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by morristokenji
 冒頭「商品論」について
『資本論』第1巻第1章の冒頭「商品」については、その2要因である使用価値と価値の中、とくに価値について、労働価値説の論証が問題になってきました。マルクスは近代社会の資本主義経済の富について、それは「巨大なる商品集積」として現れ、その富の細胞ともいうべき「成素形態」を商品としたのです。
 
 商品の使用価値は、「他人のための使用価値」ですが、その属性により人間の欲望を満たす、いわゆる商品の用途に過ぎない。用途として役だっかどうかを確かめれば足りるのです。
 しかし価値の方は、「交換価値」として現れますが、その交換力は使用価値のように確かめられない。価値は、商品の物それ自身、つまり物的対象ではないからです。
 
 経済学を体系化した「古典派経済学」のA・スミスは、商品はその所有者が自然から労働によって買ってきたと考え、労働を「本源的購買貨幣」とした。ここから価値を労働によって規定する「労働価値説」が主張されることになったのです。
 しかし、このスミスの説明は明らかに間違っている。所有者が労働によって自然から買うのではなく、生産するのです。スミスは生産を、流通にしてしまっている、素朴な流通主義の主張に過ぎない。モノの生産と流通とは明確に区別しなければならない。
 
 さらに素朴な流通主義からすれば、本源的購買貨幣の労働で生産=購入する商品は、すべて労働生産物になる。スミスの『国富論』の富は、労働生産物としての富であり、労働生産物ではない土地・自然や人間の労働力は商品として扱われない。土地・自然や労働力を対象から除外してしまう商品論であり、価値論です。ここから素朴な労働価値説が主張されたのです。

 マルクスの『資本論』(1867年)は、その副題が「経済学批判」であり、スミスなど古典派経済学批判として書かれました。約7年前の1859年に書いた『経済学批判』では、まだ曖昧だった「価値形態」とともに、労働力の商品化も明確になり、価値と生産価格の違いも理論的に明確になった。とくに労働力の商品化により、生産と流通との差異が明確にされ、スミスなどの素朴な流通主義を克服して、資本の価値増殖を剰余価値の生産として理論化したのです。

 ところが、マルクスは純粋資本主義を抽象して『資本論』を書き、資本主義経済の富である商品集積について、「ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である」と述べています。ここで彼は、商品経済的な富を古典派経済学と同じ「労働生産物」としてしまっている。このように商品を労働生産物に還元したうえで、いわゆる「蒸留法」で労働価値説を展開するのです。「いま、商品体の使用価値を無視するとすれば、それになお残る属性は、労働生産物ということのみである。」しかも使用価値を捨象する以上、「その中に現されている労働の有用な性質も消失する」から、「それは同じ人間労働、抽象的人間労働に通約される」それが「社会的実体の結晶としての価値」であるとして、労働価値説が定式化されるのです。
 
 しかし、この「蒸留法」と呼ばれるマルクスの論法は、明らかに形式論理としても、たんなるトートロギ―に過ぎない。古典派と同様に、あらかじめ労働生産物だけを取り出しておいて、共通なものは労働だというのは明らかに同義反復にすぎず、論証にはなっていない、というマルクス批判を呼び起こしたのです。労働生産物に限定し、労働価値説が主張されれば、労働生産物ではない労働力や土地・自然は、商品論の対象には含まれないことになる。

 労働力や土地・自然は、たんなる労働生産物ではないが、言うまでもなく富の根源であり「成素形態」です。土地・自然も労働力も、労働生産物とともに商品として、日々大量に取引されている。労働力は労働市場で取引され、土地・自然は「不動産市場」で頻繁に取引されるのが資本主義経済です。とくに労働力商品は、無産労働者にとっては、自分で使うことができない100%「他人のための使用価値」です。資本主義経済の商品経済的富は、労働生産物だけでなく、富の根底をなす労働力や土地・自然を含み、したがって労働価値説を超えた、新たな商品価値論が必要だった。そこにまた『資本論』の古典派経済学批判の意義もあったのです。
 
 マルクスの商品論、その価値論は、単ある労働生産物だけではない。労働力や土地・自然、そしてエネルギーまでも商品として取引される、そして生産をめぐる人間関係=生産関係が形成される、その関係概念として価値関係が提起されているのです。マルクスは、一方で労働生産物としながら、同時に他方では交換価値をたんなる交換比率としてではなく、関係概念として価値形態としたのです。マルクスの価値形態論こそ、労働生産物を包み込みながら、労働生産物ではない労働力や土地・自然をめぐる価値関係を明らかにしているのです。

