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by morristokenji

擬制資本と資産

 「擬制資本」というタームがある。「架空資本」とか、「利子生み資本」とか、あるいは「資本の商品化」などと、呼ばれることもあり、商品とか貨幣、利潤、利子のように、経済学(マルクス経済学)でも、明確な概念規定がないように思われます。概念規定の内容以前に、ターミノロジーそのものが、まだかなり曖昧で不安定なまま、最近特に使用されている経済用語です。
 例えば、1992年に刊行された経済小説ですが、清水一行『擬制資本』(集英文庫)は、はじめ濃厚極まりないセックスシーンから始まります。週刊誌のエロ小説かと思いますが、すぐに戦後の朝鮮動乱の特需ブームなどに乗って拡大した鉄骨橋梁メーカーの鉄工所の役員が登場し、会社の株の取引をめぐっての話題に変ります。最近、とくにその会社の株の取引が急増し、株価の変動も異常である。東証二部から一部への指定変えのときに急騰したが、その後は大きな変化がなかった。その株価が急に荒れ始めた。年末の大納会を控え、東証から「取引注意銘柄」の指定を受けたのだ。話題は投機的な買占めの動きをめぐって進みます。
 会社の幹部役員の主人公は、もともとは特攻隊員の生き残りの「飛行機野郎」、米機グラマンと渡り合った「流星」の操縦士だった。太平洋上で戦った空中戦さながらの株式市場をめぐっての「仕手戦」が展開されます。時折、待合に囲っている愛人とのセックスシーンの話題を絡ませながら、突然の株価の急騰と株式取引の出来高の急増による仕手筋からの「陽動作戦」への対応に追いまくられている。
 そこで鉄工所の会社概要ですが、わが国第二の鉄骨橋梁メーカー、明治41年創立、資本金15億円、従業員825名、売上高170億円で経常利益は9億4千万円、配当は年5%です。歴史が古いけれども、大手ゼネコンの下請け中小企業で過小資本株、投機的買占めの対象になり易い会社だ。資本金15億円でも、額面50円では発行株数は3千万株であり、それに買占めグループの仕手筋が入っての投機的買占めが始まったわけです。
 この小説は、単なるフィクションではない。末尾に付された「解説」によれば、実際に起きた兜町最大の買占め事件と呼ばれる昭和56年2月の「整備投資事件」を、ほぼそのまま素材にしている。買占めグループは、投資コンサルタント会社「整備投資顧問室」で、一般投資家から巨額の資金をかき集め、株買占めのため投機的に利用、その売買利益の脱税で顧問室のリーダーが逮捕された事件です。買占めにより額面50円の株価が、年始は220円台だったものが、発行株数3000万株のうち、71%の2100万株が買い占められ、株価は2500円にまで吊り上げられた。株価が2000円としても、額面50円の40倍で、資本金15億円の「現実資本」の40倍の600億円、これが「擬制資本」と呼ばれているのです。
 本のタイトル『擬制資本』の説明は、1-2箇所しか出てきません。買占めグループが3社の株を買占め「三社の平均株価を五百円額面の十五倍として計算すると、擬制資本の総額は一千億以上になってしまう」とか、上記の例で「二千円になったら、額面の四十倍だ。うちの資本金を四十倍で換算すると、擬制資本の総額は六百億円」、こんな説明だけなのです。しかも、この擬制資本は、計算上の話だけで、小説でもそうだし、実際の「整備投資事件」でもそうですが、現実には空中戦ならぬ仕手戦の最後では、株価の暴落で終わる。また、国家権力により脱税で仕手戦リーダーの逮捕による「一瞬の崩壊」で、事件も終幕を迎えたのです。

 そこで経済学に戻って、「擬制資本」の定義ですが、まずマルクスの『資本論』では、第三巻の第5編「利子と企業者利得への利潤の分割。利子生み資本」の第25章「信用と空資本」、29章「銀行資本の構成部分」、および32章「貨幣資本と現実資本(Ⅲ)」において、「空資本」「仮空資本」の表現で出てきます。『資本論辞典』などでは、「擬制資本」、「仮空資本」、「空資本」を、同一のものの表現の違いだけだとしています。したがって、「普通一般には、もっぱら公社債や株式などの有価証券の価格、なかんずく後者の意味に用いられているようである。だが、これをかように狭い意味だけに限定したのでは、仮空資本の正確な理解はえがたいであろう」としています。しかし、『辞典』の説明だと、逆に「擬制資本」の範囲は拡大し、信用論、利子論全体に広がりかねません。例えば「銀行の貸付ける信用」、「有価証券の価格」で利子生み資本、そして「名目的な預金、準備金」、さらに「投機手形による資本」などとして、幅広く説明しています。
 『資本論』は、マルクス自身が手を入れた第一巻を除き、第二巻、第三巻、とくに利子論は、マルクスの残した未整理な原稿をエンゲルスが編集したものです。引用文やノートに過ぎない原稿ですし、執筆の時期もばらばらで、『資本論』の草稿として適当かどうか疑わしいものもあります。それらを一括して、「擬制資本」や「仮空資本」として定義するのは無理だし、かえって信用論や利子論をあいまいにしたり混乱させたりすることになりかねません。意味内容を絞り込んて、「擬制資本」「仮空資本」として概念化する理由を明確にする必要があるでしょう。その点で、宇野弘蔵『経済原論』(全書版)での「擬制資本」の取扱いはどうなっているか?
 宇野『原論』では、「仮空資本」のタームはなく「擬制資本」に絞られていますが、「資本自身をも商品化する新たな形態規定」として「一般に資本主義社会においては一定の定期的収入は、一定額の資本から生ずる利子とせられることになるのであって、貨幣市場の利子率を基準にして、かかる所得は利子による資本還元を受けた、いわゆる擬制資本の利子とみなされることになる。」ここでは、「定期的収入」が利子率で資本還元されるので「擬制資本の利子」とされていますが、定期的収入の例は、土地-「地代」、株式―「配当」などであり、ここで株式―「配当」によって、「資本は、この配当を利子として資本還元される擬制資本を基準として、商品化され売買されることになる。その他公債、社債等の有価証券も同様にして商品化される。」この擬制資本の市場が、「貨幣市場」の「補助市場」として「資本市場」となる。しかし、「資本市場に投ぜられる資金は、投機的利得と共に利子所得を得るための投資として、原理論で解明しえないヨリ具体的な諸関係を前提とし、展開するものとなるのである。」
 
