森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

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 5月21日、NHKニュースで、天皇皇后両陛下が「栃木県佐野市の郷土博物館を訪れ、足尾鉱毒問題の解決に取り組んだ田中正造の直訴状などをご覧になりました。」と報じました。あまり話題になりませんので、少し詳しく紹介しましょう。
 
 両陛下は「21日から22日にかけて、私的な旅行として、足尾鉱毒問題の解決に一生をささげた田中正造の遺品などを展示する佐野市郷土博物館などを訪問されました。
佐野市の郷土博物館には、田中正造ゆかりの資料を展示するコーナーがありますが、ふだんは防犯上の理由や劣化を防ぐために、直訴状は複製を展示しています。今回は両陛下の訪問に合わせて4年ぶりに実物を展示しました。
田中正造が直訴に及んだのは明治34年(1901年)12月、帝国議会の開院式から皇居に戻る途中の明治天皇の馬車行列に鉱毒被害を訴える直訴状を手に駆け寄りました。
しかし、警備の警官に取り押さえられ、釈放されたあと直訴状も返されました。(略)
山口館長は<時代背景などは全く違いますが、明治天皇にはご覧いただけなかった直訴状が113年たって天皇陛下にご覧いただけたのは感慨深いです。仮に正造が生きていたらどんな感想を漏らすかなと思いました>と話しました。
館長と共に両陛下を案内した佐野市の岡部正英市長は<震災があったことなどで環境問題へのご関心から、佐野に来ていただけたと思います>と話しました。」

 以上がNHKニュースですが、いくつか大事な論点が提起されていると思います。
(1)両陛下が、公的ではなく、わざわざ「私的な旅行」として、佐野市まで出かけられたこと。私的な旅行でも、ぜひ正造の直訴状をお読みになりたかった。
(2)直訴状の内容であれば、複製があるし、印刷物でも読める。しかし、113年経った今日、実物を陛下が直接お読みになったこと。
(3)東日本の大震災、とくに福島第一原発事故との関連で、直訴状を今日お読みになる意義をお感じになっていること。
 私的な旅行か、公的な旅行か、おそらく関係筋も慎重に検討したと推測されます。あえて私的旅行でも、田中正造の直訴状をご覧になる決断があったのでしょう。さらに、明治天皇に代わって、天皇が直訴状を読み、それを受け取った事実を残そうとなさったことも、大きな意味があるのではないか?さらに、福島第一原発事故に対する国家責任を、元首である天皇として感じておられるのではないか?だからこそ、113年の過去にさかのぼってでも、天皇が直訴状を直接読むことに意義があったと思います。

 そこで、田中正造の直訴状ですが、じつは田中正造自身が書いたものではない。直訴の前日の12月9日、のちに大逆事件で死刑になった幸徳秋水のもとを田中正造が訪れ、幸徳が書いたもの(一部修正加筆とも言われる)とされています。田中正造は、下野の名主の家に生まれ、17歳で名主を継ぎ、1880年栃木県議会議員、自由民権運動の組織化をはかり立憲改進党に入党、84年に県令三島通庸の圧政に抗して、三度目の入獄、足尾銅山鉱毒事件以前にも、民権運動家として活躍していました。その後、県議会議長になり、1890年の第一回総選挙で衆議院議員に当選、それから積極的に足尾銅山の鉱毒による渡良瀬川流域の鉱毒問題に取り組みました。1900年2月には、被害農民の決起があり、渡良瀬川流域三十四村の被害民が、大挙上京して直訴しようとしたものの、秩父事件と同様に警官隊による流血の弾圧によって阻止されます。
 そこで田中正造は、翌1901年10月に議員を辞職、12月10日に東京の日比谷において、奉書をかざして明治天皇の行列に飛び出し、足尾銅山の鉱毒事件について直訴に及びました。「草奔の微臣田中正造、誠恐誠惶頓首頓首、謹で奏す」で始まる上奏文ですが、上記のとおり幸徳秋水が書いたもので、幸徳はこう書いています。
 「多年の苦闘に疲れはてた老体と、その悲壮な決意をみて、いやだということができなかった。朝、草し終わった上奏文をとどけると、田中は黙って受け取り、侠に入れて用意の車で日比谷に向かった。幸徳は車にゆられていく老人の後姿を見送って、無量の感激にうたれた」(『日本の歴史』第22巻、中央公論社刊)
 
 発狂者として処理された田中正造は、政府が捨村を決めた渡良瀬村に移り住み、時折上京しては幸徳などの「平民社」を訪問した。幸徳秋水、堺利彦、木下尚江、石川三四郎、荒畑寒村などが支援したそうです。渡米前の幸徳は、まだ無政府主義者ではなく、中江兆民の書生として自由民権運動に協力、さらに儒教の教えが強く、同じ友人の堺利彦とともに田中正造を「平民社が誇りとした、最大の来客のひとり」として支援したと伝えられています。明治の初期社会主義は、こうした足尾銅山事件など、自由民権運動や儒教の思想などと綯い混ぜられ、日本の土着思想に根ざしながら幸徳秋水は1903年、独学で日本最初の社会主義についての著書、有名な『社会主義神髄』を刊行したのです。
 なお、佐野市郷土博物館では、両陛下のご訪問を機に、直訴状に加えて、これまで公開されていない田中正造ゆかりの貴重な資料数点を展示したそうです。その中に正造の言葉として有名になった「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、人を殺さざるべし」とつづった明治45年に書かれた日記の一部も含まれました。「このことばは、音楽家の坂本隆一さんが、震災の起きた3年前の6月、自然エネルギーに関する『総理・有識者オープン懇談会』に寄せたビデオメッセージで<大好きなことば>として引用され、インターネットで大きな反響を呼びました」と、NHK も伝えています。