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# by morristokenji | 2017-08-03 19:36
 冒頭「商品論」について
『資本論』第1巻第1章の冒頭「商品」については、その2要因である使用価値と価値について、とくに価値について労働価値説の論証が問題になってきました。マルクスは近代社会の異本主義経済の富について、その細胞ともいうべき「原基形態」を商品としました。商品経済的富の分析から出発しました。

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# by morristokenji | 2017-08-03 19:35
 冒頭「商品論」について
『資本論』第1巻第1章の冒頭「商品」については、その2要因である使用価値と価値について、とくに価値について労働価値説の論証が問題になってきました。マルクスは近代社会の異本主義経済の富について、その細胞ともいうべき「原基形態」を商品としました。商品経済的富の分析から出発しました。

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# by morristokenji | 2017-08-03 19:35
 米トランプ政権の誕生は、敗戦直後の日本を思い出させるような価値観の混乱を引き起こしているようです。神国日本の勝利を信じていた国民大衆は、敵国のアメリカから占領政策として押し付けられた「自由と民主主義」の理念と価値観を受け入れられないどころか、先ず民主主義が理解できない。小中学校の教師が、我々生徒に向かって「先生も民主主義が解らないから、皆で一緒に学びましょう」昨日までの軍国主義者の苦衷を、弱々しく訴えていたのを思い出します。教室から生まれる「手作り民主主義」の誕生でした。
 この「自由と民主主義」の価値観により、戦後日本は国民的統合が維持され、また外交など対外関係も進められてきた。また、「自由と民主主義」を党名に掲げた自民党の政権支配も続いてきた。そうした価値観に真っ向から対立するようなトランプ大統領が出現し、暴言・放言が連発される。大統領就任と同時に、いち早く自由貿易を象徴するTPPからの離脱、さらにその前提となるNAFTAの見直しを始める。そればかりか、合衆国として「民族のルツボ」の移民国家であるにもかかわらず、イスラム圏7カ国からの入国制限を強行し、内外の亀裂が拡大して民主主義の危機を招いています。
 トランプ革命は、「自由と民主主義」を踏みにじり、アメリカや世界をどこにに持って行こうとしているのか?戦後70年、いま日本人の多くは、再び敗戦時に似た価値観の喪失と将来への不安に陥っているのです。トランプ革命の行方を考えてみたいと思います。
 
 敗戦で先勝国アメリカから降ってきたような「自由と民主主義」も、今日まで多くの紆余曲折を経てきました。当初は、占領軍による敗戦国の統治のための「自由と民主主義」だった。占領政策の名のもとに、教科書から神国日本の説明や戦闘機の日の丸の写真に墨を塗って、それらを消去する作業から開始されました。占領軍の権力的な強制であり命令だった。また、戦後の民主化政策として農地改革、財閥解体とともに容認された労働組合のストライキ権も、マッカーサーの命令で1947年2月1日のゼネストは圧殺されてしまいました。占領軍の政策のための「自由と民主主義」に過ぎないことを、我々は身をもって学んだのです。
 この占領政策が終わらない中に、1950年6月25日、朝鮮動乱が勃発した。同じ戦勝国であり連合国として占領に責任を持っていた米ソが対立し、共産党政権が誕生したばかりの中国も参戦した。東西冷戦時代の開幕です。占領下の「自由と民主主義」は、アメリカを中心とする西側陣営を組織的に統合するイデオロギーに代わったのです。東の世界は、戦勝国そして連合軍を構成していたソ連を中心に、プロレタリア独裁による中央集権的な指令型計画経済の組織体制でした。東西二つの世界が、ベルリンの壁を挟んで真っ向から対立し、異なる価値観によりそれぞれ組織的に統合され、軍事的にも睨み合う。この冷戦状態が1991年のソ連崩壊まで、約半世紀の長期にわたり持続した、まさに異常な時代だったのです。