 以上、マルクスの『資本論』と宇野『原論』を手掛かりに、「擬制資本」の定義をチェックしました。利子と利子率が成立すると、「一定額の資本」から生ずる定期的収入が利子とみなされ、したがって「一定額の資本」の評価が利子率による資本還元で「いわゆる擬制資本の利子とみなされる」と説明されています。いささか含蓄に富んで曖昧ですが、「一定額の資本」は土地や有価証券も含まれるとすれば、運動体としての「現実資本」との混同を避ける意味からも、「資金」を基礎に「資産」とすべきでしょう。「資産」とすれば、土地、建物などの実物資産、資金や有価証券の金融資産の両方が含まれる。その評価が利子率による資本還元になり、特に株式の場合は「いわゆる擬制資本」になる。
 ここで「資産」としたのは、一方では実物資産と金融資産の両方が含まれることと、他方マルクスとともに最近の世界的ベストセラー『Le Capital』のピケティによるの資本概念との関連からです。すでに書きましたが、マルクスの「資本」とピケティのそれとは違い、ピケティは「資産」のことを資本と呼んで、その格差拡大を問題にしていました。(「持論時論」第28,29回の拙稿を参照)事実、先進国は19世紀まで地租など資産課税が中心だったし、最近は金融資産の価値上昇で資産格差の再拡大が進んでいる。資産格差としては、ピケティの統計的分析は重要だし、彼の格差分析の成果は高く評価すべきです。といって、『資本論』の現実資本の剰余価値生産との混同は許されないでしょう。
 とくにソ連崩壊によるポスト冷戦と符節を合わせて、世界的金融自由化のビッグバンが起こり、日本に始まるバブル経済の慢性化により、現実資本の慢性的デフレによる低成長時代を迎えた。アベノミクスの成長戦略も、現実資本のデフレ慢性化を脱却できない。にもかかわらず金融面からは、財政・金融の異次元緩和の超低金利を持続し,資産価値の上昇だけは維持せざるを得ないのです。土地・不動産の値上がり、株・有価証券の上昇は止められない。こうした不動産バブル・金融資産バブルは、「社会主義市場経済」の中国経済をも巻き込みながら、「無政府的な法則性」ならぬ「無政府的な無法則性」の支配に世界市場を巻き込んでいる。いつ最終的破綻が来るのか?

 資本主義経済は、世界史の一時代として、無政府的な競争社会ですが、決して無法則ではなかった。『資本論』が明らかにし、宇野『原論』が論証したとおり、周期的な金融恐慌を含む景気循環に具体化される法則的秩序を、「純粋資本主義」として実現した。価格変動を常とする商品市場も、「一物一価の法則」として貨幣の価値尺度機能が実現する。労働力商品の特殊性による労働市場も、資本蓄積の有機的構成の変化を通して、相対的過剰人口法則が支配する。個別資本の無政府的競争も、資本の絶対的過剰生産を利子率上昇で調整され、貨幣市場の利子率によって景気循環の法則的秩序が形成されます。商品市場、労働市場、貨幣市場の三位一体の資本主義の法則的秩序を認め、その科学的認識の上で、社会主義のイデオロギー的主張も可能になるのです。
 では、株式資本による「資本市場」はどうか?いわゆる「擬制資本」には、市場原理が支配するのか?日本におけるバブル経済が始まった上記1981年の「整備投資事件」では、清水一行『擬制資本』か見事に描き出したように、投機的な株の買占めが続き、株価は高騰に高騰を重ねました。この株価吊り上げは、誰もが買い取り得ない巨大な時価総額の「擬制資本」のバブルとなった。しかも、仕手グループの有力メンバーの逮捕、「国税局―地検特捜という権力構造が、ストレートに襲い」かかって、仮空の株価は暴落し「一瞬の崩壊」で終わった。ここには「資本市場」の法則の支配はない。国家権力の無慈悲な介入だったのです。

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# by morristokenji | 2015-07-30 12:59
 このほど、2011年4月22日、3・11の福島第一原発事故で、全村が「計画的避難区域」に設定された福島県飯舘村の老人ホーム「社会福祉法人いいたて福祉会」を訪問しました。その悲惨極まりない現状を報告させてもらいます。

 飯舘村ですが、そこは「日本で一番美しい村」と呼ばれ、NHK・BSが「世界で一番美しい村」として報道、イギリス観光旅行の人気スポットになっているコツッオールズの村々にも似た、とても美しい中山間地の村です。東北では、奥羽山脈と違い、阿武隈山系はなだらか丘陵地帯の広がった、「飯舘牛」など牧畜に適した草地、そして田畑の広がる農村です。その農村に、1996年に「いいたて福祉会」の老人ホームが設立されました。

