しつつ、批判的コメントの注記を付している。この注記は、初期マルクス以来のイデオロギー仮説であった「唯物史観」を超克するための重大な示唆が込められているのであって、ここで特に立ち入って検討しなければならないだろう。
 『資本論』第1巻の最後に置かれた、いわゆる「本源的蓄積」だが、モリスが利用した仏語版では、独語版と異なり「第8編本源的蓄積」として、独立の編別が与えられた。それに関連すると思われるが、独語版の第2編「貨幣の資本への転化」も、仏語版では「資本の一般形式」など、各節が章に格上げが図られている。要するに、理論的に純化された形での展開が強まり、理論を歴史的過程から分離する編別構成上の改善が施されたと言えよう。その点では、『批判』まで残っていた論理と歴史の統一の「唯物史観」から、『資本論』の純粋資本主義の抽象への方法論的脱皮に関連して、マルクスの理論的苦闘がなお続いていたことが分かる。モリスもまた、上述のとおり「貨幣の資本への転化」については、十分理論的整理が付けられぬまま、かなり混乱した処理に陥ってしまっていた。恐らく、エンゲルスなど、マルクス派の内部でも議論が続いていたものと推測される。
 そこで「本源的蓄積」の内容だが、モリスは「本源的蓄積の秘密」の初めにある有名な一節「本源的蓄積が経済学で演ずる役割は、原罪が神学で演ずる役割と、ほぼ同じようなものだ」を引用する。さらに「要するに暴力が大きな役割を演じている。穏やかな経済学では、はじめから牧歌調がみなぎっていた。はじめから正義と<労働>が唯一の致富手段だった。---実際の本源的方法は、他のありとあらゆるものではあっても、どうしても牧歌的ではなかった。」これは、A・スミスなどが描いた単純商品生産者の「文明社会」に対するマルクスの厳しい批判だろう。
 モリスは、さらにマルクスに従い、本源的蓄積の具体例として、イングランドでの「土地囲い込み運動」などを挙げ、こう述べる。「マルクスは、そこで近代的な資本家的農業の誕生を描写し、都市産業での農業革命の反動や産業資本のための国内市場の創出に触れる。その矛盾を生み出した資本家的蓄積の歴史的傾向についての章に続き、将来社会への関説として、ここで以下の文章を引用しておく必要があろう」と述べ、例の「領有法則の否定の否定」、つまり所有法則の歴史的転変の箇所を引用する。
 そこで、所有法則の歴史的転変だが、『資本論』とくに仏語版では、上記のごとく純粋資本主義の論理と資本主義の歴史的発展の区別が進んだものの、なお「本源的蓄積」を含む歴史的発展過程の説明では、まだマルクスが「唯物史観」のドグマに拘りを持ち続けていたのであろう、「否定の否定」が述べられている。
 ここで改めて紹介するまでもないと思うが、エンゲルス『空想から科学へ』の「唯物史観」に基づいた所有法則の転変の内容を図式化すれば、次のようになる。
 すなわち、①単純商品生産者を事実上想定して、私的・個人的労働に基づく私的・個人的所有、その否定として②資本家的生産方法では、生産の社会的性格に基づいて、私的・個人的所有との矛盾が設定される。この基本的矛盾が、「否定の否定」により、③生産の社会的性格に基づく、所有の社会的性格=公的・社会的所有への転変により解決を見る。この所有法則の転変こそ、レーニンにも引き継がれ、「唯物史観」の公式としてドグマ化されたのだ。
 ただ『資本論』では、定式の内容のニュアンスが微妙に違ってくる。マルクスに迷いがあったのかも知れぬが、①については、所有者の「自己の労働に基礎を置いた個人的的所有」とも、あるいは「各個人の自己労働に基づく分散的な所有」とも、表現されている。モリスは、この点に関し重要な批判的指摘を注記しているのだが、次の②資本家的生産方法に基づく「資本家的個人的所有」は、社会的生産に基づく私的・個人的所有とされ、その「否定の否定」である③のマルクスの「将来社会」の説明には、不明瞭な点が持ち込まれることになっている。
