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by morristokenji

(10)資本蓄積の一般的法則と景気循環

 第7篇「資本の蓄積過程」の中心は、第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」です。第21章「単純再生産」、ならびに第22章「剰余価値の資本への転化」は、再生産についての「経済原則」を明らかにする。拡大再生産は、いわゆる「経済成長」論であり、資本主義経済では経済の成長が資本の蓄積として法則的に実現する。第22章のタイトルが、「剰余価値の資本への転化」とされ、拡大再生産の内容が「経済学の謬見」である「節欲説」批判になっています。しかし、拡大再生産としての「経済成長」論を明らかにして、「節欲説」を批判しても良かったかと思います。資本主義経済では、経済成長が「蓄積せよ、蓄積せよ」のスローガンのもと、資本蓄積として遂行され、成長至上主義の「欲望の経済」が実現されます。その法則的解明が、第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」です。
 
 マルクスは一般的法則を説明するに当たり、すでに簡単に触れましたが、ここで資本の構成₌不変資本c/可変資本v(有機的構成ともいう)について、①構成の「不変な場合」と②構成が「高度化する場合」の2つのパターンに分けています。①は、単なる規模拡大・能力拡大型投資で、既存の固定資本投資を前提に稼働率を高め、もっぱら労働力や原材料の流動不変資本の拡大を図る。②は、新たな固定資本投資により資本の構成c/vを高度化し、技術革新と合理化を進め省力化を図る投資です。そして、一般的法則としては、「第一節 資本構成の不変な場合における蓄積に伴う労働力需要の増加」、つまり先ずは①の能力拡大型投資の蓄積で進む。とくに資本の流通過程で明らかにしましたが、固定資本の回転の特殊性から、固定資本の償却が進まない限り、新たな設備投資による固定資本の更新ができない。したがって、既存の固定設備の利用で積極的な技術革新はなく、資本の稼働率を高め、流動不変資本と労働力の雇用拡大が進む。その結果として「蓄積に伴う労働力需要の増加」をもたらすことになります。
 ここで労働力商品の特殊性が表面化し、資本蓄積の制約要因となって、資本主義に特有な人口法則が具体化する。①の能力拡大型投資は、労働力需要の増加により雇用拡大が進むが、流動不変資本とは異なり、前述の第2巻資本の流通過程の「可変資本の回転」は、労働力の再生産としての「個人的消費」に依存せざるを得ない。雇用拡大による賃金の上昇は、労働力の再生産を刺激するが、消費生活を通しての労働力の再生産は、モノの生産、再生産ではない。人間の再生産であり、具体的には家庭で家族として子供が出生し、育児・保育され、進学し、労働力として雇用されるまでには最低でも10数年が必要である。こうした労働力の特殊性に基づく再生産の制約が、労働市場における労働力不足・人手不足となり、賃金上昇の圧力となって剰余価値率の低下をもたらす。剰余価値率の低下は、第3巻の分配範疇では利潤率の低下、つまり資本の過剰蓄積を意味する。当然、経済原則的には、経済成長の鈍化、停滞を帰結します。
 このように①の資本蓄積が進むと、労働市場での労働力の不足、人手不足が必然化するが、それは資本蓄積が労働力商品の特殊性から、可変資本の回転を通して、労働市場の求人倍率を高める結果に他ならない。さらに、先ず①の蓄積が進むのは、固定資本の回転の特殊性が、経済原則から固定資本の償却を迫るからです。だから、①の蓄積パターンの持続的進行は、労働力商品の特殊性、固定資本投資の特殊性から、経済成長の制約要因によるチェックを受けることになる。したがって、経済成長の要因の新たな確保が必要にならざるを得ないが、それは「技術革新」による生産性の向上と、それに基づく相対的過剰人口の形成である。生産性向上により、相対的に過剰人口を形成し、それによる労働力不足・人手不足の解消を図ることになります。
 そこで資本蓄積は、マルクスのいう②の資本構成の高度化、つまり上記の合理化型投資へ転換して、資本蓄積を進めることになります。第二節のタイトルも「蓄積とそれに伴う集積との進行中における可変資本の相対的減少」です。合理化型投資は、上記の①の蓄積が進み、固定資本の回転も進んで、償却資金の積み立ても完了に近づいているので可能になる。つまり、固定設備の更新に際して、新たな生産性向上を可能にする技術革新型の投資が行われ、②の資本蓄積に転換することができる。生産性向上は、上記の通り相対的過剰人口を生み出し、それによって労働力人口を形成する。労働力商品の特殊性を「人づくり革命」ではなく、「生産性革命」への資本蓄積の法則的転換により解決するのです。こうした資本蓄積の①から②への自律的転換を通して、資本蓄積の一般的法則が貫かれる。これが『資本論』による「資本主義的生産様式に特有な人口法則」であり、こうした法則により労働力商品の特殊性、固定資本の回転の特殊性による経済原則からの制約を、資本主義は法則的に解決して「富の発展」である経済成長を進めることができる。