 この異常な時代の幕開けの時点で、冷戦体制の構築を加速させるためのサンフランシスコ講和条約が、日米安保条約とともに締結されました。1951年9月8日、朝鮮戦争がまだ停戦をみない時点での講和であり、占領状態の異常な終結だった。当時、単独講和か全面講和か、日本では国論を二分する激しい対立が起こり、大学はゼネストで単独講和に反対しました。単独講和論、それは連合国による占領を終わらせ、早期に米国を中心に西側陣営の構築を図る、そのためには東のソ連、中国に対する最前線基地の防塁として日本列島を利用し、日米安保条約の締結を急ぐための講和条約だった。それに反対する全面講和論は、朝鮮戦争は無論のこと、冷戦構造にも反対して、中ソとも講和条約を結び、領土問題や賠償問題も全面解決して、第2次大戦の戦後処理の完全解決を図る主張でした。
 世論の動向もあって、全面講和論は敗れ、単独講和と日米安保条約が成立、日本はアメリカを頂点とした西側陣営の「自由と民主主義」の陣営に組み込まれました。しかし、同時に単独講和だったために、中国は会議に招待もされず、ソ連は講和条約に反対し、朝鮮半島は戦闘状態、そのため単独講和は「片面講和」だった。そのためにソ連の北方領土をはじめとする竹島、尖閣、沖縄などの領土問題を、今日まで未解決なまま残すことになってしまった。その点で領土問題は、サンフランシスコ条約と日米安保条約の後遺症であり、負の遺産として今後も残り続けることになります。

 東西冷戦体制の中で、日本は「自由と民主主義」の価値観で西側陣営の一員になりますが、この「自由と民主主義」も、あくまで冷戦体制のもとでの価値観に過ぎない点が重要です。そこで冷戦体制ですが、世界大戦の戦争状態、つまり「熱戦」ではない。しかし、東西の両陣営が軍備を拡張し、不断の軍拡競争を展開する体制です。そもそも冷戦が、アジアでは朝鮮戦争の勃発で始まり、その中でサンフランシスコの単独・片面講和条約が結ばれて出発した。だから冷戦の下で朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争など、世界大戦のような全面戦争は回避されたものの、局地戦争、部分戦争が世界各地で次々に勃発したのです。だから「自由と民主主義」もまた、単なる市場の自由な競争だけでなく、局地戦争、部分戦争とセットだし、抱き合わせだった。
 したがってまた、冷戦体制は安保体制の構築と維持が不可欠だったし、冷戦体制下で米・ソの核開発競争が展開されました。第2次大戦の終結が、広島・長崎での原爆投下によるものであった以上、戦後の冷戦体制の下での安全保障もまた、核の抑止力によらざるを得ない。東西冷戦は、米ソの核の傘のもとに、二つの陣営が組み込まれて対立する構造だったわけです。実際、冷戦は米ソによる核開発、核拡大の競争であり、両陣営の対立だった。もちろん原子力開発は、第二次大戦中の軍事利用、米の「マンハッタン計画」として進められ、1945年7月に原爆実験が成功した。それを利用して8月に広島、次いで長崎に原爆が投下され、日本の無条件降伏により第二次大戦は終結した。しかし、核開発は終わらないのです。

 戦後の冷戦体制は、戦時下の軍事主導による核開発によって構築されたといってもいい。アメリカは、原子力開発の歴史をスタートさせた国であり、冷戦下の核開発競争をリードしてきました。上記の原爆製造に成功の後、軍事利用の目的で核燃料製造のための巨大施設が建設され、さらに巨大科学の研究開発システム、さらにまた多数の民間企業の参加・協力体制も構築されたのです。文字通りの「産軍複合体制」です。しかも、ヨーロッパではベルリンの壁、北東アジアでは朝鮮戦争による38度線で東西二つの世界に分断された。ソ連もまた、間もなく第1回の原爆実験に成功し、米ソ、東西の核開発競争が始まります。米トルーマン大統領の水爆実験(1952‐3年)が行われ、米ソの核軍事力の拡大競争はエスカレートし、53年にソ連の水爆実験も成功しました。この時点で、米ソ双方で約4万発の核爆弾を蓄え、飽和状態に達した、とも言われています。
 1953年、アメリカ大統領アイゼンハワーが、国連で有名な「Atoms for Peace」原子力平和利用を提案しました。すると翌54年には、ソ連がモスクワ郊外の原子力発電所で5MWの発電を行うなど、熱戦のための原子爆弾の製造から、冷戦のための平和利用で原子力発電が開始されます。しかし、米ソの核開発競争は、産軍複合体制の下で平和利用の名のもとに、原爆から原発の開発競争に拡大を見ることになったのです。その点で、冷戦体制の下で、熱戦の原爆と平和利用の原発は、まさに表裏一体であり、核軍拡と結びついて原発の開発競争が始まった事実を忘れてはならないでしょう。とくにソ連は、ちょうど100年前のロシア革命以来、いわゆる「国家社会主義」の集権型計画経済として、国家独占型の電力事業により社会主義を建設し、工業化を推進してきた。
 