 すなわち、先ず一方で「私的所有を再現するのではないが、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくり出す。すなわち、協業を基礎とし、土地の共有と労働そのものによって生産される生産手段の共有とを基礎とした個人的所有」とする。その上で他方では、公的所有である「社会的所有」とも述べているのだ。要するに、生産手段の共有を基礎とした個人的所有なのか、それとも社会的所有なのか、あまりはっきりしない。こうした不分明、不明瞭な点から、私的所有ではなく「個体的所有」であり、さらには独特な「市民社会」的社会主義論が主張されることになった。
 要するに、マルクスのここでの説明は、土地や生産手段の共同所有を前提とした個人の労働による所有なのか、それとも私的・個人的所有を否定された公的・社会的所有なのか、はっきりしない叙述なのだ。資本家的生産方法を否定した、共同体的生産方法のもとでの個人の労働と所有、それと国家権力を労働者が奪取して、所謂プロレタリア独裁型の国有ないし公有のもとでの労働の配分なのか、ここでは明確な区分がないまま論じられているのではないか。その点では、マルクスの「否定の否定」としての所有法則の転変は、その内容が混濁したまま、曖昧になっているのではないか。この曖昧さは、そもそも、①の先行する前資本家的生産方法の設定自身に問題があるのではないか、モリスは以下のように特別な注記を付して、論点の提起を試みていたのである。
 すなわちモリスは、上記「各個人の自己労働に基づく分散的な私的所有」(「著作」では「所有者の労働に基礎を置いた個人的な私的所有」)の箇所について、わざわざ注記している。この注は、文章は短いながら、内容的に極めて重大な意味があるのであって、モリスの原文と共に、全文ここで紹介しよう。
 「ここで使われているような語句を、誤って理解しないことが重要である。<中世>期における労働は、メカニカルな場合でも、個々別々に行われていたのだが、精神的な面から見れば、連合・アソシエーションの原理によって、かなり明確に支配されていたのだ。つまり、我々が見たとおり、その時代の親方・マイスターは、単なるギルドの代表に過ぎなかったのである。」
 ”It is important not to misunderstand this phrase as used here.The labour of the Middle Age, though individual from its mechanical side,was from its moral side quite definitely dominated by the principle of association ; as we have seen, the "master" of that period was but a delegate of the guild."
 ごく短い注記に過ぎないが、きわめて重大な意味が含蓄されている。
 第1に、もともと先行「論文」にせよ、「著作」にせよ、全体的に注記は多くない。内容の補足を超えて、内容の理解に関わる注は、殆ど見当たらない。ここの注記は例外であり、しかも『資本論』の資本蓄積論に関わり、歴史的傾向の「否定の否定」の内容的理解に関わる点で、重視せざるを得ない注記といえる。
 第2に、モリスの表現は慎重であり、『資本論』を直接批判しているわけではない。「誤解」を恐れての注意書きのスタイルだが、その内容は上記①に関わるものと言えよう。つまり、単純な商品生産者を事実上想定して、その自分の労働による商品生産物の自己所有としての私的・個人的所有という「唯物史観」のエンゲルス流の公式を、ここで真っ向から批判しているのだ。物理的に、メカニカルに見て個人的労働でも、その労働は共同体の内部で、ギルド組織のもとで、「精神的な面から見れば、かなり明確に連合・アソシエーションの原理」に基づく点を強調している。つまり①は、村落的・ギルド的な組織の労働であり、生産物もその所有であって、そうした共同体の組織が前提になり、市場の取引も共同体と共同体の間に成立するに過ぎないのだ。
