森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

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 6月24日、国民投票で英国がEUを脱退しました。事前予想では残留が多数とされていたために、金融筋を中心に激震が走りました。EUでは独に次ぐ経済大国であり、ニューヨークのウォールstに次ぐ、世界の金融中心ロンバートstを抱えている英国の脱退だけに、株式市場など金融市場は大きな打撃を受けるし、すでに久々の株価大暴落となってしまいました。
 ただ、金融筋の混乱も、株価暴落は大きいものの、もともと英国のポンドはユーロに参加していない。また、米リーマンショックのときのように大規模な低所得者向け住宅信用=サブプライムローンの破綻などが結びついていない。その点で、政治的な意味合いの大きい混乱です。金融的混乱よりも、むしろ中東からの大量移民で揺れているEUから脱退がさらに続くのか?より大きい問題は、これまた僅差で否定されたスコットランド独立問題の再燃です。スコットランドは、英国から独立してEUに独自に加入する動きが強まるでしょう。そうなると、資本主義の最先進国のイギリスが、いよいよ近代国民国家の解体を迎え、それが拡大してヨーロッパの地域共同体が新たに再編される。それこそ、近代社会の資本主義経済の時代が終わり、新しい歴史のページが開かれる世界史的転換です。ロンドンで死んだマルクスは、あの世で何んと言っているか?気になります。

 ロンドンに亡命し、大英博物館の図書室で勉強して『資本論』を書いたマルクスですが、冒頭の価値論は特に難解です。ウィリアム・モリスも「
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by morristokenji | 2016-06-25 20:58
 もう一度、読み直しのための『資本論』セミナーを始めたので、そこでの話題を探す意味で、ここで『資本論』によるアベノミクス批判を試みたい。とは言え、『資本論』をただ利用するのではなく、『資本論』研究を踏まえてのアベノミクス批判であり、アベノミクス批判を通して、マルクス・レーニン主義のドグマについても、自己批判的な再検討をこころみたいと思う。
 先ずアベノミクスの前提には、歴代の自民党、というより旧社会党や最近の民主党などを含めて、日本の政治全体に共通する「成長戦略」神話が存在する。経済成長を手放しで肯定する成長神話であり、高度成長により社会的格差などの問題解決を図る発想である。こうした発想は、近代化論の生産力主義に共通するものだし、さらに言えばマルクス主義の唯物史観の公式でもあったと思う。すなわち、生産力の発展に対し、その桎梏になるのは「生産関係」であり、所有関係である。生産力の発展には手放しの肯定、変革は生産力の発展を許容できなくなる生産関係の変革だった。私的所有から公的・社会的所有への変革、そして国有・国営化によるプロレタリア独裁のドグマである。ここには生産力主義のドグマが染みついている。

 アベノミクスであるが、それは三本の矢からなる、と言われている。第一の矢が財政であり、第二の矢が金融であり、第一と第二の矢が結びつきながら、日銀の異次元緩和の超低金利政策となり、最近ではマイナス金利の異常な事態に追い込まれている。そして第三の矢が「成長戦略」であるが、第一、第二の矢が肝心の第三の成長戦略に結びつかないため、「第三の矢は、行方不明に」と指摘され、さらに海外からは「果たして第三の矢の成長戦略は存在するのか?」と冷たい批判も現れている。もともと第三の矢の成長戦略のための第一、第二の矢であり、成長戦略の手段としての財政・金融のマネタリーな政策だった。いまや目標の成長戦略が行方不明だとすれば、第一の矢の財政は、消費税増税の先送りもあり、破綻に追い込まれる危険がある。また第二の矢も、財政破綻に結びついて金融危機を招き、日本経済の破局を迎えかねないのだ。
 そもそもアベノミクスが提起され、失われた10年、そして20年の長期慢性デフレからの脱却のための政策として三本の矢の成長戦略が登場した。その時点で、慎重な検討が必要だったはずだが、そうした検討がないまま、自民一強の安倍政治の強引な政治手法が、今日の政策破綻を招いたとも言えるが、しかし成長戦略そのものは、日本経済の高度成長から生まれた「成長神話」でもあったのだ。成長神話に基づいて自民党の歴代政権は、形を変え表現を変えながら、成長戦略を追い求めてきた。対立する野党サイドも、成長の矛盾や弊害を厳しく批判しながらも、成長そのものは正面から否定しなかった。例えば、所得格差の是正にしても、それは成長による分配の適正化で解決しようとしてきた。成長を前提にした所得再分配の政策であり、社会民主主義の路線だった。その点では、「成長戦略」の根本的再検討の行われる政治的基盤が十分に成熟していなかったのであろう。

