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by morristokenji

③価値尺度と「一物一価の法則」

 『資本論』では、商品論に続いて第3章で「貨幣または商品流通」を論じています。その最初が「価値尺度」ですが、たんに一般的な価値表現、つまり価格形態の表現材料の貨幣機能ならば、すでに価値形態論の最後で明らかにされている。とすれば、貨幣論としては、貨幣商品による商品の購買機能として、価値尺度を論ずることになる筈です。しかし、ここでも労働価値説が前提されているために、マルクスは一方で、商品の労働生産物として価値実体が、貨幣による価値によって内在的に尺度される。すなわち、「価値尺度としての貨幣は、商品の内在的な価値尺度である労働時間の必然的な現象形態である。」「貨幣は、人間労働の社会的化身として、価値の尺度である」と述べています。
 しかし、他方で一般的等価物としての貨幣は、まず商品の価値を価格として表現し、「確定した金属重量としては、価格の尺度標準である。」ここではまだ価格形態であり、貨幣は観念的形態にとどまっている。また尺度標準は、「不変の価値尺度」ではなく、「変化する尺度」で「変化する価値」を尺度せざるを得ない。その上での尺度機能になりますが、貨幣が一般的等価として商品を購買し、価格を実現することによって、外在的に尺度することになる。そこでマルクスは、「価格と価値の大きさとの量的不一致の可能性、すなわち価値の大きさに対する価格偏差の可能性は、かくて価格形態そのものの中にある。このことは少しもこの形態の欠陥ではなく、逆にこれを一つの生産様式によく当てはまる形態にするのである。この生産様式では、法則は、もっぱら無法則性の盲目的に作用する平均法則としてのみ貫かれうるのである」と述べています。

 マルクスが、ここで価値形態を前提にして、資本主義経済の法則性の特徴を、「法則は、もっぱら無法則性の盲目的に作用する平均法則としてのみ貫かれうる」と定式化した点は、極めて重要です。マルクスの価値法則は、たんなる等価交換の法則ではないし、たんなる平均法則でもない。「無法則性の盲目的に作用する平均法則」であり、無政府的ではあるけれども「無法則」ではない。「盲目的に作用する平均法則」、それが価値形態論から展開された「価値法則」の特徴であり、さらにマルクスは価値と価格の量的乖離の必然性にとどまらず、ここでは「質的乖離の必然性」にも説き及んでいる。「何ら価値をもたない未耕地の価格のような想像的な価格形態も、現実的な価値関係、またそれから派生した結びつきを隠していることがある。」否、「隠していることがある」のではないのです。そもそも商品形態は、古典派経済学やマルクスのように、たんなる「労働生産物」や「資本の生産物」だけではなく、富の根源となる労働力や土地・自然・エネルギーをも商品形態、したがって価値形態を与えているし、労働力も土地・自然も市場で貨幣が購買し価値尺度するのです。
 こうした価値尺度機能からすれば、貨幣が商品を購買し「盲目的に作用する平均法則」が、どのように具体化するのか?マルクスは、貨幣の外在的な尺度機能については、「価値の観念的な尺度の中に、硬い貨幣が待ち伏せている」として第2節「流通手段」の機能に移行しています。確かに貨幣の購買手段の機能も、貨幣が各種の商品を購買し商品流通を形成する中で具体化する。しかし、価値形態を前提に、価値の観念的な尺度が現実に具体化するさい、商品の需要と供給と価格の変化が生じ、そこに上記の「盲目的に作用する平均法則」が示される。その解明こそが、貨幣の外在的な価値尺度になるはずです。その点では、マルクスの説明は中途半端に終わっているし、ここで補足的説明が不可欠でしょう。

 貨幣が商品の価値を購買によって尺度するにあたり、まず前提されるのは、価値形態の貨幣形態ですが、貨幣形態は相対的価値形態の商品が、等価形態である一般的等価物を観念的に表示する。具体的に商品取引の場を想定すれば、商品が自己の価値表示として、例えば「一金○○円」という正札を下げる状態に他ならない。色々な商品が正札をぶら下げながら、貨幣所有者である顧客の購買を期待して待機する市場の状態に他なりません。労働力商品なら、差し詰め「就活」でしょうか!
 その上で、商品の側から積極的に、押し売りは出来ない。商品は、価値表現については積極的だが、販売は受け身で、貨幣に買って貰うしかない。言い換えれば、貨幣が積極的に購買手段として購買する。その際、取引に当たり、購買者と販売者は「値切り小切り」の商談をするが、最終的に価格は貨幣の購買手段の機能で決定されます。この際、商品の販売者は実現されつつある価格を見ながら、価格が上昇するなら供給を増加させる。いわゆる供給曲線は右肩上がりの傾向を示します。また、商品の種類により違いが出てきますが、需要する側は反対に、価格が上昇するなら、購買を差し控えるから、右肩下がりの曲線になる。したがって、通常の状態であれば、右肩上がりの供給曲線と右肩下がりの需要曲線の交点で価格が均衡する傾向がみられることになる。
 このように価格は、需要と供給の相互の関係で決まりますが、しかし価格の決定は貨幣の側にあり、貨幣の購買手段が価格を決め、価格が均衡し価格の基準が形成されます。価格基準の形成は、一般に「一物一価の法則」と呼ばれていますが、マルクスの「価値尺度」は、購買手段が商品の購買を繰り返し、価格変動になかで価格基準が形成され、「一物一価の法則」が実現されることを指すと見ていいでしょう。マルクスが、上述のように「盲目的に作用する平均法則」もまた、貨幣の価値尺度機能が商品の購買を繰り返しながら、価格基準が形成される、そうした無政府的な傾向の中で、それを通して法則が実現される特徴を説明したものと思われます。

