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by morristokenji

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 モリスは、社会主義の発展の成果を、第21章「社会主義の勝利(Triumphant)として総括する。この総括は、むろん「唯物史観」の延長上でのマルクス・レーニン主義のそれではない。『資本論』から学び取った、彼の独自の「科学的社会主義」論であるし、「科学からユートピア」への提示に他ならない。ここでは科学よりも、文化・道徳・芸術・宗教などが凝縮された理想の歴史的道程が描き出されることになる。この作業は、モリスの代表作『ユートピア便り』を社会主義論として裏付ける作業でもあったと思う。
 歴史と論理、あるいは理論と実践の統一という「唯物史観」のドグマなら、資本主義社会は恐慌や戦争で崩壊を見る。いわゆる自動崩壊論であり、実践の意味も単なる階級闘争に還元されるだけで、運動の主体的意義は希薄になる。すでに周期的恐慌が6回も7回も繰り返されても、1848年恐慌は例外だったのであろう、政治的危機は訪れなかった。むしろ金融恐慌を梃子にして、資本主義経済は成長発展を繰り返し、イギリスはヴィクトリア朝の黄金時代を謳歌したのだ。マルクスは、だからこそ「唯物史観」のドグマを超えて、純粋資本主義を抽象し、『資本論』を書いた。その『資本論』を、モリスはバックスの協力を得ながら、繰り返し熟読して紹介し、解説した。難解な『資本論』の論理には、「貨幣の資本への転化」を始め、まだ沢山の理論的不備もあった。それだけに芸術家モリスも、経済学の理論構築の作業に苦闘せざるを得なかった点は、すでに紹介した。
 しかし、「唯物史観」のドグマを脱却したモリスは、論理と歴史を区別し、さらに理論と実践の統一のドグマからも自由な形で、第20章ではイギリスの社会主義の運動論・実践論を書いた。その上で、さらに「科学とイデオロギー」の統一のドグマからも解放されて、現実の資本主義の歴史的発展を踏まえつつ、人間の主体的実践にの役割に基づいた、社会主義の思想による人間解放の理想を語ろうとする。最終章である第21章の冒頭において、未来社会への人間の主体的実践について、次のように述ベている。
 「我々自身、過去の生活については、一つの方法で描写することが可能だ。」持っている正確な過去の情報に基づいて描写すればいい。しかし、「将来について言うなら、我々は何も持っていないし、歴史的な発展からの単なる抽象以外には、また我々がその力を適正に評価できなかった要素と抵触するかも知れない論理的結論しか持ち合わせないのだ。」「それゆえ、近代文明が社会主義へ転換するのは疑いないとしても、我々は将来の社会生活がどんな形をとることになるか、正確には予言できない。T・モアやL・ベーコンが言うように、商業時代の始めの生活より良くなるかどうか、それは今日の資本主義の時代の発展からは予見出来ないのだ。」
 論理と歴史、理論と実践、そして科学とイデオロギーの弁証法的統一という「唯物史観」のドグマなら、話は別だろう。初期マルクス・エンゲルスが主張した恐慌・革命テーゼ(さらにレーニンでは戦争・革命テーゼ)による資本主義の自動崩壊論であり、さらに政治的実践の意味も、単なる階級闘争による権力奪取に還元され、実践の主体的意味は失われるだけだろう。また、権力の奪取による階級独裁=プロレタリア独裁による「上からの革命」に過ぎなくなる。「唯物史観」のドグマでは、歴史の複合的な変化の軌跡も、実践活動の豊かな主体性も、さらに文化・道徳・芸術・宗教などの精神面が凝縮されるユートピアの夢も、無視されてしまうだけだろう。さらにモリスは主張する。
 「我々は、将来の生活を積極的に実感できないにも拘らず、現実の社会の原則が一般的に受け入れられ、日常生活上の実践として適用される際、問題の否定的側面を見ることにはなるが、大部分が社会主義の戦いの必然的結果として、空白が充たされざるを得ないのだ。現在の社会は発展するだろうし、その付属物や安定装置も付いて行くことを、確かに知っている。新しい社会の基礎が何であるか、少なからず知っている。だが、新しい社会が、自由や共同を基礎に、いかに構築されるか、それは思索以上のものではない。」
 モリスは、ここで予測や予言を避けている。むしろ忌避しているのだが、それは実践の主体的意義を尊重するからに他ならない。個人のセンチメンタルな感情ではなく、革命の主体による組織的運動の実践的創造性を期待しているのであろう。ただ、あくまでも「思索以上のものではない」にしても、また「けれども主要な点では、ここで書くことは<社会主義者>の多数により受け入れられるものである」とすれば、新しい未来社会は、どんな形になるのか?モリスはここで、さらに慎重になるのであって、先行「論文」では、ある程度具体的に提起されていた未来社会の制度設計、とくに制度・組織についての具体的提示が、「著作」では簡略化されている。
 省略の理由は明らかではないが、モリスにとって未来社会の政治的な制度・組織は、移行期として「連邦原理」を提起し、共同体は「地方的」、「職業的」なギルドであり、「最高の単位は、社会化された世界の議会」とされている。そして、具体的説明に踏み込めないのは、「我々が統治の時代とよぶ地平を超えて、社会が発展するのをまだ予見できないことを意味している」とした。それに対して、「共同体社会の生活と呼ばれる表現の宗教的、また倫理的な基礎」については、「著作」ではかなり詳細な説明が加えられた。制度・組織よりも、生活の機能面で宗教や倫理、芸術などを重視したともいえる。そこで、先行「論文」の政治的な制度・組織について、ここでは紹介しておこう。
 
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by morristokenji | 2011-01-01 16:52