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by morristokenji

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「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係を、つまり彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を取り結ぶ。この生産諸関係の総体は、社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、その上に法律的、政治的上部構造がそびえ立ち、また一定の社会的意識諸形態、その現実の土台に対応している。」
「社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、今までそれがその中で動いてきた既存の生産諸関係と矛盾するようになる。これらのの諸関係、あるいはその法律的表現に過ぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態から、その桎梏へと一変する。その時、社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造の全体が、徐々にせよ急激にせよ、崩壊する。」
「一つの社会構成は、すべての生産諸力が、その中では発展の余地がないほど発展しないうちは、崩壊することは決してなく、また新しい高度な生産諸関係は、その物質的な存在条件が、古い社会の胎内で孵化し終わるまでは、古いものにとって代わることは決してない。だから人間が立ち向かうのは、いっも自分が解決できる課題だけである。」
「大略、経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、と言っても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生ずる意味での敵対的な形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時に敵対的関係の解決のための物質的諸条件をつくり出す。だから、この社会構成で人間社会の前史は終わる。」

 少し長いが「唯物史観」の定式からの引用です。マルクスが経済学の研究を始めて以来、「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観が、一貫してイデオロギー的に前提されてきた。マルクスの表現を借りるなら、経済学研究のための「導きの糸」として、マルクスは資本主義を歴史的な社会としてとらえ続けてきた。それは科学的研究には不可欠な「作業仮設」であり、イデオロギー的な仮説だった。仮説は必要不可欠であり、マルクスにとっても、まさに理論的研究の「導きの糸」として役立ったし、その点で唯物史観を抜きに『資本論』もあり得ないし、唯物史観を否定してはならない。しかし、仮説はあくまでも仮設であり、理論や歴史そのものではない。理論については、理論的検討による論証が必要だし、歴史的事実については検証、実証が行われなければならない。理論的論証なしに、また歴史的実証抜きに一方的に主張されれば、それは単なるイデオロギー的なドグマになってしまう。
 まず「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観ですが、最初エンゲルスが投稿してきた『独仏年始』の経済学研究の論稿「国民経済学批判大綱」(1844年)に、マルクスが強く刺激を受けた。マルクスは、もともと父親の影響もあり法律学を専攻し、ベルリン大学ではヘーゲル哲学を学び、ヘーゲル左派として活躍していた。しかし、主筆を務めた『ライン新聞』で、「森林盗伐」問題などを扱っている中で、経済学の勉強不足を痛感していた。それだけにエンゲルスの論文からの刺激が大きく、続いて二人は共同で『経済学・哲学草稿』『ドイツイデオロギー』『共産党宣言』などを書いた。共同作業なので、ここで「初期マルクス・エンゲルス」と表現しますが、ロンドン亡命以降も二人の協力は続いものの、「中期マルクス」であり、「後期マルクス」であり、経済学研究はもっぱらマルクスが担うことになった。エンゲルスは父親の工場経営のため遠くマンチェスターに離れてしまった。
 要するに唯物史観は、「初期マルクス・エンゲルス」の作業仮設であり、A・スミスやD・リカードなど古典派経済学の抜粋、ノート、草稿の中で「国民経済学者は私有財産制の運動を説明するのに、労働を生産の中枢として捉えながら、労働者を人間としては認めず、労働する機能としてしか見ていない」と述べている。ヘーゲル左派として、人間疎外、労働疎外の立場ではありながら、ここでは私有財産の基礎に労働をおいている。この「私有財産と労働」を起点として、階級関係も「ブルジョア(有産者)に対するプロレタリア(無産者)」であり、さらにJ・ロック以来の「労働価値説」を基礎にして、自然法に基づく「自己の労働」の果実としての私有財産を提起したのです。唯物史観は、こうした「私有財産と自己の労働」に基づく古典派労働価値説の受容にあった、と捉えることができるでしょう。

 では、その後マルクスの経済学研究が進む中で、唯物史観はどうなったのか?「中期マルクス」の『経済学批判』ですが、ここには「序説」とともに、「序文」には経済学研究のプランや上記引用の唯物史観が定式化されています。マルクスは自らの経済学研究の跡を振り返り、ここで唯物史観を定式化する。そのうえで古典派労働価値説を継承し、商品、貨幣を論じます。だから『経済学批判」は、唯物史観の定式の枠組みの中で、商品の価値や貨幣の機能が論じられているのです。商品は、古典派労働価値説によって労働生産物であり、労働生産物が富であり、「国冨」である。したがつて商品の価値は労働により決定され、交換価値も基本的に等労働量の交換比率として等労働交換である。貨幣の機能も、こうした商品論の労働価値説に基づいて展開されますが、「貨幣の資本への転化」には進めなくなった。したがって『批判』は、商品論と貨幣論だけで終わってしまったのです。マルクスの挫折です。そこでマルクスは、『批判』に先行して書いた草稿『経済学批判要綱』を超えて、『経哲草稿』以来3度目になる経済学説批判の作業を進め直します。それが『剰余価値学説史』ですが、もう一度マルクスは、ここでスミスやリカードの批判的研究に挑戦したのです。
 この『剰余価値学説史』の研究を通して、「後期マルクス」の『資本論』の地平が拓かれた。古典派労働価値説の批判を進め「価値形態」、そして「労働力の商品化」、さらに「貨幣の資本への転化」を通して、資本の生産過程による剰余価値論の展開に成功しました。その点でいえば、価値形態論と労働力商品化論は、理論的には表裏の関係にある。労働力は労働生産物ではない。しかし、労働力は土地・自然・エネルギーなどとともに、商品経済的富の原基形態をなす。労働力や土地自然まで商品化され、労働市場や不動産取引が拡大する。それが資本主義経済の商品市場の特徴です。例えばスミスは、すでに指摘のとおり商品を労働生産物に還元して、労働を「本源的購買貨幣」とした。生産過程を流通過程に還元し、流通主義のイデオロギーにより資本主義の絶対視に陥ったのです。マルクスは、労働力の商品化の解明に成功し、それにより商品形態=価値形態を明らかにした。古典派労働価値説の批判の要諦は、価値形態と労働力の商品化の解明にあり、それによってマルクスの『資本論』は古典派経済学を科学的に批判し超克できたのです。

