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by morristokenji

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 安倍政権の与党、自民と公明との党間協議の行方に焦点が絞られ、もっぱら憲法中心の法律解釈や例外規定などに議論が終始し、「何となく解ったような、解らないような」議論が続きました。結果的には、公明が折れた形で「集団的自衛権」の行使容認が、閣議決定されて仕舞いました。政府の支持率が急低下、公明の支持団体の反対など、今後の選挙対策もあり、関連法案の審議決定は来年の通常国会まで繰り延べされたようです。これから内外の動向を見ながら、また適当に手を変え品を変えて、狡猾に「自衛強化」を進めようとの意図が伺われます。

 もともと「集団的自衛権」の行使については、解釈改憲の枠を超えて、明文改憲を進めるのが、国民をはじめ内外に一番わかりやすい方法だし、憲政の常道だった。だからこそ、改憲政党である自民党も、長いあいだ改憲を模索していたし、その手段として、憲法96条の改正論まで出てきました。「集団的自衛権」を容認する明文改憲には、「時間がかかり、難しい」という理由です。そこで、96条を改正し、憲法改正の発議に必要な国会議員の数を、現在の「三分の二以上」から「二分の一以上」に変えようとした。しかし、この96条の改正にも、96条の規定に従わざるを得ない。そこで結局のところ解釈改憲をさらに拡大し、拡大解釈改憲として「集団自衛権」の行使容認を決定したわけです。これから拡大解釈改憲が、益々拡大することになりそうです。国民は、そこが心配なのでしょう。

 そこで集団的自衛権の行使容認の3つの要件ですが
 ①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、
 ②我が国と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされること、
 ③国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、
などの3要件であり、政府は「厳しい限定」が付いたとして、憲法改正ではなく解釈改憲に過ぎないとしています。しかし、①はともかくとして、②、③の要件での武力行使の容認は、武力による=戦争による問題解決でしかない。したがって、明らかに憲法に触れる以上、明文改憲で決着をつけるべきでしょう。日弁連の「立憲主義と恒久平和主義に反し、違憲である」との会長声明は当然でしょう。いずれにせよ集団的自衛権の容認は、平和憲法を否定した新たな次元に踏み込んだことは否定出来ないと思います。

 手っ取り早く結論を先に言えば、今や日本資本主義の発展は、自国による海外派兵により、戦闘行為をせざるを得なくなった、そのために明文改憲が必要だが、それには時間が掛かるし、改憲が成功するとは限らない。そこで、閣議決定により集団的自衛権の行使だけを決めたかった、それだけではないかと思います。しかし、「集団的自衛権」としているので、集団とは何を指すのか、その範囲はどこか?自衛権とは何で、どんな場合の武力行使か?等々限りない議論が続きますが、それは明文改憲を避けて拡大解釈改憲を強行したから生じた混乱でしょう。

 戦後、日本資本主義の安全保障は、一方の憲法による恒久的平和主義によると同時に、他方では日米安保の核の傘によって守られてきた。世界でも稀に見る高度成長の実現により、日本経済は世界第二のGDP大国となった。この高度成長による経済大国の実現についても、恒久的平和主義により軍事費の負担が抑制されたからだ、とみる平和「憲法繁栄論」が一方で主張された。他方、日米安保により米国の核の傘の下で、ベトナム特需など軍需に便乗して経済成長が実現した、とみる日米「安保繁栄論」が強調されました。それぞれ左右の政治的イデオロギーの対立の反映ですが、しかし現実の経済成長から見れば、冷戦体制の下での特殊な日本資本主義の高度成長でした。その点で、平和憲法と日米安保が、冷戦体制の下で共存する世界史の特殊性によるものだったのです。
 しかし、21世紀を迎えて、戦後の異常ともいえる冷戦体制は、完全に崩壊した。冷戦体制を支えていた米ソ東西二大国が崩壊したからです。まず1991年のソ連の崩壊、そして米国もネオコンの一国覇権主義が2008年のリーマンショックの世界金融恐慌で破綻した。米ソの世界支配に代り中国の急速な発展を初め、G20など新興国の台頭が進んでいる。米ソの二大国支配に代り、トップの米、第2のGNP大国だった日本、この日米安保体制が、アジアを中心にポスト冷戦の安全保障の体制的秩序になれば別でしたが、そうはならなかった。米がトップのGDP大国は変わらないにせよ、基軸通貨米ドルの価値が低下すると共に、アメリカの軍事支配もアフガン、イラクからの米軍撤退など、確実に弱まってきた。ソ連崩壊によりロシアの地位は大きく低下し、それに代る中国の高成長は、すでに日本を抜いて米につぐGDP大国として、米中が冷戦体制の米ソ二大国に代って、ポスト冷戦の新たな大国関係を形成している現実が登場している。こうした新しい現実が、米ソ冷戦体制に代る新しいポスト冷戦の安保体制を要請していることは否定できないのです。