 第3に、モリスが①に付した注記は、③の「否定の否定」とも関係せざるを得ないだろう。マルクスも③に関して、上記のように共同体的な労働、生産手段の共有を前提とする、共同体の復権を事実上想定していた。生産の社会化に基づく「社会的所有」は、プロレタリア独裁で権力奪取した国家社会主義タイプの公有・国有ではなく、文字通り社会的な共同体的所有を考えていたのではないか。このような③における共同体の復権との関連で、モリスは①の生産と所有についても、ここで共同体のギルド組織を明確にして置きたかったのではなかろうか。
 以上モリスは、資本蓄積の歴史的傾向の「否定の否定」について、マルクス・エンゲルスの「唯物史観」の公式に見られる単純商品生産を出発点とした所有法則の転変を、注記の形ではあるが、実際上否定したのだ。そして、村落共同体やギルド組織に基づいた歴史的転変の見地を提起しようとしていたのであり、その見地をマルクス『資本論』の純粋資本主義の経済的運動法則により根拠付ける形で、自ら「科学的社会主義」を主張したのだ。
 ただ、「貨幣の資本への転化」に関しては、経済学が専門でなかったモリスにとって、歴史の理論化の試行錯誤に苦悩せざるをえなかった。問題を未解決のまま残してしまった、と言えるだろう。しかし、労働力の商品化による賃労働に基づいた、機械制大工業の組織による大量生産・大量消費のシステムからの歴史的転換を、モリスは中世ギルドの組織に学びながら、新しいコミュニティの復権に求めたのである。『資本論』の論理を前提に、歴史の転換への新しいアプローチを提示したのだ。
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by morristokenji | 2010-12-23 17:51
ローマの軍隊は           
            第21章(つづき)、「シティについて」
 
 (つづき)
 汚物や埃が最小限に減少したとして、我々は残留物は少ししか残らないと思うが、関連の僅かな残留物の負担は、どれほどだろうか?問題の工場、例えば鉄工場であるとして、2つの方法があり、どれかが選択される必要がある。第1は、無秩序や汚物から完全に離れている郊外の安息を残す利益があるだろうが、厳しく制限された相対的に小さい黒煙の工場地帯で臨時に働くボランティアを確保することである。第2は、どこにも不利益が殆ど感じないように、大きな領域に工場を小規模に分散してしまうことである。これが、まあまあ我慢のできる環境で生活のために働く者が獲得できるものだろう。
 同じ種類の困難には、町でも出会う。住宅の沢山の集中は、絶対に必要ではないだろう。今、これらについて二種類ある。第1は、工業都市であり、これは数は少ないが、商業に関連した特別の産業以外の中心として重要である。マンチェスターが、この種の大都市の明らかな例である。成長しすぎた都市のもう一つの種類は、大きな首都の例であり、中央集権化した政府、一般的な金融機能、付随的かつ結果的な知的活動が基本的な中心地である。例えば、大英博物館、ルーブル、ベルリンの王立図書館、またドレスデンの美術館などは、首都以外では存在できないだろう。工業都市については、前に述べた工場の作業の理論のどれに従っても、不必要だろうし、他方では行政や金融のセンターも巨大な人口を集め、それを一緒に維持する巨大センターがある必要は無かろう。それゆえ、将来は町や都市は、住宅街の単に便利で快適なシステムを建設し居住すればいいし、むろんそこに総て望ましい公共的なビルも含まれよう。
 もう一度我々は、近代的な町、産業的、あるいは首都の新しい社会的状態に適合する幾分実体的なものへの移行に関する3つの理論を提起する。第1は、なお存在している大きな町は残されるだろう。しかし一定の面積での人口は制限される。それは清潔と風通しが良い様に、庭で家や周囲が隔てられる環境が強制される。上品な公共建物が建てられ、劇場、図書館、工房、居酒屋、台所など、あらゆる種類の教育施設の維持である。この種の町は、かなり大きいし、そこに住んでいる生活も変化するけれども、今の家の規模や配置は様々かも知れない。勿論そうした場所に住む共同体は、前に述べた制約、どんな個人も団体も過度な地域の独占は許されないが、全くボランタリーであろう。
