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by morristokenji

(11)「所有法則の転変」と唯物史観

「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係を、つまり彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を取り結ぶ。この生産諸関係の総体は、社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、その上に法律的、政治的上部構造がそびえ立ち、また一定の社会的意識諸形態、その現実の土台に対応している。」
「社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、今までそれがその中で動いてきた既存の生産諸関係と矛盾するようになる。これらのの諸関係、あるいはその法律的表現に過ぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態から、その桎梏へと一変する。その時、社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造の全体が、徐々にせよ急激にせよ、崩壊する。」
「一つの社会構成は、すべての生産諸力が、その中では発展の余地がないほど発展しないうちは、崩壊することは決してなく、また新しい高度な生産諸関係は、その物質的な存在条件が、古い社会の胎内で孵化し終わるまでは、古いものにとって代わることは決してない。だから人間が立ち向かうのは、いっも自分が解決できる課題だけである。」
「大略、経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、と言っても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生ずる意味での敵対的な形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時に敵対的関係の解決のための物質的諸条件をつくり出す。だから、この社会構成で人間社会の前史は終わる。」

 少し長いが「唯物史観」の定式からの引用です。マルクスが経済学の研究を始めて以来、「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観が、一貫してイデオロギー的に前提されてきた。マルクスの表現を借りるなら、経済学研究のための「導きの糸」として、マルクスは資本主義を歴史的な社会としてとらえ続けてきた。それは科学的研究には不可欠な「作業仮設」であり、イデオロギー的な仮説だった。仮説は必要不可欠であり、マルクスにとっても、まさに理論的研究の「導きの糸」として役立ったし、その点で唯物史観を抜きに『資本論』もあり得ないし、唯物史観を否定してはならない。しかし、仮説はあくまでも仮設であり、理論や歴史そのものではない。理論については、理論的検討による論証が必要だし、歴史的事実については検証、実証が行われなければならない。理論的論証なしに、また歴史的実証抜きに一方的に主張されれば、それは単なるイデオロギー的なドグマになってしまう。
 まず「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観ですが、最初エンゲルスが投稿してきた『独仏年始』の経済学研究の論稿「国民経済学批判大綱」(1844年)に、マルクスが強く刺激を受けた。マルクスは、もともと父親の影響もあり法律学を専攻し、ベルリン大学ではヘーゲル哲学を学び、ヘーゲル左派として活躍していた。しかし、主筆を務めた『ライン新聞』で、「森林盗伐」問題などを扱っている中で、経済学の勉強不足を痛感していた。それだけにエンゲルスの論文からの刺激が大きく、続いて二人は共同で『経済学・哲学草稿』『ドイツイデオロギー』『共産党宣言』などを書いた。共同作業なので、ここで「初期マルクス・エンゲルス」と表現しますが、ロンドン亡命以降も二人の協力は続いものの、「中期マルクス」であり、「後期マルクス」であり、経済学研究はもっぱらマルクスが担うことになった。エンゲルスは父親の工場経営のため遠くマンチェスターに離れてしまった。
 要するに唯物史観は、「初期マルクス・エンゲルス」の作業仮設であり、A・スミスやD・リカードなど古典派経済学の抜粋、ノート、草稿の中で「国民経済学者は私有財産制の運動を説明するのに、労働を生産の中枢として捉えながら、労働者を人間としては認めず、労働する機能としてしか見ていない」と述べている。ヘーゲル左派として、人間疎外、労働疎外の立場ではありながら、ここでは私有財産の基礎に労働をおいている。この「私有財産と労働」を起点として、階級関係も「ブルジョア(有産者)に対するプロレタリア(無産者)」であり、さらにJ・ロック以来の「労働価値説」を基礎にして、自然法に基づく「自己の労働」の果実としての私有財産を提起したのです。唯物史観は、こうした「私有財産と自己の労働」に基づく古典派労働価値説の受容にあった、と捉えることができるでしょう。

 では、その後マルクスの経済学研究が進む中で、唯物史観はどうなったのか?「中期マルクス」の『経済学批判』ですが、ここには「序説」とともに、「序文」には経済学研究のプランや上記引用の唯物史観が定式化されています。マルクスは自らの経済学研究の跡を振り返り、ここで唯物史観を定式化する。そのうえで古典派労働価値説を継承し、商品、貨幣を論じます。だから『経済学批判」は、唯物史観の定式の枠組みの中で、商品の価値や貨幣の機能が論じられているのです。商品は、古典派労働価値説によって労働生産物であり、労働生産物が富であり、「国冨」である。したがつて商品の価値は労働により決定され、交換価値も基本的に等労働量の交換比率として等労働交換である。貨幣の機能も、こうした商品論の労働価値説に基づいて展開されますが、「貨幣の資本への転化」には進めなくなった。したがって『批判』は、商品論と貨幣論だけで終わってしまったのです。マルクスの挫折です。そこでマルクスは、『批判』に先行して書いた草稿『経済学批判要綱』を超えて、『経哲草稿』以来3度目になる経済学説批判の作業を進め直します。それが『剰余価値学説史』ですが、もう一度マルクスは、ここでスミスやリカードの批判的研究に挑戦したのです。
 この『剰余価値学説史』の研究を通して、「後期マルクス」の『資本論』の地平が拓かれた。古典派労働価値説の批判を進め「価値形態」、そして「労働力の商品化」、さらに「貨幣の資本への転化」を通して、資本の生産過程による剰余価値論の展開に成功しました。その点でいえば、価値形態論と労働力商品化論は、理論的には表裏の関係にある。労働力は労働生産物ではない。しかし、労働力は土地・自然・エネルギーなどとともに、商品経済的富の原基形態をなす。労働力や土地自然まで商品化され、労働市場や不動産取引が拡大する。それが資本主義経済の商品市場の特徴です。例えばスミスは、すでに指摘のとおり商品を労働生産物に還元して、労働を「本源的購買貨幣」とした。生産過程を流通過程に還元し、流通主義のイデオロギーにより資本主義の絶対視に陥ったのです。マルクスは、労働力の商品化の解明に成功し、それにより商品形態=価値形態を明らかにした。古典派労働価値説の批判の要諦は、価値形態と労働力の商品化の解明にあり、それによってマルクスの『資本論』は古典派経済学を科学的に批判し超克できたのです。