 老人ホーム設立に当たり、飯舘村では元気な老人たちの活動の場としてホームを考えました。単なる介護の施設でなく、「老人力」が地域に生かされる場所としての老人ホームです。丁度その当時、仙台でNPO法人「シニアネット仙台」の理事長として、「行くところがある、することがある、会う人がいる」を合言葉に、元気な老人活動の場づくりを始めていたので、飯舘村からお声が掛かりました。沢山集まった関係者に仙台の経験を話し、「ぜひ飯舘にも元気な老人ホームを作って欲しい」と訴えました。

 そんな縁があり、設立された「いいたて福祉会」の成功を、心より期待していました。ところが3・11の原発事故、原発の立地もなく、協力交付金も一銭も貰っていないのに、風向きだけで飯舘村全体が「計画的避難区域」に指定され、村民は全員避難、村役場も福島市内に移転しました。老人ホームの「概要」では、その時の避難対応について、こう説明しています。

 (1)避難する場合
  ①県内外に分散する方法
  ②県内外の仮設に避難する方法
  これら避難して移転する方法は、適当な場所が見つからず断念。
 (2)現在の施設に残り事業を継続する場合
  「年間20msvの被爆が予想されるものの、この算出方法は屋外8時間、屋内16時間で計算されている   が実際に利用者は外に出ることなく、職員でも屋外労働は年間で数時間のレベルにある。」「一定の条    件を整えることで、平成23年5月17日に政府が柔軟な対応で継続運営を認めた。しかし、職員は村外    から通勤することとなる。」
 
 こうして、ホームの存続と事業継続が選択されました。しかし、役場の業務も福島市内に移転して、村には日々数人の職員が通勤しているだけ。現在、村内で日中に働いているのは、汚染された田畑や道路の除染作業員だけ。夜は、ひとり老人ホームが「死の村」に取り残されて、寂しく時を過ごしている。しかも、日を追うごと、月を追うごとに入所者も、通勤の職員も、どんどん減っている。
 資料によれば、震災時に入所の利用者が112名いたのが、現時点で42名、マイナス70%です。通勤してくる職員も、140名から今は62名でマイナス78%、ホーム存続と事業継続のメリットと考えていた「利用者が安心して生活できる」「将来の復興に繋がる」などは見出せない。むしろ、「入所者の急病など緊急時の対応」、「生活インフラの確保」など、デメリットだけがが目立ちます。

 目下、作業員が除染中の飯舘村の村民の帰還ですが、2017年の予定だそうです。しかし、まだまだ除染作業は続き、除染の範囲は道路や家屋の周囲20メートルまで、20メートルを1センチでも越えれば、そこは汚染されたままなのです。また、除染の進んだ田畑や庭にも、すでに除染した土砂や草木など、黒いバックに詰め込まれて、そのまま積み上げられて、中間貯蔵施設や最終処分場に行くのを待っています。しかし、宮城、岩手の処分場は決まらず、福島県内も十分な余裕はない。すでに飯舘の村内の山間部に、どんどん放棄されている話も聞きました。しかも、汚染された土砂を、業者が密かに県内、東北各地にも不法投棄した、というニュースも報道されている。まさに「トイレのないマンション建設」が進んでいるのです。これから廃炉の進む福島原発、さらに再稼動される全国各地の原発から出てくる使用済み核燃料はどうするのか?気の遠くなる現実が、目の前の飯舘村で始まっているのです。

 今度、飯舘村に出掛けたのは、「老人ホーム」に隣接した空地に、「飯舘電力」のソーラー発電が始まり、その開所式に出席のためでした。しかし、発電の現場は「居住制限区域のため不在」、開所式も福島県庁のビルで行われ、事務所もそこにあるのです。また、続いて大手の東光電気工事が、留守になった村役場を占拠するように「いいたてまでいな太陽光発電事業」の看板を大きく出して、「村所有の牧草地に、出力10.000kWの太陽光発電所を建設する。発電した電力は村の復興のために、東北電力(株)に全量売電する。」と作業員が動いています。しかし、ここも事務所も、「飯舘電力」と同じ福島市内のビルにある。発電所の建設が終わり発電を開始すれば、ほぼ無人で生産される電力は、「東北電力(株)に全量売電する」だけ、謳い文句の「自然再生エネ」はどのように地産地消の飯舘産業の復興に役立つのか不明です。わずかに「老人ホーム」の夜の明かりを灯すだけ、あとは東北電力に売られてしまう。

