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by morristokenji

コメント2「宇野・岩田論争」が提起したもの

 3) 宇野の段階論は、一方で『資本論』研究による純粋資本主義の原理論に対して、他方では戦前・東北大学での講座担当が「経済政策論」だった事情で、「経済政策論」として体系化された。しかし経済政策としてなら、先進国vs後進国の政策的移行など、必ずしも資本主義の発展段階論にはならないだろう。資本主義の発展段階論の視点は、宇野が述懐している通り、マルクス『資本論』とレーニン『帝国主義論』との方法を整理することから提起された。『帝国主義論』は、その方法論の難点は別にして、少なくとも資本主義の歴史的発展段階の視点、つまり産業構造の重化学工業化への段階的発展を踏まえた政策論だった。
 段階論については、残念ながら立ち入った議論がなかったので、ここで論点を付け加えるが、宇野の段階論は経済政策の単なる歴史的移行論ではない。重商主義、自由主義、そして帝国主義の3つの段階にはなっているが、それは政策の段階的特徴づけではあっても、移行論ではない。政策の歴史的移行となれば、例えば先進国イギリスの自由主義政策に対し、後進国ドイツの保護主義の政策対立となり、それがさらに帝国主義の対立へと発展した。このような政策の歴史的移行からすると、イギリス対ドイツというように、一国資本主義の対立となり、さらに先進国イギリスについては、その時間的・空間的な延長線上に純粋資本主義のモデルが観念的に想定されてしまう。こうした一国資本主義の純粋資本主義モデルを、おそらく岩田氏は批判したかったのであろう。
 戦前、宇野の経済政策論の形成過程では、ドイツの保護関税をめぐる論争など、英独の関税政策の分析があった。しかし、段階論としての経済政策は、レーニン『帝国主義論』を踏まえ、世界史的発展を主導する資本主義の支配的資本の政策要求の歴史的変化である。初期の前期的商人・金貸資本、確立期の産業資本、そして後期の金融資本であり、これらの支配的資本の蓄積・再生産を代表する政策体系に他ならない。しかも、支配的資本の蓄積・再生産については、それぞれ支配的な基幹産業があり、その産業構造(industrial stracture)の上に、特有な産業組織(industrial organization)が形成されていた。宇野・段階論としては、①地場羊毛の毛織物工業とマニュファクチュア組織に基づく前期的商人・金貸資本 ②輸入綿花の綿糸・綿織物工業と機械制大工業による産業資本、そして③石炭石油・電気エネルギーによる重化学工業と金融資本の産業組織である。
 だだし宇野・段階論の場合、前期的商人・金貸資本、産業資本、そして株式資本による金融資本の3形式が、原理論における流通(形態)論、生産(過程)論、そして分配(関係)論の理論的展開に反映されるかに説明されこともある。歴史と論理の統一であり、世界資本主義論の歴史的移行にも通底する説明だろう。しかし、たんなる資本の形式だけならば、商人・金貸資本、産業資本、株式資本は、現代を含めて各段階にも認められ、純粋資本主義の抽象の意義を曖昧にするだけだろう。歴史的移行と論理的移行の混同は許されない。
 段階論は、論理的移行ではないし、その歴史的反映でもない。むしろ産業構造の歴史的転換、産業組織の段階的変化、さらに労使関係(industrial relations)の展開を内容とした支配的資本の歴史的変化である。だからこそ宇野は、段階論の方法については、原理論とは異なり、典型論とか類型論とかの方法を主張したのであろう。その点で、岩田・世界資本主義論の「外面化」による歴史的移行論とは、方法的共通性はない。歴史的移行となれば、階級対立を踏まえた上記の労使関係を前提にした運動論、運動の主体形成が説かれねばならない。段階論に対する現状分析の課題だろう。
 現状分析は各国分析、そしてその集合としての世界経済論になるだろうが、純粋資本主義の原理論を踏まえ、現状分析を進めるための一種の作業仮説として、段階論が必要になるのではないか?しかし、各段階の主導国の支配的資本の段階論は、例えばドイツの金融資本とドイツ経済の現状分析が分かち難く絡み合っている以上、両者の区別は難しい。宇野・段階論の難点でもあるが、しかし日本資本主義の現状分析としては、段階論を類型論ないし典型論として、方法的に前提せざるを得ないと思う。現状分析を、原理論を踏まえて行う以上、段階論が必要だし、それ無しには単純な模写論となり、実証史学の成果を超えられないだろう。

