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by morristokenji

コメント3「宇野・岩田論争」が提起したもの

 5)宇野の三段階論では、原理論と段階論、それらを前提とした各国の現状分析、その集合としての世界経済論が、第3の現状分析の領域に他ならない。世界資本主義論のように、世界市場の変化を主導する支配的資本の発展ではない。しかし、宇野・現状分析も世界経済論では、それぞれの発展段階での主要な中心国の位置づけが明らかになるから、結果的には世界資本主義論の外的発展と大きな差異が生ずるとは思えない。
 むしろ宇野・現状分析の問題点は、第一次世界大戦とその結果としてのロシア革命によるソ連邦の成立で、世界史的発展が資本主義から社会主義へ転換、その結果として方法論を現状分析にしたことにある。段階論は第一次大戦までで終わり、それ以降世界史は、ソ連社会主義のリーダーシップにより発展するという、コミンテルン以来のマルクス・レーニン主義に共通の歴史認識である。しかし、そのドグマが、1991年のソ連崩壊で呆気なく破綻した。現状分析の取り扱いを中心に、宇野・三段階の方法も再検討を迫られるのは当然だろう。
 ただ、宇野もコミンテルンのドグマを、ただ信じ込んだわけではない。別の機会に検討したが、一連の「『資本論』と社会主義」の論稿で、初期マルクスとともにエンゲルス、レーニン、そしていち早くスターリン論文を批判した宇野である以上、ソ連評価も極めて慎重だった。宇野は、エンゲルス以来の唯物史観のドグマを批判し、レーニンの『帝国主義論』も、段階的特徴の例証とその評価は別にして、その方法を厳しく批判する。「根本は、原理論と段階論との方法上の違いにあるといってよいでしょう」と繰り返し批判していたのだ。
 にもかかわらず『帝国主義論』を段階論として評価しようとする。その理由は、「レーニンのロシア革命を容認したことにある」(拙著『土着社会主義の水脈を求めてー労農派と宇野弘蔵ー』第十章)と考える以外ないだろう。具体的には、フルシチョフのスターリン批判やハンガリー問題の後、1971年(昭46)になって『経済政策論』の改訂版を出し、その「補記」において、こう述べた。「その後の資本主義の諸国の発展は顕著なるものを見せながら、それはこれらの社会主義の建設を阻止しうるものではなかったようであり、しかもその発展に新たなる段階を画するものがあるとはいえないのである」と述べ、段階論は第一次大戦までで終わり、それ以降については、それを現状分析の世界経済論とした。ただ、この時点で岩田を含めてわれわれもまた、反スターリンの立場は明確でも、宇野に対してソ連体制の崩壊を、明確に提起していなかった。
 ハンガリー問題、チェコ事件、さらには中ソ論争など、東のソ連圏などに生じた体制破綻の予兆について、すでに話題にはしていたものの、あからさまに宇野批判はしなかった。それに、宇野が72年(昭47)に病に倒れて以降、とくに宇野の発言もないまま、77年には他界してしまった。もし宇野が、そして友人だった向坂逸郎が生きていたら、91年のソ連崩壊について、2人はそれぞれどう見るだろうか?しかし、ここではそうした不毛な議論は意味がない。ただ、1917年(大6)のロシア革命の直後、ドイツに留学した2人の世代的イデオロギーの時代認識の限界だった、と言うほかないだろう。そして、ソ連崩壊によって、宇野の三段階論の一角は崩れ落ちた。初期マルクス・エンゲルスの唯物史観を厳しく批判し、レーニンからスターリンへ批判の矢を放ち続けた宇野の三段階論、とくに段階論については、一定の修正が必要だろう。段階論に関しては、上記の通り第一次大戦までと限定した論拠に、ソ連体制が前提されていた以上、ソ連崩解は金融資本と帝国主義政策の持続を前提し、その上でアメリカの金融資本とドルを基軸とする国際通貨・金融体制を典型とする補強が不可欠だと思う。同時にまた、世界経済論としての現状分析は、第2次大戦と日独伊3枢軸国の敗戦と連合国の勝利、戦後の冷戦構造に対する分析が必要だし、ソ連型社会主義を「国家社会主義」として位置付ける必要があると思われる。世界大戦の「熱戦」、そして半世紀に及ぶ「冷戦」と呼ばれる「戦時体制」の長期に亘る持続の中で、クーデターまがいの権力奪取によるプロレタリア独裁、中央集権的な指令型計画経済、さらに原爆と原発の抱き合わせの原子力・核開発競争、さらにくわえて中ソ論争を踏まえた中国型社会主義の新たな地位についても、改めて解明し直す必要があると思う。
