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森のミュージアムの最新情報<研究ノート>を分離


by morristokenji
 ⑥として、田中史郎「原子力発電と核開発―原発と軍事に関しての考察」報告をとりあげる。羅須ゼミでの報告だし、オルタナティブ社会論として論じられているので、興味ある論点のみを取り上げよう。
 先ずショッキングだったのは、3.11の「原子力緊急事態宣言」により、被爆限度の上限が1mSv/yから一挙に20倍の20mSv/yに引き上げられたことだ。当時は混乱していて、頭に入っていた筈だが、極めて高い原子力汚染の中に身を置いていることだ。低炭素化をどうだこうだ議論する前に、日本人としては、とくに福島第一原発事故で汚染された地域を抱え込んだ東北としては、オルタナティブ社会論としても、原子力をきちんと処理しなければならない。重大な問題提起だろう。
 田中さんは、数少ない理系出身者だけに、原子力関係を明快に整理解説してくれて有難い。原子力の軍事利用と平和利用、紙の表と裏の説明、非専門者にもよく理解されたと思う。報告レジメがあるので是非参照されたい。「原発開発への道程」を、国際的な動きと日本の動きに分けた説明である。大筋だが、戦時下の原爆、軍事利用の開発から、戦後は平和利用だが、決して安定的な拡大発展ではなかった。60年代は兎も角、70年代の資源ナショナリズムの中で、原発国家の国家戦略が固められた。東北の「福島原発」が、東京電力の「原発銀座」として集中開発された。しかし、79年米スリーマイル島、86年ソ連チェルノブイリと原発事故が続きソ連崩壊、2006年米ブッシュ政権のグローバリズムの下、「原子力ルネサンス」の一極支配が提起された。
 しかし、成功したとは言えない。原発開発は60年代10基、70年代20基、しかし2000代は5機程度へ減少、そうした中で上記3.11、そして今回のウクライナ戦争を迎えている。さらに、われわれも強調するが、プーチン大統領を始め、原子力の軍事利用と平和利用は1枚の紙の表と裏の様に使い分けられているのだ。それだけにオルタナティブ社会として、国連が強調する「低炭素化社会」の内部に取り込まれた原子力発電などを大きく超えた「原子力利用」問題とせざるを得ない。人類の生存を左右する点で、ウクライナ戦争が突然に提起した原子力利用問題は、余りにも大きな問題提起であろう。

# by morristokenji | 2022-05-08 12:22
 半田氏のオリエンテーションでは、気候危機など「自然」を重視し、とくに「資本は価値増殖が進む限り、自然・生態系の”欠壊”には無関心」とされていた。土地の開発、資源の収奪などであり、この論理が農業にも貫かれるとしていた。従って「オルタナティブ社会は、<農>と<工>の決定的違いを前提とした社会として構想すべき」であるとして、「生物共同体に他ならない生態系を土台(=プラットフォーム)に置き、したがって<農>を基礎とし、<工>はその上で機能する構造として構想される。」とし「ひとまず地域循環型社会(=共同体社会・主義)として概念的に具体化される。」と主張されている。
 地域循環型社会(共同体社会・主義)として概念化され、土地を基礎とする<農>を重視する限りにおいて、半田氏のオルタナティブ社会の概念化に異論はない。賛成である。しかし労働力商品化の止揚とともに、<農>に対する<工>の位置づけは、検討の余地がありそうに思われる。言うまでもなく、前近代社会が自然経済の農業社会だったのに対して、近代社会が工業社会であり、機械制大工業により支配が実現した。『資本論』も機械制大工業の発展から純粋資本主義を抽象し、原理論も形成された。農業についても、それを切り捨てるのではなく、労働力と労働手段、土地自然も労働対象であり、生産の三要素によって成立する。土地自然も超過利潤論の地代論として、純粋資本主義に抽象されている。すでに述べたが、宇野三段階論では、純粋資本主義として処理しきれない産業特性は、現状分析として処理されたのである。
 工業社会に対する農業社会の特性は、例えば屋外生産、農閑期の存在、家内労働などであり、そうした特性の多くは、歴史貫通的、超歴史的な「経済原則」、そして「社会的労働協同体」に属する。したがって上記のように「<農>を基礎とし、<工>はその上で機能する」と言った単純なものではないだろう。オルタナティブ社会の産業属性として概念化できるし、概念化しなければならない。また、資本主義経済の商品経済の「個人主義」に対して、そこではコミュニティである「社会的労働協同体」としての「類的存在」の協同労働の支配となる。さらに個人主義と共に、近代国民国家としての政治的な「自由・民主主義」の止揚にも繋がるのではないか?レーニンのプロ独型専制主義や参加・介入型の社民主義ではない。マルクスの言う「国家の死滅」に他ならないが、オルタナティブ社会としては、その辺まで詰めなければならないだろう。

