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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

社会主義の闘い(その2)

 理論と実践の「弁証法的統一」の詭弁のドグマから自由になっていたモリスは、実践のレベルから、当時のエキサイトな課題として、階級闘争を分析する。闘争だから、階級関係は攻める側と守りの側、攻守2つに別れることになる。モリスは、まずは守りの資本・体制側からの分析を進めるが、それが(その1)の内容だった。つぎは、攻める労働側からのアプローチが(その2)だ。
「行動は、1863年頃ドイツでラッサールにより、国民運動として始まった。それは彼の死後も、形式的には数年間拡大した。一方、『インターナショナル』(第1インター)も設立され、次第にマルクスやエンゲルスの指導下に入った。リープクネヒト、ベーベルの2人の有能で精力的な助力を得た。彼らはラッサールやシュルツなど、かってはベーベルもそうだったが、ブルジョアの協力者を、インターナショナルの考え方に転向させるのに、疲れを知らなかった。」
 以上のように述べた後、モリスはドイツを始め、各国別に運動の特徴を紹介する。ここでも簡単に紹介したい。
 ドイツについては、各政党の詳細には立ち入らないと断った上で、「マルクスの党派が急速に発展している」として、1875年のゴーター綱領、大新聞の発行、議会への進出などを挙げる。しかし、78年に皇帝の襲撃事件が起こり、新聞発行も抑圧、オープンな宣伝も不可能になった。それでも独・社民党の党勢は拡大、St.Gallen大会でも、議員達から「楽観主義」が生まれながら、党の革命性が維持された。また、若干の期間、社会主義の前進が抑圧され、愛国心の波がフランスと同様、高まりを見せた。しかし、党自身は国際主義への感情が圧倒的に強く、それが総ての問題を圧倒していた。
 フランスでは、革命運動のリーダーとしての地位が低下した。政党は、戦術上ではあるが、セクトの対立と分裂がひどかった。でも社会主義の思想は、労働者大衆に浸透し、他の国と比べると農民には距離があった。だから、未組織ながら運動は製造業のあらゆる部門に拡大した。ドイツでの様な社会主義への弾圧もなく、単に普通の政治組織からの圧迫を受けていただけだ。
 オランダは特別で、82年になって運動が始まった。宣伝活動は、最近獄中から出てきたアムステルダムで人気の高い牧師D ・Nieuwenhuisによるものだ。警察は社会主義者に暴力事件をでっち上げて攻撃し、会合の場所に入り込んだり、指導者の生活を脅かしている。
 次はベルギーだが、運動が大きく発展し、2つの政党の対立の中での発展であり、労働者の革命意識が高揚した。とくに炭鉱での悲惨な状態により、運動が刺激されている。そして1886年には、革命の形を呈するまで暴徒化し、政党も日刊紙でそれを支持するに到った。
 デンマークでも、いっそう運動が進んでいて、人口の割りに発行部数の多い2つの新聞がサポートしている。ここではリベラルが多数派だが、王党派が行き詰まり、憲法上の助けもあっての前進である。この運動は、スウエーデンにも波及し、そこでは社会主義政党が成立している。
 ロシアでは、貴族的絶対主義が野蛮な絶対王政の復活と結びつき、それによる奇妙な政府の成立の結果、「社会革命」の前兆として憲法改正を目指すに到っている。他方、こうした事態が知識層の熱望となり、運動への賛美となって、敵からも尊敬されるほど個人的英雄主義を醸し出した。
 オーストリアでは、社会主義は一般大衆の心持にすぎない。一つには、多様で敵対する民族を帝国が統合しなければならない合成的な性格によるものだし、もう一つには「独裁的政府」の治安対策の厳しさによるものだ。明確な組織になってはいない。
 イタリーでは、運動は進んでいるが、民主制の尻尾があったり、Mazzinianの足かせがあり、
それらが牧師や王による支配制度を廃止するに到っていないように思われる。
 スペインでは、バクーニンの無政府主義思想の流れが大きな影響を持ち、運動も結果的にアナーキストの性格が強い。政党も、若干の小さい週刊誌に支えられているだけだ。
 さらにアメリカだが、運動は最近ドイツからの移民の手に完全に移ってしまったが、近年は階級闘争が著しく発展した。労使間の各種の闘争では、目標や行動が曖昧ではっきりしないものの、地域に固有な労働党が形成され、次第に労働者の団結が完全な形で承認されつつある。ヘンリー・ジョージの著作『進歩と貧困』の出版がセンセーションを巻き起こした。著者は権力や地位を求めるに当たり、運動にどんな価値があっても誤りは取り消していたが、不十分ながら影響を与えたことは疑いない。アメリカの運動の事件では、「労働の騎士」と呼ばれる巨大労組の結成があり、それにはこの国の労組と言うよりも、社会主義に向けての一定の発展の傾向がある。Powderlyのカソリック教会への媚が組織分裂をもたらしはしたが、真の社会主義がごく自然に米・労働者階級に受け入れられる期待が生まれた。これは、米・資本家の最近の法案により促進されるだろう。彼ら資本家は、賃金奴隷の団結を卑怯にも恐れているからだし、都市での絶望的な労働争議の最中には、爆弾の投げ合いもあり、それを口実にシカゴではアナーキストのリーダーが殺されもしたのだ。
 ここで、わが英国に戻るが、運動は社会主義者の組織の枠を超えて拡大している。もっとも、それは後援会の聴衆の数、雑誌やパンフの発行数だけにすぎない。実際、ここでの運動の力は知的な側面であり、行動の組織力は限られている。にもかかわらず、社会主義者の考え方の範囲は広く、また深く感じられるようになり、このことは昔のリベラルの左翼の立場から見て、彼らの数が不断に増大していることから、とくに「ラディカル」への影響が著しい。リベラルと言うのは、グランドストーンが自由党のリーダーになって以来のことで、それ以来その枠組みでの活動だった。アイルランドの運動は、底辺での謀反であり、また労働者階級の経済力の低さを反映している。「民主ラディカルと自由ラディカル」の分岐も拡がったが、社会主義の思想には、より一層耳を傾けるようになった。労働組合も、経済状態から生まれる不満の単なる安全弁の行動だったが、いまや資本主義の単なる付属品から、資本主義への不断の攻撃のための組織として、その地位を変える傾向を強めているようだ。ただ、それを気に入らない感情を持ち、それを窒息死させるためにベストを尽くすリーダーの重さが、労組の発展可能性の妨げになっている。しかし、他の障害も乗り越え、労組はこの国の社会主義の恐るべき組織になるだろう。それは、英領アイスランドの運動の力の評価の通り、経済的地位がどうあろうと、総て国内で起こっている政治的、倫理的、かつ文化的な反撃の本部となっているのだ。
by morristokenji | 2009-01-12 17:37