 こうしたソ連崩壊による新たな論点を掘り下げる討論を期待し予定していたが、岩田氏も他界し宇野のもとに去ってしまった。残された記録では、「社会主義というのは、マルクスもそうですが、私的所有の廃棄とそれを基礎とする計画経済でしょう。曲がりなりにも、ソ連はそれをやっているのです。しかもソ連がやったやり方以外は、あり得ない訳ですよ。基本的には、社会主義は実現した、ということでしょう。そして、尚且つ、さらに提起する問題を考える余裕は、宇野さんにはなかったでしょうね。」この発言内容が繰り返され、確認されただけに終わってしまった。この発言内容は、唯物史観のドグマである所有法則の転変、いわゆる「否定の否定」であり、資本主義が社会的生産の発展に対し、私的・個人的所有の基本的矛盾を内包しているのに対し、社会主義では社会的生産の拡大発展に対し、所有法則は私的・個人的所有を止揚して、国有や公有、集団所有などの社会的所有に変革される。そして、商品経済の無政府制の止揚で計画経済となる、まさにマルクス・レーニン主義のドグマに他ならない。
 しかし、レーニンの段階論はともかく、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観のドグマ、とくに「否定の否定」の所有法則の転変いついては、岩田氏より以上に宇野自身が再三再四繰り返し批判していた。とくに資本主義の基本矛盾を、社会的生産と私的所有の矛盾ではなく、労働力商品の特殊性に求めていたし、それにより純粋資本主義の原理論も構築していたのだ。むしろ問題があるとすれば、労働力商品化の止揚を、レーニンのプロレタリア独裁に期待し、計画の主体形成をレーニンの外部注入論である前衛党の役割とする、宇野のソ連論にあったし、ビジョンとしての社会主義論の不備などにあったと思われる。だから岩田氏に聞き質したいのは、世界資本主義の発展が、内在的に「ロシアにおける資本主義の発展」を生み、その世界資本主義が、なぜにソ連型社会主義を外面化し、それが崩壊したのか?そこを聞きたかったのだが、最後にもう一点、論点提起したい。

 6)われわれの話し合いで、もつとも盛り上がり、かつ意気が投合したのは、コミュニティ・共同体をめぐる議論だった。さながら岩田ゼミの再開であったが、それもまたソ連崩壊によってマルクス・レーニン主義のドグマが否定され、代わるべき社会主義のビジョンが求められているからだろう。晩期マルクスの古代社会やロシア共同体への関心、生前マルクスと接点のあったE・B・バックス、そしてW・モリスとの共著『社会主義』(大内・川端康雄監訳『社会主義ーその成長と帰結』2014年晶文社刊)、さらに西欧の古典的共同体社会主義、サンデルなど現代のコミュニタリアニストとの関連など、幅広く話題にできたことは有益だった。まだまだ話は尽きなかったのだが、われわれが社会主義を捨てられない限り、赴くところは共同体社会主義だったのだろう。その共同体へのアプローチをめぐって、岩田・世界資本主義論と宇野・純粋資本主義論との差異はどうなるのか?残された大きな論点だと思う。
 ここで推測を交えることを許して欲しいが、世界資本主義はマルクス、そして宇野が強調していた、市場・商品経済がもともと共同体の生産の内部からではなく、共同体と共同体の間から、その商品交換の拡大から発生した事実に着目している。したがって、市場・商品経済の拡大から世界市場が発展し、この基軸となる世界資本主義の歴史的展開を追跡する。こうした流通浸透視角からすれば、世界資本主義の外部に共同体経済が存在し、市場経済は絶えず共同体経済に外的圧力をかける。その世界資本主義の圧力で共同体は崩壊し、世界資本主義の内部に包摂される。内面化に対する外面化のロジックである。この外面化のロジックからすると、世界資本主義論の共同体経済は、あくまでも前近代的な共同体の残存であり、それを世界資本主義が内部化できないところに、世界資本主義の矛盾も存在することになろう。そして、そうした外部の共同体による社会主義だとすれば、それは一種の周辺革命論になるのではないか?