 このように『資本論』では、資本の構成を①と②の二つのパターンに分類し、相対的過剰人口の形成などの説明では、①と②の循環的交代を通して、資本蓄積による周期的景気循環の基礎を明らかにしています。例えば「近代産業の特徴的な生活過程、すなわち中位の活況、生産の繁忙、恐慌、沈滞の各時期が、より小さい諸変動に中断されつつ、10年ごとの循環をなす形態は、産業予備軍、または過剰人口の不断の形成、あるいは多く、あるいは少ない吸収、と再形成に基づいている」と明確に景気循環を基礎づけている。しかし、マルクスのの説明は、必ずしも一貫性があるわけではない。①と②がケース・バイ・ケースで、その時の条件で決まるような説明もあるし、さらに①が歴史的に先行し、資本主義的蓄積の本格化とともに②が不断に進み、相対的過剰人口が累積的に進行する。資本蓄積が進むと、過剰人口も累積化し、失業者が増大して「貧困の蓄積」となり、いわゆる窮乏化革命が説かれることにもなります。マルクスも資本主義の「最後の鐘」を早く鳴らしたかったのかも知れません。しかし、「資本主義的蓄積の一般法則」としては、資本主義に特有な人口法則の解明が重要だった。
 マルクスの説明が、必ずしもスッキリ一貫したものにならなかった理由ですが、いろいろあると思います。大きな理由としては、『資本論』第2巻「資本の流通過程」で明らかにされる「可変資本の回転」による労働力商品化の特殊性、さらに「固定資本の回転」の特殊性が十分に前提されなかった。すでに紹介しましたが、マルクス自身も資本の蓄積過程が再生産過程である以上、その前提に資本の流通過程の解明が必要であることを知っていた。しかし、第1巻の取りまとめを急ぎ、「最初まず蓄積を抽象的に、すなわち単なる直接的生産過程の要因として、考察するのみである」とした。このように直接的生産過程として抽象化したことの結果として、可変資本の回転や固定資本の回転の制約が十分に評価されず、②の蓄積パターンが連続することになり、失業と貧困の蓄積が一方的に強調される窮乏化革命論になってしまった。
 もう一つ、『資本論』第1巻の取りまとめを急いだ点とも関連しますが、ここ第7篇「資本の蓄積過程」には、すでに述べた通り「所有法則の転変」を中心に、第24章「いわゆる本源的蓄積」など、理論的展開の歴史的検証や例証のレベルを超えて、資本主義の生成、発展、消滅の歴史的展開を解こうとしている。そのイデオロギー表現が有名な「収奪者が収奪され」て「最後の鐘」を鳴らすことになる。『資本論』が純粋資本主義の抽象により資本主義経済の運動法則を論理的に説明する筈だったのに、ここで論理的・歴史的展開、つまり「歴史と論理の統一」を図った。そのためにイデオロギー的な作業仮設が独走し、ドグマ化してしまったのではないか?とくに所有法則の転変による「第7節 資本主義的蓄積の歴史的傾向」に集約されていますが、それについては項を改めて検討しましょう。

「論点」 周期的景気循環と純粋資本主義の抽象

 第7篇第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」では、上記の通り周期的恐慌を含む景気循環の必然性の基礎が明らかにされ、マルクス恐慌論としても極めて重要な理論的展開です。しかし、第7篇全体としては、景気循環の必然性の理論的展開よりも、むしろ資本主義の生成、発展、消滅の歴史的展開、とくに「所有法則の転変」による歴史的移行が強調されていた。また、資本主義経済の運動法則としての景気循環の自律的運動法則も、理論的な曖昧さを含む展開だった。その点で、『資本論』における資本主義の運動法則の解明と、歴史的展開・移行との方法的関連が、ここで改めて問い直さなければならないでしょう。
 『資本論』の課題は、すでに明らかな通り近代社会としての資本主義経済の運動法則の解明です。そして、運動法則を理論的に解明するためには、「顕微鏡も科学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に代わらなければならぬ」とマルクスは述べ、しかも個人的な価値判断に基づく人為的な「理想型」(Idealtypus)ではなく、「過程の純粋な進行が確保される」「典型的な場所は今日までのところイギリスである。」ドイツなども、イギリスに続いて発展するとして、イギリス資本主義の運動によって法則解明が行われるとしています。資本主義経済の運動法則は、イギリスを中心とする歴史的現実から抽象される「純粋資本主義」になるわけです。
 このようなイギリス資本主義の歴史的発展は、さらに経済政策のイデオロギー面では、重商主義や帝国主義などの政策とは異なり、自由放任政策(laissez faire)の自由主義の時代を迎えていた。これは資本主義経済の発展を、「なすがままに任せる」いわば「政策なき政策」であり、資本主義の自律的発展を推進するものだった。そうした中で後進国ドイツやイギリスにも逆転の動きが強まってはいたものの、世界市場を中心に約10年周期の規則的な景気循環が、19世紀の20年代から20世紀にかけて実現したのです。こうした規則的な景気循環の発展こそ、純粋資本主義の歴史的・現実的な抽象そのものであり、そうした現実的・歴史的抽象による純粋資本主義の運動が、資本主義の運動法則の時間と空間を提供した。こうした歴史的・現実的抽象は、たんなる現実の「模写」ではない。抽象の方法をも反映する「方法の模写」に他ならない。マルクスも周期的景気循環の現実を重視して、『資本論』の「第2班の後書」(1873年1月)では、次のように述べています。
 「資本主義社会の矛盾に満ちた運動は、実際的なブルジョアにたいしては周期的な景気循環の移り変わりにおいて、最も切実に感じられている。近代産業は、この循環を経過するものであって、その頂点が恐慌である。恐慌はまだ先行の段階にあるが、再び進行を始めている。そして、その舞台の普遍化していることによって、並びにその作用の強化されていることによって、神聖なる新プロイセン的ドイツ国の成り上がり者どもにすら、弁証法をたたき込むであろう。」この「後書」きを、『資本論』初版から6年も経った、またフランス語版に対する改訂の作業の後、マルクスは書いた。資本主義経済の自律的運動法則、そして純粋資本主義の抽象の「舞台」が、他ならぬ「周期的な景気循環」により繰り広げられ、「弁証法をたたき込む」法則性を強調しているのです。ここで、『資本論』における純粋資本主義の抽象の意義を、周期的景気循環の自律性として強調して置きます。

