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by morristokenji

労農派コミュニタリアニズムの群像(2)―③戦後体制の崩壊と三段階論

 戦後、宇野弘蔵は東北大学へは復帰せず、1947年に東京大学の社会科学研究所で社会科学の総合的な調査研究を目指すことになった。その事情には立ち入らないが、戦後独立した東北大学の経済学部でも、「農業政策論」はじめ集中講義などで協力している。戦前の法文学部の経験からすれば、社会科学や人文科学などの総合的・学際的な調査・研究に魅力を感じたし、現状分析を進めたかったように聞いている。その点では、戦時中および戦争直後に日本貿易研究所や三菱経済研究所で、実際的な調査研究に従事した経験が大きかったように思われるし、それを継続する意味もあった。両研究所では、1945年から食糧問題など、日本経済の情勢分析(概観)を執筆しているが、同時に「資本主義の組織化と民主主義」『世界』1946年5月号を筆頭に、「生産再開の論理」『評論』、「経済安定の概念」『評論』、「経済民主化と産業民主化」『新生』など、時論的な論稿が矢継ぎ早に発表された。その上で、東大の社会科学研究所に落ち着いた時点から、「所謂経済外強制について」『思想』1947年2月号をはじめ、農業問題を中心とする現状分析とともに、「労働力なる商品の特殊性について」『唯物史観』1948年など『資本論』研究、『経済政策論』1954年の上梓による段階論、同時に経済学の方法論についての論稿が発表され、三段階論の方法のフレッシュアップの作業が続けられた。
 とくに『農業問題序論』(1947年改造社)において、あらためて二重の意味での後進国・日本資本主義の農業問題の政治的重要性とともに、第一次大戦後の世界における慢性的農産物のの過剰化とそれに続く29年世界大恐慌が、農業問題を資本主義にとって解決困難な世界的問題として顕在化した点に注目する。したがって日本資本主義の農業問題も、世界的問題として、世界経済論として論じなければならない点が、とくに強調されたのである。こうした世界経済の問題から切り離して、たんに日本農業の特殊性から、農村の封建遺制や土地所有、小作料などの特殊性を想定し、それを固定化してしまう非科学的見地を批判している。一国の農業問題も、一国だけでなく「原理論」を基礎に、資本主義の世界史的段階規定を媒介に、しかもそれを世界農業問題として具体的に分析する方法的見地が提起されたのである。まさに三段階の方法であるが、その点を戦後体制の具体的現実において分析を試みたのが「世界経済論の方法と目標」(1950年『世界経済』)に他ならない。ここで農業問題が世界経済論として、それゆえに三段階論の方法では現状分析論として位置づけられることになった。しかも、たんに資本主義の農業問題だけでなく、新たに東西冷戦の戦後体制の中で、社会主義の問題として提起された点が注目される。
 純粋資本主義として抽象された『資本論』の世界では、自律的な資本主義の運動法則が解明されるだけで、「共同体と共同体との間に行われる商品交換の関係は勿論のこと、実際的には資本主義社会の成立の前提条件をなす国際的な商品交換をもその対象となすことは出来ない。---外国貿易を付随的な問題としてしか取扱っていないのは、そのためであるが」、さらに実際の資本主義の発展を取り巻く商品経済の発展も「資本主義の世界史的発展の歴史的規定が与えられないと、かかる関係の具体的分析をなすことは出来ないのである。」(346-7頁)世界経済論についても、原理論と段階論が前提され、各国資本主義の現状分析として位置付けられる。その限りでは、世界経済論は各国資本主義の現状分析の集合体として、マルチラテラルな国際経済論として分析されることになろう。しかし、問題になるのは「前大戦後の農業問題は、19世紀末の西欧諸国の農業問題とも、さらに遡って18世紀末のイギリスの農業問題とも異って世界経済の問題となってきている」(355頁)と主張し、第一次大戦後の世界史的発展段階に伴う性格変化を提起した点である。
 こうした農業問題の性格変化については、ここで深く立ちいらないが、宇野が戦時下に三菱経済研究所で従事した世界糖業の調査分析の経験が大きかった。もともと世界の砂糖産業は、19世紀以来の植民地型プランテーション農業(キューバ、ジャワ、オーストラリア、ハワイ等)だったが、1920年代に大きな構造変化が起こる。1つには、旧来の蔗糖生産の規模拡大であり、第2にはヨーロッパ諸国での甜菜糖生産が勃興し、国家的保護措置による急速なシェア拡大である。その結果、世界的な砂糖供給の過剰、価格の急低下、過剰在庫などの糖業危機をもたらした。それに対し、ドイツなど国内甜菜業の国家統制、さらに国際協定による世界市場の組織化で対応しょうとした。要するに、かってイギリスのごとく外部に押し出される傾向をもった農業が、第一次大戦後再び国内自給を上昇させる方向へ逆転すること、国際的な農産物過剰と農業の国内保護が密接に関連すること、世界的農業恐慌が植民地体制を大きく揺るがせていること、などの構造変化が砂糖産業の調査分析から明らかにされたのである。こうした調査分析から、世界経済論の問題として提起され、それが戦後三段階論の方法、とくに「世界経済論の焦点としての世界農業問題」として提起されることになった。