 しかし、『資本論』による古典派労働価値説の批判的克服は、それほど安易な作業ではなかった。価値形態論をあれほど強調し、労働力商品化による剰余価値論を展開したにもかかわらず、『資本論』冒頭の商品論では、商品は依然として労働生産物だし、等労働量交換として、価値論の展開が進められている。そのためベーム・バベルク以来、マルクス価値論批判がそこに集中して来ました。また、古典派労働価値説と密接に関連している、私有財産の自己の労働による基礎づけも、すでに解説のとおり『資本論』第1巻の最後に「所有法則の転変」として残されているのです。剰余価値の資本化による資本蓄積の前提に、マルクスはまず「商品生産の所有法則」として、「最初われわれにたいして所有権は、自己の労働に基づくものとして現れた」(第22章 剰余価値の資本への転化」)と述べ、それが「社会的労働に基づく資本主義的私的所有」による資本蓄積、そして「社会的労働に基づく社会的・共同所有」として「所有法則の転変」に基づいた「資本主義的蓄積の歴史的傾向」を第7篇、第24章「いわゆる本源的蓄積」の第7節で説いているのです。
 こうしてマルクスは「初期マルクス・エンゲルス」以来の唯物史観を、ここでまた提起します。しかし『資本論』のマルクスは、一方で古典派労働価値説の根本的批判を進めてきた。価値形態論と一体化された労働力商品化論、そして労働力商品化の特殊性に基づく剰余価値論、そして資本の流通過程論に他なりません。唯物史観の定式化にもかかわらず、上記のとおり「中期マルクス」の『批判』は、「貨幣の資本への転化」を前にして挫折した。それを超えた「後期マルクス」の『資本論』としては、古典派労働価値説の流通主義に回帰することは許されないはずです。古典派労働価値説の批判からすれば、「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観の原点への回帰は、唯物史観を作業仮設からドグマにしてしまう重大な誤りではないか?この誤りも、古典派労働価値説をマルクスが十分批判しきれなかったことによるものではないか?

 以上のように「初期マルクス・エンゲルス」の唯物史観は、エンゲルスの主導で古典派労働価値説による「私的所有と労働」の関係として定立されました。もちろんヘーゲル左派の立場から、疎外論が前提され、疎外された労働による私的所有の基礎づけだった。しかし、「後期マルクス」の『資本論』における純粋資本主義の抽象による価値論が形成されるまで、価値形態論も労働力商品化論も、古典派労働価値説を批判したマルクスには、まだ十分には提起できなかったのです。それがまた「貨幣の資本への転化」に進めなかった「中期マルクス」の『批判』の限界だった。しかし、『資本論』のマルクスは、価値形態論も労働力商品化論も明確に定立し、新たな理論的地平を切り拓くことに成功したのです。だとすれば、『批判』の唯物史観の仮説に埋め込まれた「私的所有と労働」、そして「所有法則の転変」の歴史観からここで決別し、それまでの唯物史観の作業仮設を、純粋資本主義の自律的経済法則による論証により問い直す必要があったのではないか?
 1870年代の「晩期マルクス」にとって、すでにヨーロッパ大陸は周期的恐慌を繰り返し、金融恐慌をバネにして経済成長を続けていた。唯物史観の「恐慌・革命テーゼ」は完全に反故と化し、政治的には「パリ・コンミューン」の激動が、マルクスも指導した国際的な労働運動の連帯組織「国際労働者協会」(第一インター)を解体に導くことにもなった。エンゲルスの「プロレタリア独裁」に対し、むしろマルクスは、ここでL・H・モルガン『古代社会』を読み、新たにまた「古代社会ノート」作りに進んだ。さらに、いち早く『資本論』の翻訳が進んだロシアからは、ナロードニキの女性活動家、ロシア社会民主労働党のメンシェビキ理論家ヴェラ・ザスーリチからの手紙による詰問に、事実上「所有法則の転変」を修正する返書を書かざるをえなかった。それに加えて英訳が遅れに遅れていたロンドンでも、『資本論』仏語訳の読者が広がり、マルクス主義の組織「社会主義者同盟」のE・B・バックスが、「現代思潮のリーダー達 第23回 カール・マルクス」を書いたのです。バックスは、『資本論』の価値形態論、労働力商品化論を高く評価したうえで、パリ・コンミューンを踏まえたのでしょう、「所有法則の転変」を超えて「共同体社会主義」を提起したのです。マルクスもまた、それを「真正社会主義」として受け止めながら、亡妻を追うように死地に赴いたことを最後に指摘しておきます。