 もう一度、「老人ホーム」に話しを戻します。村に残り、事業継続を決めて4年以上、皆さん頑張ってきました。「震災を振り返って」こんな感想が書いてあります。
 「---あれから4年、振り返るととても大変なことだった。それでも支え合うなかまがいたから、できたこと。
今でも不思議なくらい笑いと笑顔がこぼれる。皆が好きで、一緒に居たいから、想いが同じなら、ひとつになれると思うから---」
 しかし、ホームの資料は、入所者も、それを支える職員も、もう7割が減ってしまった。少しも戻ってこない。最高齢99歳、最低齢でも78歳、ここで死ぬしかない人だけかも知れません。2年後、村民が避難解除で帰還しても、ホームに戻ってくる老人が居るのか?ホームの玄関の入り口に、東京の渋谷区の区民から送られた針金製の犬の造型が置いてありました。忠犬ハチ公の造型です。出て行った入所者の帰りを黙って待っているのか?それとも高齢化の進む東京の老人が、姥捨てさながらに「いいたて福祉会」に入所してくるのを待っているのか?いずれにしても、原発事故で「死の村」となってしまっている飯舘の老人ホームに、元気な老人の姿を期待することはできないでしょう。
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# by morristokenji | 2015-07-19 20:54
 5)宇野の三段階論では、原理論と段階論、それらを前提とした各国の現状分析、その集合としての世界経済論が、第3の現状分析の領域に他ならない。世界資本主義論のように、世界市場の変化を主導する支配的資本の発展ではない。しかし、宇野・現状分析も世界経済論では、それぞれの発展段階での主要な中心国の位置づけが明らかになるから、結果的には世界資本主義論の外的発展と大きな差異が生ずるとは思えない。
 むしろ宇野・現状分析の問題点は、第一次世界大戦とその結果としてのロシア革命によるソ連邦の成立で、世界史的発展が資本主義から社会主義へ転換、その結果として方法論を現状分析にしたことにある。段階論は第一次大戦までで終わり、それ以降世界史は、ソ連社会主義のリーダーシップにより発展するという、コミンテルン以来のマルクス・レーニン主義に共通の歴史認識である。しかし、そのドグマが、1991年のソ連崩壊で呆気なく破綻した。現状分析の取り扱いを中心に、宇野・三段階の方法も再検討を迫られるのは当然だろう。
 ただ、宇野もコミンテルンのドグマを、ただ信じ込んだわけではない。別の機会に検討したが、一連の「『資本論』と社会主義」の論稿で、初期マルクスとともにエンゲルス、レーニン、そしていち早くスターリン論文を批判した宇野である以上、ソ連評価も極めて慎重だった。宇野は、エンゲルス以来の唯物史観のドグマを批判し、レーニンの『帝国主義論』も、段階的特徴の例証とその評価は別にして、その方法を厳しく批判する。「根本は、原理論と段階論との方法上の違いにあるといってよいでしょう」と繰り返し批判していたのだ。
 にもかかわらず『帝国主義論』を段階論として評価しようとする。その理由は、「レーニンのロシア革命を容認したことにある」(拙著『土着社会主義の水脈を求めてー労農派と宇野弘蔵ー』第十章)と考える以外ないだろう。具体的には、フルシチョフのスターリン批判やハンガリー問題の後、1971年(昭46)になって『経済政策論』の改訂版を出し、その「補記」において、こう述べた。「その後の資本主義の諸国の発展は顕著なるものを見せながら、それはこれらの社会主義の建設を阻止しうるものではなかったようであり、しかもその発展に新たなる段階を画するものがあるとはいえないのである」と述べ、段階論は第一次大戦までで終わり、それ以降については、それを現状分析の世界経済論とした。ただ、この時点で岩田を含めてわれわれもまた、反スターリンの立場は明確でも、宇野に対してソ連体制の崩壊を、明確に提起していなかった。
 ハンガリー問題、チェコ事件、さらには中ソ論争など、東のソ連圏などに生じた体制破綻の予兆について、すでに話題にはしていたものの、あからさまに宇野批判はしなかった。それに、宇野が72年(昭47)に病に倒れて以降、とくに宇野の発言もないまま、77年には他界してしまった。もし宇野が、そして友人だった向坂逸郎が生きていたら、91年のソ連崩壊について、2人はそれぞれどう見るだろうか?しかし、ここではそうした不毛な議論は意味がない。ただ、1917年(大6)のロシア革命の直後、ドイツに留学した2人の世代的イデオロギーの時代認識の限界だった、と言うほかないだろう。そして、ソ連崩壊によって、宇野の三段階論の一角は崩れ落ちた。初期マルクス・エンゲルスの唯物史観を厳しく批判し、レーニンからスターリンへ批判の矢を放ち続けた宇野の三段階論、とくに段階論については、一定の修正が必要だろう。段階論に関しては、上記の通り第一次大戦までと限定した論拠に、ソ連体制が前提されていた以上、ソ連崩解は金融資本と帝国主義政策の持続を前提し、その上でアメリカの金融資本とドルを基軸とする国際通貨・金融体制を典型とする補強が不可欠だと思う。同時にまた、世界経済論としての現状分析は、第2次大戦と日独伊3枢軸国の敗戦と連合国の勝利、戦後の冷戦構造に対する分析が必要だし、ソ連型社会主義を「国家社会主義」として位置付ける必要があると思われる。世界大戦の「熱戦」、そして半世紀に及ぶ「冷戦」と呼ばれる「戦時体制」の長期に亘る持続の中で、クーデターまがいの権力奪取によるプロレタリア独裁、中央集権的な指令型計画経済、さらに原爆と原発の抱き合わせの原子力・核開発競争、さらにくわえて中ソ論争を踏まえた中国型社会主義の新たな地位についても、改めて解明し直す必要があると思う。
 こうしたソ連崩壊による新たな論点を掘り下げる討論を期待し予定していたが、岩田氏も他界し宇野のもとに去ってしまった。残された記録では、「社会主義というのは、マルクスもそうですが、私的所有の廃棄とそれを基礎とする計画経済でしょう。曲がりなりにも、ソ連はそれをやっているのです。しかもソ連がやったやり方以外は、あり得ない訳ですよ。基本的には、社会主義は実現した、ということでしょう。そして、尚且つ、さらに提起する問題を考える余裕は、宇野さんにはなかったでしょうね。」この発言内容が繰り返され、確認されただけに終わってしまった。この発言内容は、唯物史観のドグマである所有法則の転変、いわゆる「否定の否定」であり、資本主義が社会的生産の発展に対し、私的・個人的所有の基本的矛盾を内包しているのに対し、社会主義では社会的生産の拡大発展に対し、所有法則は私的・個人的所有を止揚して、国有や公有、集団所有などの社会的所有に変革される。そして、商品経済の無政府制の止揚で計画経済となる、まさにマルクス・レーニン主義のドグマに他ならない。
 しかし、レーニンの段階論はともかく、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観のドグマ、とくに「否定の否定」の所有法則の転変いついては、岩田氏より以上に宇野自身が再三再四繰り返し批判していた。とくに資本主義の基本矛盾を、社会的生産と私的所有の矛盾ではなく、労働力商品の特殊性に求めていたし、それにより純粋資本主義の原理論も構築していたのだ。むしろ問題があるとすれば、労働力商品化の止揚を、レーニンのプロレタリア独裁に期待し、計画の主体形成をレーニンの外部注入論である前衛党の役割とする、宇野のソ連論にあったし、ビジョンとしての社会主義論の不備などにあったと思われる。だから岩田氏に聞き質したいのは、世界資本主義の発展が、内在的に「ロシアにおける資本主義の発展」を生み、その世界資本主義が、なぜにソ連型社会主義を外面化し、それが崩壊したのか?そこを聞きたかったのだが、最後にもう一点、論点提起したい。