 両陛下のご訪問の今日的意義は、明治天皇に代り田中正造の直訴状をお読みになり、東日本大震災の被災住民への慰問だけでなく、日本の元首としての国民への責任を表示された点にあるでしょう。当時は、日清から日露への戦争の中で、政府は足尾銅山の操業停止はできず、反対運動を食い止めるためにも、運動の盛んだった谷中村の捨村・廃村を決め、1907年に強制破壊が行われる。村民は隣接の地域煮に移住を余儀なくされ、多くの村民が移住したが、田中正造を含め破壊された谷中村の自宅後に住み続けた元村民もいた。しかし1917年には、全員が村を離れたと伝えられています。
 念のため書きますと、2011年今回の東日本大震災でも、渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、100年以上たっても汚染が除去できない現実が残っている。それだけに福島第一原発の問題解決の展望が失われ、そのなかで被災住民は帰還の希望を絶たれ、故郷を奪われ、我が村わが町を捨てざるを得ない。財界の意向を酌んで政府の成長戦略の骨太の方針には、原発再稼働が既定の前提に置かれてしまう。国の責任であるはずの除染も進まぬまま、中間貯蔵施設の国有化が進められ、帰還への自己責任が強調される。カネの力で解決を迫る手法は、谷中村の捨村・廃村の現代版ではないか?
 こうした福島第一原発を中心とする被災住民の立場を、たんなる被災地の慰問だけでは済ますわけにはいかない。谷中村の捨村・廃村と田中正造の直訴状を重ねあわせながら、両陛下は今日の被災住民の立場を理解し、政治や行政の無責任に対して、元首としての責任を感じておられるに相違ない。とくに前立腺がんの手術を受けられながら、老骨の病苦をおしての被災地慰問をはじめ、今回の佐野市郷土博物館ご訪問の意味が大きいように思います。こうした問題提起を、重く受け止める必要があるでしょう。

 すでに書きましたように、アベノミクスの第一の矢、第二の矢は、矢継ぎ早に大量のカネのばら撒きです。さらに第三の矢の「成長戦略」は、それこそ手当たり次第の乱射ですが、その方向は福島第一原発の廃炉の方向には向いていない。むしろ原発再稼働を既定の前提にして、成長戦略を進めるだけ、原発の廃炉は段々遠くなり見えなくなってきた。放射能の除染も進まず、除染廃棄物の中間貯蔵施設の国有化の計画が強行されてくる。被災地住民は、豊かな自然を奪われ、懐かし故郷を喪失し、我が家も田畑も、庭も失ったまま、早期の帰還を迫られ始めている。汚染を覚悟の早期帰還か、それとも故郷喪失の永久離村か?113年前の谷中村の捨村・廃村の現実が、福島に拡がっています。
 福島だけではない。被災地自治体の人口流出は、急速に進んでいる。津波被害をまぬがれた内陸部を持つ仙台市の人口増も、被災難民の流入で問題を抱え込む。さらにNHKスペシャル「どう使われる3.3兆円~検証復興計画」が提起しているように、人口流出により復興交付金だけが宙に浮き、復興公営住宅は計画縮小を迫られている。復興計画の検証結果は、被災住民の立場から見れば、まさに計画の破綻であり失敗の厳しい現実ではないか?アベノミクスの成長戦略は、そうした破綻から国民の眼を逸らす、国家責任を霧消させてしまう意図を感じます。福島の現実は、宮城や岩手、被災三県の現実であり、東北の地域の現実であることを忘れてはならないでしょう。

 三県の被災地を抱え込み、捨村・廃村の危機が進もうとして東北の現実からは、アベノミクスの成長戦略に期待できないどころか、やり場のない怒りと空しさを感じます。①法人減税にしても、ゼロ金利からマイナス金利を長期に続けながら、かつ消費税の大幅引き上げをしながら、代替財源も考えずに法人減税をしても、東北ににまで利益の及ぶ投資需要が生まれると本気で思う人間がいるのか?一時的な株式市場の利益は資産格差の拡大や、脱税まがいのタックス・ヘイブンなど、後進地方の東北には無縁の話です。②残業代ゼロも、一部正規雇用の労働貴族の話で、下請け中小企業、支店・出張所経済、地方ブラック企業の非正規雇用しか期待できない東北では、残業代など別世界のお話でしょう。③人口減対策とやらは、本気の話でしょうか?被災地の現実は、被災住民の帰還が老人ばかり、すでに生殖能力を喪失、ないし喪失可能性の高い、だから放射能汚染を心配しなくて済む、高齢者達の帰還であり、現代の「姥捨て」です。
 
 我々の東北は、今きっぱりとアベノミクスの成長戦略に対する期待や幻想を捨てるべきです。ベトナム特需など、米ソ冷戦体制の歴史的にも異常な時代的背景で実現した日本経済の高度成長をはじめ、先進国経済はポスト冷戦により低成長の「定常状態stationary state」を迎えている。「坂の上の雲」の時代は、とっくの昔に終わっている。その結果が、長期デフレでありデフレの慢性化である。時代錯誤ともいえる成長戦略を捨て、東北らしい豊かな自然再生可能なエネルギー資源を基礎に、地場型の産業による地産地消の循環型コミュニティ、スマート・グリッドなどエネルギー・情報システムの構築、住民自治に基づく共助型行政システムのネットワーク構築など、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」(田中正造の日記)が訴える新たな文明創造を目指すべきでしょう。
 
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by morristokenji | 2014-06-13 07:38