 「論点」 「唯物史観」をめぐる歴史観の対立
 初期マルクス・エンゲルスによる唯物史観が、マルクスの経済学研究にとって、近代社会の資本主義を批判的にとらえるイデオロギー的な作業仮設として、極めて重要な役割を演じていたことは上記の通りです。しかし、経済学研究の深化と共に、とくに中期マルクスから後期マルクスの『資本論』への道程は、当時のイギリス中心の資本主義の発展によつて、「純粋資本主義」の抽象による法則性の解明、それによる新たな歴史観の形成の地平を拓くことになった。しかし、にもかかわらずマルクスに対する古典派労働価値説からの制約が強く、「所有法則の転変」の歴史観を残したし、それによる資本主義への「葬送の鐘」を鳴らすことにもなったのです。しかし晩期マルクスは、ポスト『資本論』の70年代、「パリ・コンミューン」の影響など、共同体論の新たな研究に取り組み、自らの歴史観を考え直していた。そうした事情を配慮して、ここで『資本論』をめぐる歴史観の流れを整理して置きましょう。
 
 まず一つの流れは、初期マルクス以来の所有法則の転変を踏まえた「単純商品生産史観」と呼べるようなものです。「最初われわれにたいして所有権は、自己の労働に基づくものとして現れた」、つまり独立自営の農民など小商品生産者の社会が想定されます。そこでは個人的な生産による生産力の発展、社会的分業などの拡大により、商品経済が拡大発展する。しかし、「自己の労働によって得られた、いわば個々独立の労働個人と、その労働諸条件との癒合に基づく私有は、他人の、しかし形式的には自由な労働の搾取に基づく、資本主義的私有によって駆逐される。」だが、「資本主義的生産様式が自己の足で立つにいたれば、労働のさらにそれ以上の社会化と、土地その他の生産手段の、社会的に利用される、したがって共同的な生産手段への、さらにそれ以上の転化、したがって、私有者のさらにそれ以上の収奪は、一つの新たな形態をとる。」社会的生産力のさらなる発展による資本主義的私的所有の否定、自己の労働に基づく私的所有の「否定の否定」として、ポスト資本主義を展望します。

 こうした「所有法則の転変」に基づく所有論的アプローチに対して、別のマルクスによる商品経済の発展の見方がある。「商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち共同体が他の共同体、または他の共同体の成員と接触する点に始まる。」(『資本論』第1篇第2章)商品経済は共同体の内部からではなく、外部の共同体との間から発生し、私的所有権も共同体内部の自己の労働に基づくものとはいえない。こうした商品経済の外部性から商品、貨幣、さらに「貨幣の資本への転化」を説き、宇野理論の説明にも一部みられたように、世界市場の市場間の価格差から、商人資本や金貸資本の価値増殖を重視する。労働力の商品化も「いわゆる本源的蓄積」による政策によるもので、こうした労働力商品の特殊性に基づく「基本矛盾」が外部的に設定され、労働力商品化の止揚として、ポスト資本主義がここでは展望されます。この歴史観は、「流通浸透視角」とも呼ばれ、「世界資本主義論」により代表されますが、それは宇野理論の「純粋資本主義」の抽象を否定するものです。

 後期マルクスの『資本論』は、19世紀資本主義の確立と発展、政策なき政策とも言える「自由主義」の下で、自律した資本主義から抽象された「純粋資本主義」の法則性解明です。すでに述べた通り、労働生産物ではない、資本の生産物でもない、労働力や土地・自然まで商品化し、周期的景気循環に代表される資本主義的商品経済として、自律的経済法則が抽象される。純粋資本主義として経済法則が抽象されるからこそ、資本主義の発生、発展、成熟(消滅)の歴史的発展段階と経済法則の原理が、方法的に峻別される。宇野理論の原理論と段階論の区分ですが、さらに各国の資本主義の発展と世界経済の現状分析により、労働運動などの組織や運動が解明されることになる。原理論・段階論・現状分析の三段階論によって、原理論の経済法則から解明される「経済原則」の実現、すなわち地域の自然と人間との物質代謝、家族やコミュニティでの労働力の再生産、地産地消の「経済循環」など、労働力商品の特殊性による「基本矛盾」の止揚によって、経済原則を目的意識的、かつ組織的に実現する道が拓かれる。こうした組織的実践による経済原則の実現こそ、晩期マルクスが事実上志向していた「類的存在」としての人間の「共同体社会」主義の実現であり、それによる「人間社会の前史の終わり」でしょう。


