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by morristokenji

(15)利潤率の低下と資本の絶対的過剰生産

 『資本論』は第3巻第3篇で、「利潤率の傾向的低下の法則」を論じています。第1巻第7篇と同様に、資本主義経済の歴史的傾向として、生産力の上昇と共に利潤率が低下し、その結果として資本主義の歴史的限界を説く、生成、発展、消滅の歴史法則です。こうした歴史法則を、純粋資本主義の自律的運動法則の中で説き、窮乏化革命や利潤率低下によって資本主義社会の「最後の鐘を鳴らす」イデオロギーは、初期マルクス・エンゲルス以来の「唯物史観」のイデオロギー的仮設でしょう。しかし、それは理論的論証とともに、歴史的に実証、検証されなければ、単なるドグマに終わるだけです。とくにここ「利潤率の傾向的低下」との関連では、第13章「この法則そのもの」を生産力の発展に伴う資本の有機的構成の高度化から説明した後、歴史的な実証、検証を交えながら法則に対して第14章で「反対に作用する諸要因」を挙げて、マルクス自ら反省的に検討しています。そうしたマルクスの誠実さは大事ですが、しかし法則の自己否定にもつながる。
 さらに、より重要な理論的内容ですが、第15章「この法則の内的矛盾の展開」において「生産拡大と価値増殖との衝突」、さらに「人口の過剰における資本の過剰」を論じています。ここでもマルクスは、「利潤率の傾向的低下の法則」の枠組みの内部ですが、資本蓄積に伴う競争と利潤率の変動、とくに「この法則の内的矛盾の展開」として景気変動を説き、その上で「資本の絶対的過剰生産」の説明があります。第1巻の資本蓄積論として、周期的景気循環の必然性の基礎を解明した上で、資本の競争と利潤率の変動を論じた重要な論点でしょう。そこで、ここでも利潤率の傾向的低下をめぐる歴史的な傾向は別に措いて、第1巻の資本蓄積論との関連で。「この法則の内的矛盾の展開」と「資本の絶対的過剰生産」について、立ち入ることにします。
 マルクスは、生産力の発展が資本の価値増殖と矛盾する点を先ず指摘し、「利潤率は低下するが、利潤量は、充用資本量の増加と共に増加する」点を強調します。「率の低下を量で補う」資本の価値増殖行動ですが、そのうえで「人口の過剰における資本の過剰」を論じます。資本蓄積論と資本の競争論との接点ですが、資本の投資競争により資本蓄積が進みますが、資本は率の低下を、労働強化のためにも、「個別資本の最小限は増大する。」すでに資本蓄積論でも強調されていた通り、資本は「有機的構成不変の蓄積」、たんなる能力拡大型投資で拡大しょうとすれば、賃金の上昇から剰余価値率が低下する。この剰余価値率の低下が、個別資本の利潤率低下をもたらし、この率の低下が量の拡大を刺激して、投資競争の激化をもたらす。その結果として「個々の商品のではなく、資本の過剰生産ーといっても資本の過剰生産は、つねに商品の過剰生産を含むのであるがーは、資本の過剰蓄積以外の何ものをも意味しない。」ここでマルクスは、商品過剰論ではなく、資本過剰論の立場を明確にしつつ、さらに次のような問題提起をします。
 「いかなる場合に、資本の過剰生産は絶対的であろうか?しかも、これやあれやの、または二、三の重要な生産領域にわたるものではなく、その範囲自体において絶対的であるような、したがってすべての生産領域を包含するような、過剰生産は?」資本の絶対的過剰生産は、同時に全般的な過剰生産であり、それゆえに周期的恐慌に結びつくのであろう。マルクスは、自ら定義するように「資本主義的生産の目的への追加資本が、ゼロに等しくなれば、そこには資本の絶対的過剰生産が存在するであろう。しかし、資本主義的生産の目的は、資本の価値増殖でる。ーーーしたがって、労働者人口の供給する絶対的労働時間も延長されず、相対的剰余労働時間も拡張されえないような、労働者人口に対する比率において、資本が増大するや否や(そうでなくとも、相対的剰余労働時間の拡張は、労働に対する需要が強くて、賃金の上昇傾向がある場合には、実行されえないであろう)、したがって、増大した資本が、その増大以前に比して同じであるにすぎないか、またはより少なくさえもある剰余価値量を生産する場合には、そこには資本の絶対的過剰生産が現れるであろう。すなわち、増大した資本C+Δcは、資本CがΔcによるその増大以前に
生産したよりも、多くの利潤を生産せず、または、それよりも少ない少ない利潤をさえ生産するであろう。」
 少し長い引用だが、極めて重要な指摘が見受けられます。第一は、「商品の過剰」と「資本の過剰」の関連だが、ここでマルクスは明確に「資本の過剰」の結果としての「商品の過剰」であり、その逆ではないと言い切っている。したがって、すでに紹介した商品過剰論の立場が明確に否定され、あくまでも「資本の過剰」の立場から「資本の絶対対的過剰生産」が論じられ、さらに実現論的恐慌論の立場も否定され資本過剰論が表明された、とみるべきでしょう。マルクス恐慌論として、極めて重要な指摘です。
 第二は、資本の絶対的過剰の前提に、利潤率の低下があるが、さらにその前提として、賃金の上昇による剰余価値率の低下が指摘されている点です。ただ、マルクスの主張は「括弧付き」だし、必ずしも明確ではない。ただ利潤率の低下を全般的なものとして、絶対的過剰として説明している点では、資本の直接的生産過程の剰余価値生産の限界、そして資本蓄積の過程との関連を問われなければならない。その点で、マルクスが賃金の一般的上昇、さらに労働力の不足にも踏み込んだ点は重要な指摘として重視すべきです。すでにマルクスが資本蓄積論において、「資本構成不変」の蓄積パターンを提起していた以上、ここで資本蓄積の進行に伴う労働力の不足、賃金上昇のメカニズムが重視されるのは当然です。
 さらに第三に、資本の競争論として、特に重要なマルクスの主張ですが、資本の絶対的過剰生産について、ここで「限界原理」を利用している点です。一見して理解されますが、上記のように「増大した資本C+Δc」、つまり限界的投資について、利潤率がゼロ、あるいはマイナスとしている。したがって、ここではマルクスの上述の「平均原理」、そして資本構成が「中位構成」や「平均構成」を持ち出して市場価値を説明していたのとは全然違う。あくまでも既存の投資Cに対し、「追加資本であり」したがってΔcであり、その限界的生産力ではゼロないしマイナスの利潤率となる点から資本の絶対的過剰生産が説明されるのです。こうした説明からすれば、資本の絶対的過剰生産の説明原理にとどまらず、マルクスは資本の競争、市場調節的生産価格の説明原理としても、「平均原理」ではなく「限界原理」を採用する考えだったのではないか?当時まだ「限界革命」が始まった時点にもかかわらず、マルクスは数理的説明としても、限界原理の「資本C+Δc」をここで持ち出すことになり、そうした点から景気循環論、とくに恐慌論の説明に及んだと思われます。そこで、競争論から進んで、信用論による利潤率と利子率の対抗関係を見ることにします。