 6)われわれの話し合いで、もつとも盛り上がり、かつ意気が投合したのは、コミュニティ・共同体をめぐる議論だった。さながら岩田ゼミの再開であったが、それもまたソ連崩壊によってマルクス・レーニン主義のドグマが否定され、代わるべき社会主義のビジョンが求められているからだろう。晩期マルクスの古代社会やロシア共同体への関心、生前マルクスと接点のあったE・B・バックス、そしてW・モリスとの共著『社会主義』(大内・川端康雄監訳『社会主義ーその成長と帰結』2014年晶文社刊)、さらに西欧の古典的共同体社会主義、サンデルなど現代のコミュニタリアニストとの関連など、幅広く話題にできたことは有益だった。まだまだ話は尽きなかったのだが、われわれが社会主義を捨てられない限り、赴くところは共同体社会主義だったのだろう。その共同体へのアプローチをめぐって、岩田・世界資本主義論と宇野・純粋資本主義論との差異はどうなるのか?残された大きな論点だと思う。
 ここで推測を交えることを許して欲しいが、世界資本主義はマルクス、そして宇野が強調していた、市場・商品経済がもともと共同体の生産の内部からではなく、共同体と共同体の間から、その商品交換の拡大から発生した事実に着目している。したがって、市場・商品経済の拡大から世界市場が発展し、この基軸となる世界資本主義の歴史的展開を追跡する。こうした流通浸透視角からすれば、世界資本主義の外部に共同体経済が存在し、市場経済は絶えず共同体経済に外的圧力をかける。その世界資本主義の圧力で共同体は崩壊し、世界資本主義の内部に包摂される。内面化に対する外面化のロジックである。この外面化のロジックからすると、世界資本主義論の共同体経済は、あくまでも前近代的な共同体の残存であり、それを世界資本主義が内部化できないところに、世界資本主義の矛盾も存在することになろう。そして、そうした外部の共同体による社会主義だとすれば、それは一種の周辺革命論になるのではないか?
 しかし、世界資本主義の外的拡大に限界があるにしても、外部の共同体の存在が、そのまま社会主義といえるのかどうか?その外部の共同体社会主義が、どのように世界資本主義の内部に作用し、世界史的な世界資本主義の体制変革に繋がるのか?体制変革の主体となるものは何か、どのような組織と運動が変革の主体になるのか?さらに、外部に存在する共同体であれば、それを新たな共同体社会主義のビジョンに設定できるのか否か?さまざまな疑問が尽きないと思う。すでにR・オーエンのニュー・ラナークの実験を始め、共同体社会主義に類する実験が、さまざまに行われ、さまざまな失敗や成功が繰り返され重ねられてきているだけに、岩田・世界資本主義論からのビジョンと展望に詳細な検討が必要なのだ。
 他方、純粋資本主義論の立場からは、どうなるのか?宇野は戦後、三段階論を構築、それを精緻に纏め上げる作業を続けた。とくに純粋資本主義の原理論の精緻化に努力は集中されたが、その場合も『資本論』との関係が問われ続けた。しかも、『資本論』と社会主義をめぐっての一連の論稿に見られるように、その作業は社会主義の科学的論拠付けを目指していたことが看過されてはならない。もともと宇野の『資本論』研究の出発も、たんに『資本論』の理論的研究ではなく、社会主義を根拠付けのための研究だったことは、宇野が繰り返し述懐していた。商品経済の歴史形態的特徴を明らかにする「価値形態論」研究、資本主義の基本矛盾の解明のための「労働力の商品化」論、さらに相対的過剰人口の法則解明の恐慌論研究も、資本主義の運動法則の背後に人間と自然との物質代謝が充足されている経済原則を明らかにしていた。
 宇野は、純粋資本主義の法則解明で、恐慌論と崩壊論のイデオロギー的癒着を切り離した。段階論を歴史的移行から典型論として展開し、さらに現状分析により体制変革の主体形成と組織的運動の役割を根拠づけた。その体制変革の主体的運動の目指すビジョンは、人間と自然の物質代謝の経済原則の目的意識的実現であり、近代社会の資本主義的経済法則の超克なのだ。主な柱は、①人間労働は、近代の商品化された「賃労働」から、類的存在としての「協同労働」へ、②自然は地域に賦存する自然再生エネルギーによる循環型利用、③必要労働による人間の生存と世代間再生産を保障し、④生産財と消費財の資源の適正配分による地産地消の地域循環、⑤剰余労働に基づく地域公共財の確保と福祉・文化・芸術の向上、こうした経済原則の実現はまた、西欧の伝統的共同体社会主義の理念でもあった。
 宇野の『資本論』を基礎とした純粋資本主義からの共同体社会主義のビジョンは、その経済原則である自然と人間の物質代謝から、いわば内部的に提起されたアプローチといえる。それとは逆に、上記の岩田・世界資本主義論のアプローチは、市場・商品経済の世界資本主義の内部ではなく、その外部にある共同体に依拠した共同体社会主義である。両者は、同じ共同体社会主義でも、まさに対照的であり、十分な討論が必要だった。宇野による戦後の原理論の構築と『資本論』研究が、最終的に『資本論』と社会主義に集約され、その結果として経済原則に基づく内部からの共同体資本主義のビジョンだとすれば、その内在的批判から
代替的ビジョンも提起されなければならないであろう。確かに宇野は、世代的制約などから、レーニンの段階論について、イデオロギー的に評価し、またソ連擁護のイデオロギーもあった。