 このポスト冷戦体制の中で、日本の安全保障をどう考えるか?この設問は避けられない問題提起でしょう。それを回避して、憲法の恒久的平和主義をただ繰り返すだけでは、「護憲原理主義」に終わるだけでしょう。平和憲法の理想を、現実に生かさなければなりません。他方、日米安保体制についても、ポスト冷戦下の新たな日米関係の構築として、再検討しなければならない。とくに安部総理の靖国参拝に対しては、すでにオバマ大統領はじめ、米民主党政権は強い不快感を表明しています。日米関係は、戦後最大の危険な状態を迎えているとも言えます。そうした新たな日米関係の中で、今回の集団的自衛権の行使容認の閣議決定が、どう影響してくるのか?その点が、一番気になるし、日米の軍事協力のあり方が、集団的自衛権の行使の具体例としても、最大の焦点として論議されてきました。すでに日本の自衛隊と米軍の役割分担を定めている防衛協力指針(ガイドライン)に反映することになっているようです。
 日米関係の従来からの経緯からすれば、日米の軍事協力を強めるために、米国は日本側の集団的自衛権の行使容認について、それを歓迎こそすれ反対はしない。とくに米国は、財政悪化が進む中で、国防費の抑制が至上命令になっている。したがって、国防費の日本による肩代わりとして、日本に応分の負担を要求する点で、日米同盟の集団的自衛権の強化につなげたいでしょう。こうした変化は、ポスト冷戦の新たな状況の変化を反映するものと思われます。しかし、中国との関係になれば、事態は複雑です。日本は、尖閣諸島を中心に離島などの防衛面で、米軍との集団的自衛権を行使したいでしょう。しかし、米国は貿易・投資など経済的な対中依存度の高まりからみても、また新たな両大国の「戦略的対話」関係の拡大強化からも、軍事力行使には慎重でしょう。ましてや北朝鮮との関係となれば、米韓の関係はじめ中国を議長国とする中断している6カ国協議もあり、核ミサイルの脅威を中心に、米中関係を中心に対応せざるをえないと思います。
 要するに米国は、ポスト冷戦で一極覇権の超大国の地位を完全に降りた。安全保障面でも、ヨーロッパはEUでユーロ中心に共同体を形成しているので手を引く。イラク戦争で失敗した中東、アフガンなどからも撤退し、その後始末などの負担軽減になれば、日本の集団的自衛権の武力行使に任せればいい。米国は、こうした日本の広範囲な貢献には期待している。今や勢力圏のテリトリーをアジアにセットバックするについても、中国と覇権を争ったり、日本と対中包囲網を作る努力などする気が全くない。それどころか、米国にとって中国は3千億ドル以上の巨大マーケットであり、輸出入でも1位と2位を分け合う相互依存の深い関係であり、しかも米国債の最大の保有国は中国です。また、23万人の中国人留学生も米国に集まっている。ベルリンの壁や鉄のカーテンで仕切ったような、米ソ冷戦構造時代の米中2大国関係ではないのです。米中関係は、ポスト冷戦の新たな大国関係を巡って高度な駆け引きを展開しているだけではないか?
 ところが安部首相の「戦後レジームからの脱却」の本音は、すでに述べたように右翼的な歴史修正主義に立っている。ポスト冷戦構造に対応する米中関係とは、全くかけ離れた価値観外交であり、冷戦時代の延長で中国包囲網を構築しようとしている。米国にとっては何の戦略的価値もなければ、経済的価値も皆無な尖閣諸島問題など迷惑な話で、たんに日本が一方的に中国包囲網の構築に日米安保を利用したいだけでしょう。米中関係では、それこそ日米は全然噛み合わない別次元の価値観外交です。その意味では、アメリカの戦争に巻き込まれる心配よりも、むしろ日米安保体制により、米国は日本の集団的自衛権の行使を抑止したい、と思っているのが本音ではないか?にもかかわらず、あえて安部首相が歴史修正主義に基づいて武力行使を閣議決定したのは何故か?そこには、日本資本主義の構造的変化があるように思います。

