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by morristokenji

(13)平均利潤と生産価格

 すでに紹介の通り、マルクスは『資本論』の巻別構成について、第1巻「資本の生産過程」第2巻「資本の流通過程」に対し、第3巻をたんなる両者の統一ではなく、「競争や信用」を含む「全体として見られた資本の運動過程から生ずる、具体的な諸形態を発見し、説明することである」と第3巻の冒頭で述べている。その上でエンゲルスは、マルクスの原稿を整理して、「費用価格と利潤」のタイトルの下で、利潤や利潤率、平均利潤や生産価格を説明している点が、極めて重要な論点です。ここで、資本の直接的生産過程に戻り、剰余価値率の利潤率への転化などではなく、ここでも価値形態論が前提になって、資本を商品、貨幣に続く流通形態としてのG-W-G'としている。だからこそ、G-Wがc+vではなく、わざわざ費用価格kp(産業資本形式ならG=W===Pが費用価格)としているのです。こうした流通形態の見地から、費用価格とW-G'販売価格vpとの関連で、G'の利潤を説明して、利潤率を導く方法を採用している。その上で個別資本の競争による平均利潤、そして平均利潤が実現される生産価格を展開する方法に他なりません。
 ここでは、明らかに費用価格kpと販売価格vpの差額がΔgとしての利潤pです。この利潤が、費用価格を含む投資の全体額Gとの関連でΔg/G利潤率を形成する。個別資本が競争に際しての価値増殖率であり、利益率です。そして個別資本による自由な競争の下では、利潤率が平均化され、平均利潤率及び平均利潤apが形成され、価格基準としては生産価格ppが成立します。このように流通形態としての資本が前提され、さらに資本の流通過程の固定資本の存在が作用して、平均利潤率に基づく生産価格論の展開になります。しかし、ここでも生産価格論の展開は、価値形態による流通形態の見地だけでなく、ここ生産価格論においてもまたぞろ、『資本論』冒頭から前提されてきている労働価値説の等価交換との矛盾に逢着します。価値と生さ価格の矛盾に他なりません。
 マルクスは、「資本主義的に生産される各商品の価値Wは、定式W=c+v+mで示される」として、まず直接的生産過程での商品の価値規定を提示します。こうした価値規定こそ、労働生産物を商品経済的富として、その価値を等価労働量に還元していたスミスなど古典派以来の労働価値説から直接的に導かれたものです。しかし、その論証こそ単なる同義反復・トートロジーに過ぎない、というマルクス批判を引き起こしました。すでに繰り返し述べたので繰り返しませんが、こうした価値規定を前提にして、ここでまた「費用価格をkと名付ければ、定式W=c+v+mは、定式W=k+mに、商品価値=費用価格+剰余価値に転化される」と述べます。こうした費用価格、利潤の定義では、上記の流通形態としての資本の運動形式は無視され、費用価格や利潤は単に実体的なc+vの見方の違い、「括り方」の差異だけに過ぎなくなってしまう。個別資本が競争する流通形態としての資本、その費用価格や利潤の提起の意味は無くなってしまいます。
 同様にマルクスは、労働価値説に基づく商品の価値規定W=c+v+mを設定するため、剰余価値mの見方の差異だけで利潤pを定義することになります。さらに利潤率も、m/c+vに還元される。また、固定資本の回転を考慮するものの、m/Cが平均利潤の前提に置かれ、価値から単に量的に乖離した生産価格となる。そうなれば同義反復・トートロジーに過ぎないと批判を浴びた労働価値説は、ここで価値と生産価格の矛盾に陥り、さらに批判の矢を浴びざるを得なくなってしまいます。マルクスが折角、第3巻について「競争・信用」を意識しながら、「資本の運動過程から見られる具体的諸形態」とした費用価格や利潤の形態的意義は消えて無くなる。われわれは、ここでも価値形態論を重視し、流通形態としての資本の形態規定である「費用価格と利潤」の見地から、個別資本の競争の基準としての生産価格の展開が必要です。
 マルクスがここで逢着した価値と生産価格の矛盾ですが、上記のc+v+mが前提され、たんにmだけがpに、さらに平均利潤apに転化するだけで、剰余価値mの単なる再配分に過ぎないから、総剰余価値は総利潤に等しい。また総価値=総生産価格になり、総剰余価値=総利潤、総価値=総生産価格として、等労働量交換としての労働価値説は堅持されているという、ここでも同義反復に過ぎない遁辞が主張されます。すでにドグマの化した労働価値説から離れて、新たな価格基準としての生産価格は、価値形態論を前提にして、価値から価格の乖離として説明されなければならない。そのためには資本の直接的生産過程で説明された、資本・賃労働の階級関係の剰余価値論と、ここ個別資本の競争の具体的運動形態との「次元の差異」を明確にする必要がある。
 すでに述べたので略述しますが、価値形態論を前提に価値から質的・量的に乖離する価格基準として、まず「一物一価の法則」が論証されました。資本の競争論としての生産価格が、ここでは「一物一価」の法則を具体化します。費用価格も販売価格も、価格の基準としては生産価格による取引です。労働者も労働力商品の価値を、必要労働を表現する生活資料として資本から買い戻す。労働価値説は、等労働交換のドグマではなく、労働者が必要労働の買い戻しとして生活資料を購入する、こうした必要労働による労働力商品の価値規定として論証される。資本の直接生産過程としては、剰余価値論も蓄積論も、労働による価値規定として説明されてきました。純粋資本主義が前提され、資本・賃労働のマクロなレベルでは、剰余価値が剰余労働により規定されていればよかった。しかし、費用価格・利潤の個別資本の競争の次元では、価格の基準が費用価格も販売価格も生産価格である。
 上記のように労働価値説が前提され、費用価格がc+vで剰余価値mだけが平均化されpに修正されるだけでは、費用価格は価値で売買される。生産価格は販売価格だけでは、生産価格は個別資本の全体、総資本の売買を規制できない。例えば。同じコメが、食堂で生産財として費用価格により購入されるときは価値で、コメ屋で消費財として販売されるときには生産価格になる。これでは一物一価の法則が否定され、一物二価になり生産価格が価格基準を形成できない、という重大な矛盾に陥ることになる。この費用価格の生産価格化を巡り、国際的にも「価値の生産価格への転形問題」が論争されることになったのです。そうした論争として、マルクス価値論をめぐる論争が進められたので、以下「論点」として紹介しましょう。