 すでに指摘しましたが、レーニンは1920年12月、第8回全ロシア・ソヴィエト大会の報告で「国内の敵は、小経営のうちに保存されており、これを覆すためには一つの手段がある――それは、農業をも含めて国の経済を、新しい土台に移すことである。そのような土台とは、ただ電力だけである。<共産主義とは、ソヴィエト権力プラス全国の電化である。>」と演説しました。プロレタリア独裁の下で国家独占により電力の全国的ネットワークで工業化を図る、これがレーニンの「国家社会主義」のテーゼです。とすれば、冷戦体制の下で熱戦の原爆開発とセット抱き合わせで、中央集権型指令経済として原発を推進することは、まさにソ連型社会主義の建設であり、発展だった。米ソの核開発競争は、原発の拡大発展により、ますます加速され、増幅されてエスカレートすることになったのです。
 冷戦下の核開発競争は、原子力の平和利用の原発開発の段階を迎え、ソ連型である「黒鉛減速沸騰冷却型」原子炉の開発に進む。その原子炉こそ、1986年4月レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故を引き起こし、91年にはソ連そのものが崩壊、冷戦体制は終結を迎えました。ソ連崩壊に対して、アメリカの原子力産業はどうだったのか?原子力平和利用が提起され、原子力法の改正など濃縮ウラン燃料が民間企業に貸与される方式で、動力炉の開発が進められました。その結果、アメリカでは巨大電機メーカーの手に、発電炉の開発技術が蓄積されます。しかし、1960年代には、中東の低廉な石油の利用による石油火力発電が台頭し、原発は実用化の準備段階だった。それが70年代、2度に及ぶ石油ショックにより、原子力発電ブームがやってきます。アメリカの原子力産業の圧倒的優位の下に、原子力産業が世界的に拡散しました。日本でも、東京電力による福島第一、第二原子力発電所の建設が進み、東北の「原発銀座」と呼ばれたのです。

 こうしたアメリカの巨大原子力産業の拡大発展は、上記のソ連の原発開発に刺激され、核拡大競争として推進されます。ソ連のレーニン主義、プロレタリア独裁に対抗するためにも、西側陣営は「自由と民主主義」の価値観でコントロールして組織化を図る。ソ連の核軍拡と安全性への脅威に対して、一方では核拡散の防止に努め、他方では原発の安全神話のキャンペーンの総動員体制が構築されたのです。その意味では、「自由と民主主義」の理念は、あくまでも冷戦体制の下で、ソ連の核の脅威に対抗するための価値観だったと言えるでしょう。そして、ソ連が上記の通り、チェリノブイリ原子力発電所の爆発事故により、体制の根底にあった「全国の電化」の理念が喪失し、その結果として体制の崩壊を迎えたとすれば、西側の『自由と民主主義」も対抗する根拠を失うことになってくる。
 しかし、ソ連崩壊による冷戦体制の終焉の前に、アメリカの原子力産業国家の内部から亀裂が表面化しました。言うまでもなく1979年のスリー・マイル島の原子力発電所の第2号炉の事故です。すでにこの時点で、安全設計や設備の不備、また運転員の誤操作などの問題が大きく提起されていました。実際、スリー・マイル島の事故の後、アメリカ国内では新たな原子力発電所の建設がストップした。そうしたアメリカ国内の矛盾の上に、86年のソ連のチェルノブイリの事故が発生し、とくに事故による放射能の汚染が西方のヨーロッパ各地に拡散したことは、原子力発電計画に大きな打撃を与えました。にもかかわらず日本を含めアジア諸国では、いぜんとして原発導入に積極的な国が多い点が指摘されてきました。それに終止符を打つような巨大津波を伴う2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の発生だったのです。

 

