現代資本主義の体制的危機が、いわゆる少子化社会として進み、人口減が著しい。とくに日本の減少も少なくないようだが、「ローマ帝国」の滅亡など、少子化を深刻に受け止めなければならないと思う。さらに加えて、異常な気候変動など、温暖化ガス削減に成果を上げている「炭素クレジット」に発行される民間「カーボンクレジット」に投機資金が入り込むなど、体制的危機に末期症状が現れてきた報道もある。それだけに、体制的危機を呑気に受け止めている余裕はないようだし、そこにまた体制的危機の危機たる所以もあると言えるだろう。
温暖化ガスなど気候の異常変動による体制的危機だが、既に述べた通り戦後世界の米国中心の経済成長、とくにポスト冷戦によるグローバル化など、炭素燃料の大量消費によると言える。それだけに国連による低炭素化への取り組みもあり、少子化に歯止めがj掛けられる可能性も大きい。可能性が大きいだけに、上記の「炭素クレジット」が投機に狙われるのであろうが、いずれにせよ石油・石炭など炭素化の資源・エネルギーの全面転換が、今や不可欠になっている。
そこで自然再生エネルギーへの転換であるが、戦後の東北開発三法においても、石炭の利用は兎も角、北上川などの自然エネルギーの利用が基礎であり、中心でもあった。もちろん当時は、北上川など東北に豊かな大型河川の利用が中心だったが、それでも仙台市の広瀬川の伊達政宗以来の四ツ谷用水の利用など、中小河川まで含めれば、それこそ豊富な自然再生エネルギーの広範な利用だった。さらに述べて置けば北上川の宮澤賢治だが、賢治と言えば「太陽光エネルギー」崇拝が強く、太陽光利用への信仰とも言える宗教観を提起していた。(拙編著『賢治とモリスの環境芸術』伊藤与蔵「賢治聞書」参照)その点では、賢治の自然再生エネルギー重視の思想を見逃すわけには行かないだろう。いずれにせよ戦時下、石油「資源小国」日本の再生を、東北の豊かに自然再生エネルギーの利用に求めた東北開発三法だった。
ところがである。片面講和、日米安保の60年代、三井三池の大闘争があったものの、所得倍増計画、全国総合開発計画など、対米従属型同盟の下、日本経済の再建・成長が始まった。自然再生エネルギーの夢は瞬く間に消え失せ、超安価な輸入石油に依存する成長の時代が到来、太平洋ベルトの三大都市圏の高度成長が開始されてしまった。その後の対米従属・輸入石油依存の日本経済の高度成長は、2度3度に及ぶエネルギーショックに見舞われ、結局のところ電力資本の主導の下「原子力国家」に統合・再編された。とくに東北の原子力発電は、過疎地域であり、汚染水処理だろう臨海型立地であり、「原子力銀座」の福島第一事故は,当初から予想されていたとも言える。さらに事故処理も済まないにもかかわらず,ウクライナ戦争の資源高に便乗して、「原子力国家」の拡大強化が画策されているのだ。
原子力国家を超えるためには、日本のばい電力資本の解体など、国家体制の改革が必要だろう。唯その場合戦前の仙台市営のケースなど、自治地帯中心に「社会的労働力協同体』に新たな役割を期待できるだろう。仙台市営の成功例は、各家庭の「太陽光発電」により十分成功の可能性が期待できるだろう。その決断が必要だろう。
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by morristokenji
| 2022-08-29 11:58