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by morristokenji

⑦可変資本の回転と労働力商品

 『資本論』第2巻の「資本の流通過程」にとり一番重要なことは、「貨幣の資本への転化」に立ち戻って、マルクスが「資本の一般的形式」としてG-W-G'、つまり商品、貨幣とともに、流通形態として「資本」を定義したことです。流通形態だから産業資本もG-W--P--W'-G'の流通形態とすることになったし、資本の流通過程の分析もまた、G'-W--P--W'-G'の姿態変換(メタモルフォーゼ)から回転に入ることになったのです。W'の実現、生産された剰余価値の実現など、上述の「実現問題」も、資本の姿態変換の一環に組み込まれて処理されることになるのです。とくに商品資本の循環=姿態変換形式W'-G'-W--P--W'により、W'のG'への実現は、資本家の所得の支出、貨幣の流通速度のアップなど、十分に可能であり、循環が進むことができます。
 資本の流通過程にとっての中心課題は、流通形態としての運動にとっての時間的経過、つまり「期間」であり、その期間に伴う資本の回転です。資本の価値増殖は、より多くの剰余価値を、「より早く」獲得することです。期間として資本の流通過程を捉えれば、流通期間と生産期間に大別されますが、そこでの資本の構成要素の機能と運動が、資本の回転を左右することになる。とくに、労働力商品に投資され、労働者へ賃金として支給される可変資本の循環は、資本の生産過程での労働による剰余価値の生産とは別の意味で、ここでも「労働力商品の特殊性」が資本の回転に特有な問題を提起し、可変資本の回転として論じられることになります。

 労働力商品の特殊性は、資本の生産過程では、必要労働により労働力商品の価値を形成し、それを労働者は賃金により生活資料として買い戻す。さらに労働者は、剰余労働により剰余価値を生産し、資本の価値増殖の手段に利用される。労働力の使用価値である人間労働は、必要労働だけでなく剰余労働を含み、マルクスも言及していますが、B・フランクリンの「道具を作る動物」として人間社会を支えます。その人間労働を、資本は価値増殖の手段として利用するのです。①長時間労働などの労働強化による絶対的剰余価値生産、②必要労働の賃金を実質的に切り下げるための技術革新と生産性向上による相対的剰余価値生産の2つの方法です。この生産過程の剰余価値生産をより早く回転させる、それが資本の流通過程の課題です。
 資本の流通過程は、G-W-G'の一般的形式を前提にして、貨幣資本の循環、生産資本の循環、商品資本の循環の姿態変換(メタモルホーゼ)を繰り返しますが、労働者が労働力を資本に販売して生活資料を買い戻すA-G-W'の過程は、資本の循環形式ではない。言うまでもなく形式はW-G-Wの単純流通です。労働の生産物ではない、資本の生産物でもない労働力商品Aは、土地自然エネルギーと共に、商品流通に参加していますが、そして資本の流通過程に組み込まれますが、しかし資本の流通形式ではない単純流通の形式としての参加です。ここに労働力商品の特殊性が発現します。

 『資本論』では、「可変資本の回転」ついては、もっぱら「剰余価値率の年率」について説明しています。5週間で回転する資本と、回転に1年間かかる資本の2つを挙げ、剰余価値率100%は同じでも、その年率は前者が1000%、後者が100%に過ぎない両者の相違が生ずる。資本の回転の効率からいえば、前者の効率が良いわけで、資本はとりわけ可変資本について、その年率を考慮し回転期間の短い投資を選択しようとする。また、回転期間を短くするよう努力することにもなる。さらに個別資本の立場からの回転から、その社会的な関連について考えると、上記の労働力商品の特殊性が、可変資本の回転に大きな影響を与えることが判ります。
 労働者の立場からみれば、上記の通りA-G-Wは資本の流通過程から独立した単純流通です。それも、資本による生産と個人的消費をつなぐ役割を担っている。すなわち、労働者が労働力を売るA-Gは、資本からはG-W(A)--P--であり、労働者は生産過程--P--に従事する。剰余価値とともに価値を形成し生産する。同時に、労働力の価値部分を、労働者はG-Wで消費財Wを購入し買い戻す。そして、家計の消費活動に入り、労働力の再生産を図る。この家計の消費活動は、言うまでもなく毎日行われなければならず、消費財も毎日の労働者の消費に充当されるように配分されなければならない。だから、上記の一年間も回転期間がかかり、剰余価値年率の低い投資は、生産が毎日行われ剰余価値も生産され、賃金も支払わなければならないのに、貨幣資本としては回収できない。賃金支払いだけは続けざるをえないから、賃金ファンドは5週間の資本と比べるなら、10倍以上も必要になってしまう。