 しかし、世界資本主義の外的拡大に限界があるにしても、外部の共同体の存在が、そのまま社会主義といえるのかどうか?その外部の共同体社会主義が、どのように世界資本主義の内部に作用し、世界史的な世界資本主義の体制変革に繋がるのか?体制変革の主体となるものは何か、どのような組織と運動が変革の主体になるのか?さらに、外部に存在する共同体であれば、それを新たな共同体社会主義のビジョンに設定できるのか否か?さまざまな疑問が尽きないと思う。すでにR・オーエンのニュー・ラナークの実験を始め、共同体社会主義に類する実験が、さまざまに行われ、さまざまな失敗や成功が繰り返され重ねられてきているだけに、岩田・世界資本主義論からのビジョンと展望に詳細な検討が必要なのだ。
 他方、純粋資本主義論の立場からは、どうなるのか?宇野は戦後、三段階論を構築、それを精緻に纏め上げる作業を続けた。とくに純粋資本主義の原理論の精緻化に努力は集中されたが、その場合も『資本論』との関係が問われ続けた。しかも、『資本論』と社会主義をめぐっての一連の論稿に見られるように、その作業は社会主義の科学的論拠付けを目指していたことが看過されてはならない。もともと宇野の『資本論』研究の出発も、たんに『資本論』の理論的研究ではなく、社会主義を根拠付けのための研究だったことは、宇野が繰り返し述懐していた。商品経済の歴史形態的特徴を明らかにする「価値形態論」研究、資本主義の基本矛盾の解明のための「労働力の商品化」論、さらに相対的過剰人口の法則解明の恐慌論研究も、資本主義の運動法則の背後に人間と自然との物質代謝が充足されている経済原則を明らかにしていた。
 宇野は、純粋資本主義の法則解明で、恐慌論と崩壊論のイデオロギー的癒着を切り離した。段階論を歴史的移行から典型論として展開し、さらに現状分析により体制変革の主体形成と組織的運動の役割を根拠づけた。その体制変革の主体的運動の目指すビジョンは、人間と自然の物質代謝の経済原則の目的意識的実現であり、近代社会の資本主義的経済法則の超克なのだ。主な柱は、①人間労働は、近代の商品化された「賃労働」から、類的存在としての「協同労働」へ、②自然は地域に賦存する自然再生エネルギーによる循環型利用、③必要労働による人間の生存と世代間再生産を保障し、④生産財と消費財の資源の適正配分による地産地消の地域循環、⑤剰余労働に基づく地域公共財の確保と福祉・文化・芸術の向上、こうした経済原則の実現はまた、西欧の伝統的共同体社会主義の理念でもあった。
 宇野の『資本論』を基礎とした純粋資本主義からの共同体社会主義のビジョンは、その経済原則である自然と人間の物質代謝から、いわば内部的に提起されたアプローチといえる。それとは逆に、上記の岩田・世界資本主義論のアプローチは、市場・商品経済の世界資本主義の内部ではなく、その外部にある共同体に依拠した共同体社会主義である。両者は、同じ共同体社会主義でも、まさに対照的であり、十分な討論が必要だった。宇野による戦後の原理論の構築と『資本論』研究が、最終的に『資本論』と社会主義に集約され、その結果として経済原則に基づく内部からの共同体資本主義のビジョンだとすれば、その内在的批判から
代替的ビジョンも提起されなければならないであろう。確かに宇野は、世代的制約などから、レーニンの段階論について、イデオロギー的に評価し、またソ連擁護のイデオロギーもあった。
 とはいえ宇野は、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観を厳しく批判していた。マルクス・レーニン主義の唯物史観のドグマを、宇野ほど早くから、かつ厳しく批判した者はいない。唯物史観は、たんなるイデオロギー的仮設であり、資本主義を歴史的なものと把握するために必要な作業仮設だった。しかし、それが理論的に論証されず、また歴史的に実証されず、単なるイデオロギーとして一方的に主張されれば、それはドグマになりソ連崩壊に繋がった。しかし、宇野はマルクス・レーニン主義のドグマを批判し、その上で『資本論』を科学的に論証し、経済政策論など段階論、そして多くの現状分析を手がけてきた。たんなるイデオロギー的作業仮設から一方的に主張された唯物史観の「社会主義的科学」は、宇野の『資本論』と社会主義におけるレーニン、スターリンの批判を通じて、はじめて「科学的社会主義」として共同体社会主義が基礎づけられたと見るべきではなかろうか? 
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by morristokenji | 2015-07-11 15:45