 4) 段階論としては、国家論の位置づけが極めて大きな論点である。世界資本主義論も、そう簡単に国家権力を市場の価格関係で内面化できるわけではない。岩田も、国家の内面化に関して「内面化という言い方は、言葉がきつかったので、価格関係に還元する」と言い替えていたが、言い替えはかえって不味い。なぜなら、租税国家としての近代国民国家は、言うまでもなく個人にせよ、法人にせよ、納税と行政からの物的・サービス給付で国家と関連する。租税納付は義務であり、行政の物・サービスは給付で、市場の価格関係ではない。A・スミスは貨幣で納税して、サービスを国から買う関係にしたが、これこそ市場とともに近代国家の絶対視だ。D・リカードは、国際価値論と租税財政論を編別上括り出すして『経済学と課税の原理』を書いた。
 マルクスも、『批判』までは、プランで商品・貨幣から直線的に上向し、国家、外国貿易にまで到達する上向法だった。しかし『資本論』では、純粋資本主義を抽象した。純粋資本主義の自律的運動法則からは、内部的に国家は出てこない。出てこない点に運動の自律性もある。とくに宇野・原理論では、国家の権力機能は皆無としなければ、純粋資本主義の抽象の意味も無くなる。唯、『資本論』にも、鋳貨とか、労働日をめぐり、国家の役割が出てくる。財政学や労働経済の関係者が原理的に国家を論ずるが、しかし歴史的な事実の説明だけで、理論的には国家権力の積極的役割とは言えない。たんなる社会的裏付けだけの形式的役割に過ぎない。
 問題は、資本の原始的蓄積、そこでの労働力商品の創出である。国家権力が、助産婦の役割となり、権力的に「二重の意味で自由な労働力」を商品化した。商品・貨幣・資本の流通過程の発展のロジックだけからは、労働力は商品化できない。自力では労働力商品を出産できないから、国家権力の助産婦の役割が必要だったのだ。純粋資本主義の自律的運動の論理だけでは展開できず、そこで『資本論』では、資本の蓄積過程の理論的説明の「補論」として、「所有法則の転変」などとともに、第1巻第7編第24章「いわゆる本源的蓄積」を置き、さらにマルクスが生前に手を入れた仏語版では、第24章以下を第8編に独立させ節を章にした。つまり、純粋資本主義の法則展開の外部に、国家とその権力による本源的蓄積を位置づけることによって、『批判』までの曖昧な位置づけを処理した。
 ただ、このように方法上処置された近代国民国家は、いわゆる「法治国家」として資本主義の発展の枠組みを維持する役割を果たす。上記「二重の意味で自由な労働力」の商品化、それを裏付ける土地の私有財産と商品化、そして土地資産への地租を中心とした「租税国家」の役割である。その上で農業の資本主義化を含む農村工業(イギリスでは羊毛・毛織物工業)のマニュファクチャ経営と、それを支配する前期的商人・金貸資本の利益を代表する重商主義政策を推進した。続いて第一次産業革命で産業構造の段階的変化がやってきて木綿工業が基幹化する。機械制大工業が組織され、近代国民国家の政策は「政策なき政策」の自由主義に転換する。機械制大工業が組織者となり「資本はいわば権力者化する」(宇野『経済原論』)ここで資本主義は自律的な景気循環で自己組織化され、純粋資本主義が抽象されることになる。
 しかし、第2時産業革命と呼ばれる重化学工業化は、金融資本を支配的な資本として、高度な組織化を図る。いわゆる組織的独占であり、国家もその利害を代表して帝国主義の政策を展開する。国家は、ここで官僚国家として積極的役割を演ずる。自由主義の「小さな政府」から積極的な「大きな政府」、たんなる「法治国家」から「行政国家」へ、「租税国家」から「国債国家」へ、近代国民国家も支配的資本の産業組織の段階的変化と共に変化する。純粋資本主義の周期的恐慌による景気循環の自己組織化、それを前提とする支配的資本の組織化をバックアップする近代国家の役割である。
 宇野理論の段階論は、国家論からみると、たんなる経済政策の段階的変化にとどまらず、資本の体制的組織化の段階的変化であり、原理論は自律的な景気循環の自己組織化の原理である。原理論の上に、段階論の近代国民国家による体制組織化の歴史的変化が展開する。しかし、20世紀を迎え、世界史の発展は、「戦争と革命」の世紀に変わり、2度の世界大戦と長期の冷戦時代が到来した。「国家資本主義」とか「国家社会主義」と呼ばれて、近代国民国家と資本主義の体制組織との関係が、改めて問われることになった。
 宇野は、第2次大戦の敗戦から戦後体制の再出発の時点で「資本主義の組織化と民主主義」(『世界』1946年5月号)など、その年に4つの時論を寄稿した。「資本主義は、その存続のため、恐慌と失業を克服する途を発見しなければならなかった。
 ナチス・ドイツはこの課題を、周知のごとくその独特の方法によって解決しようとして失敗した。---資本主義の組織化が今後いかなる形態で行われるにせよ、それがいかなる基礎において、いかなる条件の下に行われ得るかを明らかにしなければ、ナチス・ドイツの失敗を批判することも出来ないであろう。
 今次大戦後の世界資本主義は、いうまでもなくこれをナチス・ドイツと反対に民主主義的に解決しようとしている。---資本主義は、民主主義的に組織化されない限り、真に組織化されるものではないのである。」
 含蓄に富んだ問題提起だが、大戦を経て、ナチスや日本軍国主義の敗戦を経て、近代国民国家が資本主義を超えて、体制の組織化を図るとすれば、民主主義的な組織化しかない。経済的自由主義、政治的民主主義の価値観による体制の組織統合だが、ソ連崩壊を経たポスト冷戦の今、民主主義による組織統合が根底から揺らいでいる。政党政治の政権交代は終わり、EUなどの地域統合は、ソブリン危機やスコットランド独立など地域独立の国民投票、部族国家のイスラム国の登場、各地の民族宗教紛争など、自由と民主主義の価値観による体制のの組織化の限界を暴露している。現代資本主義の民主主義の危機だが、宇野の現状分析の手法に移ろう。

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by morristokenji | 2015-07-07 10:48