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# by morristokenji | 2017-02-02 18:30
 「同一労働・同一賃金」のガイドラインが、政策なき運動として進められるについては、すでに説明の通り、安倍一強内閣が「一億総活躍社会」を目指し、国民運動として「働き方改革」を推進する政策的意図が強いと思います。国家権力が前面に躍り出て、国民総動員で「成長戦略」を実現しょう、そのためには少子高齢化で限界が来ている就業労働力を何としてでも確保したい。そのための国民運動こそが、まさに「働き方改革」のスローガンではないか?「何のため」、「誰のため」に働くのか、それを政権主導で、国家権力が進める国民運動です。

 いうまでもなく資本家的経営においては、労働市場において労働力が商品として企業に売られ、賃労働として労働者は雇用されます。労働力の商品化が前提される、いわゆる資本・賃労働の階級関係です。ここでは、資本家的経営に雇用される限り、労働力は資本に売られ、資本が労働力を使用する以上、労働力は資本のために働くのです。「何のため」に働く?それは資本のために働く。そして、資本家的経営の企業である以上、経営の目的は企業の利潤追求であり、株式会社であれば株主の配当=利殖のために働くことにならざるを得ません。労働力の企業への貢献についても、要するに企業の利潤追求への貢献以外の何物でもないのです。
 こうした企業の労使関係は、両者の契約関係である以上、資本を代表する経営者と労働者の間の関係です。経営者の組織と労働組合との団体交渉で決められる場合も、労使の契約関係であることに変わりはない。また、契約関係で働く以上、労働者は企業の職場で、経営者の管理の下で働くことになる。そして、労働者が生産した物もサービスも、労働者のモノではない。すべて資本家的企業のモノになる。労働者は、自分で作ったクルマも、企業から購買する以外にない、それが資本家的経営の現実です。その点で、労働基準法など、長時間労働や最低賃金が決められていても、それは大枠のことであり、基本は労使の自由な契約に任されているのです。その限りにおいては、国家権力である政府が、「働き方改革」と称して、労使の契約関係に介入するのは、労使関係に対する重大な干渉になるでしょう。

 さらに労使の契約関係では、労働条件である賃金、労働時間などが交渉で決められる。これは、あくまでも労働市場の労働力の売買のレベルの話であり、売り方の労働者はできるだけ高く、買い方の資本の側は安く買い叩こうとします。買い物をする時の、売り手と買い手の立場と同じで、市場原理です。労働組合が交渉に関与する場合も同じで、資本を代表する経営者組織と、労働者を代表する労働組合の市場取引です。労働組合は組織の力で交渉力を強め、より有利に労働力の取引を行うだけです。労働組合の力が無くなって、最近のように「官製春闘」と呼ばれる、政府の力を借りる賃金交渉では、当然のことながら政府からデフレ脱却のための消費拡大の代償を求められることにもなるのでしょう。
 戦後日本経済の高度成長時代、賃金交渉は総評を中心に、春闘方式で行われてきました。名前だけは官製春闘として残っていますが、賃上げ交渉を①時期的には春季に、②全国横並びに統一的に、③ベースアップとして基本給の一律アップを目指し、賃上げの相場形成をリードしました。年中行事の春闘は、全国規模の一斉ストライキを構え、大きな社会問題として国際的にも話題を集めました。SOHYOと言う和製英語が国際的に通用した時代だったのです。また、日本経済の高度成長とともに、国際的な日本の低賃金が大幅に改善され、特に年齢別賃金格差が改善されて、いわゆる「一億総中流」時代が到来したのです。

 しかし、80年代の終わり、労働戦線の統一が実現し、連合が結成されて総評が解散したあと、春闘方式による賃金上昇は急速に減速しました。春闘の終焉とも言えますが、それはなぜか?総評の応援団として協力した経験からすれば、そもそも春闘は高度成長に便乗したものでした。日本経済の高度成長は、別の機会に説明しましたが、輸出依存・民間投資主導型でした。その民間投資主導の成長に、企業内組合は容易に便乗しやすい。賃上げも成長実現と同時に実現され、しかもインフレ物価上昇とも結びついた。基本給の一律アップの要求に、消費者物価の年率上昇率が加算され、全国統一の
春闘相場の形成とゼネストに結びついたのです。文字通り、春闘方式は「高度成長+インフレ便乗型」賃上げ方式だった。
 しかし、こうした春闘方式を中心とした労働組合の運動は、高度成長それ自身より内部矛盾が拡大し、組織の劣化が浸透しました。すでに前回(上)説明しましたが、企業別組合を含む日本型経営の3点セットのうち、年功序列型賃金を支えていた、若年労働力の不足と賃金上昇が急速に進んだ。とくに地方の農村部の若年労働力の雇用拡大と年齢別賃金格差が縮小する。それと同時に、年功給が維持できなくなり、それこそ「同一労働・同一賃金」の職務給が導入されるとともに、年功給に支えられていた終身雇用制も次第に制度疲労が進むことになぅたからです。そうなれば、もともと3点セットで維持され、春闘方式とともに、日本経済の高度成長を主導してきた企業別組合も組織的な危機を迎えることになる。上記の総評解散、労線統一、そして連合の誕生は、こうした企業別組合の内部事情から必然だったように思われます。