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by morristokenji | 2018-01-31 20:08
 第7篇「資本の蓄積過程」の中心は、第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」です。第21章「単純再生産」、ならびに第22章「剰余価値の資本への転化」は、再生産についての「経済原則」を明らかにする。拡大再生産は、いわゆる「経済成長」論であり、資本主義経済では経済の成長が資本の蓄積として法則的に実現する。第22章のタイトルが、「剰余価値の資本への転化」とされ、拡大再生産の内容が「経済学の謬見」である「節欲説」批判になっています。しかし、拡大再生産としての「経済成長」論を明らかにして、「節欲説」を批判しても良かったかと思います。資本主義経済では、経済成長が「蓄積せよ、蓄積せよ」のスローガンのもと、資本蓄積として遂行され、成長至上主義の「欲望の経済」が実現されます。その法則的解明が、第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」です。
 
 マルクスは一般的法則を説明するに当たり、すでに簡単に触れましたが、ここで資本の構成₌不変資本c/可変資本v(有機的構成ともいう)について、①構成の「不変な場合」と②構成が「高度化する場合」の2つのパターンに分けています。①は、単なる規模拡大・能力拡大型投資で、既存の固定資本投資を前提に稼働率を高め、もっぱら労働力や原材料の流動不変資本の拡大を図る。②は、新たな固定資本投資により資本の構成c/vを高度化し、技術革新と合理化を進め省力化を図る投資です。そして、一般的法則としては、「第一節 資本構成の不変な場合における蓄積に伴う労働力需要の増加」、つまり先ずは①の能力拡大型投資の蓄積で進む。とくに資本の流通過程で明らかにしましたが、固定資本の回転の特殊性から、固定資本の償却が進まない限り、新たな設備投資による固定資本の更新ができない。したがって、既存の固定設備の利用で積極的な技術革新はなく、資本の稼働率を高め、流動不変資本と労働力の雇用拡大が進む。その結果として「蓄積に伴う労働力需要の増加」をもたらすことになります。
 ここで労働力商品の特殊性が表面化し、資本蓄積の制約要因となって、資本主義に特有な人口法則が具体化する。①の能力拡大型投資は、労働力需要の増加により雇用拡大が進むが、流動不変資本とは異なり、前述の第2巻資本の流通過程の「可変資本の回転」は、労働力の再生産としての「個人的消費」に依存せざるを得ない。雇用拡大による賃金の上昇は、労働力の再生産を刺激するが、消費生活を通しての労働力の再生産は、モノの生産、再生産ではない。人間の再生産であり、具体的には家庭で家族として子供が出生し、育児・保育され、進学し、労働力として雇用されるまでには最低でも10数年が必要である。こうした労働力の特殊性に基づく再生産の制約が、労働市場における労働力不足・人手不足となり、賃金上昇の圧力となって剰余価値率の低下をもたらす。剰余価値率の低下は、第3巻の分配範疇では利潤率の低下、つまり資本の過剰蓄積を意味する。当然、経済原則的には、経済成長の鈍化、停滞を帰結します。
 このように①の資本蓄積が進むと、労働市場での労働力の不足、人手不足が必然化するが、それは資本蓄積が労働力商品の特殊性から、可変資本の回転を通して、労働市場の求人倍率を高める結果に他ならない。さらに、先ず①の蓄積が進むのは、固定資本の回転の特殊性が、経済原則から固定資本の償却を迫るからです。だから、①の蓄積パターンの持続的進行は、労働力商品の特殊性、固定資本投資の特殊性から、経済成長の制約要因によるチェックを受けることになる。したがって、経済成長の要因の新たな確保が必要にならざるを得ないが、それは「技術革新」による生産性の向上と、それに基づく相対的過剰人口の形成である。生産性向上により、相対的に過剰人口を形成し、それによる労働力不足・人手不足の解消を図ることになります。
 そこで資本蓄積は、マルクスのいう②の資本構成の高度化、つまり上記の合理化型投資へ転換して、資本蓄積を進めることになります。第二節のタイトルも「蓄積とそれに伴う集積との進行中における可変資本の相対的減少」です。合理化型投資は、上記の①の蓄積が進み、固定資本の回転も進んで、償却資金の積み立ても完了に近づいているので可能になる。つまり、固定設備の更新に際して、新たな生産性向上を可能にする技術革新型の投資が行われ、②の資本蓄積に転換することができる。生産性向上は、上記の通り相対的過剰人口を生み出し、それによって労働力人口を形成する。労働力商品の特殊性を「人づくり革命」ではなく、「生産性革命」への資本蓄積の法則的転換により解決するのです。こうした資本蓄積の①から②への自律的転換を通して、資本蓄積の一般的法則が貫かれる。これが『資本論』による「資本主義的生産様式に特有な人口法則」であり、こうした法則により労働力商品の特殊性、固定資本の回転の特殊性による経済原則からの制約を、資本主義は法則的に解決して「富の発展」である経済成長を進めることができる。