 しかし、『資本論』による古典派労働価値説の批判的克服は、それほど安易な作業ではなかった。価値形態論をあれほど強調し、労働力商品化による剰余価値論を展開したにもかかわらず、『資本論』冒頭の商品論では、商品は依然として労働生産物だし、等労働量交換として、価値論の展開が進められている。そのためベーム・バベルク以来、マルクス価値論批判がそこに集中して来ました。また、古典派労働価値説と密接に関連している、私有財産の自己の労働による基礎づけも、すでに解説のとおり『資本論』第1巻の最後に「所有法則の転変」として残されているのです。剰余価値の資本化による資本蓄積の前提に、マルクスはまず「商品生産の所有法則」として、「最初われわれにたいして所有権は、自己の労働に基づくものとして現れた」(第22章 剰余価値の資本への転化」)と述べ、それが「社会的労働に基づく資本主義的私的所有」による資本蓄積、そして「社会的労働に基づく社会的・共同所有」として「所有法則の転変」に基づいた「資本主義的蓄積の歴史的傾向」を第7篇、第24章「いわゆる本源的蓄積」の第7節で説いているのです。
 こうしてマルクスは「初期マルクス・エンゲルス」以来の唯物史観を、ここでまた提起します。しかし『資本論』のマルクスは、一方で古典派労働価値説の根本的批判を進めてきた。価値形態論と一体化された労働力商品化論、そして労働力商品化の特殊性に基づく剰余価値論、そして資本の流通過程論に他なりません。唯物史観の定式化にもかかわらず、上記のとおり「中期マルクス」の『批判』は、「貨幣の資本への転化」を前にして挫折した。それを超えた「後期マルクス」の『資本論』としては、古典派労働価値説の流通主義に回帰することは許されないはずです。古典派労働価値説の批判からすれば、「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観の原点への回帰は、唯物史観を作業仮設からドグマにしてしまう重大な誤りではないか?この誤りも、古典派労働価値説をマルクスが十分批判しきれなかったことによるものではないか?

 以上のように「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観は、エンゲルスの主導で古典派労働価値説による「私的所有と労働」の関係として定立されました。もちろんヘーゲル左派の立場から、疎外論が前提され、疎外された労働による私的所有の基礎づけだった。しかし、「後期マルクス」の『資本論』における純粋資本主義の抽象による価値論が形成されるまで、価値形態論も労働力商品化論も、古典派労働価値説を批判したマルクスには、まだ十分には提起できなかったのです。それがまた「貨幣の資本への転化」に進めなかった「中期マルクス」の『批判』の限界だった。しかし、『資本論』のマルクスは、価値形態論も労働力商品化論も明確に定立し、新たな理論的地平を切り拓くことに成功したのです。だとすれば、『批判』の唯物史観の仮説に埋め込まれた「私的所有と労働」、そして「所有法則の転変」の歴史観からここで決別し、それまでの唯物史観の作業仮設を、純粋資本主義の自律的経済法則による論証により問い直す必要があったのではないか?
 1870年代の「晩期マルクス」にとって、すでにヨーロッパ大陸は周期的恐慌を繰り返し、金融恐慌をバネにして経済成長を続けていた。唯物史観の「恐慌・革命テーゼ」は完全に反故と化し、政治的には「パリ・コンミューン」の激動が、マルクスも指導した国際的な労働運動の連帯組織「国際労働者協会」(第一インター)を解体に導くことにもなった。エンゲルスの「プロレタリア独裁」に対し、むしろマルクスは、ここでL・H・モルガン『古代社会』を読み、新たにまた「古代社会ノート」作りに進んだ。さらに、いち早く『資本論』の翻訳が進んだロシアからは、ナロードニキの女性活動家、ロシア社会民主労働党のメンシェビキ理論家ヴェラ・ザスーリチからの手紙による詰問に、事実上「所有法則の転変」を修正する返書を書かざるをえなかった。それに加えて英訳が遅れに遅れていたロンドンでも、『資本論』仏語訳の読者が広がり、マルクス主義の組織「社会主義者同盟」のE・B・バックスが、「現代思潮のリーダー達 第23回 カール・マルクス」を書いたのです。バックスは、『資本論』の価値形態論、労働力商品化論を高く評価したうえで、パリ・コンミューンを踏まえたのでしょう、「所有法則の転変」を超えて「共同体社会主義」を提起したのです。マルクスもまた、それを「真正社会主義」として受け止めながら、亡妻を追うように死地に赴いたことを最後に指摘しておきます。

