人気ブログランキング |

森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji

<   2019年 02月 ( 1 )   > この月の画像一覧

 2018年、日本近代の幕開けとなった明治維新から150年、つまり奥羽越列藩同盟が薩長の官軍と戦った戊辰戦争に敗れ、東北が「白川以北一山百文」と蔑まれ、収奪され続けてきた歴史の節目の年だ。東北の解放と開発を社是として、2011年東日本大震災にも地道な取材報道を続けている仙台の地方紙『河北新報』は、戊辰150年を迎え「奥羽の義」というタイトルで長い連載を試みた。薩長との国内戦に敗れ、賊軍の汚名に泣かされてきたけれども、敗北した奥羽の側にも多少の「義」のあったことを実証し強調し、積年の恨みを晴らしたい、そんな心情は東北人として好く理解できる。しかし、「義」は義でも、それは大義ではない。中義ないし小義を意味しているのであろう。だから連載も「奥羽の大義」にせず、単なる「義」にしたのではなかろうか?
 その伏線として、連載に先立ち「論考ー維新と東北」として、何人かの識者の「視点」を紹介している。その中で作家・原田伊織氏の見解に代表されるが、日本資本主義の近代化、ブルジョア革命である明治維新について、それが「テロリズムを背景にしたクーデターに過ぎない」という視点である。もし明治維新の王政復古が単なるクーデターに過ぎないとすれば、そもそも革命に大義などなかった。とすれば、それに対する奥羽越列藩同盟も、戊辰戦争も、大規模な内戦になってしまつたものの、そもそも大義などあり得ない。そして敗北した東北の側にも、クーデターに反対した中義、小義が残されているだけになってしまう。戊辰戦争の歴史的意義は、多くの犠牲に比べて、決して大きくはないことになるだろう。
 こうした視点が提起される根拠だが、改めて確認しておくと「1868年4月4日、江戸城に東征軍の勅使が入り、徳川家への沙汰状を公式に交付した。この日をもって徳川政権は公式に終わった」歴史的事実が存在する。欧米先進国から大幅に遅れ、後進国ドイツからも遅れた二重の後進日本資本主義のブルジョア革命は、倒幕戦争など不必要な無血平和革命が成功したのであり、戊辰戦争もブルジョア革命との大義に直結する問題は存在しない、単なる「テロリズムを背景としたクーデターに過ぎない。」倒幕戦争などではなく、薩長の明治新政府軍が、それ以前の「8・18政変」など、東北の会津藩などに対する「私怨にもとづく報復」とみるのであり、仙台藩なども仲裁に入るだけだったところ、クーデターに巻き込まれてしまった。したがってブルジョア革命の大義とは無関係に、私怨の報復戦争が拡大してしまったのである。
 その点で、のちに東北から宰相の地位に上った岩手の原敬が、1917年(大正6年)盛岡の法恩寺での「戊辰戦争殉難者50年祭」においてささげた祭文の一節が興味深い。「かえりみるに昔日もまた今日のごとく国民誰か朝廷に弓を引く者あらんや。戊辰戦役は政見の異同のみ。当時、勝てば官軍負くれば賊軍との俗謡あり、その真相を語るものなり」戊辰戦争は、大義なき「政見の異同」だけ、たんに政治的見解が異なるだけで、一方が勝ったからといって、負けた方を処断できる筋合いではない、と主張している。大正デモクラシーの風潮を背景にした原敬の政友会総裁としての直言である。しかし、明治維新に始まる日本近代史を振り返るならば、それだけでは済まない歴史の現実も否定できない。
 確かに「戊辰の義」を読んでいても、私怨の報復戦争の色彩が極めて強い。そのための犠牲があまりにも大きいし、会津をはじめ東北の怨念も大きく根深い。しかし、そうだとしても薩長の官軍側としては、孝明天皇の崩御により、天皇制の権力奪取を強め、国権の掌握を強化することによって、維新のブルジョア革命を推進した現実を重視しなければならない。その点では、戊辰戦争も明治維新の延長であり、廃藩置県、秩禄処分、地租改正など、維新のブルジョア革命による「賊軍」の東北に対する仕打ちと差別は大きかった。例えば地租改正にしても、「賊軍の東北諸侯などに土地の私有権を認められない。そのため北海道などに追放し、特に山林は国有林にしたのだ。東北に国有林が多いのはそのためなのだ」その昔、恩師で戦前・東北大に在職していた宇野弘蔵氏による説明を思い出す。
 それに付けても戦後、1960年代初めの話だが、仙台市民の仲間に入れてもらい、選挙権も得た。東北の政治動向を知りたいとも思い、選挙の立会演説会を覘いたことがある。そこで抜群の雄弁をふるっていたのが只野直三郎という候補者で、1932年東北大法文学部卒業、戦後「日本人民党」を結成、「一人一党」で旧宮城一区から何回も当選していた。驚いたことに「国有林野を解放し、廃藩置県とは逆に廃県置藩、幕藩体制に戻して、林野を地域に開放すべきだ」と訴えていたのである。この超革命的な訴えがトップ当選につながる、それが戦後東北・仙台の政治風土だったのだ。首都の東京とは全く違う政治風土を感じ、恩師にも話した、その報告に対する宇野先生の回答が、上記のような内容であった。すでに50年以上も前の話だが、東北を理解する大切な鍵だと思い続けてきた。
 天皇制を利用した明治・絶対主義の明治維新は、上記の廃藩置県・秩禄処分。地租改正など、日本資本主義の創出のために、戊辰戦争の勝利を十二分に利用したことを見落としてはならない。東北諸藩の賊軍を追放し、身分制度を廃絶することにより、資本主義経済の大前提となった二重の意味で自由な「近代的労働力商品」を創出したのだ。明治初年の激しいインフレとデフレも加わり、没落士族と下層農民の労働者化による資本の「本源的蓄積」のための重要な槓桿となったのが、ほかならぬ戊辰戦争の薩長、官軍の勝利と奥羽羽越列藩同盟の敗北と賊軍だったと思う。この日本資本主義の近代化の裏面を忘れるわけにはいかない。それから150年、東北の近代化による開発は、戊辰の敗北とともに今日まで、その裏面を打ち消すことができない。秋田など市町村の自治体廃止まで進む人口減少、各県の最低賃銀など所得格差の拡大、そして東日本大震災による福島原発事故のエネルギー政策の矛盾に至るまで、日本資本主義の裏面であり、負の遺産でしかない。戊辰戦争150年の感懐である。
 

by morristokenji | 2019-02-25 09:01