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by morristokenji

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 『資本論』第1巻に戻りますが、第2巻の「資本の流通過程」を前提することによって、とくに第7篇「資本の蓄積過程」について、改めて検討しなければならない論点が出てきます。そもそも第2巻による「補足」の必要性に気づきながら、おそらくマルクスは第1巻の刊行を急いだのだろうと思います。そのため、論点の多くを棚上げにして、第1巻をまとめざるをえなかった。とくに「商品生産の所有法則の資本主義的領有法則への転換」を早期に提起したかった。その結果、「所有法則の転変」から、資本主義から社会主義への歴史的転換・移行を説くことにもなり、社会主義論としても色々問題を持ち込むことになってしまったのではないか?まず、その点から検討しましょう。

 第一に、第7篇を開いて奇異に感ずるのは、すぐ「第21章 単純再生産」を始めずに、他の篇とは異なり「まえがき」のようなコメントがあることです。「貨幣の資本への転化」を述べ、資本の循環について「資本の流通」に触れ、資本蓄積の第一の条件として「資本はその流通過程を正常な仕方で通過することが前提される。この過程のさらに詳細な分析は、第二巻で行われる」と述べています。つまり、資本の蓄積過程の分析のためには、第二巻の「資本の流通過程」の補足、というより「前提」が必要である点が指摘されている。とすれば、資本の蓄積過程のまえに、「資本の流通過程」を置くことをマルクスも考えていた。しかし、第一巻を急いでまとめることにした、ということかと思います。さらに第三巻では、利潤、利子、地代の分配範疇を述べることも指摘し、資本蓄積を「抽象的に、すなわち単なる直接的生産過程の要因として、考察する」と断っています。

 第二に、単純再生産と拡大再生産は、経済原則の説明に必要ですが、資本蓄積は「剰余価値の資本への転化」として、拡大再生産が経済法則として実現される。その際、「第22章 剰余価値の資本への転化」として「第1節 拡大された規模における資本主義的生産過程。商品生産の所有法則の資本主義的領有法則への転換」が説かれます。ここでわざわざ「商品生産の所有法則」を持ち出し、「最初われわれにたいして所有権は、自己の労働に基づくものとして現れた。少なくとも、この過程が妥当でなければならなかった、というのは、同権の商品所有者のみが対立するのであり、他人の商品を獲得する手段は、自己の商品の譲渡のみであり、そして自己の商品は、ただ労働によってのみ作り出されうるものだからである。」(1巻732頁)言うまでもなく「単純商品生産社会」の想定であり、しかも所有権の基礎づけに「自己の労働」を持ち出している。こうしたマルクスの想定が、所有法則の転換による歴史的移行についての「第24章 いわゆる本源的蓄積」「第7節 資本主義的蓄積の歴史的傾向」の布石になっている。社会主義論を含めて、様々な疑問が生じます。

 第三に、「第23章 資本主義的蓄積の一般的法則」では、資本蓄積と「相対的過剰人口」の存在形態など、資本主義的人口法則が説かれます。内容的には、後に検討するとして、このように資本蓄積について「一般的法則」を説き、純粋資本主義における景気循環の基礎を明らかにした上で、さらに「第24章 いわゆる本源的蓄積」が置かれ、しかも所有法則の転変として、資本主義の歴史的生成、発展、消滅が説かれます。剰余価値論はじめ、他の諸篇では、歴史的生成、発展、消滅を法則的に展開してはいない。とくに「所有法則の転変」としては、上記の通り「単純商品生産社会」の想定は、A・スミスの初期未開の社会など、労働を「本源的購買貨幣」とする流通主義のイデオロギーに過ぎない。さらに、資本主義の歴史的生成過程としては、マルクス自身「いわゆる本源的蓄積」の過程を説いている。本源的蓄積と所有法則の転変の両者を、いかなる関係と考えているのか?さらに、社会変革のための組織的運動を抜きに、性急に資本主義の消滅をイデオロギー的に主張するだけではないのか、様々な疑問が出てきます。

 第7篇は、内容的に純粋資本主義の運動法則として、余りにも多岐、多様にわたりすぎている。『資本論』第一巻の最後の締めくくりとして、単に純粋資本主義の運動法則にとどまらず、資本主義の歴史的生成、発展、消滅まで説き、資本主義の「最後の鐘」を鳴らそうとしたのでしょうが、それは単あるイデオロギー的主張にとどまったと言えるでしょう。 

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by morristokenji | 2018-01-02 15:43