 このように『資本論』では、資本の構成を①と②の二つのパターンに分類し、相対的過剰人口の形成などの説明では、①と②の循環的交代を通して、資本蓄積による周期的景気循環の基礎を明らかにしています。例えば「近代産業の特徴的な生活過程、すなわち中位の活況、生産の繁忙、恐慌、沈滞の各時期が、より小さい諸変動に中断されつつ、10年ごとの循環をなす形態は、産業予備軍、または過剰人口の不断の形成、あるいは多く、あるいは少ない吸収、と再形成に基づいている」と明確に景気循環を基礎づけている。しかし、マルクスのの説明は、必ずしも一貫性があるわけではない。①と②がケース・バイ・ケースで、その時の条件で決まるような説明もあるし、さらに①が歴史的に先行し、資本主義的蓄積の本格化とともに②が不断に進み、相対的過剰人口が累積的に進行する。資本蓄積が進むと、過剰人口も累積化し、失業者が増大して「貧困の蓄積」となり、いわゆる窮乏化革命が説かれることにもなります。マルクスも資本主義の「最後の鐘」を早く鳴らしたかったのかも知れません。しかし、「資本主義的蓄積の一般法則」としては、資本主義に特有な人口法則の解明が重要だった。
 マルクスの説明が、必ずしもスッキリ一貫したものにならなかった理由ですが、いろいろあると思います。大きな理由としては、『資本論』第2巻「資本の流通過程」で明らかにされる「可変資本の回転」による労働力商品化の特殊性、さらに「固定資本の回転」の特殊性が十分に前提されなかった。すでに紹介しましたが、マルクス自身も資本の蓄積過程が再生産過程である以上、その前提に資本の流通過程の解明が必要であることを知っていた。しかし、第1巻の取りまとめを急ぎ、「最初まず蓄積を抽象的に、すなわち単なる直接的生産過程の要因として、考察するのみである」とした。このように直接的生産過程として抽象化したことの結果として、可変資本の回転や固定資本の回転の制約が十分に評価されず、②の蓄積パターンが連続することになり、失業と貧困の蓄積が一方的に強調される窮乏化革命論になってしまった。
 もう一つ、『資本論』第1巻の取りまとめを急いだ点とも関連しますが、ここ第7篇「資本の蓄積過程」には、すでに述べた通り「所有法則の転変」を中心に、第24章「いわゆる本源的蓄積」など、理論的展開の歴史的検証や例証のレベルを超えて、資本主義の生成、発展、消滅の歴史的展開を解こうとしている。そのイデオロギー表現が有名な「収奪者が収奪され」て「最後の鐘」を鳴らすことになる。『資本論』が純粋資本主義の抽象により資本主義経済の運動法則を論理的に説明する筈だったのに、ここで論理的・歴史的展開、つまり「歴史と論理の統一」を図った。そのためにイデオロギー的な作業仮設が独走し、ドグマ化してしまったのではないか?とくに所有法則の転変による「第7節 資本主義的蓄積の歴史的傾向」に集約されていますが、それについては項を改めて検討しましょう。

「論点」 周期的景気循環と純粋資本主義の抽象

 第7篇第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」では、上記の通り周期的恐慌を含む景気循環の必然性の基礎が明らかにされ、マルクス恐慌論としても極めて重要な理論的展開です。しかし、第7篇全体としては、景気循環の必然性の理論的展開よりも、むしろ資本主義の生成、発展、消滅の歴史的展開、とくに「所有法則の転変」による歴史的移行が強調されていた。また、資本主義経済の運動法則としての景気循環の自律的運動法則も、理論的な曖昧さを含む展開だった。その点で、『資本論』における資本主義の運動法則の解明と、歴史的展開・移行との方法的関連が、ここで改めて問い直さなければならないでしょう。
 『資本論』の課題は、すでに明らかな通り近代社会としての資本主義経済の運動法則の解明です。そして、運動法則を理論的に解明するためには、「顕微鏡も科学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に代わらなければならぬ」とマルクスは述べ、しかも個人的な価値判断に基づく人為的な「理想型」(Idealtypus)ではなく、「過程の純粋な進行が確保される」「典型的な場所は今日までのところイギリスである。」ドイツなども、イギリスに続いて発展するとして、イギリス資本主義の運動によって法則解明が行われるとしています。資本主義経済の運動法則は、イギリスを中心とする歴史的現実から抽象される「純粋資本主義」になるわけです。
 このようなイギリス資本主義の歴史的発展は、さらに経済政策のイデオロギー面では、重商主義や帝国主義などの政策とは異なり、自由放任政策(laissez faire)の自由主義の時代を迎えていた。これは資本主義経済の発展を、「なすがままに任せる」いわば「政策なき政策」であり、資本主義の自律的発展を推進するものだった。そうした中で後進国ドイツやイギリスにも逆転の動きが強まってはいたものの、世界市場を中心に約10年周期の規則的な景気循環が、19世紀の20年代から20世紀にかけて実現したのです。こうした規則的な景気循環の発展こそ、純粋資本主義の歴史的・現実的な抽象そのものであり、そうした現実的・歴史的抽象による純粋資本主義の運動が、資本主義の運動法則の時間と空間を提供した。こうした歴史的・現実的抽象は、たんなる現実の「模写」ではない。抽象の方法をも反映する「方法の模写」に他ならない。マルクスも周期的景気循環の現実を重視して、『資本論』の「第2班の後書」(1873年1月)では、次のように述べています。
 「資本主義社会の矛盾に満ちた運動は、実際的なブルジョアにたいしては周期的な景気循環の移り変わりにおいて、最も切実に感じられている。近代産業は、この循環を経過するものであって、その頂点が恐慌である。恐慌はまだ先行の段階にあるが、再び進行を始めている。そして、その舞台の普遍化していることによって、並びにその作用の強化されていることによって、神聖なる新プロイセン的ドイツ国の成り上がり者どもにすら、弁証法をたたき込むであろう。」この「後書」きを、『資本論』初版から6年も経った、またフランス語版に対する改訂の作業の後、マルクスは書いた。資本主義経済の自律的運動法則、そして純粋資本主義の抽象の「舞台」が、他ならぬ「周期的な景気循環」により繰り広げられ、「弁証法をたたき込む」法則性を強調しているのです。ここで、『資本論』における純粋資本主義の抽象の意義を、周期的景気循環の自律性として強調して置きます。