 戦後、国際経済関係が極めて複雑で、かつ緊密になったが、「世界経済の分析が一国の資本主義の分析と異なった実践的要求に基づいていることからも、それは当然に予想されることである。そこで世界経済の問題は二つの観点を区別することを要請することになる。例えば先の国際連盟やコミンテルンの実践的要求に基づく世界経済の分析のように、世界的政治活動の物質的基礎を明らかにするという目的に役立つ分析と、一国の経済が国際経済から受ける影響に主眼を置いて、その分析をなす場合とである。」(350-51頁)二つのうち、「後者は寧ろ一国の資本主義分析に付随的なるものに過ぎない」が、両者の区別がとくに重要であり、「前大戦後の大恐慌以後、いわゆる経済構造論が問題とせられ、---私は大体こういう見地から世界構造論も、その焦点を明らかにしなければならぬものと考えるのである。そしてそれは世界農業問題にあるのではないかと考えるのである。」(351頁)この重要な設問に対する回答はすこぶる難解だが、以下のように説明されている。
 農業は元来、工業のようには資本主義的生産に適合できない分野であり、資本主義は一時的、部分的にはともかく、これを外部に押し出す形で解決しょうとするが、それは根本的解決ではなかった。押し出された農業が、食糧問題として世界的関連のもとで農産物の過剰問題を引き起こし、いわゆる農業恐慌として、各国に反作用をもたらすからである。こうした農業恐慌は、資本主義の矛盾の外的表現であり、世界資本主義の構造問題である。「前大戦後の世界農業問題は、各国におけるかかる現実的解決の根本的解決でないことを示すものにほかならない。それと同時に資本主義に必然的なる一般的恐慌現象と農業恐慌とは、漸次に接近し融合して、世界資本主義の構造問題として、資本主義の矛盾の総合的表現をなすに至ったのであった。」(353頁)一般的恐慌現象は、労働力商品化の矛盾を基礎として、資本主義経済自身の内部矛盾として必然化するのに対し、「農業恐慌は資本主義的生産方法が農業を資本主義的に処理し得ないという外部的な原因に基づくものである。」(同頁)両者が結合する点に、世界経済論としての世界農業問題の提起があったといえよう。
 「かくして世界経済論は社会主義にとっても重要な課題となって来る。それは一方では資本主義の内部矛盾をなす階級対立を、他方ではその外的矛盾をなす農業問題を、ともに解決し得るのでなければ、新たなる社会を担当し得るものとはならないからである。」(同頁)「世界経済論における農業問題は、なおその解決を個々の国々の社会主義的解決にゆだねた形になっているといってもよいであろう」として、世界農業問題がたんなる「世界貿易問題」のレベルにとどまり、世界経済論の焦点にならないまま、「逆に国家主義的な傾向を強化して来た点を考えるとき、それが決して容易に国民経済として一体化してきた資本主義社会のような統一体をなすものでないことは明らかである。」(354頁)世界農業問題の解決を、階級対立の解決とともに、資本主義から社会主義への世界史的転換の課題として提起したのだが、こうした問題意識の前提には、前大戦以降とくにロシア革命によるソ連邦への前向きな評価が前提されている。
 「第一次大戦後の資本主義の発展は、それによって資本主義の段階論的規定を与えられるものとしてではなく、社会主義に対する資本主義として、いいかえれば世界経済論としての現状分析の対象をなすものとしなければならない」(7-248頁)この指摘は、上記の戦後『経済政策論』が1954年に上梓されたが、その改訂版(71年)に加筆された部分である。戦前の上巻にレーニン『帝国主義論』の積極的評価に基づき、帝国主義段階の金融資本の蓄積を加えて『経済政策論』を完結させたが、その改訂版に「補記―第一次世界大戦後の資本主義の発展について―」として、ロシア革命によるソ連邦の成立、そして東西冷戦の戦後体制を踏まえて、資本主義から社会主義への過渡期が明記されたのである。こうした『経済政策論』の処理については、いうまでもなく1950年に「世界経済論の方法と目標」を書き、その後の戦後体制の定着を見定めての判断といえるだろう。しかしながら、1987年の「レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所」の事故などもあり、「労兵ソヴィエトと全国の電化」をスローガンとしたロシア革命によるソ連型社会主義は、1991年にまことに呆気なく全面的に崩壊してしまった。
 このソ連崩壊は、東西冷戦構造の戦後体制の崩壊であり、ロシア革命によるソ連型社会主義の破綻であり、さらにドグマと化したマルクス・レーニン主義の歴史的否定だったが、それだけではない。戦後1950年「世界経済論の方法と目標」を書き、わざわざ『経済政策論』の改定版に「補記―第一次世界大戦後の資本主義の発展についてー」を加えて、戦後体制を資本主義から社会主義への世界史的転換の過渡期とする、その意味で世界経済論、世界農業問題を三段階論の現状分析として位置付けた、宇野・三段階論の経済学方法論の再検討が提起されたことにもなる。宇野弘蔵は、いうまでもなく『資本論』、『帝国主義論』への様々な疑問とともに、スターリン論文への大胆、かつ厳しい批判を加えていた。にもかかわらずソ連社会主義そのものに対しては、それを肯定し擁護すら惜しまなかったと思う。向坂逸郎などとともに、世代的とも言えるイデオロギー的シンパシーの念を抱きながら、1977年2月22日79歳で他界した。ソ連の歴史的崩壊を待たずに、そして三段階の方法的再検討の課題を残したまゝの死去であった。 
by morristokenji | 2019-07-12 19:45