 とはいえ宇野は、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観を厳しく批判していた。マルクス・レーニン主義の唯物史観のドグマを、宇野ほど早くから、かつ厳しく批判した者はいない。唯物史観は、たんなるイデオロギー的仮設であり、資本主義を歴史的なものと把握するために必要な作業仮設だった。しかし、それが理論的に論証されず、また歴史的に実証されず、単なるイデオロギーとして一方的に主張されれば、それはドグマになりソ連崩壊に繋がった。しかし、宇野はマルクス・レーニン主義のドグマを批判し、その上で『資本論』を科学的に論証し、経済政策論など段階論、そして多くの現状分析を手がけてきた。たんなるイデオロギー的作業仮設から一方的に主張された唯物史観の「社会主義的科学」は、宇野の『資本論』と社会主義におけるレーニン、スターリンの批判を通じて、はじめて「科学的社会主義」として共同体社会主義が基礎づけられたと見るべきではなかろうか? 
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# by morristokenji | 2015-07-11 15:45
 3) 宇野の段階論は、一方で『資本論』研究による純粋資本主義の原理論に対して、他方では戦前・東北大学での講座担当が「経済政策論」だった事情で、「経済政策論」として体系化された。しかし経済政策としてなら、先進国vs後進国の政策的移行など、必ずしも資本主義の発展段階論にはならないだろう。資本主義の発展段階論の視点は、宇野が述懐している通り、マルクス『資本論』とレーニン『帝国主義論』との方法を整理することから提起された。『帝国主義論』は、その方法論の難点は別にして、少なくとも資本主義の歴史的発展段階の視点、つまり産業構造の重化学工業化への段階的発展を踏まえた政策論だった。
 段階論については、残念ながら立ち入った議論がなかったので、ここで論点を付け加えるが、宇野の段階論は経済政策の単なる歴史的移行論ではない。重商主義、自由主義、そして帝国主義の3つの段階にはなっているが、それは政策の段階的特徴づけではあっても、移行論ではない。政策の歴史的移行となれば、例えば先進国イギリスの自由主義政策に対し、後進国ドイツの保護主義の政策対立となり、それがさらに帝国主義の対立へと発展した。このような政策の歴史的移行からすると、イギリス対ドイツというように、一国資本主義の対立となり、さらに先進国イギリスについては、その時間的・空間的な延長線上に純粋資本主義のモデルが観念的に想定されてしまう。こうした一国資本主義の純粋資本主義モデルを、おそらく岩田氏は批判したかったのであろう。
 戦前、宇野の経済政策論の形成過程では、ドイツの保護関税をめぐる論争など、英独の関税政策の分析があった。しかし、段階論としての経済政策は、レーニン『帝国主義論』を踏まえ、世界史的発展を主導する資本主義の支配的資本の政策要求の歴史的変化である。初期の前期的商人・金貸資本、確立期の産業資本、そして後期の金融資本であり、これらの支配的資本の蓄積・再生産を代表する政策体系に他ならない。しかも、支配的資本の蓄積・再生産については、それぞれ支配的な基幹産業があり、その産業構造(industrial stracture)の上に、特有な産業組織(industrial organization)が形成されていた。宇野・段階論としては、①地場羊毛の毛織物工業とマニュファクチュア組織に基づく前期的商人・金貸資本 ②輸入綿花の綿糸・綿織物工業と機械制大工業による産業資本、そして③石炭石油・電気エネルギーによる重化学工業と金融資本の産業組織である。
 だだし宇野・段階論の場合、前期的商人・金貸資本、産業資本、そして株式資本による金融資本の3形式が、原理論における流通(形態)論、生産(過程)論、そして分配(関係)論の理論的展開に反映されるかに説明されこともある。歴史と論理の統一であり、世界資本主義論の歴史的移行にも通底する説明だろう。しかし、たんなる資本の形式だけならば、商人・金貸資本、産業資本、株式資本は、現代を含めて各段階にも認められ、純粋資本主義の抽象の意義を曖昧にするだけだろう。歴史的移行と論理的移行の混同は許されない。
 段階論は、論理的移行ではないし、その歴史的反映でもない。むしろ産業構造の歴史的転換、産業組織の段階的変化、さらに労使関係(industrial relations)の展開を内容とした支配的資本の歴史的変化である。だからこそ宇野は、段階論の方法については、原理論とは異なり、典型論とか類型論とかの方法を主張したのであろう。その点で、岩田・世界資本主義論の「外面化」による歴史的移行論とは、方法的共通性はない。歴史的移行となれば、階級対立を踏まえた上記の労使関係を前提にした運動論、運動の主体形成が説かれねばならない。段階論に対する現状分析の課題だろう。
 現状分析は各国分析、そしてその集合としての世界経済論になるだろうが、純粋資本主義の原理論を踏まえ、現状分析を進めるための一種の作業仮説として、段階論が必要になるのではないか?しかし、各段階の主導国の支配的資本の段階論は、例えばドイツの金融資本とドイツ経済の現状分析が分かち難く絡み合っている以上、両者の区別は難しい。宇野・段階論の難点でもあるが、しかし日本資本主義の現状分析としては、段階論を類型論ないし典型論として、方法的に前提せざるを得ないと思う。現状分析を、原理論を踏まえて行う以上、段階論が必要だし、それ無しには単純な模写論となり、実証史学の成果を超えられないだろう。