 確かに戦後日本の高度成長は、先進国経済のトップを行くものであり、日本経済の「奇跡」とも評価されてきた。21世紀にはアメリカを追い越して、「日本の世紀」到来とも言われてきた。ここから「成長神話」が生まれ、成長戦略を追い求める政治風土が醸成されたのだ。しかし、当時から高度成長に対しては、明治以来の日本経済の「後進性」、それに加えて第二次大戦による敗戦に伴う戦後復興などの「戦後性」という、日本資本主義の特殊性に過ぎないという分析もあった。「後進性」や「戦後性」からすれば、高度成長は間もなく終わりを告げ、停滞・低成長の時代が到来することも提起されていた。しかし、高度成長が持続し、さらに成長率がダウンして、いわば中間的な成長に調整されても、再び成長力が回復し、高度成長が再開することへの期待が寄せられたのである。成長神話が生まれ、成長戦略が追い求められる背景に他ならない。
 さらに日本経済の高度成長について言えば、上記の「戦後性」とも関連するが、戦後世界の東西冷戦体制が長期に持続したことも指摘すべきだろう。戦後半世紀近くも、米ソを頂点とする超大国が「熱戦」のための原爆実験を繰り返しただけではない。平和利用の名のもとに、原子力発電の開発を巡っての核開発競争も展開された。もつとも、戦後の早い時期には、米の中東支配の元に、世界の巨大石油資本メジャーの原油開発が進み、安価なアラブの石油利用が、日本経済の成長要因として大きく作用した。しかしオイルショックが繰り返され、代替する原発の利用が進み、冷戦構造による軍需に結びついた成長要因が新たに生み出された。こうした冷戦体制に特有な成長要因こそ、朝鮮戦争やベトナム戦争の戦争特需の発生とともに、日本経済の異常とも言える高度成長の持続要因として作用した点も忘れてはならない。

 こうした冷戦体制のもとでの日本経済の高度成長は、成長神話を産み落としたものの、成長要因は消失した。1980年代末のバブル経済が崩壊し、90年代のポスト冷戦と共に、日本経済は「失われた10年」、そして20年の長期慢性型デフレに苦悩することになった。しかし「成長神話」の呪縛だけは、依然として日本政治を捉え続けている。「成長戦略」の政治スローガンだけが生き残り、アベノミクスの第三の矢となった。しかし、第一と第二の矢は放たれたものの、第三の矢は行方も知らぬまま虚空を舞い続けているのであろうか?すでに戦後体制は終焉のときを迎え、ポスト冷戦の現実は「成長神話」からの脱却を強く迫っていると思う。成長神話からの脱却のために、『資本論』は如何に読まれたらいいのか?21世紀の『資本論』の新しい読み方を探ってみたい。