「論点2」資本主義的人口法則と「経済原則」
 
 ここで資本蓄積論における周期的景気循環の必然性との関連で、資本主義的人口法則が解明されました。すでに明らかなとおり、労働力商品の特殊性により、可変資本の回転においては、労働力の再生産が単純流通を通して、個人的消費の過程で行われる。一方の労働力が資本に雇用され直接的生産過程で剰余価値を生産し、他方では可変資本の回転により個人的消費で労働力の再生産が行われる。ここに資本主義的な「経済循環」の経済原則と経済法則との関連が明らかにされます。そして、この労働力の再生産は、経済原則から言って、個人的消費の場である家庭・家族、そして経済循環も地域の共同体との関連で進められる。こうした関連は、さらに資本の蓄積過程における資本主義的人口法則との関連でも、さらに特有な相対的過剰人口の問題が提起されます。
 資本主義的人口法則は、すでに明らかなとおり資本蓄積の下で、資本構成の変化に対応して、個人的消費を通して再生産される労働市場の労働力の吸収と反発、そして賃金の上昇と低下、雇用の拡大と縮小として現れます。労働力の吸収が高まり、賃金が上昇し、雇用の拡大が進む、具体的には好況期には、労働力の再生産も拡大基調で進むでしょう。しかし、逆に、資本による労働力の反発が強まり、賃金が低下し、雇用の縮小する局面、具体的には景気後退の不況期には、資本にとっては相対的過剰人口の形成であり、「生産性革命」と「人づくり革命」かも知れませんが、相対的過剰人口の存在はどうなるのか?
 『資本論』では、上述のように不断の有機的構成高度化、それによる「産業予備軍の累進的生産」が強調され、そのため「相対的過剰人口の種々の存在形態」を述べています。景気循環で生ずる相対的過剰人口の他に「流動的、潜在的、および停滞的形態」を挙げていますが、その適否はともかく相対的過剰人口の存在と労働力再生産との関係は無視できない。労働力の再生産が「家庭」・「家族」として図られるとすれば、家族の中の何人かが資本に雇用され吸収されるが、景気が後退して資本が反発すれば、何人かが失業して戻ってくる。さらに家庭・家族が地域の共同体を構成するとすれば、そうした共同体が吸収・反発の調節弁・雇用調整のバッファーとなる。そうしたバッファーを利用して資本主義的人口法則も機能するし、その点にまた、労働力商品の特殊性に基づく資本蓄積の経済法則と経済原則の接点と緊張関係が指摘できるでしょう。
 このバッファーの機能ですが、資本による雇用が拡大し、家庭・家族の労働力が吸収される局面が進むと、賃金上昇と共に人手の不足が進む。とくに少子高齢化などの現実では、人手不足が深刻化し、「人づくり革命」なども提起されるのです。また、権力的に「生産性革命」も叫ばれます。本来なら、資本蓄積の法則性から生産性向上と相対的過剰人口の新たな創出を迎えるはずですが、それが進まない産業構造の硬直化でしょう。さらに20世紀資本主義の共通した政策スローガンとして、「福祉国家主義」とも言える「完全雇用」の政策が登場した。この福祉国家の政策が、労働市場では「不断の賃金上昇」、「慢性的人手不足」を招来し、経済原則の面でも「経済成長の限界」を招くのです。明らかに資本蓄積の歴史的限界とも言えますが、これ以上ここでは立ち入れません。