 「論点」 「唯物史観」をめぐる歴史観の対立
 初期マルクス・エンゲルスによる唯物史観が、マルクスの経済学研究にとって、近代社会の資本主義を批判的にとらえるイデオロギー的な作業仮設として、極めて重要な役割を演じていたことは上記の通りです。しかし、経済学研究の深化と共に、とくに中期マルクスから後期マルクスの『資本論』への道程は、当時のイギリス中心の資本主義の発展によつて、「純粋資本主義」の抽象による法則性の解明、それによる新たな歴史観の形成の地平を拓くことになった。しかし、にもかかわらずマルクスに対する古典派労働価値説からの制約が強く、「所有法則の転変」の歴史観を残したし、それによる資本主義への「葬送の鐘」を鳴らすことにもなったのです。しかし晩期マルクスは、ポスト『資本論』の70年代、「パリ・コンミューン」の影響など、共同体論の新たな研究に取り組み、自らの歴史観を考え直していた。そうした事情を配慮して、ここで『資本論』をめぐる歴史観の流れを整理して置きましょう。
 
 まず一つの流れは、初期マルクス以来の所有法則の転変を踏まえた「単純商品生産史観」と呼べるようなものです。「最初われわれにたいして所有権は、自己の労働に基づくものとして現れた」、つまり独立自営の農民など小商品生産者の社会が想定されます。そこでは個人的な生産による生産力の発展、社会的分業などの拡大により、商品経済が拡大発展する。しかし、「自己の労働によって得られた、いわば個々独立の労働個人と、その労働諸条件との癒合に基づく私有は、他人の、しかし形式的には自由な労働の搾取に基づく、資本主義的私有によって駆逐される。」だが、「資本主義的生産様式が自己の足で立つにいたれば、労働のさらにそれ以上の社会化と、土地その他の生産手段の、社会的に利用される、したがって共同的な生産手段への、さらにそれ以上の転化、したがって、私有者のさらにそれ以上の収奪は、一つの新たな形態をとる。」社会的生産力のさらなる発展による資本主義的私的所有の否定、自己の労働に基づく私的所有の「否定の否定」として、ポスト資本主義を展望します。

 こうした「所有法則の転変」に基づく所有論的アプローチに対して、別のマルクスによる商品経済の発展の見方がある。「商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち共同体が他の共同体、または他の共同体の成員と接触する点に始まる。」(『資本論』第1篇第2章)商品経済は共同体の内部からではなく、外部の共同体との間から発生し、私的所有権も共同体内部の自己の労働に基づくものとはいえない。こうした商品経済の外部性から商品、貨幣、さらに「貨幣の資本への転化」を説き、宇野理論の説明にも一部みられたように、世界市場の市場間の価格差から、商人資本や金貸資本の価値増殖を重視する。労働力の商品化も「いわゆる本源的蓄積」による政策によるもので、こうした労働力商品の特殊性に基づく「基本矛盾」が外部的に設定され、労働力商品化の止揚として、ポスト資本主義がここでは展望されます。この歴史観は、「流通浸透視角」とも呼ばれ、「世界資本主義論」により代表されますが、それは宇野理論の「純粋資本主義」の抽象を否定するものです。

 後期マルクスの『資本論』は、19世紀資本主義の確立と発展、政策なき政策とも言える「自由主義」の下で、自律した資本主義から抽象された「純粋資本主義」の法則性解明です。すでに述べた通り、労働生産物ではない、資本の生産物でもない、労働力や土地・自然まで商品化し、周期的景気循環に代表される資本主義的商品経済として、自律的経済法則が抽象される。純粋資本主義として経済法則が抽象されるからこそ、資本主義の発生、発展、成熟(消滅)の歴史的発展段階と経済法則の原理が、方法的に峻別される。宇野理論の原理論と段階論の区分ですが、さらに各国の資本主義の発展と世界経済の現状分析により、労働運動などの組織や運動が解明されることになる。原理論・段階論・現状分析の三段階論によって、原理論の経済法則から解明される「経済原則」の実現、すなわち地域の自然と人間との物質代謝、家族やコミュニティでの労働力の再生産、地産地消の「経済循環」など、労働力商品の特殊性による「基本矛盾」の止揚によって、経済原則を目的意識的、かつ組織的に実現する道が拓かれる。こうした組織的実践による経済原則の実現こそ、晩期マルクスが事実上志向していた「類的存在」としての人間の「共同体社会」主義の実現であり、それによる「人間社会の前史の終わり」でしょう。


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by morristokenji | 2018-01-31 20:08