 19世紀60~70年代に書かれた『資本論』は、近代社会の資本主義の「経済的運動法則」を解明した古典的大作である。その経済的運動法則とは、当時のイギリスを中心とする資本主義経済の発展を、市場原理が純粋に作用し、かつ全面的に支配する「純粋資本主義」として抽象した経済成長の法則である。周期的恐慌を通して景気循環による純粋資本主義の成長と発展が法則的に解明されているのだ。その点で、先行して50年代末に書かれた『経済学批判』が、初期マルクス・エンゲルスの「唯物史観」のドグマの中で、生産力の発展と生産関係=所有関係の矛盾を「所有法則の転変」として説く方法は放棄された。47年強行と48年革命からの「恐慌・革命テーゼ」のドグマも放棄され、むしろ逆に当時の資本主義の発展から、周期的恐慌をバネにした資本蓄積と経済成長が解明されたのだ。
 もちろん『資本論』の中に、所有法則の転変から資本主義の崩壊を説く唯物史観のドグマも残ってはいる。マルクスも人間だから、過去の考えを簡単には清算できなかったのだろう。しかし『資本論』の経済的運動法則は、純粋資本主義の資本蓄積と経済成長の法則だったのだ。そして、資本主義の経済成長の中に資本蓄積の行き詰まりを産む矛盾があり、その解決が出来なければ経済成長が進まない。市場原理の歴史的限界が解明されている。特に資本主義経済は、単に生産財や消費財の労働生産物が商品形態をとるだけではない。資本主義経済の富の原基形態、細胞に当たる商品形態は、労働生産物は無論のこと、その支えになる人間の労働力や労働の対象となる土地・自然もまた商品化され、資産になる。労働力と土地の商品化に資本主義経済の「基本矛盾」を見たのが、『資本論』の純粋資本主義の法則性の解明だったのだ。

 労働力と土地自然、この両者により生産財や消費財が生産され、再生産される。この人間と自然の営みこそ、人間と自然の物質代謝であり、「経済循環」としての「経済原則」である。資本主義経済の市場原理が、この経済原則を実現できなくなれば、そこに資本主義の歴史的限界が見られるのではないか。その限界を認識できぬまま、ひたすら市場原理による永遠の資本蓄積と経済成長を信じて疑わない、それが「成長神話」であり、「成長戦略」の政治スローガンに他ならないだろう。すでに日本経済の高度成長は、バブル崩壊に続く戦後冷戦体制が崩壊、ソ連型国家社会主義の崩壊に続き、アメリカの一国覇権主義の世界支配も終わった。そうした中で、バブル崩壊後の日本経済の「失われた10年、20年」長期慢性型デフレが続き、アベノミクスの第三の矢は行方知れずだ。
 日本経済と共に、先進国経済の長期停滞の背景に指摘されているのが、周知の石炭・石油など化石燃料の大量消費による温室効果ガスの大量排出と地球温暖化問題に他ならない。97年の「気候変動枠組条約COP3」での京都議定書をはじめ、CO2削減のためのCOPでの国際的取り決めも進められ、低炭素化社会の構築に向けての米オバマ大統領のグリーンニューディールも提起されてきた。石炭・石油の化石燃料の大量消費による重化学工業の大量生産システム、つまり資本主義経済の大量生産-大量宣伝-大量販売-大量消費・浪費の経済循環こそ、資本主義経済の高度成長を推進すると共に、成長神話を産み出したのではないか?第二次大戦の熱戦に続く戦後冷戦構造の核開発競争による原爆・原発の大量生産を含めて、地球温暖化と共に人間と自然の物質代謝による「経済循環」としての「経済原則」の機能不全による地球と人間の危機ではないのか。だからこそ自然環境問題が、まさに人類社会のSustainability=「種の保存」として論じられていると思う。(続)
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by morristokenji | 2016-06-20 20:25
 立憲主義という、従来からは聞きなれない、また見慣れない言葉が、最近ひんぱんに使われるようになっている。憲法学や法律学では、常識的な用語のようだが、専門外の人間には耳慣れない用語だと思う。憲法を守る護憲とは違うようで、立憲主義は護憲主義ではない。改憲を党是とする自民党支配が長いので、それに対立する護憲主義は、これまで革新のシンボルでもあった。そこにまた戦後日本の政治状況の「捩れ」があったのだろう。改憲VS護憲の対立のうえに、さらに立憲主義が重なってきたのが、最近の状況変化のようである。反立憲主義VS立憲主義の時代である。