 さらにG-W(A)として投資された可変資本は、労働力が人間の労働能力であるから、G-W(Pm)の原材料の不変資本のように、必要なくなったら商品として他の資本に転売することもできない。そこが労働力商品の賃労働と、モノ同然の奴隷との差異になる。また、賃金は日給にせよ、週給にせよ、月給にせよ、消費生活に合わせて支払はねばならないし、それも原材料と異なり、手形ではなく現金で規則的に支給されねばならない。こうして労働者の人権として必要労働の買戻しを保障するとともに、生産の継続と結びついた賃金支払いによる消費生活の維持が経済原則の面からも要請されることになる。
 『資本論』でも、次のように述べているので引用します。「社会が資本主義的ではなく共産主義的なもの」でも、「鉄道建設のように、一年またはそれ以上の比較的長期間にわたって生産手段も生活手段も、また何らの効用も供給しないが、しかし年々の総生産から労働、生産手段、および生活手段を引き上げる事業部門に、社会が、どれだけの労働、生産手段、および生活手段を、何らの損害もなく振り向けうるかを、社会はあらかじめ計算せねばならない。」ここでマルクスは、労働だけでなく生産手段も挙げていますが、根本は労働力商品の特殊性から、賃金ファンドや生活手段の消費財、そして消費生活の維持と保障を指摘していると見ていいでしょう。このように可変資本の回転と「共産主義的な」経済原則との関係で労働力商品の特殊性が重視されなければならないのです。

 このように労働力商品の特殊性は、資本の流通過程に於いても、資本は必要労働
を労働力の価値として、労働者に規則的に引き渡し、それで労働者は労働力の再生産を図る。にもかかわらず生産期間や流通期間が長期にわたれば、労働者に労働力の価値を引き渡してしまうために、賃金支払いのファンドが嵩んでくる。剰余価値年率が悪化して、資本の投資効率が低下する。労働力商品化の矛盾が、経済原則と経済法則の接点として、両者の緊張関係が現出するわけです。こうした矛盾をはらみながら、「生産と消費」のいわゆる経済循環が実現されるのです。短期の価値増殖を目指す資本にとり、鉄道投資や林業など、生産期間や流通期間の長期化せざるを得ない投資が敬遠される矛盾を孕んでいます。労働力商品化の矛盾は、資本の直接的生産過程の剰余価値生産にとどまらず、資本の流通過程にも生ずるわけで、それがさらに後述のごとく資本の再生産過程=蓄積過程での資本主義的人口法則として具体化することになるのです。