# by morristokenji | 2022-05-05 11:45
 興味深い半田報告のオリエンテイションに導かれながら、われわれもポスト資本主義の提起に入り込むことにしよう。「斎藤幸平」批判を通して、半田氏はまず、次のような問題提起をする。
 「①資本にとって、次元の異なる2つの制約がある。
  労働力=短期的に発現する制約➜周期的恐慌の勃発    
     (景気循環)を通して現実的に解決。
  
  自然=長期的・漸次的に資本を制約(制約は潜伏)*
     ➜取り返しのつかない形で発現=気候危機
   *資本は、価値増殖が進む限り、自然・生態系の“欠壊”には無関心」
 資本主義にとって、生産の最奥からの基本矛盾として、労働力と自然を取り上げた点は正しいと思う。すでに述べているように、宇野理論も基本矛盾を労働力の商品化に置き、その制約を景気循環を通して現実的に解決すると見ている。労働力が自然と共に、資本の生産物ではなく、単純流通により労働者の家庭・家族を通して、消費により再生産されなければならないからだ。とすれば、「(景気循環)を通して現実的に解決」と簡単に言い切れるわけではない。繰り返し述べているが、超歴史的・歴史貫通的な家庭・家族など「社会的労働協同体」のコミュニティ機能を取り込み、矛盾の「現実的解決」を図らなければならないからだ。原理論の純粋資本主義の抽象のレベルは兎も角、とくに資本主義の体制的危機に直面するについては、既述の通り「気候危機」など、「自然」の矛盾とも結びつき、婚姻率・出産率の低下、子どもの数の低下など、「少子化社会」に逢着をみるからに他ならない。
 すでに労働問題としても、従来からの賃金問題が中心では無くなってきている。情報化や在宅勤務などとの関連もあるが、「働き方」が論議され、「少子化社会対策」になってきた。「働き方」は企業内よりも家庭との関連、とくに食事や子育てとの関連が強く、家事労働や家庭教育などと関係する。つまり、労働力の再生産が当該労働力の再生産だけでなく、むしろ家庭・家族のレベルに拡大され、主婦や高齢者の利用に拡大「社会的労働協同体」を対象とせざるを得なくなってきている。そしてまた、子どもの問題が、家庭・家族に拡張せざるを得なくなり、日本でも「子ども庁」が「子ども家庭庁」に拡大し、労働力の再生産が「社会的労働協同体」として、少子化社会対策として、コミュニティに拡大しようとしている点を見逃してはならないだろう。
 その点で注意しなければならないのは、少子化社会対策は言うまでもなく、資本にとっても推進しなければならない重要課題に他ならない。働き方は無論のこと、産業にとって必要な労働力の確保のための政策である。必要な労働力の確保を通して、価値増殖のネックとなっている資本過剰を少しでも軽減し、解決しなければならばいからである。しかし、同時に労働力の確保は、超歴史的・歴史貫通的な「社会的労働協同体」、コミュニティの維持拡大としても必要不可欠である。とくに家庭・家族の維持・拡大が重要な課題であることは、強調するまでもない。いずれにせよ、これら両面を抱え込みながら、体制的危機が深刻化する資本主義社会の少子化社会対策は進むと見なければならないし、それがまた労資の階級対立の現実ではないか?
 

# by morristokenji | 2022-05-01 13:28
 国連の報告もあり、資本主義の体制的危機の深層に斬り込まざるを得なくなっている。しかし、ウクライナ戦争が長期化し、ことによると最低・最悪の事態だが、原子力の軍事利用=原爆の使用も無きにしも非ず、困ったことだ!それで第3次世界大戦にでもなれば、資本主義の危機もへったくれも舞くなってしまう。人類生存の危機に他ならない。
 原子力と言えば、国連報告の低炭素化にも気になる点が含まれている。沢山ある資源エネルギー産業の中で、国連報告では、特に「低炭素化」に絞り込んでいる。日本もそうだが、各国とも低炭素化に取り組んでいて、たしかに石炭や石油など炭素ガス排出が多く、大気汚染や温暖化に結びついているように見える。しかし、そもそも専門外の話であって、あくまでも素人の受け取る感じに過ぎない。さらにまた資源エネルギーの中で、自然再生可能エネルギーと並んで、原子力が非炭素化に分類されている点になると、話がますますこんがらがってくる。そもそも原子力の利用のために、わざわざ低炭素化を持ち出し、原子力の温存を図ろうとしているのではないか?そんな勘繰りも入れたくなる。特に今度のウクライナ戦でも、石油エネルギーが不足すると、すぐさま低炭素化の原子力の利用の話が出る。同時にプーチン大統領は、原爆の利用などをちらつかせる。原子力の平和利用=原発と軍事利用=原爆は、一枚の紙の表と裏で、プーチン大統領の発言には、いつも二重性を感じてしまう。
 その点で、気候変動に関わる低炭素化の話と、原子力の利用の話は切り離し、原子力はそれだけで議論すべきだろう。そして、原子力の利用は、出来るだけ早期に全面廃絶を心から願って止まない。理由は個人的だが、広島原爆によって2名の親友を失い、加えてチェルノブイリや福島第一の原発事故の体験である。いずれも個人的な体験だが、とくに2名の親友の死は、原子力利用の早期廃絶を自らにより運命づけざるを得ないものがある。今回のウクライナ戦争でも、平和利用と軍事利用がまさに表裏の関係で、表裏が一体になりながら、人類滅亡の谷へ追い込まれる危機を感ぜざるを得ない。それだけに低炭素化と原子力利用を切り離し、資源エネルギー産業の検討が進むことを切望する。