「論点2」資本主義的人口法則と「経済原則」
 
 ここで資本蓄積論における周期的景気循環の必然性との関連で、資本主義的人口法則が解明されました。すでに明らかなとおり、労働力商品の特殊性により、可変資本の回転においては、労働力の再生産が単純流通を通して、個人的消費の過程で行われる。一方の労働力が資本に雇用され直接的生産過程で剰余価値を生産し、他方では可変資本の回転により個人的消費で労働力の再生産が行われる。ここに資本主義的な「経済循環」の経済原則と経済法則との関連が明らかにされます。そして、この労働力の再生産は、経済原則から言って、個人的消費の場である家庭・家族、そして経済循環も地域の共同体との関連で進められる。こうした関連は、さらに資本の蓄積過程における資本主義的人口法則との関連でも、さらに特有な相対的過剰人口の問題が提起されます。
 資本主義的人口法則は、すでに明らかなとおり資本蓄積の下で、資本構成の変化に対応して、個人的消費を通して再生産される労働市場の労働力の吸収と反発、そして賃金の上昇と低下、雇用の拡大と縮小として現れます。労働力の吸収が高まり、賃金が上昇し、雇用の拡大が進む、具体的には好況期には、労働力の再生産も拡大基調で進むでしょう。しかし、逆に、資本による労働力の反発が強まり、賃金が低下し、雇用の縮小する局面、具体的には景気後退の不況期には、資本にとっては相対的過剰人口の形成であり、「生産性革命」と「人づくり革命」かも知れませんが、相対的過剰人口の存在はどうなるのか?
 『資本論』では、上述のように不断の有機的構成高度化、それによる「産業予備軍の累進的生産」が強調され、そのため「相対的過剰人口の種々の存在形態」を述べています。景気循環で生ずる相対的過剰人口の他に「流動的、潜在的、および停滞的形態」を挙げていますが、その適否はともかく相対的過剰人口の存在と労働力再生産との関係は無視できない。労働力の再生産が「家庭」・「家族」として図られるとすれば、家族の中の何人かが資本に雇用され吸収されるが、景気が後退して資本が反発すれば、何人かが失業して戻ってくる。さらに家庭・家族が地域の共同体を構成するとすれば、そうした共同体が吸収・反発の調節弁・雇用調整のバッファーとなる。そうしたバッファーを利用して資本主義的人口法則も機能するし、その点にまた、労働力商品の特殊性に基づく資本蓄積の経済法則と経済原則の接点と緊張関係が指摘できるでしょう。
 このバッファーの機能ですが、資本による雇用が拡大し、家庭・家族の労働力が吸収される局面が進むと、賃金上昇と共に人手の不足が進む。とくに少子高齢化などの現実では、人手不足が深刻化し、「人づくり革命」なども提起されるのです。また、権力的に「生産性革命」も叫ばれます。本来なら、資本蓄積の法則性から生産性向上と相対的過剰人口の新たな創出を迎えるはずですが、それが進まない産業構造の硬直化でしょう。さらに20世紀資本主義の共通した政策スローガンとして、「福祉国家主義」とも言える「完全雇用」の政策が登場した。この福祉国家の政策が、労働市場では「不断の賃金上昇」、「慢性的人手不足」を招来し、経済原則の面でも「経済成長の限界」を招くのです。明らかに資本蓄積の歴史的限界とも言えますが、これ以上ここでは立ち入れません。

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by morristokenji | 2018-01-28 20:30