 敗戦国の日本で、教科書の軍国主義に自ら墨を塗り、「新しい憲法のはなし」を教科書として勉強した我々の世代にとって、日本国憲法は国づくりの規範を超えて、血であり肉のように人格形成の糧になってしまった。護憲人間であり、護憲主義がDNAとなり身についてしまっている。だから自民の改憲主義には、人格否定のような嫌悪感を本能的に抱いてしまう。それほどまでに敗戦のショックと軍国主義からの価値観の転換が大きかったことを率直に述べておこう。しかも、戦後70年以上も護憲主義が生き続け、それが日本の政治を一方で支え続けてきている。改憲を党是とする自民党支配の一強政治も、護憲主義の現実を変えることはできなかったし、そこにまた今日、新たに反立憲主義の政治手法による改憲の試みが登場しているように思う。

 戦後70年を超えて護憲主義が続き、改憲政党の一強の手でも改憲が実現できなかったが、その背景には戦後体制の歴史的事情が大きかったと思う。戦後、短期間で冷戦が始まり、東西二つの世界の対立の戦後体制が始まったからだ。そうした国際環境の中で、日本は米国主導の西側自由主義陣営に入る。護憲主義の憲法体制も西側の一員に組み込まれ、地勢上も東西対立の最前線に立たされた。そして、同じ西側陣営の一員として、米国を頂点とする日米安保体制に組み込まれたのである。その点で、憲法体制と安保体制は、多くの矛盾と対立を孕みながら、しかし現実には両者が共存して、戦後体制を支え続けてきたのだ。
 戦後体制は、東西冷戦構造として、歴史的にも特異な体制だった。一方で、旧ソ連を頂点として東欧を中心に「国家社会主義」の体制が構築された。マルクス・レーニン主義の一党独裁による中央集権的な統制経済だった。そのためにベルリンの壁も築かれた。こうした国家社会主義に対抗する西側陣営も、自由と民主主義の価値観を共有し、市場原理による組織的統合を進めながら、アメリカを頂点とする体制の構築が必要だった。アメリカが「世界の警察官」として、東の国家社会主義に対抗し、原子力を中心とする核開発、核軍拡競争を展開した。東西冷戦構造に他ならない。

 こうした東西冷戦の戦後体制の中で、戦後日本の体制も、一方では米軍中心の占領体制を引き継ぎ、ポツダム宣言を受諾した敗戦国として、自由と民主主義の価値観とともに、戦争放棄の平和憲法により独立し、国際世界に復帰する以外になかった。それで国連にも参加できたのだ。同時にまた、朝鮮戦争の勃発もあり、上記の「世界の警察官」アメリカを頂点とした日米安保体制により、西側陣営に参加せざるを得なかった。理論的に、理屈上は憲法体制と安保体制は矛盾し、対立する。政治的にも保革の対立点だったが、冷戦構造としての戦後体制としては、現実的な必然の道だったと思う。しかも、冷戦構造が半世紀近くも持続し、改憲政党がこの間、「立憲主義」により戦後体制を持続させてきたのである。
 立憲主義の説明では、国民が憲法により人権や平和を守る護憲主義とは異なる。支配権力の側が、憲法により掣肘を加えられ、権力の乱用を防止する法理だ。だとすれば、改憲政党が一強支配の政権党として、改憲ができぬまま、平和憲法の支持を続けてきた、それこそ戦後日本の立憲主義による憲法体制だったのではないか。そして、西側陣営として安保体制を運営し、高度成長の戦後体制を持続してきたとみるべきだろう。それがまたアメリカを頂点とした西側陣営の冷戦体制の統治だったのだ。この体制統治が続く限り、護憲と改憲の対立は表面化しても、立憲主義は機能しながら争点にはならなかったのだろう。
 