 今日の無計画で無秩序な町についての第2の提案は、主には多かれすくなかれ古いわが英国の大学のカレッジの計画で建てられた結合住宅の計画を実現的に廃止、止めさせる提案だ。その規模は相互に利便的に決定されるだろうが、しかし傾向としては、大きく造れば造るほどに、それら自身は小さな町になってしまう。なぜなら、知的な相互交流の必要なやり取りを育成するためには、大きな人口を抱え込むことになるし、普通の職業や娯楽のために、多かれ少なかれ独立しなければならなくなるからだ。
 この居住のシステムは、単なる奇形になってしまう傾向があるけれども、それは全く小規模のグループの存在や、それに適した家も排除しないと理解される。
 でも、別の示唆も、以下のように描写されている。コミュニティのセンターは、様々な公的建物を含む、恐らく全体が開かれた場所にグループ化された大きな住宅のある、小さな町として描くことが出来る。そこで、家の並びは次第に数が減るので、段々スペースが広がってくる。遂には、上記のカレッジのいくつかを含み、住居も散在するまで田園が到達するだろう。
 我々は、示唆を供給し続けるけれども、上のように、そこでは逆の分類も生ずるかも知れない。けれども、明らかに我々自身の先入観の産物なるがゆえに、我々が提起したことで全く十分だと考える。しかし一つ、こうした計画は総てが原則の問題、例えば都市と田園の間の矛盾の解消、また一方のために他方の外に生活を吸収する傾向などは、当然のことだと思うに違いない。
 教育については、一方で商業的成功の生活のために備えたり、他方で無責任な労働は止める必要もあると、心に留めるべきだろう。いずれにせよ、どちらの場合も、短期間のおざなりな、多かれ少なかれ下劣な特定の目的のためだからだ。むしろ、彼が生まれついた気質に従った総ての方向で個人の力のベストを尽くすのが習慣になろう。そうすれば、彼が生きている間に、誰も教育は完成されないだろうし、彼の早期の訓練も、今はしばしば大部分そうなってしまうが、単なる無駄なこととして彼の背後に置かれてしまうことはないだろう。
 我々が述べてきた事では、我々は「社会主義の勝利」の基本原則の若干しか扱わなかった。そこから結果する生活のある面は、もっとも表面的なことだ。しかし、我々は事態の新しい秩序の中で、我が信念だけは明確にするよう努力してきた。誰も間違った義務観念により妨げられない以上、誰でもが心の平和や安全な行動を、それにより規制する広い考えを持てるであろう。彼は、最初に身体的に希望する満足の喜びを見出すだろうし、それから知的な、道徳的な、そして人間は身体だけでなく不可避的に生ずる審美的欲求、そして切迫した説得活動による空しい戦いで彼の精神を疲れさせはしない喜びである。そこで、彼にとって必要なのは、いつも生きるために働くことであるが、総ての彼の仲間と公正な比率でその労働を分かち合うことだろう。そして、さらに最後的には、単なる苦痛な骨折り仕事から彼を救出するために、自然を克服することが出来るだろう。彼のエネルギーの喜ばしい行使に、人間の様々な能力の正当な観察や機会の賢明な活用によって、労働の何が残るのか?そして、休息と仕事の間に、少なくとも悪いことを自分のせいにしないで喜ぶことの出来る、幸福な生活に導く、倫理的な考えが普及する中で、良好な階級のより知性的なものに属すると考えられる者に憂鬱なことを脱ぎ捨ててしまう心の習慣、である。
 外部環境については、未来社会は十分に豊かであり、有用物として許容されるだけの物の生産から労働を割くことが出来て、生活の品位を高められる。それゆえ、総ての工業も秩序よく、また清潔な仕方で行われる。そして、地球の表面は美しくなろうし、人間の労働や居住では差別されない。もう一つの専制も打倒され、都市への過密や膨張での生活の強制も救済される。我々の住宅も環境も合理的な仕方で処理されよう。