「論点」
 転形問題は、上記の通りマルクスの費用価格の生産価格化をめぐる論争であり、生産財と消費財など、すでに紹介したマルクスの「再生産表式」に関連した論争でした。問題提起者は、L・ボルトキェヴィッツと言われますが、マルクス経済学の内部でもP・スウィージー、M・ドッブなど、また近代経済学からもP・サミュエルソンなどの参加もあった国際的論争です。再生産表式は、社会的総資本による社会的な労働配分の経済原則の説明であり、c+v+mの価値構成と共に、生産手段・生産財=第一部門と消費手段・消費財=第二部門に分け、使用価値の視点から労働配分を説明しています。こうした使用価値の視点があるから、費用価格と販売価格の社会的絡み合いが論じられることになる。例えばスウィージーは、再生産表式を簡単化し、次のように論点を整理しました。
 (表)略
 ここで第一部門で使用された不変資本は400だが、販売される生産価格は433・1/3、また3つの部門の賃金の支払い総額は200だが、第二部門の賃金財の産出額は166・2/3、第三部門の奢侈財は、たまたまこの表では総剰余価値に見合っている。こうしたマルクスによる費用価格は価値、販売価格を生産価格とした転化論では、産出と投入との間に不一致が生じ、単純再生産の均衡条件が満たしえない。そこで経済原則を充足する再生産表式の性格上、実物面・実体面の均衡は動かせないとすれば、もっぱら価格面での不一致として処理されなければならない。その点で、ここでも費用価格や販売価格が、上述の通り流通形態としての資本の「具体的な諸形態」として位置付けられていた重要性が提起されてきます。とくに質的にも量的にも価値実体から乖離する価格形態を踏まえ、「一物一価の法則」として費用価格と販売価格を同時に生産価格として説明しなければならない。すでに計量的なレベルでの論争になっていますが、さらに費用価格と生産価格が同時に規定しあう関係上、スウィージーは「函数関係」として処理するため、次のような連立方程式を提起します。
 (表) 略
 ここで(1)は、単純再生産の均衡条件を実物・実体的にしめす恒等式、それに対し生産価格で評価され直す際、Ⅰにはx、Ⅱについてはy、Ⅲはzの各未知数を、生産価格による再評価の変化率を示すものとしてウエイトする。平均利潤率を示す未知数をrとすれば、未知数は4つ、方程式は3つで、方程式の解法だけでみれば、①もう一つ方程式を立てるか、②未知数を一つ減らすしかない。①としては、上述の総価値=総生産価格、あるいは総剰余価値=総利潤の命題、②としては、ある部門に貨幣材・金の生産を想定して未知数を減らす。方程式の解法など混乱していた論争を整理すれば以上の通りです。ここでも数学ではない以上、労働価値説のドグマを超えて、価値形態を前提とした一物一価の法則として生産価格を規定すれば、②の未知数を減らす解法、それは金生産をⅢに属するとすれば、貨幣材の金の実物・使用価値が価格形態として生産価格を示すことになる。zをカットできる。
 さらに生産価格の形態規定の重要性は、価値形態としての価格形態だけではない。費用価格の生産価格化が、改めて意味を持ってくる。ここで金生産がそのまま生産価格として購買力を持つとすれば、金生産には平均利潤を分配される規制のメカニズムはどこから与えられるのか?それは金生産部門の費用価格の生産価格化によって与えられる。その点でも費用価格の生産価格化、そして形態規定の重要性が提起されます。いずれにせよ、再生産表式の実物的・実体的な計量関係と、費用価格と生産価格の形態規定の次元の違いを明確にして、計量的な処理を進めることが重要です。その点でも、マルクスが費用価格をたんなる実物的・実体的「生産費用」とせず、形態的に「費用価格と利潤」とした意義が認識されるべきでしょう。
(拙稿「価値の生産価格への転形問題ー価値法則と生産価格」『経済評論』1960年1月参照) 

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by morristokenji | 2018-05-11 11:01