 このように春闘方式が、「高度成長+インフレ便乗型」なるがゆえに、日本経済の長期デフレとともに終焉を迎えた。それとともに、労線統一によって誕生した連合も、「派遣型」労働力など非正規雇用の増大とともに、組織率の大幅な低下に苦悩しているだけではない。「官製春闘」に縋りつきながら、今や「同一労働・同一賃金」を梃子に「働き方改革実現」の総動員体制に組み込まれようとしている。安倍一強政権のもと、「一億総活躍社会」構築にむけて体制翼賛団体として、連合も「国家」のために働き「安保法制」の実現に参加することになりかねない。そうした政治的意図を持ちながら、「働き方改革実現」が提起されたのではないか?この間の民主党、民進党と連合の関係にも、そうした危惧を感じます。
 ただ、初めに提起したように、そもそも安部一強政権が「一億総活躍社会」や「働き方改革実現」を提起するに至ったのは、「高度成長戦略」の実現のためのアベノミクスが破綻し、もはや財政や金融のマネタリー戦略を超えて潜在成長力そのものの「岩盤」に斧を振う、そのための働き方改革です。資本過剰による長期慢性型デフレが解決できず、国家権力が正面から少子高齢化の労働力不足を解決せざるをえない。そのために「保育所」をつくり、女性の建設労働力「建設小町」を動員し、難民労働力に「田植え」をさせる、その地ならしに向けての「働き方改革」ではないか?そこまで労働力商品化の矛盾に追い詰められ日本資本主義の終わりの姿が曝け出されたなら、日本経済を救う代替戦略を提起しなければならないでしょう。

 とくに「働き方改革実現」として問題が提起されたなら、労働力商品化の賃労働については、アダム・スミスの昔から「労働は、toil & torouble(骨折りと苦労)」であり、マイナスの効用だった。しかし、それは労働力が商品として売買されるからであり、もともと人間労働は「社会的動物」としての行為であって、協業や社会的分業で相互に協力し合い、助け合って働き続けてきた。協同組合の祖であるロバート・オーエンなどは、「協同労働」を本来の労働としている。イギリス産業革命が進む中でオーエンの思想は、J・ラスキンやW・モリスに継承され、とくにモリスは「芸術は労働における喜びの表現である」と主張し、それを我が宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』で「芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ」と強く訴えたのです。「共同社会」主義comunitarianismの思想に他なりません。
 一方、すでに高度成長の終焉した日本資本主義は、今なお「蓄積せよ蓄積せよ」の成長神話で暴走し、大量生産―大量販売―大量消費の使い捨ての仕組みの中で、「過労自死」に追い込まれ、ブラック企業の統治能力が問われ続ける「賃労働」である。しかし、この「賃労働」による「過労社会」の「働き方改革」は、「協同労働」として「実現」する道が提起できないのか?すでに資本の過剰が長期化し、アベノミクスも破綻している。資本過剰の「過労社会」は、「過労自死」の悲劇を生むだけではない。少子高齢化の名のもとに、労働力の再生産が維持できなくなっている。「保育所落ちた、日本死ね」は、労働力の再生産の機能不全の証明であり、それは資本・賃労働の社会の存続不能を意味しているのではないか。すでにビジネスモデルは、広く「社会的企業」の名で各種の協同組合、ベンチャーキャピタル、NPO、「一人親方」など、営利的個人・株式企業の行き詰まりとは対照的に増加している。こうした新たなビジネスモデルの労働組織として、既得権だけを保守する企業別組合に代わる労働組合の再生が期待されるのではなかろうか?
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# by morristokenji | 2016-12-28 13:00