 教育は、最早意欲のない子供達の幸運な詰め込みのためや、またキャリアーを積むための過程に従うだけで、教育されるよりほかの事を強く希望する若者には、適用されないだろう。そして、最大の自然的な許容力のある人に対してさえ、最高に重大な仕事の一つになるだろう。そうした生活は、新しい秩序の反対者、意地の悪い有名人と同じ科学者は、前進する「社会主義の勝利」を見るふりをしているのとは反対に、非常に美しいことが明らかである。しかし、我々は確信を持って、この生活が総ての人に一般的に幸福だし、奴隷の基礎から解放されて、世界中に推進されるだろう。それでも、世界は完全には、それが生み出さざるを得ない、またそれが総てにおいて有益であることを結果により見る、緩やかで自然な強制を、全体的に意識しないであろう。
 我々は質問されるかも知れない。これらの章を通して、意識的に進歩の教義を示してきて、では結果的に社会主義は何を進歩させるのだろうか?我々は、ただ次のように答えることだけは出来る。社会主義が、人間の進歩の終わりを否定し、我々がいま社会主義として受け入れている、その特殊な「形態」が、その性質のアイディアを作ることは出来ないが、さらに一層新鮮で、より高度な発展の道を必然的に提起しなければならないこと。これらの発展は、そこで我々が生存し、それゆえ我々にとってそこが最終ゴールとなる、我々の目指してきた社会主義に違いない、その未完の闘争により隠れている。我々は、人間の理想や熱望にある制限をすることを期待する、まさに最後の者だろう。しかし、我々が予見できる「社会主義」、それは今まで到達できなかった知的幸福や喜びのエネルギーの水準に人間を引き上げることを約束しているのだが、それは我々に対し、行動に対する動機や熱望のための理想としては、十分なのだ。

          「都市」について(第2章参照)

 ヘブライ史の中で、テキストに関連する点として、単なるブルグBurg、またはエルサレムの初期の要塞の丘と、後の発展した聖都、連邦国家の初期の地位として、敬虔なヘブライ人の眼には犯罪的でもあった分裂との間に、理念の混乱があったのに注意すべきだろう。同じことは、初期ギリシャの系図史や、タイプとしてアテネにもあろうが、明らかである。アイスキュロスの3部作のような偉大な悲劇が、これを説明しているが、実際の都市は、エウメニデスにおける背景に、その部分が演じられる。ここから、我々は3つの都市、トロイ、エルサレム、アテネが、新しい社会のセンターとして明白に宣言し、部族や  の騒動をはっきりと克服した。けれども、これらははっきりしたケースであり、同じことが古代文明の成長する世界の全体に進んでいた。東方の君主は、近づいて見ると、都市の連合を圧縮したことが分かった。これらは、都市がある程度の個性を保って形成された限り、繁栄した。しかし、その生活は、君主制や専制的な中央集権により破壊された。結果として、彼らの形成した体制は、周囲の未開な部族、アッシリア人のアカディアのバビロン、アッシリアに変わりメデスにより破壊されたり、中国やエジプトのケースのように、巨大な活気のない官僚制に停滞してしまった。後者の生活は、メンフィスやテーベなどの都市の張り合いの中に存在したし、ペルシャの侵略の時代とアレキサンドリアのギリシャの都市のプトレミーの下での上昇の間の休止期であった。
 端的に古代世界では、何処でも都市の優勢により襲われた。チュロスは強大だし、カルタゴは帝国、否、単なる建物や寺院、いわゆる都市の組織の物的集合が極めて重要だし、領域は単なる農地化保養地である。長い壁がリサンダーのフルートの義務となり、アテネはドリアン人の属地になるし、カルタゴの城壁は破棄され、巨大なセミティック帝国は、総ての強力な都市の王国の一部になる。何処にも、都市がエネルギーを結び合わせて独立し、連帯し、統一し、成長するところはないし、人々が道徳的に傾倒するような目標を供給して、意欲的に形成するようなところが無いのである。