 問題は、戦後体制の崩壊である。91年ソ連が崩壊し、東の国家社会主義の体制も、一挙に崩れ去った。その時点で、戦後体制の冷戦構造が根本的に再検討されても良かったのだろう。非自民の村山政権も成立した。しかし、再検討の機会は見送られ、ポスト冷戦体制の改革は不十分なまま、西側アメリカの一方的勝利となった。アメリカ一極主義のネオコンの登場であり、一国支配のグローバリズムの台頭となった。しかし、世界市場がグローバル化し、金融資本のグローバルな展開が進んでも、もともと国民国家として発展してきた近代国家が、「世界国家」に止揚されるわけではない。グローバル資本主義の世界国家の夢は、ネオコンのイデオロギーに過ぎなかったのだ。事実、アメリカはイラク戦争に失敗し、リーマン・ショックの世界金融危機など、アメリカ一極主義の敗北は濃厚となった。オバマのリバランス政策やTPP によって歯止めもかけられぬまま、来る11月の米大統領選挙の結果いかんでは、一挙にモンロー主義に回帰する可能性も高まってきた。
 こうして大幅に先送りされていたポスト冷戦による戦後体制の再編成が、アメリカの世界支配の急速な後退とともに、ようやく日程に上ってきたといえる。同時にまた、日本の戦後体制の再検討の時期も到来したのであり、一方では沖縄基地問題による日米安保体制、他方では護憲主義と改憲主義の対立を中心とする憲法体制、この二つが焦点にならざるを得ない。そして、上記の通り冷戦構造の下では、必ずしも表面化してこなかった立憲主義をめぐっても、議論されざるを得なくなったのではないか?とくに安部政権による、いわゆる戦争法制のファッショ的ともいえる強行にとどまらず、アベノミクスの事実上の破綻による「一億総活躍社会」の国家総動員体制の提起など、立憲主義への明からさま挑戦が目立ってきている。
 
 立憲主義は、言うまでもなく集団的自衛権の行使を許す安全保障関連法(安保法)に対して、憲法学者や司法関係者の反対論として主張された。この論点は、戦争法制への反対運動の盛り上がりとともに、各方面で広く論議されたことだし、また憲法学者でもないので、ここでは立ち入って取り上げない。自衛隊をはじめ、その海外派兵など、従来からも解釈改憲、なし崩し改憲として、憲法の空洞化が論議されてきた。しかし今回の安保法は、集団的自衛権行使として、解釈改憲のレベルを超えているのであり、そこから立憲主義が提起されているのであろう。さらに言えば、安倍政権の政治手法そのものが、護憲・改憲のレベルを超えて、権力主義的な色彩を強めているからである。
 その点で言えば、すでに政策的には破綻した旧アベノミクスに代えて提起された「1億総活躍プラン」もまた、戦前日本が戦時体制に踏み込んだ国家総動員計画の現代版ではないか?「新三本の矢」①GDP600兆円の「強い経済」、②産めよ増やせよ出生率1.8の「子育て支援」、③介護離職ゼロの「安心の社会保障」、そして「同一労働・同一賃金」が総活躍プランに盛り込まれた。財政・金融の政策レベルを超えた総動員・総活躍プランの実現には、それこそ権力的な国家主義の体制が不可欠だろう。この度のG7(主要7ヵ国首脳会議)でも、国際的協調の下での「財政拡大」での賛同は得られず、日本は事実上孤立したのだ。
 
国家主義に裏付けられた強権的な賃金・雇用政策には、まさに「国家社会主義」として19世紀以来論争されてきた教訓が残されている。(ウィリアム・モリス『ユートピアだより』は、ベラミー『顧みれば』の国家社会主義への批判として書かれた。拙著『ウィリアム・モリスのマルクス主義』平凡社新書を参照のこと)その教訓を想起しつつ、立憲主義の台頭とともに、1億総活躍プランの意図を十分に検討して批判すべきだろう。戦前日本が、長期不況の脱却を目指して国家総動員計画と国際的孤立の末に、敗戦への道を歩んだことの繰り返しだけは御免蒙りたい。
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by morristokenji | 2016-06-07 19:53