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by morristokenji | 2018-01-28 20:30
 ここで『資本論』第1巻に戻りますが、第2巻の「資本の流通過程」を前提することによって、とくに第7篇「資本の蓄積過程」について、改めて検討しなければならない論点が出てきます。そもそも第2巻による「補足」の必要性に気づきながら、おそらくマルクスは、第1巻の刊行を急いだのだろうと思います。そのため、論点の多くを一先ず棚上げにして、第1巻をまとめざるをえなかった。とくに「商品生産の所有法則の資本主義的領有法則への転換」を早期に提起したかった。その結果、「所有法則の転変」から、資本主義から社会主義への歴史的転換・移行を説くことにもなり、すでに多少触れましたが、社会主義論=ソーシャルエコノミー論としても、色々問題を持ち込むことになってしまったように思います。まず、その点から検討しましょう。

 第一に、第7篇を開いて、まず奇異に感ずるのは、すぐ「第21章 単純再生産」を始めずに、他の篇とは異なり「まえがき」のような長めのコメントがあることです。マルクスはここで「貨幣の資本への転化」を述べ、資本の循環について「資本の流通」に触れ、資本蓄積の第一の条件として「資本はその流通過程を正常な仕方で通過することが前提される。この過程のさらに詳細な分析は、第二巻で行われる」と述べているのです。つまり、資本の蓄積過程の分析のためには、第二巻の「資本の流通過程」による「補足」、というより「前提」が必要である点が指摘されているのです。とすれば、資本の蓄積過程の前に、「資本の流通過程」を置くことをマルクスも考えていた。しかし、第一巻を急いでまとめることにした、そこで第二巻は後回しになった、ということかと思います。さらに第三巻では、利潤、利子、地代の分配範疇を述べることも指摘し、そのため資本蓄積を「抽象的に、すなわち単なる直接的生産過程の要因として、考察する」と断っています。したがって、資本の蓄積過程の分析には、資本の流通過程、例えば上記の固定資本の回転の特殊性などを、十分考慮して読み取るべきでしょう。

 第二に、単純再生産と拡大再生産は、「経済原則」の説明にとって必要な内容ですが、資本蓄積は「剰余価値の資本への転化」として、拡大再生産が「経済法則」として実現される過程です。その際、「第22章 剰余価値の資本への転化」として「第1節 拡大された規模における資本主義的生産過程。商品生産の所有法則の資本主義的領有法則への転換」が説かれています。ここで、わざわざマルクスは「商品生産の所有法則」を持ち出し、「最初われわれにたいして所有権は、自己の労働に基づくものとして現れた。少なくとも、この過程が妥当でなければならなかった、というのは、同権の商品所有者のみが対立するのであり、他人の商品を獲得する手段は、自己の商品の譲渡のみであり、そして自己の商品は、ただ労働によってのみ作り出されうるものだからである。」(1巻732頁)言うまでもなく初期マルクス以来の「唯物史観」における「私的所有と疎外された労働」の関係であり、また「単純商品生産社会」の想定であって、私的「所有権」の基礎づけに「自己の労働」を持ち出している。こうしたマルクスの「想定」が、所有法則の転変による歴史的移行についての「第24章 いわゆる本源的蓄積」、とくに「第7節 資本主義的蓄積の歴史的傾向」の布石になっている。しかし社会主義論を含めて、ここから様々な疑問が生じてきます。とりわけ所有論的な中央集権型の上からの計画経済のソ連型モデルも、こうした所有法則の転変に起因しているように思われます。

 第三に、「第23章 資本主義的蓄積の一般的法則」では、資本蓄積と「相対的過剰人口」の存在形態など、資本主義的人口法則が説かれます。内容的には、後に検討するとして、このように資本蓄積について「一般的法則」を説き、純粋資本主義における景気循環の基礎を明らかにした上で、さらに「第24章 いわゆる本源的蓄積」が置かれ、しかも所有法則の転変として、資本主義の歴史的生成、発展、消滅が説かれます。しかし『資本論』では、剰余価値論はじめ、他の先行諸篇では、歴史的資料は沢山使っていますが、資本主義社会の歴史的生成、発展、消滅そのものを法則的に展開してはいない。とくに「所有法則の転変」としては、上記の通り「単純商品生産社会」の想定は、A・スミスの初期未開の社会など、労働を「本源的購買貨幣」とする流通主義のイデオロギーに過ぎない説明だった。さらに、資本主義の歴史的生成過程としては、マルクス自身「いわゆる本源的蓄積」の過程を説いている。本源的蓄積と所有法則の転変の両者を、いかなる関連にあると考えているのか?さらに、社会変革のための組織的運動を抜きに、性急に資本主義の「消滅」を単にイデオロギー的に主張するだけではないのか、余りにも性急に「最後の鐘」を打ちすぎているのではないか等、ここで様々な疑問が出てきます。「最後の鐘」を鳴らすのは『資本論』ではない、各国の資本主義の現状分析や世界経済の関連から、多様な形で組織的運動が形成され、そうした組織の主体的運動の成果として鐘が鳴るのでしょう。