 4) 段階論としては、国家論の位置づけが極めて大きな論点である。世界資本主義論も、そう簡単に国家権力を市場の価格関係で内面化できるわけではない。岩田も、国家の内面化に関して「内面化という言い方は、言葉がきつかったので、価格関係に還元する」と言い替えていたが、言い替えはかえって不味い。なぜなら、租税国家としての近代国民国家は、言うまでもなく個人にせよ、法人にせよ、納税と行政からの物的・サービス給付で国家と関連する。租税納付は義務であり、行政の物・サービスは給付で、市場の価格関係ではない。A・スミスは貨幣で納税して、サービスを国から買う関係にしたが、これこそ市場とともに近代国家の絶対視だ。D・リカードは、国際価値論と租税財政論を編別上括り出すして『経済学と課税の原理』を書いた。
 マルクスも、『批判』までは、プランで商品・貨幣から直線的に上向し、国家、外国貿易にまで到達する上向法だった。しかし『資本論』では、純粋資本主義を抽象した。純粋資本主義の自律的運動法則からは、内部的に国家は出てこない。出てこない点に運動の自律性もある。とくに宇野・原理論では、国家の権力機能は皆無としなければ、純粋資本主義の抽象の意味も無くなる。唯、『資本論』にも、鋳貨とか、労働日をめぐり、国家の役割が出てくる。財政学や労働経済の関係者が原理的に国家を論ずるが、しかし歴史的な事実の説明だけで、理論的には国家権力の積極的役割とは言えない。たんなる社会的裏付けだけの形式的役割に過ぎない。
 問題は、資本の原始的蓄積、そこでの労働力商品の創出である。国家権力が、助産婦の役割となり、権力的に「二重の意味で自由な労働力」を商品化した。商品・貨幣・資本の流通過程の発展のロジックだけからは、労働力は商品化できない。自力では労働力商品を出産できないから、国家権力の助産婦の役割が必要だったのだ。純粋資本主義の自律的運動の論理だけでは展開できず、そこで『資本論』では、資本の蓄積過程の理論的説明の「補論」として、「所有法則の転変」などとともに、第1巻第7編第24章「いわゆる本源的蓄積」を置き、さらにマルクスが生前に手を入れた仏語版では、第24章以下を第8編に独立させ節を章にした。つまり、純粋資本主義の法則展開の外部に、国家とその権力による本源的蓄積を位置づけることによって、『批判』までの曖昧な位置づけを処理した。
 ただ、このように方法上処置された近代国民国家は、いわゆる「法治国家」として資本主義の発展の枠組みを維持する役割を果たす。上記「二重の意味で自由な労働力」の商品化、それを裏付ける土地の私有財産と商品化、そして土地資産への地租を中心とした「租税国家」の役割である。その上で農業の資本主義化を含む農村工業(イギリスでは羊毛・毛織物工業)のマニュファクチャ経営と、それを支配する前期的商人・金貸資本の利益を代表する重商主義政策を推進した。続いて第一次産業革命で産業構造の段階的変化がやってきて木綿工業が基幹化する。機械制大工業が組織され、近代国民国家の政策は「政策なき政策」の自由主義に転換する。機械制大工業が組織者となり「資本はいわば権力者化する」(宇野『経済原論』)ここで資本主義は自律的な景気循環で自己組織化され、純粋資本主義が抽象されることになる。
 しかし、第2時産業革命と呼ばれる重化学工業化は、金融資本を支配的な資本として、高度な組織化を図る。いわゆる組織的独占であり、国家もその利害を代表して帝国主義の政策を展開する。国家は、ここで官僚国家として積極的役割を演ずる。自由主義の「小さな政府」から積極的な「大きな政府」、たんなる「法治国家」から「行政国家」へ、「租税国家」から「国債国家」へ、近代国民国家も支配的資本の産業組織の段階的変化と共に変化する。純粋資本主義の周期的恐慌による景気循環の自己組織化、それを前提とする支配的資本の組織化をバックアップする近代国家の役割である。
 宇野理論の段階論は、国家論からみると、たんなる経済政策の段階的変化にとどまらず、資本の体制的組織化の段階的変化であり、原理論は自律的な景気循環の自己組織化の原理である。原理論の上に、段階論の近代国民国家による体制組織化の歴史的変化が展開する。しかし、20世紀を迎え、世界史の発展は、「戦争と革命」の世紀に変わり、2度の世界大戦と長期の冷戦時代が到来した。「国家資本主義」とか「国家社会主義」と呼ばれて、近代国民国家と資本主義の体制組織との関係が、改めて問われることになった。
 宇野は、第2次大戦の敗戦から戦後体制の再出発の時点で「資本主義の組織化と民主主義」(『世界』1946年5月号)など、その年に4つの時論を寄稿した。「資本主義は、その存続のため、恐慌と失業を克服する途を発見しなければならなかった。
 ナチス・ドイツはこの課題を、周知のごとくその独特の方法によって解決しようとして失敗した。---資本主義の組織化が今後いかなる形態で行われるにせよ、それがいかなる基礎において、いかなる条件の下に行われ得るかを明らかにしなければ、ナチス・ドイツの失敗を批判することも出来ないであろう。
 今次大戦後の世界資本主義は、いうまでもなくこれをナチス・ドイツと反対に民主主義的に解決しようとしている。---資本主義は、民主主義的に組織化されない限り、真に組織化されるものではないのである。」
 含蓄に富んだ問題提起だが、大戦を経て、ナチスや日本軍国主義の敗戦を経て、近代国民国家が資本主義を超えて、体制の組織化を図るとすれば、民主主義的な組織化しかない。経済的自由主義、政治的民主主義の価値観による体制の組織統合だが、ソ連崩壊を経たポスト冷戦の今、民主主義による組織統合が根底から揺らいでいる。政党政治の政権交代は終わり、EUなどの地域統合は、ソブリン危機やスコットランド独立など地域独立の国民投票、部族国家のイスラム国の登場、各地の民族宗教紛争など、自由と民主主義の価値観による体制のの組織化の限界を暴露している。現代資本主義の民主主義の危機だが、宇野の現状分析の手法に移ろう。