 資本家的商品経済の「価値法則」は、マルクスが『資本論』冒頭の労働価値説による等労働量の交換の法則ではないのです。したがってまた、単純商品生産社会の商品生産者の「自己の労働に基づく商品生産」の所有法則でもない。価値尺度による「無政府的」で「盲目的に作用する平均法則」としての「一物一価の法則」として実現されます。しかし、言うまでもなく貨幣の購買機能は、貨幣が商品市場でマルクスも事実上、流通手段の機能として説明していますが、商品流通を形成する流通手段の機能、さらに「貨幣としての貨幣」の蓄蔵貨幣=貯蓄手段の機能、さらに支払い手段の機能による仕組みの中で、購買手段の機能も具体化する。さらに言えば、商品の供給を調節する点では、「貨幣の資本への転化」による産業資本の運動が、価値尺度の機能を支える機構的裏付けにならざるを得ないのです。
 「価値法則」は、形態的には価格変動の基準が形成され、「一物一価の法則」として実現される。しかし、価値法則の実体そのものは、「貨幣の資本への転化」を通して、産業資本の運動形式、とくに「労働生産物」ではない、しかし資本家的商品経済的富の根源にある労働力商品の価値規定により、「商品の再生産に必要な労働量」によって決定されることになる。そこで、貨幣論の諸機能については、『資本論』の多くの研究に譲り、ここでは問題の焦点になる「貨幣の資本への転化」について、とくに『資本論』の純粋資本主義の抽象による論理によって解明することにしましょう。

「論点」限界効用逓減の法則の位置づけ
 マルクスの等労働量交換の法則が「同義反復」として退けられたのに反し、労働価値説に対して限界効用理論が主張されてきました。商品の使用価値に対する人間の欲望が限界的に逓減する傾向を持つ。それにより価格変動を説明する効用価値説が主張されました。とくに近代経済学のミクロ理論として、上記の需要曲線、供給曲線を利用して、価格変動が説明されています。その際、限界効用逓減の法則が採用されているようです。ここでミクロ経済学の解説はできませんが、商品種類によって、また取引の状況により差があるにしても、商品の使用価値に対する限界効用が逓減する傾向は、ごく常識的に容認できると思います。
 商品の価値形態ですが、すでに説明したとおり相対的価値形態の商品の価値が、等価形態に立つ商品の使用価値の量によって表現される。商品の2要因が、相対的価値形態の商品の積極的な価値の表現、等価形態の商品は使用価値が価値の消極的な表現材料の提供に分化する。X量・商品A⇒Y量・商品Bですが、商品Aの所有者はAを商品として市場に供給しつつ、商品Bの使用価値を需要する形態で、AとBの価値関係が形成される。したがって、Aの所有者のBの使用価値に対する欲望がが重要だし、欲望を充足する使用価値の量が重要です。例えば、『資本論』に出てくる「20エレのリンネル=半着の上着」などは、Aの所有者の上着の使用価値への欲望を無視したナンセンスな表現形式です。半着の上着は上着でもないし、使用価値もない。
 マルクスの価値形態論は、簡単な価値形態、拡大された価値形態、一般的価値形態と展開されていますが、それは上記の商品AとBによる供給と需要の対立関係を明らかにするものと思います。一般的価値形態では、等価形態としては「一般的等価物」が出てくる。価値物としてBは直接交換可能性、つまり「購買力」与えられる。その代り相対的価値形態のAは、使用価値として供給できる。貨幣形態では、一般的等価物のBの地位が独占的に固定され、逆にAは使用価値の単位量、貨幣商品が金だとすれば1着の上着⇒2オンスの金。1トンの鉄⇒4オンスの金など、相対的価値形態として供給される商品は、その使用価値の単位量が、逆に等価形態の貨幣商品・金は、量的に分割・合成が可能なので、2オンス、4オンスなど価値量の貨幣表現、つまり価格表現になります。
 このように価値形態論で、市場に登場する商品の需給関係が説明されるとすれば、貨幣は直接交換可能性としての購買力が与えられる以上、いわゆる「有効需要」の担い手になる。逆に、一般商品は供給しやすいように、単位量の使用価値として「正札」を付けて市場に出る。そして上記のように、価値の貨幣表現である価格に対しては、右肩上がりの供給曲線、逆に需要の方は、価格に対し右肩下がりの需要曲線となり、多くの商品は「限界効用」が低下することになるでしょう。価格は、需要曲線と供給曲線の交点になるでしょうが、購買の決定は購買力による有効需要の担い手としての貨幣の側にある。いずれにせよ、いわゆる「限界革命」により限界効用が主張されましたが、価値形態論により需要・供給の関係が説明されれば、理論的にはマルクス価値論の全面排撃にはならない筈です。むしろ価値形態論の枠組みの中に収められるように思います。
 

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by morristokenji | 2017-08-13 15:43