 第7篇は、内容的に純粋資本主義の運動法則としては、余りにも多岐、多様にわたりすぎている。『資本論』第一巻の最後の締めくくりとして、単に純粋資本主義の運動法則にとどまらず、資本主義の歴史的生成、発展、消滅まで説き、資本主義の「最後の鐘」を鳴らそうとしたのでしょうが、それは単なるイデオロギー的主張にとどまった、と言えるように思います。恐らくマルクスも、それに気づいていた。だから、「パリ・コミューン」の後の1872年―75年にかけて、自身で改訂に手を入れた『資本論』仏語版(分冊版)では、部分的改定のために手を入れただけではなかった。資本主義の歴史的生成、発展、消滅にかかわる部分、つまり第24章「いわゆる本源的蓄積」の部分を第23章までと区分し、それを切り離して第8篇にしたのです。第23章の「資本主義的蓄積の一般的法則」の論理と、第24章以下の歴史過程の部分を編別構成上は峻別しようと考えたのではないか。「論理と歴史」、「科学とイデオロギー」、「理論と実践」の関係について、マルクス自身の内在的な問題提起だったと思います。

 「論点」「論理と歴史」の統一のドグマ
 ヘーゲルの弁証法との関連でしょうが、いわゆるマルクス・レーニン主義では、①論理と歴史、そして②科学とイデオロギー、③理論と実践について、3者を統一しなければならないというドグマが支配してきました。とくに『資本論』については、「論理と歴史」の統一のドグマの支配が問題です。上記のように『資本論』第1巻第7篇については、仏語版の篇別構成の変更など、「資本の資本蓄積・再生産過程」の論理的展開と「資本の原始的蓄積過程」「所有法則の転変」の歴史的の関連を、方法的にどのように関連付けるか、重要な問題が提起されています。ここに『資本論』の歴史と論理の方法が集約されていると言えます。

 『資本論』は、すでに繰り返し述べているように近代社会である資本主義の運動法則を解明しますが、それは純粋資本主義の抽象によって明らかにされます。だから冒頭商品も、古典派経済学のように労働生産物に限定されないし、また資本の生産物の限定も必要ない。労働市場で取引きされる労働力商品も、不動産市場の土地・自然も、商品経済的富である。そして、流通形態として全面的交換可能性を持つ商品として価値形態が与えられ、貨幣が理論的に必然化した。しかしマルクスは、古典派経済学を批判し、価値形態を明らかにしながら、冒頭商品を労働生産物に還元し、労働価値説を論証した。その上で、『資本論』第1篇、第2章「交換過程」論では、わざわざ商品所有者を登場させ、ここで「自己に労働」に基づく「私的所有」権を設定した。初期マルクス・エンゲルス以来の唯物史観のテーゼであり、商品生産の所有法則とともに、単純商品生産社会を想定することになってしまったのです。
 マルクスは、『経済学批判』では商品論、貨幣論までで挫折しましたが、『資本論』では価値形態を前提にして、商品・貨幣、そして資本を、流通形態としてG-W-G'を一般的定式とするのに成功した。しかし、冒頭の等労働量交換の労働価値説は、単純商品生産の前提からも、「労働力の商品化」を論理的に説くことが出来ない。そこでマルクスは、Hic Rhodus,hic salta!(ここがロドスだ、さあ跳べ!)と自ら叫び、「命がけの飛躍」によって、労働力の商品化を導くことになった。「命がけの飛躍」により、神学上の「原罪」である「いわゆる本源的蓄積」を第1巻の巻末に追いやった上での労働力の商品化であり、産業資本の剰余価値生産の展開だった。その上で、第2巻「資本の流通過程」の位置づけに配慮しながらも、資本蓄積・再生産過程を理論的に展開しようとした。第7篇「資本の蓄積過程」の展開である。
 しかし、「いわゆる本源的蓄積」は、巻末の第24章に追いやられたものの、上記のように第22章では、「剰余価値の資本への転化」を説き、第1節では「商品生産の所有法則の資本主義的領有法則」への転変を提起しているのである。ここでは「自己の労働」に基づく「私的所有」を説き、歴史的単純商品生産社会から、資本主義的領有の近代社会、そしてポスト近代の社会主義への歴史的転換を説く枠組みを提起している。こうした枠組みの中へ純粋資本主義から抽象される資本の蓄積・再生産過程の運動法則も組み込まれてしまっている。その上で、第24章の最後で第7節「資本主義的蓄積の歴史的傾向」が説かれる。ここでの歴史的傾向は正しく「所有法則の転変」であり、純粋資本主義の運動法則は、資本主義の歴史的転換・移行の法則の中に組み込まれたともいえるだろう。

 このように『資本論』第1巻の展開は、序文や後書きに純粋資本主義の抽象による資本主義の経済法則の展開をうたいながら、一方の純粋な論理的展開の方法的見地は、他方の「単純商品生産史観」ともいえる初期マルクスの唯物史観の作業仮設に過ぎない歴史的転化の枠組みに大きく制約されている。まさに論理的展開と歴史的転化・移行の体系的ともいえる混濁であり、論理と歴史の混淆ではないか?そして、「所有法則の転変」は、単なり混濁だけではなく、「科学とイデオロギー」「理論と実践」の統一のドグマとも重なり合いながら、マルクス・レーニン主義の誤謬を招来してしまった点はさらに後述したいと思います。

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by morristokenji | 2018-01-02 15:43