ここで、この時期全体で、倫理や宗教が、同一水準で成長していた点に注意すべきだろう。初期未開状態では、社会と自然に区分が無かった。人間は独り理性的タイプだった。神は完全に人間の姿をしていたし、ホーマーのデリケートな詩の中でもグロテスクなばかりにそうだった。人間が総てだったし、残りは彼と同質だった。自然神は社会の先祖だったし、種族や部族の長も最高者からの単なる授けものにより全く素直に受け継いだ。ヘラクレス、ジュピター、マルス、ウォドンは、ギリシャ、ラテン、またゴシックの生活に対しての外部的な力ではなくかなり世代的に遡るが、真に物的な祖先だった。彼らの最も悲劇的な話は、冒険小説もしくは文学的創作とは看做されズ、むしろ霊感を受けた歴史作品と看做されて、世界中が見てきたし、見続けるであろう、最も高貴な詩の中に体現されたが、アトレゥス若しくはウオルスメックの現在の子供の系統樹の花と言う、偉大な物語のエピソードだった。この人間が、どんなものでも繊細か、そうでないか、また活気があるか、そうでないか、を確認したがる傾向は、またトーテム崇拝でも明らかだし、また一夫一婦もしくは一夫多妻の制度の初期の欠如の理由が必要とされた。神それ自身は、堕落することなく、鳥や獣の形、つまり氏族の代表が恥ずかしくも無しに、熊や、狼や、鷲から名前をとったり、代わりにグループ全体に名前を与えたりした。また、ヘブライ人の中に、いわゆる家長が実際に自然神であることが明らかだし、代表の名前がしばしばバール「Baal」、つまり「神」と云う語を合成したし、後のオーソドックスな時代の歴史家によりBaalをElあるいはJaに転換することにより、ヘブライ族の神の特別の名称である事実が単純に認識された。同じようにアブラハムはゼウスまたはジョーブのように高貴な天国である。
 この宗教の線は、古代文明の時代にも繋がっている。国家と宗教は一つであり、寺院がお祝いや法律や、事業の一般の行事に使われてきたように、他でも示されていた。端的には、古代世界では、宗教は祖先崇拝であり、士族やPeodが都市に席を譲るに従い、都市崇拝に発展し、そこに於いて個人が「神聖都市」の一部としてより上層な生活を感じたし、  それらを総て優秀で栄誉に導くと感じたのである。
 東方の都市連合は、大専制君主の最後の時代に現れたように見られるが、不道徳なばかりか、元気もない官僚制のうちに没落したと述べておいた。アジアから、文明の主導権はヨーロッパに移り、人間性の進歩は、速度を増し輝いた。しかし、古代文明は不完全で、政治的、文化的に寡頭政治に立脚しており、粗野な産業上の奴隷にもとづいていたので、改革の法律を準備せざるを得なかった。ギリシャの都市は、彼らの間でのその世界でのリーダーシップを握る激しい闘争の末に、古い都市崇拝に代わって、地位と名声のための個人的貪欲により没落崩壊した。彼らの崩壊は、生活の目標を個人の尊厳や道徳性に置き、彼はその一部に過ぎない社会のそれに変わって、個人主義的な倫理の新たなシステムにより助けられた。 こうしてギリシャ文明は、暴君の手中に落ち、再び主導権が西方に移りローマの手に移行した。それは、最も完全で、自己完結し、都市社会の強力な発展でもあった。しかしまた、その力が成長し、寡頭政治の富が伸びると共に、運命が待ち受けていた。大きな奴隷所有者、徴税資本家の飽くなき貪欲、古代世界の征服者は、彼らを混沌の状態に導いたし、そこから抜け出るには帝国の官僚制に依らざるを得なかった。後者の機能は、一方では怪物的な富をめぐる競争者達の平和の維持のため、他方では寡頭政治が養ってきたプロレタリアートや被支配の未開人を抑圧し、沈静化するためのものだった。アウグストゥスの「パックス・ロマ―ナ=ローマの平和」以降、次第に後退し、ローマの全勢力、エネルギーと勇気の長い世紀にわたる成長は、ローマ世界から徴税するために悪用されたのだ。都市社会の形態は、市民権の売り渡しで不合理なものに後退して、カラカラがその単なる形式を放棄するまで、総ての自由民まで拡大した。最後は、ローマの軍隊が完全にガリア人、ゴート人、アルメニア人、アラブ人で構成されてしまった。イタリア人は生命のために戦おうとしなくなり、ましてや過っての偉大な都市を再現する徴税のため、偽善の国家に対してはそうだった。ローマは、それと共に「古代世界」もまた、没落したのだ。
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by morristokenji | 2010-12-10 06:58