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# by morristokenji | 2015-07-07 10:48
 3) 若年労働力の不足をめぐる人材育成・確保の問題は、たんにバブル崩壊による景気循環など短期的な問題ではない。長期構造的な問題であり、建設産業そのものの存否が問われている。若年技能者、さらに技術者の構造的不足は、農業の後継者問題と同様に、建設産業の後継者問題に連結している。震災復興や東京五輪の一時的ブームの後に、職人の確保ができず事業継続の展望が見通せないとすれば、ブームを利用して、今から転廃業のチャンスを狙っている事業者も少なくない。まさに産業そのものの構造的危機といえる。
 建設産業の産業特性は、同じ第二次産業に属していても、工場における製造業に一般的な大量生産、そして大量宣伝、大量販売、大量消費型の業態とは、根本的に異なる特性なのだ。列挙すると、
 ①近代的な市場メカニズムには馴染みにくい工事量が不安定な「受注産業」であり、現場での単品生産で屋外労働が主流を占める生産特性である。ここから建設雇用も生産現場単位になるし、経営安定のための元請、下請の関係が生ずる。元請会社ー専門工事業者-労務下請け業者の多重下請け構造となる。
 ②市場メカニズムに対して不安定な受注環境や雇用条件のため、景気変動に対する雇用や賃金の弾力的対応も困難であり、近代的な雇用関係、社会保険制度、休日などの労働条件が確保できない。3K職場が恒常化する。
 ③近代的なライフスタイルからみて、とくに職人技能の継承は困難であり、近代的な学校教育制度でも、科学技術の習得はともかく、技能の世代間継承を進めにくい。職人の高齢化と慢性的不足が構造化する。
 このような産業特性から、第一次産業の農林水産とは別の意味で、市場原理による産業の近代化や合理化が浸透できない構造的限界があった。というより元来、建設産業は農林業との協業関係が強く、建設土木の作業は農業の合間に、いわゆる農閑期を利用して行われてきた。戦後日本でも、東北農村の出稼ぎ労働力が三大都市圏など太平洋ベルトの工業開発のための基盤整備に従事してきた。農業と建設土木は、いわば兼業・副業の関連を持っていた。農業、農村、農家の崩壊から、そうした農村の出稼ぎ労働力を利用できなくなり、建設産業の近代化も限界を迎え、建設産業の構造的危機が始まったともいえる。
 戦後日本の建設産業も、GHQなどの「経済民主化」の一環として、市場原理に基づく近代化路線を進めて高度成長も実現した。しかし、高度成長が終わり、長期慢性化した不況の中で、農業など第一次産業部門と共に、建設産業も技能者などの人材確保、重層的下請制など、構造的矛盾が噴出した。また、近代的学校教育も対応できず、抜本的制度改革を迫られている。「経済民主化」の近代化路線を超えて、「産業の社会化」に取り組む時代を迎えたのではないか?
 「産業の社会化」については別に論じなければならないが、戦後の「経済民主化」と対置して議論された。市場原理による経済の近代化路線に対して、産業組織の社会的転換による今日の「ソーシャルビジネス」など、各種の非営利組織の協同組合や労働団体、消費者団体など「協同」の組織原理による、新たな社会改革を志向していた。今、ポスト冷戦を迎え、近代社会の資本主義経済が新たな歴史的限界を迎える中で、農業や建設業など地域産業の再生のためには、「産業の社会化」の視点から構造転換を目指す必要があるだろう。
 その際、構造改革を担う主体形成は、新たな「教育改革」によるものであり、それは既存の行政組織や企業団体の上からの改革ではありえない。農家・農民の農業改革とも連動した、下からの「独立労働者教育」による実践であり、それこそ宮澤賢治の花巻「羅須地人協会」や「大阪労働学校」などの教育実践の歴史的経験を継承し、それを現代に生かす実践的営為であると信ずる。

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# by morristokenji | 2015-07-05 16:03