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by morristokenji

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 労働力の商品化を前提にして、同時に土地自然・エネルギーの商品化とともに、「資本の一般的形式」が、産業資本の形式に発展します。『資本論』が明らかにしている通り、そこでは資本が購入し雇用する労働者の労働力の使用価値が生産過程の労働である。資本は購入した労働力を、その使用価値の限度まで使用する。できるだけ長時間にわたり働かせ、生産に従事させる。資本の価値増殖からいって、それは資本に与えられた当然の権利であり、長時間労働は不可避だし、過労死の可能性もある。しかし、長時間労働は無制限に延長するわけにはいかない。労働者の労働は、人権を無視して取引され、「人身売買」される奴隷労働ではない。奴隷は家畜同様に人権を無視され、死ぬほど働かせることも可能だし、それが奴隷経済の特徴だった。その点で、奴隷経済は人間社会として存立する「経済原則」の根拠をもたないし、市場経済に付随する部分的な経済制度(ウクラード)に過ぎない。奴隷社会を、階級社会として、歴史の発展段階に位置付けることはできないと思います。
 もう一つ、産業資本に雇用される労働力は、資本の管理のもとで価値増殖の手段に利用されて労働するが、その労働は必要労働と剰余労働に分かれる。もともと人間は、B・フランクリンの言う通りa toolmaking animal(道具をつくる動物)であり、一日働いて一日生活する「必要労働」だけでなく、それ以上の「剰余労働」が可能である。剰余労働で道具をつくり、道具を機械に発展させ、また老人や病人の介護もする。したがって、労働者は資本のもとで労働し、労働生産物は資本の所有に帰するが、必要労働の部分は賃金を通して買い戻さねばならない。ここでも労働者の人権を保障し、「経済原則」を充足しなければならないのです。こうした労働者の人権の確保という点で、産業資本は剰余価値による価値増殖をはかりつつ、価値法則とともに「経済原則」を充足して一つの社会として成立する。これが『資本論』の純粋資本主義を抽象した社会である。

 このように産業資本は、一方で「経済原則」を充足しながら、他方「経済法則」としては価値法則に基づき価値増殖を図る。労働時間の延長を中心とする「絶対的剰余価値の生産」であり、労度生産性の向上によって必要労働を短縮する「相対的剰余価値の生産」です。経済原則を前提にしつつも。「経済法則」に基づく長時間労働や労働の強度による労働強化は、絶えず「経済原則」と剰余価値生産の緊張を強め高める。労働生産性の向上もまた、「機械制大工業」に基づく協業や分業の拡大であり、工場制度のもとで機械体系が「組織者」として労働者が支配される。労働者は機械の単なる付属物となり、チャップリンの『モダン・タイムス』であって、「人間疎外」が確実に進む。ここでも「経済原則」の労働生産性向上と「経済法則」の価値増殖の緊張は高まります。『資本論』には、ロンドンの大英博物館の「図書室」が提供した膨大な資料が、法則の実証に役立っていることが判ります。
 このように産業資本による資本の生産過程では、剰余価値生産による「経済法則」の解明の中で「経済原則」が明らかにされます。A・スミスは、労働生産物を商品的富として、「本源的購買貨幣」である労働により、生産過程を自然から生産物を購入する過程とした。「生産過程の流通過程化」であり、流通主義による資本主義経済の絶対視だったのです。マルクスは、スミスの労働価値説を継承しながら、「価値形態」を明らかにして、労働生産物ではない、労働力の商品化の解明に成功した。価値関係による労働力の商品化の解明ですが、それにより流通過程と生産過程を区別し、スミスの流通主義の誤りから脱却した。人間が自然に働きかける労働は、貨幣で商品を購入するのではない。「経済原則」にもとづく人間の超歴史的行為であり、そこに「人権の保障」の基礎があり、人間解放の原点があることを提示したのです。「経済原則」を組織的に、主体的に実現する、それにより資本主義を超える地平が拓かれたと言えます。

 経済関係は、言うまでもなく人間が自然に働きかける生産過程、および生産した生産物を消費する消費過程から成り立ちます。その生産と消費の関係に基づく再生産により、生産過程も繰り返され再生産が可能となる。その点で労働力の再生産としての消費過程も、生産過程とともに「経済原則」を構成する。消費過程は、言うまでもなく経済主体としては「家計」(house holding)と呼ばれ、家庭(home)や家族(family)とともに消費生活が営まれる。その点では、消費過程は経済原則そのものであり、経済法則の支配は家計の面から所得・収入で制約されるだけである。しかし、ここでも個々人の労賃など、所得・収入から消費支出されるのであり、消費市場の経済法則からの影響を免れない。労働力の商品化により、生産と消費が切り離され、家庭や家族と言った共同体的な人間関係が切り崩されて、家族・家庭の崩壊も進む。ここでも経済原則と経済法則の緊張関係が強まり、労働力の再生産が歪められる点を無視できないでしょう。
 消費過程を労働力の再生産とした時、それは教育を中心に生産過程の技術水準の発展など、生産性の向上に資する必要がある。経済原則としての生産性の発展による「経済成長力」の上昇を進め、それがまた資本の価値増殖、上記の相対的剰余価値の生産に結び付く。資本による技術の向上、生産性の上昇、経済成長力の確保も、経済原則に基づく経済法則による社会的再生産の発展です。そうした発展を無視して、資本主義の成長が労働者の貧困の蓄積だけだ、と見ることはできない。その点で、いわゆる「窮乏化法則」のドグマに陥ってはならない。必要労働による労働力の再生産も、消費生活による消費財など歴史的、文化的、教育的水準の高度化を前提にする。そこに経済原則を踏まえた資本主義の歴史的発展による「人口法則」の特徴が認められるのです。「人口法則」については後述します。

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by morristokenji | 2017-09-07 20:38