# by morristokenji | 2022-04-28 10:32
 「ウクライナ戦争」が長期化し、国連などが進めてきた脱炭素化に向けての作業が遅れてしまったようだ。戦争による「人殺し」が、人類社会の存続のための国際協力を遅延するとは、何とも皮肉な話ではないか?一日も早い戦争終結を望みたい。特に戦争により、ロシアなど石炭の価格が急騰、国際的にエネルギー不足から、「原子力発電」も急遽拡大したらしい。低炭素化が、たえず「原発」の維持・拡大に繋がってきただけに、今回の戦争への疑点にもなろう。それだけに、低炭素化だけに止まらない、人類社会の存続のための産業構造の歴史的転換として、オルタナティブ社会が論じられねばならないと思う。念のため確認して置く。
 そこで、わが羅須ゼミだが、すでに半田氏のオリエンテイリングにおいて、「生態系の”欠壊・毀損”」として、体制的危機を捉え、新たな産業構造を提起している。正しい方向付けだが、その上で上記の「三原理」が提起されている。特に内容的に問題点だけに触れるが、「生態系の欠壊・毀損」と、10年ほどにすぎなかった短期のグローバリズムとを無理に結びつける必要は特にないのではないか?いずれにせよ、資本主義の体制的危機として、労働力の商品化に関わる「生態系の深部」から産業構造の転換を提起しなければならない点が重要だろう。
 その点でまず斎藤幸平氏の所説が取りあげられているが、①晩期マルクスの視点、②<コモン>領域の拡大の提起を評価している。別に異論はないが、斎藤氏が経済思想家であるために、『資本論』研究との接点が曖昧になっている。特にイデオロギー的仮説にすぎない初期マルクスの「唯物史観」と後期マルクス『資本論』、晩期マルクスの共同体・コミュン論との理論的関連など、はっきりしないままだ。晩期マルクスの新鮮な問題提起が、理論的に未消化であり、「マルクス・エンゲルス問題」や「レーニン・プロ独論」のドグマ化、なども浮かび上がって来ない。斎藤氏は思想家として、問題提起者に止まっているのであろう。斎藤氏の論説の評価は、拙論と重なる点が多いようだが、関連して半田氏が「『資本論』の再評価(再編集)と言う点では、人間と自然の物質代謝に<亀裂>・<ひび>が生じる事象に即せば、---<農業>の位置づけがあらためて考察されたと考えるべき。」と指摘された点を取り上げたい。 
 すでに拙論で論じたが、一つは純粋資本主義の抽象に関連するが、農業の特殊性はあるものの、多くの産業と共に、純粋資本主義として抽象できる面を持っている。その面から『資本論』の純粋資本主義を抽象し、宇野三段階論の原理論が成立する。しかし、もう一つ、リカードも言うように農業部門の一部を、抽象から残さざるを得ない。国際価値論の領域になるのだろうが、半田氏の言う<ひび>割れが入り、宇野理論の現状分析の領域を形成し、とくに過渡期の役割となる。と言うわけで、拙論でも「農業の位置づけ」を無視しているわけでは決してない。問題は、その位置づけの意味・内容であろうが、半田氏は齋藤説との関連で、重要な論点提起を試みている。
 斎藤批判の論点として「①資本にとって、次元の異なる2つの制約がある」として、労働力と自然とを挙げ、資本に対する長期的・漸次的制約として自然、そして「オルタナティブ社会としては、<農>と<工>の決定的違いを前提とした社会として構想すべき。」内容的に拙論と重なる部分が多く、この提言にも反対ではない。しかし、ここまで言うのなら、工業化社会の資本主義VS「共同体社会主義」の体制的差異や「資本主義」「社会主義」のターム、とくに中国型社会主義の位置づけは不可避ではなかろうか?いずれにせよ有益な問題提起として、前向きに検討を続けて欲しいと想うところだ。
 なお、すでに論じたが中国型社会主義の特徴について、ソ連型革命との対比において、特徴を列挙して置く。①農村農民型革命、②郷・鎮・戸籍制度など共同体型、③出稼ぎ農民工型労働力、③双流型商品経済循環など、とくに農民、農家、農村の「三農主義」の重視。


# by morristokenji | 2022-04-23 14:25