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by morristokenji

アベノミクスと『資本論』(3):資本の絶対的過剰生産をめぐって

 アベノミクスの第一と第二の矢が、第三の矢に結びつかない。「国の借金」はすでに 1000兆円を超える世界の借金超大国、異次元の金融緩和で遂にマイナス金利を導入、しかしデフレからの脱却が進まない。第三の矢は行方不明で見当たらない。どう考えてもアベノミクスが成功とはいえないでしょう。それどころか「三本の矢」をそっちのけで、集団的自衛権の安保関連法制を整備し、憲法改正をちらつかせながら、国家総動員体制を思わせるような「一億総活躍プラン」に国民を駆り立てようとしています。そして、こうした強引な安部政権の政治手法こそ、近代立憲主義の否定に繋がる暴挙だと批判されるのでしょう。戦中、戦後を何とか生き抜いてきた我々世代には、再び戦争の足音が聞こえてくるのです。
 第一の矢と第二の矢は、すでに前回も書いたとおり、財政と金融の一体化のもとで、貨幣・金融面からのインフレ期待の刺激策だった。しかし、そうしたマネタリーな側面から政策を続けても、実体経済の投資や消費の拡大には繋がらないし、「成長戦略」の成果は視界に現れて来ない。依然としてゼロ成長に近い長期慢性型不況が続き、超低金利で資産格差を拡大させるだけに終わっている。さらに最近の英国ショック、米大統領選挙なども重なって、世界経済や国際政治の動向は不安で一杯なのです。

 『資本論』の貨幣論では、一般的等価物の貨幣の購買に主導されますが、流通手段の通貨による流通は商品の需要と供給、さらに生産と消費の経済の循環によつて規定されます。日銀券を増し刷りしてバラ撒いても、経済の成長にはつながらない。生産と消費は、資本主義生産においては、労働力の商品化、土地自然の商品化を前提にして、商品と貨幣の価値関係、さらに価値増殖の運動体である資本の生産と再生産に媒介されて進められます。価値形態を前提にして貨幣、貨幣の貯蓄と増殖、そして貨幣の資本への転化が説かれています。
 マルクスは『資本論』を書いた。長寿だったマルクスの母親は、息子の嫁マルクス夫人の苦労に「本など書いていないで資本で金儲けをすればいいのに」と痛烈な皮肉を述べたことで有名です。しかし、マルクスにとっては、唯物史観のドグマから抜け出るためにも、10年ほど前に書いた『経済学批判』の続編ではなく、価値形態論を鮮明にして、価値関係としての商品・貨幣、そして価値増殖の運動体として「資本」を書いた。新たに『資本論』を書いて、価値増殖の運動体として資本を説明したのです。
 資本は価値増殖の運動体として、商品の形態をとる、また貨幣の形態もとる、むろん機械や原材料などの生産財の形態をとる。価値関係の姿態を変える運動体であり、それをストックやフローとか、ましてや機械など生産手段に還元することは出来ないのです。資本を機械など物的資材ではなく、商品や貨幣、生産財などのモノとモノの関係、価値関係として理解したのがマルクス『資本論』の真髄です。だから資本の過剰や不足、つまり投資の過不足についても、単なるリスクの大小などではなく、価値増殖の運動体として、利潤率を指標にして判断されることになります。とくに投資が拡大した景気上昇の行き詰まりにより、資本の利潤率が低下する。マルクスの利潤率低下論です。

 『資本論』第三巻では、資本の絶対的過剰について、以下のように説明します。「労働者人口に比較して資本が増大しすぎて、この人口の提供する絶対的労時間の拡張されず、相対的剰余労働時間も拡張されなくなると(相対的剰余労働時間は、労働に対する需要が強くて賃金が高騰する傾向にある場合には、もともと拡張できないであろうが)、増加した資本は増加以前と同量、またはむしろより少量の剰余価値しか生産しない
ことになるのであって、資本の絶対的過剰生産が生ずるであろう。」やや難解な説明ですが、要するに好景気=高成長が持続し、雇用が拡大して賃金も上昇すれば、資本の剰余価値生産が行き詰る。「利潤率の低下が利潤量の増加を伴わない」ような状況を迎える。純粋資本主義の『資本論』の世界だと、ここで金融の引き締めが起こり利子率が急上昇し、金融パニックが起こる。恐慌の必然性です。マルクスの恐慌論には、こうした「資本過剰論」に対して、投資の不均衡や消費の過少による「商品過剰論」の二つの理論が対立してきましたが立ち入りません。
 ここでは資本過剰論の立場から説明しますが、金融恐慌による混乱を恐れて、金本位制を停止した「管理できない管理通貨制」を利用して、アベノミクス流の異次元緩和でゼロ金利、マイナス金利にすれば、その限りで金融パニックは回避できる。しかし、前提になっている資本過剰、資本の絶対的過剰生産による矛盾は解消しない。そのため長期慢性型のデフレが続き、雇用や賃金の高止まりのため、消費の拡大も進まなくなる。また、ゼロ金利やマイナス金利で土地資産が上昇すれば、人手不足とも相まって資本は日本列島を見捨てて投資が拡大できる海外に出てしまい、国内経済は空洞化します。こうした国内経済の空洞化により、資本の利益が企業の内部留保を高めるし、国内の投資と消費はますます縮小する。アベノミクスの第三の矢が行方不明になり、「成長戦略」が挫折するのは、まさに資本の絶対的過剰生産の結果なのです。
 すでに日本資本主義は、高度成長期以来の輸出主導型の成長パターンから、国際収支表の構造変化からみても、海外直接投資主導型の成長に転換しています。その結果として、国内経済の空洞化が進んでいるのです。海外投資に伴う国際金融都市・東京への一極集中、その反面の地方の人口減少による空洞化、「地方創生」の掛け声が空しく響くだけです。さらにポスト冷戦で、ソ連崩壊についでアメリカの一極支配も終わりを迎えつつある。「ネオコン」のグローバリズムからオバマの「リバランス」、さらにトランプのネオ孤立主義の流れも高まっている。アメリカのグローバル支配の肩代わりとばかり、日本の海外直接投資のトップセールスを買って出たのが安部の外交戦略ではないか?海外投資に武器輸出、原発輸出をセットにして、国際緊張が高まり、ISなどのテロ攻撃の危険地帯へ資本輸出を拡大している。日米安保体制を利用してでも、「集団的自衛権」を発動して、日本企業の海外進出の防衛を図らざるを得ない。安保法制の強行採決も国家総動員法の再現を思わせる「一億総活躍プラン」も、企業防衛のためではないか?
by morristokenji | 2016-07-01 20:52