 「論点」 労働力の再生産と「経済原則」の関連
 資本の流通過程では、単に資本価値の変態=姿態変換による価値増殖の運動だけでなく、その内部に可変資本の循環として、労働力の再生産が提起されました。労働市場においては、労働力の価格としての賃金が、資本の剰余価値率を左右しますが、労働者にとっては、賃金を通して労働力の再生産をはかる、そのために必要労働の生活資料としての買戻しが必要だったわけです。そして、労働力の再生産のための時間と空間が、消費生活の場になります。労働者は、賃金で買い戻す必要労働による生活資料を、消費生活を通して消費し、自己の労働力を再生産するわけです。そして、再生産される労働力により、資本の直接的生産過程では、繰り返し労働を続けることが出来ます。資本の生産=再生産は、労働力の再生産と表裏の関係になるわけです。
 さらに上記の通り、労働力の再生産は、一方で資本の直接的生産過程で労働し生産に従事する。他方では、必要労働を生活資料として資本から買い戻し、それを消費生活の場で消費する。つまり、可変資本の回転を媒介して、労働者による労働力の再生産は、生産と消費を繋いでいるのです。この生産と消費の社会的結合と循環こそ、一般に「経済循環」と呼ばれていますが、労働力の再生産として経済循環が実現されるわけです。そして経済循環は、どんな社会でも社会生活が成り立つための「経済原則」ですから、ここで労働力の再生産として経済原則が明らかにされるわけです。資本の直接的生産過程では、必要労働と剰余労働に基づいて、剰余価値が生産され、労働者は必要労働を買い戻して、人権が保障される。さらに、資本の流通過程では、可変資本の回転を通して生産と消費が循環し、消費生活により労働力の再生産がはかられるのです。このように可変資本の回転として、資本の流通過程で経済原則が法則的に解明されます。
 ここで労働力の再生産の場としての消費ですが、言うまでもなく経済循環としては、生産の主体である「企業」enterpriseに対する「家計」(household )です。家計は、単数でも複数でもいいのでしょうが、「経済法則」としては必要労働により、労働力の再生産が行われる場に他ならない。労働力が、人間として再生産され、商品として労働市場に登場することが必要です。その限りでは、労働者も経済人(ホモ・エコノミクス)として行動するわけだし、労働力商品の所有者です。しかし、消費主体として経済原則の担い手とすれば、労働力の再生産は子供を産み育てる世代間再生産を含むことだし、消費の場は家族(family)や家庭(home)を意味する。労働力の再生産は、本人が生きて働くためだけではない。夫婦で育児・保育・教育を行い、次世代の労働力も再生産しなければならない。
 また、家族はコミュニティの基礎的単位ともいわれ、地域とも結びついている。商品経済の拡大発展は、上記の経済人を拡大し、家族やコミュニティの結びつきを断ち切る傾向が強いものの、家族は地域との結びつきでコミニュニティを形成しているし、その点では労働力の再生産は、家族の消費生活を通して、地域の場で実現せざるを得ない。労働力の再生産としての消費は、時間的・空間的な場としては、地域コミュニティ=共同体で行われるのであり、ここに経済原則による経済法則への緊張関係が進むことになる。こうして労働力商品の特殊性は、資本の流通過程においては、可変資本の回転として進みますが、経済原則として生産と消費の経済循環、そして地域共同体としての経済循環、いわゆる「地産地消」などによっても、規制されざるを得ないことになるのです。
 こうした家族、地域共同体と企業との関係は、ドイツの社会学者テンニースの集団論として、周知のとおり企業などの利益集団「ゲゼルシャフト」、家族や地域共同体など共益集団「ゲマインシャフト」の二つに概念化されてきました。上記の通り近代化の進展とともに、家族や地域共同体の結びつきが弱まり、ゲゼルシャフト的なエコノミックアニマルの経済人の拡大をもたらしています。しかし、東日本大震災など巨大な自然災害の発生、また巨大企業のガバナンス喪失や海外進出による地域の空洞化など、企業社会の地域社会に対する支配の限界も目立ち始めています。それだけに労働力商品の特殊性に基づく、労働力再生産としての過程や家族、そして生産と消費の地域循環としての共同体、コミュニティの新たな再評価が必要でしょう。そうした点から、初期マルクス・エンゲルス以来の所有論レベルの「コミュニズム」から、共同体社会への発展としての「コミュニタリアニズム」=共同体社会主義への視点が重要になっていますが、さらにその点は後論で詳述しましょう。


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by morristokenji | 2017-10-28 20:31