 すでに本「持論・時論:世界知日本を読み解く」の第7回「混迷するアベノミクスの<成長戦略>ー輸出依存・民間設備投資主導型成長パターンからの転換ー」で詳述しましたので、ここでは簡単に繰り返しますが、冷戦体制のもとで日米安保体制によるベトナム特需など、ドルのばら撒きに依存した輸出依存の高度成長は完全に終わった。その結果が、失われた10年、さらに20年と言われる、長期慢性的な構造不況であり、いわゆる長期デフレ経済です。ここから日本経済の長期停滞説も生まれるわけで、それは日本資本主義の歴史的終焉であり、ある意味で歴史的危機と呼ぶことも誤りではないでしょう。しかし大事なのは、この長期不況・停滞が、自動的に資本主義の崩壊には繋がらないことです。恐慌=革命テーゼなどは、マルクス・レーニン主義のドグマに過ぎないのであって、そんなドグマに期待できません。
 いま日本資本主義は、長期デフレ・停滞により構造的な転換を迫られている。転換の方向は、日本経済の国際収支構造に現れているのであって、それは構造的に明確になった貿易収支の赤字基調であり、それは紛れもなく輸出主導・民間設備投資主導型の成長の終焉を物語っている。代わって、日本経済の国際収支の構造は、所得収支・対外直接投資主導型に転換を余儀なくされている。2011年から貿易赤字が続きますが、それは福島第一原発事故で原発が完全に停止、そのため輸入原燃料が増加したような、一時的で部分的な理由ではない。原燃料の輸入増加やその値上がりによる貿易赤字要因については、石油ショックを中心に過去何度も経験してきた。しかし、そのつど日本経済の輸出パワーで乗り切り、輸出依存の経済成長で発展してきたのです。しかし、今や輸出依存ができなくなり、構造的貿易赤字に転換したのです。これから日本資本主義が成長するとすれば、国際収支の段階的変化からも所得収支への依存、そして対外直接投資主導型の構造的転換しかないし、日本の財界主流や官僚機構は、その方向に舵をすでに切っているように見ます。しかし、その構造転換による発展成長は、それほど簡単ではないのです。
 
 すでに述べましたが、この間安部総理は財界主流のメンバーを引き連れて、トルコなど中東各国、さらに東欧の各地、アフリカや中南米まで、トップセールスを展開しています。セールスの内容は、原発輸出であり、プラント輸出であり、インフラ投資であり、それに人材の派遣や文化輸出まで含まれている。そして、そうした資本輸出に関連して、ODAの利用や武器輸出も解禁して、まさに官民一体の体制を構築しています。超低金利や財政赤字による資金のばら撒きと相まって、手当たり次第の乱発・乱射気味の成長戦略の中身もまた、煎じ詰めれば対外直接投資の拡大による所得収支の収益確保のためである。しかし、こうした対外直接投資の拡大は、19世紀末から20世紀のいわゆる帝国主義の時代なら、露骨な植民地支配とセットで進められてきた。しかし、21世紀の今日、英国の対中香港の返還などでも解るとおり、ポスト冷戦のもとで植民地主義の時代は完全に過去のものになってしまった。 
 それに代わるものは、日本を押しのけて米国に次ぐGNP第2位の大国になった中国に対する中国脅威論、そして中国包囲網の構築の価値観外交です。そのイデオロギー的基礎は、米国の不快感を募らせている歴史修正主義であり、1930年代からの武装国家主義を復活しての景気回復であり成長戦略でしょう。そして、対外直接投資の拡大にしか活路を見いだせない財界や官界からすれば、少しでもカントリーリスクを減らし、原発などへのテロ攻撃に備え、在外資産や在外邦人の保護が不可欠であって、そのためには対外派兵の枠組みだけは確保したい。物やサービスを輸出するだけなら、軍事的保護は必要なかったし、日米安保の枠組みに安住してさえいれば良かった。しかし、対外直接投資の拡大ともなれば、在外資産や在外邦人の安全確保が不可欠であり、その点で明文改憲により、非武装から武装国家への転換が不可避である。もし明文改憲だ出来ないなら、次善の策として米国を巻き込んででも集団的自衛権の発動による自衛隊の海外派兵だけは、この際どうしても確保しておきたかった。
 原発再稼動も、対外直接投資に結びつく原発輸出のセールスに必要であり、すでに原発ゼロを続けている国内の電力不足ではない。中国脅威論による中国包囲には、勢力圏の形成で日米が対立しても、是が非でもTPP参加が必要である。上記のODAを利用する武器輸出の解禁や、特定秘密保護法も、武装国家には不可欠です。さらに外国人労働力の利用も、単に国内の人手不足の対応に止まらない。研修生の育成制度を利用して、対外直接投資のための人材確保を狙っているのでしょう。こうした成長戦略との結びつきで、今回の集団的自衛権の行使容認の閣議決定が強行されたとみるべきではないでしょうか?

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by morristokenji | 2014-07-11 12:56