「利潤率の傾向的低下の法則」
 『資本論』第3巻、第3篇のタイトルとなっている「法則」は、言うまでもなく長期にわたり論争点になってきました。論争は、利潤率低下そのもとしても論じられましたが、上記の通り「傾向的低下の法則」として、資本主義の歴史的な生成、発展、消滅の歴史的法則として、とくに利潤率の低下による資本蓄積の破綻として論じられてきた。「法則そのもの」は、簡単に言えば生産力が上昇する場合、資本主義的な生産に特有な現象として、剰余価値率m/vが一定と仮定して、次のように定式化される。
 p/C=m・n/c+v=m・n/v/c+v/v=m・n/v/(c/v+1)
 この利潤率の定式において、生産力の発展は資本の有機的構成v/cを高める。したがって利潤率p/Cは低下せざるを得ない、というものです。しかし、何よりも先ず生産力が上昇し、相対的剰余価値の生産も進むのに、①m/vを一定とするのは背理だし、②技術的発展は回転度数nを高めるだろうし、③c/vについても、cの価値が低下するという「反対に作用する」要因もあるから、利潤率の低下を抽象的な原理的説明として論証することは困難です。原理的には、純粋資本主義の抽象として、生産力の上昇が、資本蓄積論の展開の中で、資本の過剰をひきおこし「絶対的過剰生産」により、周期的に利潤率の低下を招く論証をすれば足りる。マルクスは、資本蓄積論でもそうでしたが、一方では原理的論証により周期的恐慌の必然性を解明する恐慌論を展開しようとした。しかし、同時に他方では、資本主義の生成、発展、消滅の歴史法則として、利潤率の低下から資本主義の崩壊をイデオロギー的に主張したかったのでしょう。
 特にここでは、資本の競争の激化により、「世界市場と恐慌」という「恐慌・革命テーゼ」のイデオロギー的仮設から抜けられなかった事情があったかも知れません。エンゲルスの編集もあったのでしょうが、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観のイデオロギー的仮設の枠組みの中に、原理的な「資本の絶対的過剰生産」の解明が埋没させられる傾向が強かった。しかしマルクスは、ここでも資本蓄積にもとづく資本の競争論として、「限界原理」に基づき「資本の絶対的過剰生産」の必然性の解明に成功したのです。その点で、資本主義の歴史的法則の解明とは別に、競争論として「資本の絶対的過剰生産」の解明の理論的意義を、高く評価する必要があるでしょう。

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by morristokenji | 2018-06-05 19:47